第42話 オペレーション・シエラ
■東京都千代田区永田町、首相官邸
首相官邸5階の総理大臣執務室に、2つの人影があった。
椅子に座り執務机に肘をつく内閣総理大臣、真壁幸子。
そして、直立不動の姿勢で首相と向き合う官房長官である。
真壁総理が目頭を押さえながら声を発する。
「……そうですか、どうやら芹沢栄治博士の死亡の事実のみ、先行して関係部署に開示したのは早計だったようですね」
「いえ、開示が遅れれば痺れを切らす所もあったでしょう。致し方ないかと……」
昨日、静岡の長道博士から『芹沢栄治博士死亡』の報告が届き、その事実のみ政府内の関係各部署に通知した。
まだ問題は残っているものの、最大の懸念事項が無くなった事で真壁総理は胸を撫で下ろした。
しかし一夜明け、今しがた官房長官から齎された報告……、新たに持ち上がった問題に、彼女は暗澹とした表情を浮かべた。
「中元さんは何と?」
「実は、この話の出所が国防省の一部官僚グループの様でして、中元国防相は確認と対応に追われています。それから情報局も、その官僚グループが芹沢シンパと繋がっていないかを含め、既に内偵を進めています」
「わかりました。今のところは中元さんと情報局に任せましょう」
官房長官は額に浮かぶ汗をハンカチで拭きながら、躊躇いがちに口を開く。
「本当に国を思っての事……、或いは一連の『芹沢事案』の対策を官邸主導で進めている事への不満。その程度の理由であれば良いのですが……。身内を疑うというのは、どうにも慣れません」
そんな官房長官に、真壁総理は軽く笑って答える。
「あら、貴方も総理総裁の椅子を狙っているなら、このくらいはやれる様にならないと駄目よ?」
「とんでもない! 私には荷が重すぎますよ!」
官房長官は縮こまるようにして総理の言葉を否定した。
この人柄の良さがあったればこそ、諸問題の調整役として、そして政府のスポークスマン役として適任であると、官房長官に抜擢したのだ。
『酷な話だったかしら』と、真壁総理は内心反省する、そして、机上に広げられた書類に視線を落とした。
その書類の表紙にはたった一言、こう印字されている。
『S作戦概要』
今朝方、渡良瀬中佐から送られてきたデータファイルを印刷したものだ。
真壁総理はその書類の一番最後のページに、数行ほど何事か書き付けて官房長官に手渡す。
「S作戦、条件付きで実施を許可します。これを渡良瀬中佐に送って下さい。……いつも通り、暗号化処理の上ね。それから、今の話を伝えて『急ぐように』と念を押してください」
「わかりました」
書類を受け取ると、官房長官は一礼して執務室を後にした。
一人残った真壁総理は、窓から外の景色を眺めながら独白する。
「件の官僚グループが本格的に騒ぎ出す前に、全て終わらせることが出来れば良いのだけれど……」
そして、書類に記載されていた『ある人物』について思いを巡らせる。
「異界からのお客人……。果たして、彼等の救い主になってくれるでしょうか…………」
その答えは神のみぞ知る。
神ならぬ人の身に出来るのは、人事を尽くす事だけだ。
■静岡県富士宮市、旧暁製薬生命工学研究所
研究所敷地内には対テロ即応特務隊の現地司令部がある建物の他に、大型車両の出入りが可能な巨大な倉庫がある。
殆どの物資を『事件』の証拠品として当局に押収され、ガランとしたその倉庫の中に複数の人の気配があった。
トレーニングウェア姿で竹刀を振るうリューカと、彼女を見守る芹沢京子、そして京子の部下数名である。
リューカの周囲にはセンサーやカメラが複数台設置され、京子達はセンサーが捉えたリューカの動きをノートPCで解析している。
そこに、渡良瀬中佐が現れた。
「芹沢君、官邸から連絡が来た。S作戦の実施許可が出たぞ、幾つか条件付きだがな」
そう言いながら、官邸から返信されて来た『S作戦概要』と印字された書類を京子に手渡す。
……S作戦。
昨晩、大浴場でリューカの決心を聞いた京子が、その後渡良瀬中佐に掛け合い夜を徹して作成した作戦プランだ。
『S』は海難救助の『S』であり、また救済の『S』でもある。
つまり、異界に漂流してしまった芹沢甲太郎の救出計画なのだが、この『S作戦概要』と記された書類は、国防軍の正式な書式に則って作成されたものではなかった。
つまり、この作戦計画は正式な手続きで立案され、そして正式なルートで承認されたモノではない事を意味する。
――――何故か?
それは、海難救助を行う潜水作業員役が、公式にはこの世界に存在しないはずの人物であるからだった。
「ありがとうございます、この作業が無駄にならなくて良かったですよ……。条件というのは?」
「書類の最後のページに追記されている。それと、この許可に合わせて防衛装備庁の相模原ラボから『クローゼット』を始め、君が要請した機材と物資が運搬されてくる。今夜中にも届くはずだ」
渡良瀬中佐の説明を聞きつつ、書類の最後のページを確認する京子。
そこには、真壁総理の字が躍っていた。
「使用装備のブラックボックス化と、銃火器携行の禁止……。妥当な条件ですね。しかし、最後の『急ぐように』と言うのは? もちろん、急ぎはしますが……」
「あまり気分の良い話ではないからな、落ち着いて聞いてくれ」
渡良瀬中佐は、そう念を押すと説明を始める。
「実は、芹沢博士の死亡を伝えられた市ヶ谷……国防省の一部官僚が、『行方不明の隊員を作戦中行方不明から作戦中死亡に切り替えて、早期に事態の終息宣言を出すべきだ』と言い始めているらしい」
渡良瀬中佐の話を聞き、京子の顔色が変わった。
『行方不明の隊員』とは甲太郎の事だ。
「そんなッ!?」
「早々に事態を終結させて、内外に日本のテロ対処能力を示すべき……、と言うのが理由だそうだ。一応話の筋は通っている上に、その官僚グループはホライゾンゲートの事も、甲太郎君がゲートに落ちて異界に漂流したことも、知らされていない。本格的に騒がれたら、官邸は難しい対応を迫られる事になる」
ホライゾンゲートに係わる事は極秘事項となっていた。
知っているのは、この研究所に居る人員と国家安全保障会議のメンバーだけだ。
しかし、その国家安全保障会議のメンバーの間でも、ゲートの情報を公開するのか、或いは隠蔽するのか、意見が割れていた。
政権の中枢においてすら意見の集約が出来ていない状態で、公開など出来るはずもない。
そして、『終息宣言を出せ』という要請を突っぱねた場合、その理由の説明を求められるのは明白だ。
つまり、ホライゾンゲートの存在を公にせざるを得なくなるのだ。
渡良瀬中佐は言葉を続ける。
「この異例づくめの作戦にGOサインが出たのも、『騒ぎが大きくなる前に全て終わらせろ』という思惑があるからだ。……彼女達がこの世界に流れ着いたのは単なる偶然、奇跡のようなモノだ。その奇跡に頼るS作戦に失敗は許されない、しかしそれは政治的な意味においても同じだ、やり直しは出来ない。……無茶を言っているのは百も承知だが、迅速に、そして万全を期して欲しい」
納得出来ないと言った様子の京子だったが、ひとつ深呼吸して気を落ち着けた。
「わかりました、物資の受け入れ準備に回ります。それと――」
京子は自身の部下……、研究班のスタッフに向き直り指示を飛ばす。
「彼女のモーションデータの収集と整理、それからOSで読み込めるよう、データのコンバートよろしく」
「了解です」
そして、京子は倉庫を後にした。
「よし、ウィクトーリアさん、少し休憩にしましょう」
京子の背中を見送った後、部下の一人が銀髪の少女に声をかける。
その声に応じS作戦の要……、『公式には存在しないはずの人物』であるリューカ・アルゼー・ウィクトーリアその人が近寄って来た。
彼女は渡良瀬中佐を見ると軽く頭を下げ、口を開いた。
「初めまして。もうご存知かもしれませんが、私はリューカ・アルゼー・ウィクトーリアと申します。あの、貴方は……?」
「ご丁寧にどうも。渡良瀬敬三、国防陸軍中佐です。ここの部隊の指揮官を務めております」
リューカは『ワタラセ』という名に聞き覚えがあった。
京子が『ここで一番偉い人』と言っていた名だ。
「芹沢技官は所用があって席を外しています。それから、芹沢甲太郎救出作戦の実施許可が下りました」
「本当ですか!? では、すぐにでも!!」
逸るリューカ。
しかし、渡良瀬中佐は冷静に彼女を戒めた。
「いえ、いくつか準備が必要です。それに、貴方達を丸腰で『魔界』とやらに送り出す訳にはいきません。今協力して頂いている作業も、貴女の装備を用意するために必要な事です」
そこで、渡良瀬中佐は一つため息をつく。
「ここまでお膳立てしておいて、こんな事を言うのも何ですが……。本当に良いのですか? 本来これは我々国防軍の仕事、貴女が危険を冒す必要は無い」
「その事なら昨夜キョーコにも言われました。しかし私が、『それでも』と押し切ったのです。お気遣いは無用に願います」
淀みなく、きっぱりと言い切って見せるリューカ。
そんな彼女の様子を見て、渡良瀬中佐は目を細めた。
「そうですか……。元はと言えば我々の不甲斐なさが招いた事。巻き込んでしまって申し訳ない。それから……、ご協力感謝します」
そう言って渡良瀬中佐は深く頭を下げた。
「そんな、とんでもない! 頭をお上げ下さい!」
狼狽えるリューカ。
王国軍と国防軍という組織の違いはあれど、数百名の部隊の指揮官を務めるのであれば、間違いなくリューカよりも階級は上だ。
それに、親子ほどに年の離れた相手にも、必要とあらば真摯に頭を下げる渡良瀬中佐の人となりは、どこかルーカス将軍を思い起こさせて非常に落ち着かない。
「ここでの生活で何か要望があれば、遠慮なく言って下さい。可能な事であれば早急に手配します。それでは、自分はこれで」
そう言って、渡良瀬中佐は倉庫から去って行った。
「それじゃあ、10分休憩したら再開しましょう。それにしても、朝から動きっぱなしなのにバテないなんて、凄い体力ね」
京子の部下の女性スタッフがリューカに声をかける。
「いえ、それほどでも……。トーラスには、私以上に体力がある者は多く居ましたよ」
リューカの返答を聞いた女性スタッフは、『異世界人って基礎体力が高いのかしらね』と興味深そうに呟いた。
■■■
夜の帳が落ち、夜間警備に就いている人員以外は殆どが眠りについた研究所内は静けさに包まれていた。
そんな中、2階の多目的ルームで話し込む2人の人物がいた。
長道博士とアズーである。
長道博士は深刻そうな表情で口を開いた。
「悪いが、その願いを聞き入れることは出来ん」
「訳ヲ聞いてモ?」
「君の提案を成功させるためには、前提条件として対象地域の土壌や大気、気象条件といったものを綿密に調査する必要がある。生態系にどのような影響があるか分らんからな」
「我ラの世界ハ既に滅んダ世界。今以上に悪化シようは無イのだガ」
アズーの言葉に、長道博士は眉間に皺を寄せた。
「『これ以上悪くならない、だから構わない』、そういう考え方は好かんのさ。それにな、やるべきことをやって失敗するならともかく、モノだけ渡して後は知らぬ存ぜぬというのは私の主義に反する。君の力にはなってやれん、本当にすまんが……」
「謝罪は不要ダ、ドクターナガミチ。元より過ぎタ願いであル事は理解シていル。そレに、こうしテ対話を通し知識ヲ得てイるだけデも僥倖なのだかラ」
アズーがそう答えた時、外から大型車両のエンジン音が聞こえてきた。
長道博士は立ち上がり、窓から外を確認する。
「芹沢君の仕事道具が到着したようだな。相変わらず行動が早い」
「仕事道具?」
疑問を口にするアズーに、長道博士は振り返って答えた。
「ああ、君にも関係するモノだ。楽しみにしていると良い」
■■■
研究所内にあてがわれた部屋で、リューカは1人ベッドに腰かけ物思いに耽っていた。
疲労は感じているのだが、どうにも気が逸ってしまって寝付けないのだ。
(……しかし、私の装備を用意してくれると言うが、それと日中の作業がどう関係するのだろうか)
そんな事を考えているとドアがノックされ、そしてドアの向こうから京子が話しかけてきた。
「リューカちゃん起きてる?」
「はい、起きていますが……。こんな時間に何かあったのですか?」
ドアを空けながら返事をすると、京子はいかにも上機嫌といった表情でリューカの手を取った。
「貴女に見せたい物があるの! ちょっと来て!」
そのまま手を引かれ、あれよあれよと言う間に連れてこられたのは、日中竹刀を振っていた倉庫だった。
今、倉庫の中は数台の『クルマ』……、馬もサウラスも必要とせず、自力で走るという荷車が停まっている。
さらに、リューカにはどう使うのかも理解できない大小様々な機材が置かれ、その中の一つ……、人間一人が余裕をもって収まることが出来る大きさの箱の前に連れてこられた。
その箱を示し、京子は説明を始める。
「これは『クローゼット』って言ってね、可搬型の格納庫なんだけど……。ちょっと見てて」
そう言うと、京子は箱の前面に付いているパネルにカードキーを翳し、暗証コードを打ち込む。
すると、その箱は観音開きに『バクリ』と大きく展開し…………。
「これは……ッ!?」
箱の中から姿を現した物に、リューカは思わず驚きの声を上げた。
その反応を見て満足したのか、京子は自慢げな笑みを浮かべる。
「Ex-O-Skeleton、通称EOS……。その試作2号機よ。これを貴女に託すわ」
「これを、私に!?」
リューカは、目の前のEOSを食い入るように見つめる。
甲太郎の黒いEOSと対を成すような白地に赤いラインのカラーリング。
そして、甲太郎の物が直線的なデザインの兵器然とした見た目であったのに対し、この白いEOSは曲線を多用した丸みを帯びたデザインとなっている。
そのシルエットは、どこか女性的なイメージを想起させた。
「日中、リューカちゃんの動きを解析していたのは、これに貴女用の調整を施すため。それから、見ての通りまだ武装は付いていない『素』の状態なの。オプション装備一式は、また後日届く手筈になってるわ」
京子の言う通り、眼前の白いEOSは腰にウェポンコンテナを装備していなかった。
「EOS本体の調整と、後から届く武装とのすり合わせ。その他諸々の作業と、リューカちゃんのEOS習熟訓練。無茶な話だけど、これらを5日でやるわ。かなりのハードスケジュールになる……。悪いけど、覚悟して頂戴」
「はいッ!!」
リューカが武者震いをしていると、周囲に居た京子の部下達が一斉に、そして盛大なため息を吐いた。
「マジか、5日間徹夜か……」「おーい、誰か近くのコンビニで栄養ドリンク買って来てー」「尚、最寄りのコンビニまでチャリで片道20分の模様。さらに帰りは上り坂」「しゃーない、俺行くわ。取り合えず陳列棚に並んでるの全部買い占めてくれば良い?」「あ、ついでに何か甘いもの買って来て」「おい馬鹿! そんなふわっとしたリクエスト出すと、角砂糖買って来るぞコイツは!!」
ただならぬ雰囲気に、リューカの中の高揚感が引っ込む。
「あの……、キョーコ? 彼等は大丈夫なのですか?」
「問題ないわよ、5徹くらい慣れてるし。ああ、リューカちゃんには休める時に休んでもらうから安心してね」
「…………そ、そうですか」
日中、凄い体力だと感心されたリューカだが、5日間の徹夜を『慣れている』と言ってのける京子に、軽く戦慄を覚えるのだった。




