第38話 コミュニケーション
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世界の狭間を漂いながら、リューカはその身を苛む苦痛に耐えていた。
鞄の中に納まっている魔族の脳髄が語った通り、狭間には熱波が吹き荒れ、冷気が満ち、常に変動する環境は彼女の結界に負荷をかけ続けた。
それだけでも辛かったが、何よりリューカを責め立てたのは、常に響き続ける不協和音と、水中を漂っているように上下すら定まらない状況だった。
甲太郎であれば『無重力空間』と呼んだであろう世界の狭間は、人の平衡感覚を容易に失わせる。
容赦なく削り取られるなけなしの体力と、平衡感覚を失ったが故の寒気すら伴う不快感。
リューカの意識は朦朧とし始めていた。
その霞がかかったような意識の中、思い起こすのは黒髪黒目の異邦人の姿。
一言も弱音を吐かずに戦い続けた彼に、リューカは憧憬と嫉妬と、そして……、そして――――。
(ああ、そうか……)
朦朧とする思考、渦巻く感情、その中にポッカリと浮かび上がってきた想いがあった。
それは、酷く個人的な感情。
(そうか……、私は……)
『王国軍人は仲間を見捨てない』などと口走ったが、それは只の言い訳に過ぎなかった事を悟る。
自身の行動の根底にあったのは、もっと単純で、利己的なモノ。
(こんな理由で追いかけたなどと知ったら、お前は怒るだろうか? それとも笑って……、許してくれるだろうか?)
いよいよ混濁し、とりとめもなく巡り始める思考。
その時、ぼんやりと霞むリューカの視界に、一つの光が飛び込んでくる。
(あ……、ひか……り……が…………)
そこで、彼女の意識は途切れた。
■■■
意識を取り戻すと、周囲は白一色だった。
視界がぼやけているせいなのか、目に入るのは辺り一面の白、白、白。
夜空に放り出されたような世界の狭間から一転、心地良さすら感じる白い世界は、宗教家達が語る魂が行き着く場所……、神の御許、清廉な水を湛え、魂が安息を得る湖の汀を思わせた。
(私は……、死んだのか?)
リューカが朧げにそんなことを思い浮かべた時、『にゅっ』と視界いっぱいに人の顔が映り込んだ。
「――――ッ!!?」
体をビクッと震わせながら、彼女の意識は一気に覚醒する。
正常に働き始めた目と頭で改めて周りを見てみれば、ここは白を基調とした部屋で、見たこともない様々な道具が所狭しと置かれている。
そんな部屋の中心で、やはり染み一つない真っ白なシーツのベッドに寝かされている事が分かった。
『少なくとも、ここは死後の世界ではないらしい』という結論に至り、ほっと胸を撫で下ろすリューカ。
そんなリューカの様子を見て、彼女を覗き込んでいた人物は、壁に備え付けられている道具に向かって何事か話し始める。
その言語は理解不能だったが、声や体つきから女性と思われるその人物は、ひとしきり話し終えるとリューカに向かってニコリと微笑んだ。
(この人……。黒い髪に……、黒い瞳? それに、さっき口にしていた言葉は……、コータローが使っていた言葉と似ているような……)
微笑んだ女性の容姿とその言語に、甲太郎との共通点があることに気付いたリューカ。
これはどういうことかと彼女が混乱していると、突然扉が開き、新たな人物が部屋に入ってきた。
やはり黒髪黒目の、白衣を着た女性。
初対面のリューカをして、『この人は大丈夫だろうか?』と思わず心配してしまう程、目の下に濃いクマが出来ている。
「〇×△#%?」
その白衣の女性は、やはり理解できない言語でリューカに話しかけてきた。
「申し訳ない、貴女の言葉が分からない」
リューカは試しに、大陸共通語で応えてみる。
だが、やはりリューカの言葉も通じていないらしく、白衣の女性は首を横に振った。
そして、その女性は白衣のポケットから何かの道具を取り出し、リューカに差し出した。
それは片耳用の耳掛け式ヘッドセットなのだが、手の平にすっぽり収まる大きさのそれが何なのか、リューカには皆目見当もつかない。
すると、白衣の女性は『こうするんだ』と言うように、その道具を自分の耳に着けて見せてからリューカに手渡した。
正直、何が何だかさっぱりわからなかったが、リューカは求められるまま、自分の右耳にその道具を着ける……すると。
「私の言葉が分かる?」
謎の道具を着けた右耳から、そんな言葉が聞こえてきた。
「えッ!? 今のは……、大陸共通語!?」
「良かった、通じてるわね。私よ、私」
リューカが驚いていると、眼前の白衣の女性が自分を指さしながら再度話しかけてきた。
「貴女の? 貴女は大陸共通語を話せるのですか!?」
「いいえ、私が話しているのは日本語よ。今耳に着けてもらった道具は、私達の日本語を大陸共通語に翻訳し、そして貴女の大陸共通語を日本語に翻訳して出力してくれる物よ。突貫工事で作った物だから、ちゃんと機能するか不安だったけど……、問題ないみたいね」
「ニホン語!? では、ここはコータローの……」
白衣の女性の言葉、その中にあった一語にリューカは目を見開き、思わずベッドから身を乗り出す。
コータローはあの軍議の場で、『ニホン国国防陸軍所属』と言っていた。
つまりここがニホン国であり、彼の母国なのだ。
リューカの呟きに、今度は白衣の女性が反応した。
「やっぱり、甲太郎を知っているのね? 私の名前は芹沢京子……、キョーコ・セリザワって言った方が良いかしら。貴女が持っていた剣、ヒートマチェットの持ち主である、コータロー・セリザワの姉よ」
そう言って、京子はリューカの目を真正面から覗き込んだ。
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その後、いくつかの検査を受けたリューカは、『見てもらいたい物がある』という京子の言葉に従い、目を覚ました部屋から別の部屋に移動していた。
この頃にはリューカは落ち着きを取り戻し、自分自身と周囲の物を冷静に観察出来る様になっていた。
……尤も、見るモノ全てが驚きに満ちており、『驚きと冷静の間を行ったり来たりしていた』と言うのが正確な所だ。
『やはりここは違う世界なのだ』と、リューカは思う。
廊下を歩いているだけでも、目につく物、すれ違う人、全てが『違って』いた。
今、リューカ自身が身に着けている衣服からして元の世界……、トーラス王国では見なかった物だ。
彼女が身に着けているのは入院患者が着る病衣であったが、そのしっかりとした縫製や着心地、服そのものの構造は初めて見、初めて経験するものだった。
自身を取り巻く事物にしきりに感心し驚きながら進んでいると、目的の部屋に着いたのか、京子が扉を開けリューカを招き入れる。
先導されるまま建物の中を移動していたリューカは知る由もないが、そこは暁製薬生命工学研究所の2階にある多目的ルーム。
京子や長道博士等の研究職員が仕事場として使っている部屋だった。
いくつものデスクが並ぶ中、京子は自身のデスクにリューカを案内する。
そして、そこには先客がいた。
「目覚めタか。大事無いようだナ」
そう日本語でリューカに話しかけたのは、培養ケースに収められた魔族の脳。
「お前は……! あの金属製の鞄はどうした?」
彼女の目の前にあるそれは、キャスター付きの台車の上に『中身』だけが置かれていた。
リューカの質問に、京子が答える。
「あの鞄は鑑定に回したわ。表面に付着していた血痕を調べる必要があるから」
「あ……」
その言葉でリューカはようやく気付く。
甲太郎の姉という事は、この人も白衣の男……、エイジ・セリザワの肉親なのだ。
「あの、コータローは……。あの男を……、貴方達の……」
甲太郎の救出が最優先だ、悠長にしている時間は無い。
しかしそれでも、自分が見聞きした事を、ヘレネア山での一部始終を、京子に伝えなければならない……、自分にはその責務があると、リューカはそう思った。
だが、うまく言葉が出てこない。
当然だ、『貴女の弟が、貴方達の父親を殺した』などと、どう伝えれば良いというのか。
「あれ? もしかして、あの血痕の主が『何者』なのか……、知ってる?」
思い悩むリューカの様子を見た京子は、努めて明るい調子で聞き返した。
リューカは無言で頷く。
「……そっか。ゴメンね、色々と巻き込んじゃって」
「とんでもない! コータローには、危ない所を助けてもらいましたので……」
「そう言ってもらえると救われるわ……。さて、話したい事や聞きたい事が山ほどある。取り合えず、適当な椅子に座って。3人……、3人? まあいいわ、面子が揃った事だし、改めて自己紹介しましょう。確か、貴方達もお互いの名前を知らないんでしょ?」
京子にそう言われ、リューカは初めて脳髄と眼球だけの存在になったこの魔族の名を知らない事に気付いた……、そして同時に『何故京子がそんな事を知っているのか?』という疑問も湧き上がる。
その疑問に答えたのは当の魔族だった。
「君ハこの世界に来テ丸2日寝ていタ。そノ間に、私かラ説明でキる事は京子殿に伝エてあル」
「2日!?」
「貴女、酷く衰弱していて危ない所だったのよ? まあ、その時間があったから彼に協力してもらって、その翻訳機を作れたんだけどね」
京子はそう説明しながら『彼』……、魔族に話を振った。
「ソういウ事ダ……。自己紹介ダったナ、私ノ名はアズー。今はコのようナ姿だガ、君が魔族ト呼んだ者ダ」
続いて、リューカは背筋を伸ばし『コホン』と一つ咳ばらいをしてから名乗る。
「私はリューカ・アルゼー・ウィクトーリア。トーラス王国の……、軍人です」
流石に王女であることを話すのは憚られ、リューカは『軍人』とだけ口にした。
そして、最後に京子が改めて名乗る。
「2人には別々に名乗ったけど、改めて……。私は芹沢京子、キョーコが名前でセリザワが家名ね。貴方達が追っている『黒い鎧の戦士』、芹沢甲太郎の姉よ。私は弟を助けたい、だから貴方達が知っていることを教えてほしい……。この通り、お願いします」
そう言って、京子は頭を下げる。
「頭を上げて下さい、コータローを助ける事は私の願いでもあります。私に出来る事であれば、幾らでも協力しましょう」
「私モ、その事に関しテ異論は無イ。だガ……、始メに一つ聞きタい事があル。『黒い鎧ノ戦士』、コータロー殿はここにハ来てイないのだろウ? 彼と我々ハ同じホライゾンゲートに飛び込んダ、なノに何故我々ダけがニホン国に流レ着いたのカ?」
リューカもその事は疑問に思っていた。
何故、『魔界の門』がニホン国に通じているのか?
「そうね、貴方達に見てもらいたい物とも関係する事だし、そこから話を始めましょうか……。えーっと、ちょっと待っててね」
そう言うと、京子はデスク上にある平べったい化粧箱のような物の蓋を開く。
彼女が何やら操作すると蓋の部分に光が灯り、日本語……なのだろう、文字が表示された。
つまりはノートPCなのだが、リューカにとっては始めて見るモノ……、ついまじまじと見入ってしまう。
その様子を見た京子は、ニコリと微笑みながらリューカに話しかけた。
「これ? パソコンって言ってね。説明するのが難しいんだけど……、色んな事が出来る便利道具よ。……やっぱり、リューカちゃんの世界にこういう物は無い?」
「ええ、少なくとも私の知る限りにおいては、見た事も聞いた事も……。しかし『やっぱり』と言うと、キョーコ殿は私の世界……、トーラス王国の事をご存知なのですか?」
「『殿』なんて背中が痒くなっちゃうわ、キョーコで良いわよ。その翻訳機を作るためにアズー君の頭から……、って頭しか無いけど。とにかく、彼の中から大陸共通語と、日本語との翻訳対照表を出力したの。それにざっと目を通してね、大陸共通語に『機械工学』だとか『エレクトロニクス』だとか、それに類する言葉が無かったから、それで推測したってワケ」
「は、はあ……」
正直、『きかいこーがく』だの『えれくとろにくす』だの、京子の言う事の半分も分からなかったが、どうやら魔族の脳……、アズーから情報を得たらしい。
リューカは曖昧な返事をしながら、再度『パソコン』に目を向ける。
その時、リューカの視界に映り込む物があった。
パソコンを中心に、色々なものが雑然と積み上げられたデスク。
その隅に置かれた、小さな額に入った『絵』。
いや、絵と言うにはリアル過ぎる、まるで現実の風景をそのまま写し取ったような『それ』には、4人の人物が描かれていた。
甲太郎と、京子と、甲太郎が殺めた白衣の男、そして最後に、見知らぬ女性が柔和な笑みを浮かべている。
甲太郎も京子も、リューカが知るより若干幼く見えた。
(これは、家族の肖像? そうすると最後の女性は……、母上だろうか?)
リューカがそんな事を考えていると、彼女の見ている物に気付いた京子が、パソコンの時と同じように説明を始める。
「それは写真って言うの。絵画じゃなくて『カメラ』っていう道具で、風景をそのまま写し取った物よ。写っているものは……、気にしないで」
そう言って、京子は『パタリ』と額を倒し、写真を隠してしまう。
「あ……」
その様子を見て、リューカの胸に『チクリ』と痛みが走った。




