第2話 事件の終わりと彷徨の始まり
投稿する曜日の調整を兼ねて、第2話をアップいたします。
母、芹沢雪子は綺麗な人だった。
外見ではなく、その生き方が。
記憶の中の母は、いつもその背筋をピンと伸ばし、穏やかに笑っていた。
姉や自分を叱る時は、決して手を上げることなく、声を荒げることなく、根気強く語りかけた。
そして、弱音を吐かない人だった。
その生き様の良さは、言い換えれば誠実であったということなのだろう。
いつも通り母は夕食の材料を買いに出かけ、そして交通事故に遭い病院に搬送された。
母が搬送された病室に駆けつけたとき、甲太郎が目にしたのは、既に息を引き取った母と、両手で顔を覆って静かに泣く姉と、母の遺体に縋り付き何度も母の名を叫ぶ父の姿だった。
あの日から、明らかに父は変わった。
思い返してみれば、父は母に依存しているフシがあった。
幼いころから才能を開花させ、天才・神童と持て囃されはしたものの、その才能故に両親とすら折り合いが悪かった父を受け入れてくれたのが母なのだと、幼いころに父自身の口から聞いたこともある。
母を蘇らせる妄想に取り憑かれ、多くの犠牲を出した大罪人。
そんな父だった人の背中が、目の前にあった。
■暁製薬生命工学研究所、秘匿区画最下層最奥部
最奥のフロアに立ち入ると同時に、甲太郎はEOSのセンサーをフル稼動して周囲を探査する。
床面積は約50メートル四方、天井高は8メートル程度、かなり広い空間だが、様々な機材が立ち並んでいるため数値よりも狭く感じる。
機材の中で一番目に付くのは、柱のように立ち並ぶ円筒形の培養槽、その数20基。
その全てが培養液で満たされ、正体不明の肉塊が浮いていた。
……いや、EOSの戦闘サポートAIが画像から特徴パラメータを算出し、肉塊が人間であると判定する。
吐き気を押さえ込む、EOSの鎮静剤投与プログラムをキャンセルする。
この2年余り、何度も目にした光景だ。
こんなことを繰り返させないために、今まで戦ってきた。
およそ40メートル先、壁面を埋め尽くすように設置された用途不明の巨大な機械。
どういった効果によるものか、中央部に淡い光を湛えた装置の前に、父だった人物が背を向けて立っている。
今日で全て終わらせる、そんな決意とともに一歩踏み出すと、死角から飛び出してくるものがあった。
即座に右手の銃で迎撃、正確無比な射撃によって12.7ミリ弾を叩き込まれた犬を素体にしたと思しきクリーチャーは、胴体の半分以上を吹き飛ばされ、肉片を撒き散らす。
そして、その銃声で侵入者の存在に気づいたのだろう、芹沢博士がこちらへ振り返る。
「甲太郎か、よく来たな」
任務のさなか何度か追い詰めたことがある、ヘルメットで顔が隠れていても、相対する者が何者なのか、誰何するまでもないのだろう。
甲太郎は答えることなく、銃を右腰のウェポンコンテナに格納し、歩を進める。
父……、芹沢博士との距離を一歩一歩詰めながら、左のウェポンコンテナからマチェットを抜き放つ。
銃、アンチマテリアルピストルでは威力が大きすぎる、先刻のクリーチャーのように血肉を撒き散らし、原型すら留めないだろう。
せめて最期は、綺麗に死なせてやりたかった。
あと10メートル、EOSのパワーアシストを使えば一瞬で肉薄できる距離。
甲太郎が踏み込もうとしたその時、EOSの戦闘サポートAIが警告を発した。
<警告、異常な周波数スペクトルを確認。分析中>
歩みを止める。
芹沢博士の背後、用途不明の巨大な機械、その中央部の光が肥大化する。
肥大化した光は輪を形成し、輪の内側、何も無いはずの空間が鏡のように室内の様子を映し始める。
「何だ?」
思わず疑問を言葉にする甲太郎、そんな彼に芹沢博士が語りかける。
「甲太郎、これ以上父さんの邪魔をするな。もう少しで――――ッ!?」
芹沢博士が言葉を切る、同時に背後から『ドンッ』という破裂音。
そこからはスローモーションのように感じられた。
とっさに振り返った甲太郎が見たのは、爆発。
EOSの対爆防護プログラムにより、閃光と爆音は抑えられるが、その衝撃は甲太郎を吹き飛ばすのに十分だった。
吹き飛ばされた衝撃で甲太郎は意識を失い、巨大な機械の中央部に発生した『鏡』に叩きつけられ……、否、『鏡』に吸い込まれた。
今の爆発でどこか損傷したのか、今まで重く響いていた謎の機械の駆動音が止まる。
そして『鏡』は、役目を終えたとでも言うように霧散した。
芹沢甲太郎、作戦中行方不明。
この日、彼は『この世界』から、跡形もなく姿を消した。