第4話 地平線の門
■日本、静岡県富士宮市、旧暁製薬生命工学研究所
突入作戦の失敗から3日、ここ暁製薬生命工学研究所は閉鎖されていた。
表向きには『危険な化学薬品の漏出事故が発生した』との欺瞞情報が流され、国防陸軍の部隊が警備に当たっている。
その部隊の名は『対テロ即応特務隊』。
Counter Terrorism Response and Specials……、CTRaSと通称される、既存組織への芹沢シンパの浸透を受けて新設された対テロ実働部隊である。
研究所の内部、以前は会議室として使われていた一室……、現在はCTRaSの現地司令部となっている部屋に複数の人物が詰めていた。
全員が着席し、それぞれ目の前に置かれたノートPCや紙の資料に目を通している。
その中に防衛装備庁主任研究員、芹沢京子の姿があった。
白衣を着込んだ姿から一目で研究者であることが伺える、しかし、連日の激務でやつれ、目の下に濃いクマを作り、髪は手入れされずにボサボサ……、研究者よりも病人の印象が先に立ちそうな人物であった。
だが、それも無理は無い、彼女はEOSの開発者として作戦にオブザーバー参加し、EOSから送られてくる映像や甲太郎の生体情報を指揮通信車でモニターしていた。
弟だけに親殺しの罪を背負わせたりしない、自分も共に見届ける……、そんな決意からの行動だった。
そして見てしまった、甲太郎が見ているものと同じものを……、討つべき父と共に、甲太郎が『此処ではない何処か』へ消え失せた一部始終を。
「あー、あー、聞こえますか?」
室内の壁に取り付けられた大型ディスプレイ、そのスピーカーからしわがれた声が発せられる。
ディスプレイに映っているのは、また別の部屋の風景、ここと同じく会議室然とした部屋で、数人の人物が席に着いているのが見える、そして今まさに、中央に位置する席に一人の老婦人が腰を下ろした。
第108代内閣総理大臣、真壁幸子。
穏やかそうな見た目とは裏腹に、この混迷の時代にあって辣腕を振るい、国政の王道を過たず、安定政権を打ち立てた女傑である。
彼女が口を開く。
「遅れてもうしわけありません、始めて下さい」
真壁総理の言葉を受けて、隣席の官房長官が再びしわがれた声で発言する。
「えー、それでは、国家安全保障会議、緊急事態会合を始めます。まず各人からの報告をお願いします、最初に……、渡良瀬中佐から」
京子がいる会議室の中、国防軍の制服を着た人物が居住まいを正す。
渡良瀬啓三、国防陸軍中佐。
設立間もない対テロ即応特務隊、CTRaSの初代隊長である。
「報告します。先の突入作戦の最終局面において、民間人協力者の芹沢甲太郎、及び作戦目標である芹沢栄治を84ミリ無反動砲で攻撃した隊員ですが……、現在までに判明している情報と、事情聴取の内容をまとめました。資料の4ページをご覧ください」
会議の参加者全員が手元の資料をめくる。
「まず、最も懸念されていた芹沢シンパとの繋がりですが、これに関してはシロと断定して良いでしょう。情報局の捜査資料を6ページに添付しています」
添付資料には詳細な捜査記録をもとに、問題の隊員が過去2年の間に芹沢シンパと直接的・間接的に接触した形跡は認められないとの結論が記載されていた。
「次に動機に関してですが、この隊員は1年前の京都事案において訓練生時代の同期隊員を多数失っており、その怨恨と考えられます。また事情聴取の中で『芹沢甲太郎も信用できない』と供述しており、その恨みの感情を彼にも向けていた可能性が濃厚です」
京子は俯き、膝の上で拳を握り締める。
彼女たち姉弟は、失った信用を取り戻すために今日まで戦ってきた。
友人からの信用、親類縁者からの信用、そして社会的信用。
自分が今まで所属していたコミュニティから爪弾きにされる恐怖は、筆舌に尽くし難い。
だから、実の父親を討つという外道の所業に手を染めてでも……、そう覚悟していた。
だが、周囲の人間の思惑が、姉弟を取り巻く状況が、その覚悟すら嘲笑う。
京子は悔しくて仕方なかった。
「……その上で、事情聴取が終わり次第、この隊員を軍法会議に送致します。私からの報告は以上となりますが、最後に一つだけ良いでしょうか?」
「何でしょう?」
渡良瀬中佐が申し出、真壁総理が先を促す。
「この一件、事前の思想チェックに問題が無かったからと、安易に作戦参加を許可した私の責任です。私は――――」
「責任を取り、職を辞する……、ですか?」
「ッ!」
真壁総理が渡良瀬中佐の言葉を遮り、京子が驚きと共に彼を凝視した。
渡良瀬中佐が胸ポケットから取り出しかけている封筒、一部しか見えなかったが、今の言葉から、それが辞表だと理解できた。
真壁総理が続ける。
「芹沢シンパを排し、限られた人員で事に臨まねばならない現状で、貴方まで失うわけにはいきません。全てが終わるまで、貴官の処分は保留します、良いですね?」
「……了解、しました」
渡良瀬中佐が辞表をポケットに戻し、京子に向き直る。
「芹沢君。改めて、申し訳ない」
深々と頭を下げる渡良瀬中佐の実直さに、京子は少し救われた気がした。
「いえ、中佐のせいではありません。頭を上げてください」
京子は続ける。
「それよりも今は、弟を助けるため、どうか力をお貸しください」
今度は京子が頭を下げる。
渡良瀬中佐は『もちろんだ』と、力強く首肯した。
会議は進み、京子の報告。
内容は、地下の秘匿研究施設に残された機材やデータに関して。
京子は疲れを感じさせない力強さで、しっかりと言葉を紡いでゆく。
「最深部の巨大空間に設置されている、芹沢甲太郎及び芹沢栄治を『飲み込んだ』機材は、空間に干渉する……、ある種の力場を発生させる装置です」
装置自体は損傷し機能を喪失しているものの、残されていたPC端末内のデータから、その機能が判明した。
「あー、芹沢君。すまないが『空間に干渉する』というのは、具体的にはどういう事だね?」
官房長官が疑問を口にする。
「SF的な言い方をすれば、一種のワープ装置です」
ざわり……と、官房長官を始め会議の参加者が驚きを露にする。
京子は『その反応は織り込み済み』とでもいうように、淀みなく説明を続ける。
「確かに突拍子もない事だと思われるでしょう。しかし、芹沢甲太郎が装備しているEOSの緊急展開システム……所謂『変身』システムも、機能の差こそあれ、同じく空間に干渉するものです」
「うぅむ……、機能の差とは?」
再び官房長官の疑問。
「EOSは装着者……、芹沢甲太郎が右腕に装備するブレスレット型の起動ドライバを基点として、その『直近の位相空間』に格納されています」
京子は資料を手に取り、それを示しながら続ける。
「この資料を空間……、世界の壁だとすると、EOSはこの紙に染み込んだ水滴です。起動ドライバを使って、この染み込んだ水滴……EOSを『抽出』するのが緊急展開システムの概要です」
京子は会議の参加者を見渡し、参加者から質問が無い事を確認する。
「翻ってこの研究所の地下にある装置は、この紙に完全に穴を開けるものです」
渡良瀬中佐が眉間に皺を寄せながら発言する。
「……そういえば、緊急展開システムを含む、EOSの基礎理論を構築したのは芹沢栄治博士だったな」
「はい、彼はEOSの研究中に、空間に穴を開ける装置についても同時に研究していたようです。そして、この装置によって穿たれた空間の穴を、地平線の門……、『ホライゾンゲート』と呼称していたようです」
会議参加者全員が唸り、一時室内を沈黙が支配する。
そんな中、真っ先に声を発したのは真壁総理だった。
「地平線の門ですか……、技術的価値を含め驚くべき事ではありますが、今重要なのは芹沢博士が何故このような物を作ったのか、そして、芹沢栄治、甲太郎両名は一体何処に行ってしまったのか……、その2点です」
真壁総理の発言を受けて、京子と同じく白衣を纏った老化学者が立ち上がる。
「その点に関しては、私から説明しましょう」
長道陣、独立行政法人製品評価技術基盤機構の主任研究員であり、芹沢栄治博士の功績の影に隠れてはいたが、生命工学の権威として名の知られた人物である。
「まず、資料18ページの写真を見て下さい」
長道博士が示した写真に写っていたのは、甲太郎がアンチマテリアルピストルで射殺した犬型クリーチャーの屍骸。
その写真のキャプションを見た渡良瀬中佐が疑問を口にする。
「死亡から1時間後に撮影!? 長道博士、これは……?」
長道博士は一つ頷くと言葉を続ける。
「結論から言ってしまうと、この生物はクリーチャーじゃぁありません。皆さんご存知の通り、芹沢博士のクリーチャーは強い再生能力を誇りますが、その無理な調整故、死亡後急速に腐敗が進行し、数分で骨格を残し液状化します」
咳払いを挟み、説明は続く。
「この生物……、暫定的に犬属と呼称しとります。これのDNA分析、及び残された下肢骨格の特徴、そして細胞組織から、全くの新種と判明したわけですな」
「むぅ……、つまり芹沢博士は自身の研究のために、この『門』を使って、世界中から珍しい生き物を集めていた、と?」
官房長官の質問に、長道博士は首肯する。
「私も同じ推測をしとるんですが、ここで問題なのは、その『世界中』が、一体何処までを指し示すのか……、という事なんです」
「何処まで……、というと例えばアマゾンの奥地とかですか?」
渡良瀬中佐の質問に、長道博士は首を横に振って答える。
「これも結論から言いますと、カニスはこの地球上の生き物ではない可能性があるんです」
ディスプレイのこちらと向こう、双方の会議室が一気に騒がしくなる。
「ちょ……、ちょっと待ってくれ! つまりこの生物は地球外生命体だと言うのかね!?」
「生物災害の可能性はッ!? 対クリーチャー用の化学防護処理で大丈夫なんですか!?」
官房長官と渡良瀬中佐が揃って疑問を口にする。
発言こそしていないが、真壁総理も驚愕の表情を見せている。
「ああ、生物災害に関しては心配いりません。どうやら芹沢博士が何やら処置したようでして、悪性の病原菌などは検出されませんでした。秘匿区画の気密性が妙に高いのも、カニスの研究をするためだったのかもしれませんな」
長道博士が言葉を続ける。
「このカニスですが、細胞中ミトコンドリアが地球上の生物のモノとは違ってまして、この変異ミトコンドリアは吸入した酸素で好気呼吸によるエネルギー代謝以外に何らかの……」
「あ、あー……、長道博士、すまないが簡潔にお願いできるかね」
学会での論文発表のように活き活きと語りだす長道博士、たまらず官房長官が止めに入る。
「いや、申し訳ない。簡単に言うと、カニスは地球上では確認されていない、未知の環境下で生まれ育った生き物である……、ということです」
京子が長道博士の発言に続く。
「今の長道博士のお話に加えて、EOSは現在全てのチャンネルで通信不能状態です。特にスーパーバード衛星は全地球上をカバーしており、EOS側の通信装備の全損でも無ければ、カニスの出自と考え合わせると、芹沢甲太郎が『此処ではない何処か』へ飛ばされた可能性は高いと思われます」
真壁総理が首肯する。
「わかりました、何れにせよ『門』の修復をしなければ事態は打開できないようですね。芹沢技官、追って正式に許可を出します、秘匿区画の調査と門の修復を平行して進めてください。長道博士は引き続き、カニスの分析など生物化学分野での協力をお願いします。他に何か報告することはありますか?」
日本国の最高権力者である老婦人が言葉を切り、会議の出席者を見渡すと、長道博士が答えた。
「先ほどの変異ミトコンドリアですが、『門』があった部屋の培養槽に入れられてる被験者からも検出されてまして……、これに関しても後で調べてみます」
さらに京子も続けて発言する。
「私からも一つ、この研究所ですが……、消費電力に不審な点があります」
「不審な点とは?」
真壁総理が先を促す。
「電力会社から提供されたデータによると、秘匿区画が完成した時期の以前と以降で消費電力量に差がありません。さらに突入作戦以降、秘匿区画は非常用ジェネレータから、培養槽を始め一部の機材にのみ電力が供給されている状態ですが、この非常用ジェネレータ以外に自家発電設備が存在しません」
京子は手元のノートPCの画面に、電力関係のデータを表示して続ける。
「大電力を消費する機材が多く、さらに精査が終わっていないので大体の数字になりますが、秘匿区画の全ての機材を動かそうとすれば、第4世代型原子炉数機分の電力が必要になります。消費電力量の計算が全く合いません」
「……確かに不可思議ですね。芹沢技官、この件に関しても併せて調査を進めて下さい、必要であれば追加の非常用電源設備を手配します」
真壁総理の言葉に、京子は『わかりました』と答え、報告を終わる。
「他には? …………それでは、会議を終了します」
真壁総理は誰も答える者が居ないことを確認すると、国家安全保障会議の終了を宣言する。
彼女は思う。
(『親の因果が子に報い』などと、あってはならない事ですが……、ままならないものですね……)
脳裏を過ぎるのは、憔悴した芹沢京子の姿。
(子に親を討たせる……、真っ当な死に方は出来ないでしょうね、私は)
一瞬、悲痛な表情を浮かべるも、すぐに政治家としての表情を取り戻すと、真壁幸子は首相官邸の地下……、危機管理センターを後にした。