第8話 ドッグ・イート・ドッグ
■トーラス王国、北部街道沿い、フォーデン村
「や、やっと着いた……」
街道上二つ目の集落、フォーデン村に到着し、甲太郎は大きく息を吐いた。
道中で雨に降られ、ほぼ一日足止めを食ったのだ。
これが地球……、日本であれば雨に打たれながらの強行軍も辞さなかったが、満足な医薬品や医療設備が存在しない異界ではそうもいかず、街道脇の適当な木陰に入りマントを枝に括り付け、簡易テントにして雨を凌いだ。
大幅なタイムロスだが仕方が無かった。
日本と遜色の無いレベルの医療措置など望むべくもない異界においては、日本に居た時以上に、危険に対しては臆病になるべきだ。
ヘレネア山に着けば、まず間違いなく魔族と戦闘になるのだから。
……そう自身を納得させてはいたものの、やはり気は逸る。
そんな事もあり、フォーデン村に到着すると、甲太郎は大いに胸を撫で下ろした。
その後、一息ついた甲太郎は食料を購入するために、商店を探しながら村の中を進んで行く。
だが、ここで彼は村の異変に気付く。
(人が居ない……、何かあったのか?)
先ほどから村人を見かけない、家の中からかすかに話し声や物音は聞こえるため、皆家の中に閉じこもっているらしい。
まだ日は高い、本来であれば多くの村人が畑仕事に精を出している時間帯だ。
(魔族が南下してきた? いや、魔族は暫くヘレネア山から動かないって話だけど……)
過去6回の侵攻、ヘレネア山に現れた魔族は『魔界の門の周囲に橋頭堡を築いた』と、ベッカー先生の歴史書に記されていた。
さらに、山の麓にはアードラ要塞という強固な防衛拠点がある。
トーラス王国北辺……、延いてはこのアルカディア大陸北端に聳えるヘレネア山を封じ込める、対魔族戦の最前線。
その建造以降、アードラ要塞以南に魔族が侵攻したことは無いと言う。
そのためコルドール村でも、先日通過してきた一つ目の集落でも、魔族の存在に不安を覚える人は居ても、これと言った混乱は無く、表面上は皆平静を保っていた。
不可解な村の様子に首を傾げながらも、甲太郎は『食品・雑貨』と彫られた看板を見つける。
「何のヒネりも無いけど、分かりやすいのは助かるなぁ」
店の人のお手製だろうか……、やけに『味』のある看板に感心しながら、彼は店の扉を開いた。
■フォーデン村、『食品・雑貨』店
「おや、いらっしゃい」
乱雑に商品が並べられた複数の棚に囲まれて、店の主人らしき老婆が甲太郎を迎え入れる。
「すみません、予算100スートくらいで日持ちのする食料が欲しいんですが」
カウンター代わりなのだろう、小さな机の横で安楽椅子に腰掛ける老婆は、甲太郎のリクエストに答え、棚の一つを指差す。
「それなら、そこの棚に保存食が置いてあるよ。値段は棚の段毎に分けてるからね」
老婆が指し示した棚には、燻煙された肉や魚、チーズ、堅パン、胡桃のような木の実といった様々な食品が並べられていた。
そして老婆の説明通り、棚の段毎に釘が打ち付けてあり、そこに数字の書かれた木札が下がっている。
「……妙な格好しとるけど、剣をぶら下げてるってことは傭兵か何かかい?」
老婆が品物を物色中の甲太郎に話しかける。
戦闘服と防弾ベストという格好が悪目立ちするため、マントを羽織ってはいるが、身体を動かせばどうしても服装が人目に付いてしまう。
とはいえ、防具類を買い揃えるお金など無い上、要所が強化繊維で補強された戦闘服と、44マグナム弾にも耐える防弾ベストは下手な鎧よりも防御に優れているため、着替える気にはなれなかった。
「ええまあ……。傭兵ではないんですが、似たような感じです」
「はっきりしないねぇ。まあええ、荒事が飯の種だってんなら、今困った事になっててねぇ、手を貸してくれないかい?」
『日本国国防陸軍の民間人協力者です』などと言うわけにもいかず、甲太郎が言葉を濁しながら答えると、老婆は本題を切り出してくる。
「『困った事』と言うと、皆が家に篭ってる事ですか? 何があったんです?」
「……今朝方、村の若いもん3人が西の森に狩りに行ったんだけども、すぐに一人だけ、慌てて帰って来おった」
老婆は窓に……、そこから見える森に目を移しながら続ける。
「なんでも、馬鹿でかいラプテイルに襲われて、出会い頭に一人食われて、ばらばらに逃げたって話なんだけど、残りの一人がまだ帰って来てないんだよ」
窓から覗く西の森、その端は村からさほど離れていない。
あの森に、人を食うラプテイルが徘徊していると言うのなら、この村の様子も頷ける。
「南の村に軍の詰め所があるから、別の若いもんが助けを呼びに行ったんだけどね、馬を飛ばしても討伐隊が来るのにまる1日はかかる」
南の村……、先日通過してきた集落に、確かに共通の鎧を身に付けた軍人然とした人達が居た事を甲太郎は思い出す。
「ラプテイルを倒せなんて無茶は言わないよ、残りの一人を探して来てくれるだけでいい。頼めないかい?」
老婆が甲太郎を見る。
「……ちょっと考えさせて下さい」
甲太郎は即答できず、少しの間考え込んだ。
(獣害事件か……。『倒す必要は無い』とは言っても、行方不明者捜索中に、対象害獣と出くわす可能性は十分にあるよな)
彼の眉間に皺が寄る。
害獣の捕獲や駆除は、国防軍……、さらにはその前身である自衛隊の時代から、災害派遣任務の主要目的の一つであり、自衛隊時代には害獣駆除目的で部隊が派遣された実例もある。
(いやいやいや! そもそもここ日本じゃないし! かと言って我関せずってのも後味悪いしなぁ……)
CTRaSの同僚達の顔が、甲太郎の脳裏を過ぎる。
クリーチャーとの戦いで戦死した隊員達……。
つまりそれは、無残に『食い殺された』という事を意味する。
既存の生物に外科的処置や薬物投与等で調整を施した生物兵器、『クリーチャー』。
毒や酸を吐くような特殊能力を持つ個体も存在するが、全てのクリーチャーに共通する『武器』は、その爪や牙であり、異常促進された『獲物を捕食しようとする本能』である。
原型を留めない亡骸と、葬儀の場で泣き崩れる遺族の姿は、一生忘れることは出来ないだろう。
甲太郎は目の前の老婆を見る。
老婆はじっと、彼の返事を待っている。
「…………わかりました、引き受けます」
甲太郎が肯定の意を伝えると、老婆は胸の前で手を組み『父よ、感謝します』と短く神への祈りを捧げる。
「ありがとうよ。この店の物でよければ、何でも持ってってくれて構わないからね」
そこまで言うと老婆は目を伏せ、すまなそうに後を続ける。
「本当なら、まず報酬を用意してからお願いすべきなんだけどね、急な事だったから……。村としても何か報酬を出せないか、村長に掛け合ってみるけど……」
甲太郎は顔の前で手をパタパタと振る。
「いえ、食料を譲ってもらえるだけで十分ですし、そういうのは『成功報酬』ってことで構いませんよ」
「……本当に感謝するよ。お願いしておいて何だけど、絶対に無茶はしないようにね」
老婆から注意されるが、甲太郎は頭を掻きながら胸中で呟く。
(もう無茶してるんだよなぁ……、服務規程とか法的な意味で)
自身とは何の関わりもない事件に、私情によって首を突っ込むこの状況。
軍法会議の判断次第だが、良くて罰金刑、下手をすれば懲役刑だ。
『日本に帰還できたら、この件をどうやって言い訳しようか』などと、頭の片隅で後ろ暗い考えを巡らせる甲太郎。
その後、老婆から行方不明者の名前や、その外見的特長、さらに森のどの辺りでラプテイルに遭遇したのか等、必要な情報を聞き出した甲太郎は、単身で森に踏み入る。
広大な森は、その内に人食いの獰猛な獣が居るとは思えないほどに、静まり返っていた。