第37話 異界より来たる
■日本、静岡県富士宮市、旧暁製薬生命工学研究所
その日、防衛装備庁の主任研究員である芹沢京子は、PCの画面に映し出された2枚の画像を食い入るように見つめていた。
彼女が見ている画像……、それは『ホライゾンゲート』に投入した無人探査ロボットが捉えた『門の向こう側にある世界』の画像だ。
一週間前、地下研究区画最奥のゲートジェネレイターの復旧を完了し、厳重な警戒の下で再起動が行われた。
ゲートジェネレイターの再起動に合わせ、地下研究区画はその構造に大幅に手が加えられている。
ゲートジェネレイターと20基の培養槽が並ぶ部屋を『ゲートルーム』と呼称し、その唯一の出入り口には対核及び生物化学用の洗浄室が設けられ、そこに至る廊下には防災・防疫用の隔壁が3重に設置された。
空調に関しても、ゲートルームに繋がる物は他とは完全に切り離され、幾重にもフィルターが嚙まされている。
更に、ゲートルーム内には監視カメラと無人銃架が複数配置され、地上施設部分にあるCTRaSの現地指令室、或いは指揮通信車から24時間体制で『ホライゾンゲート』の警戒・監視が行えるようになっていた。
……ともかく、そういった対策の上で『ホライゾンゲート』は再び開かれ、用意されていた無人探査ロボットが異次元に放たれた。
そして今、探査ロボットから送られてきた画像を見ながら、京子は頭を抱えていた。
1枚目の画像は、『ホライゾンゲート』が再度開かれてから最初に投入された探査ロボットが捉えた風景。
多少のノイズはあるもののかなり鮮明に、抜けるような青い空と土が剝き出しの地面、そこに転がる大小の石ころが写されている。
だが、この画像を送信してきた探査ロボットは、直後に通信途絶してしまった。
故障か、或いは何らかの外的要因による損傷か……、原因は不明であったが、そもそも探査ロボットとは言っても、非常に小型の転がって自走するボール型ロボットである。
試料を回収して帰還する、所謂『サンプルリターン』を目的としたものではなく『使い捨て』用途の物であったため、その翌日、耐衝撃性能などに若干手が加えられた2機目の探査ロボットが投入された。
そして、2機目の探査ロボットが送ってきた画像には、1枚目の画像とは全く違う風景が映し出されていたのだ。
2枚目の画像に写るのは、何らかの施設の内部と思われる、巨大なドーム状の空間。
どの様な意図によるものか、床も壁も一面全てに光る幾何学模様が施され、周囲には無数の人骨が散らばっていた。
全く様相を異にする画像が送られてきたことで、異次元に漂流してしまった芹沢甲太郎を救出する試みは、初手から暗礁に乗り上げてしまった。
「『出口』が複数あるって事? それともまさか、繋がる先はランダム? どっちにせよ、甲太郎が漂着した先すら特定できないなんて……」
京子は独り言を呟く。
目の下のクマは濃く、その声からも疲れが感じられた。
『ホライゾンゲート』の繋がる先……、甲太郎が漂流した世界を特定できないことと、そしてもう一つ、彼女を悩ませる問題があったからだ。
(ゲートを開いたら、いきなりこの地下研究施設の電力が回復するし……。一体どうなってるのよ)
ゲートジェネレイターの再起動に必要な大電力を確保するため予備電源車両が複数投入されたのだが、いざゲートが開くと、どこからか施設全体の消費電力を賄えるほどの大電力が流入し、この地下研究施設は完全に息を吹き返した。
それだけでも大変な騒ぎになったのだが、更にもう一つ騒ぎの種となったのが、『ホライゾンゲート』から流れ出してくる異世界の大気だった。
その大気組成から、未知の成分が検出されたのだ。
予めこういった事を想定し、施設内部に手を加え対策を取っていたのだが、実際に未知の成分が漏れ出してくる事態に直面し、京子やCTRaSの隊員を始め全ての関係者は肝を冷やした。
長道博士の尽力により、この未知の成分は『とりあえず』無害であると確認されたが、中・長期的な影響を検証するべく、ゲートルーム内に複数の植物が植えられたプランターや、ラット、犬、猿等が入れられたケージが持ち込まれ、経過観察が行われている。
電力の問題に戻るが……、ホライゾンゲート開通前後の状況から、京子と長道博士は『この未知の成分を発電に利用しているのではないか』と考えた。
しかし、いくら施設内を捜索しても、発電機にあたる装置を発見できないまま現在に至る。
ゲートから漏れ出る未知の成分と出所不明の電力……。
何か『得体の知れないモノの上に腰を据えている』という不気味さを感じながらも、日々の職務を遂行する京子達。
甲太郎救出のための事前調査や、施設に残されたデータの解析等、大量の職務に忙殺され、その不気味な状況にも慣れ始めていたこの日――――。
突如、施設内にけたたましい警報が鳴り響いた。
「警報!? 何がッ?」
驚く京子が椅子から腰を浮かせた時、館内放送が流れ始める。
<HQより全職員へ。ゲートルーム内にて異常周波数スペクトルの増大を検出。同室内で作業中の職員は直ちに室外へ退去、警備班はNBC防護装備を着用し、ゲートルーム前通路にて待機せよ>
その放送を聞き、京子は部屋を飛び出した。
今まで彼女が居たのは、研究員用に割り当てられた地上2階の多目的ルーム。
そこから階段を駆け上がり、5階にあるCTRaSの現地司令室を目指してひた走る。
この施設は表向き……、つまり公的機関に届けられている資料によれば、地上6階、地下2階の構造となっている。
そして、地下2階のさらに下……、資材搬入用大型エレベーターのコンソールパネルを操作し辿り着くのが、秘匿された地下研究施設。
3階層の広大なフロアから成る、禁忌の研究が行われていた伏魔殿である。
そして、地上5階の現地司令室に飛び込んだ京子の目に入ったのは、壁に掛けられた大型ディスプレイに映る『地下5階』、ゲートルームに設置された監視カメラの映像……、光の輪に縁取られた宙に浮く鏡、『ホライゾンゲート』が明滅する様子だった。
「中佐、これは!?」
状況を確認しようと、京子は司令室の中央に立つ人物に問う。
大型ディスプレイの映像を睨んだまま、CTRaSの隊長である渡良瀬中佐は答えた。
「突然な。現在、詳細を確認中だ」
中佐の周囲で、施設の警備システムや戦術データリンクの状況を専用のノートPCでモニターしているオペレーター達が矢継ぎ早に報告を上げる。
「ゲートルーム内、職員の退避完了!」
「隔壁の閉鎖を開始します」
「警備班、間もなく配置完了!」
それらの報告を聞いた渡良瀬中佐は、一番近くでオペレーションを行っていたオペレーターに声をかけた。
「ゲートルーム内のタレットを起動しろ」
「中佐! 待って下さいッ!!」
中佐の命令を聞いた京子は思わず抗議する。
今までなかった『ホライゾンゲート』の異常……、もしかしたら、甲太郎の帰還の前触れかもしれないのだ。
渡良瀬中佐は京子を横目で見つつ、『わかっている』とばかりに一つ頷くと、タレットの起動を行っているオペレーターに更に命じる。
「タレット起動後、射撃管制を手動に切り替えろ。いいか、発砲命令があるまで絶対に撃つなよ!」
「りょ、了解!」
中佐の意図を理解し、京子は胸を撫で下ろしつつ、再度大型ディスプレイに映る画像を注視する。
「異常周波数スペクトル、さらに増大!」
「センサーに感有り! 何か……、出てきます!!」
半ば叫ぶように状況を報告するオペレーターの声、その場の全員に緊張が走る。
そして、光る『ホライゾンゲート』の中心から波紋が広がり、『何か』が吐き出されるように現れた。
ゲートの光が収まり、監視カメラが床に横たわる『何か』の姿を克明に映し出した時、渡良瀬中佐が呻くように呟いた。
「あれは、人間……、なのか? 女の子?」
金属製の鎧を装備した……、人間。
ゲートから放り出された衝撃故か、兜が脱げ、見事な銀髪が床に広がっている。
さらに、その人物が辛うじて持ち手を握っているトランクケースは、口を開けてしまっていた。
「あの……トランク? 中身は何だ?」
「…………ッ!!?」
渡良瀬中佐が再度疑問を口にした時、京子は弾かれた様に走り出し、司令室の扉に手をかける。
「! 芹沢君、どうした!?」
突然の事に驚き、京子の背中に問いかける中佐。
京子は扉をくぐりながら答えた。
「あの子、ヒートマチェットを持ってます!!」
「何ッ!?」
改めて画像を凝視する中佐。
映された銀髪の少女が腰に提げる『鞘』……。
そこに、ヒートマチェットが収められていた。
■■■
京子は5階の廊下を駆け抜け、資材搬入用の大型エレベーターに乗り込み、操作パネルの前に立つ。
停止階を指定する1から6、そしてB1、B2のボタンを使い、所定のコードを打ち込む。
するとエレベーターは降下を始め、地下2階を通り過ぎ『最下層』、地下5階に到達する。
扉が開き切る前にエレベーターから飛び出した京子は、最奥のゲートルームにひた走る。
いくつかの角を曲がり最後の直線に差し掛かると、閉鎖された隔壁とその手前で待機する警備班の一団が目に入った。
京子は警備班の間を走り抜け、隔壁を開放するべく壁に設置されたコンソールパネルに取り付く。
しかし、そんな彼女の腕を、警備班の一人が掴んだ。
「ちょ、何!?」
「芹沢技官、そのままじゃダメです! NBC防護服を着て下さい!」
自身の体を見下ろす京子、普段と変わらないヨレヨレの白衣姿だ。
「う……、ゴメン」
彼女はルーム内作業要員のロッカーからNBC防護服を拝借し、それを着込む。
そして隔壁を開放し、警備班と共にゲートルームに踏み込んだ。
飼育されている動物達が、ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、ケージ内で暴れ、吠えている。
その喧騒の中、銀髪の少女に近付いた京子は、少女が腰に提げている物がヒートマチェットで間違いない事を確認し、さらに、少女が僅かに呼吸していることを見て取った。
「この子……、生きてる!?」
京子が呟くと、すぐそばから異質な機械音声が響く。
「君ガ使っていルのはニホン語だナ? ならバ、今私ガ使ってイる言葉ガ分かルはずダ」
「誰ッ!?」
驚く京子、警備班の隊員達も小銃を構え、周囲を窺う。
しかし、声の主は思いもよらぬところに居た。
「私ハここダ、鞄の中ダ」
「カバン? これは……!?」
少女が手にしている口の空いたトランクケースを覗き込み、その内容物に再度驚きの声を上げる京子。
トランクケースの中身……、剥き出しの脳髄と眼球は京子の反応を無視し、言葉を続ける。
「我々ハ、黒い鎧ノ戦士を追っテ『ホライゾンゲート』に飛ビ込んだ者ダ」
「『ホライゾンゲート』!? その言葉を何処で!?」
脳髄の言葉の中に、厳重に秘匿されているキーワードを聞きつけて、京子は三度驚く。
「戸惑いハ大きク、疑問も尽キないだろウが時間がなイ。私ヲ持っているニンゲンを助けテほしイ。酷く衰弱シていル」
京子は再度、ヒートマチェットに目を向ける。
正直、戸惑いどころか混乱の一歩手前といった状態だったが、それでも、やるべきことはハッキリしていた。
「ええ、絶対に助けて見せるわ。貴方達には聞きたい事が山ほどあるんだからッ!」
京子の目に、強い意志の光が灯った。




