毒虫ゲンタ(その7)
歩道橋の鉄柵下部にはプラスチック製の目隠し板が貼ってあった。板の高さは膝より少し上くらいか。
善忠とゲンタは、プラスチック板の陰に隠れるため、四つん這いになって階段を昇った。
横からの視線は目隠し板で遮られるが、後ろ側からは階段は丸見えだ。
善忠は両手に金属棒、紐、それにドローンのコントローラーを持ち、ゲンタは大きく重い剣を持っている。四つん這いで階段を昇るのは容易ではなかった。
(見つかりませんように、見つかりませんように、見つかりませんように)
善忠は、無防備な姿勢の自分を意識し、速く昇れないことにイライラしながら、一段、また一段と這って行った。
どうにか見つからずに昇りきり、歩道橋を一メートルほど這い進んだところで、一旦停止した。
「時間が無い。そろそろドローンを飛ばしましょう」
匍匐前進で真横に来たゲンタに言い、善忠は目隠し板の上に頭を出し、〈噛みつき魔〉のうろつく路上を見下ろしてコントローラーのレバーを押し上げた。
「ブーン」という蜂の羽音のようなプロペラ音を発し、ドローンがミニバンの屋根の上からフワリと浮かび上がった。
道路上の〈噛みつき魔〉たちが一斉にそちらを向く。
「すげぇな。予定通りじゃねぇか。アイツら皆、あの小ちゃな機械に注目してるぜ」
「頭を下げて。隠れていてください……これから歩道橋を超えさせます。一瞬ですが、連中の注意がこちらに向きます」
そう言いながら、善忠は、自分自身も目隠し板の陰に頭を引っ込めて、ドローンの高度を歩道橋のさらに上まで上昇させた。
仰向けになって、夜空に浮かぶ機械を操作し、橋の上を通過させる。
ドローンは橋を超え、そのままの速度で九十メートル移動してコンビニの前を通過し、さらに飛び続けた。
「おい、どこまで飛ばす気だ?」
「そうですね。そろそろ着陸しますか。街灯が明るいとはいえ、夜ですからね。目視できないほど遠くへ飛ばして墜落でもさせたら元も子も無い……ドローンは囮だ。コンビニ周辺に居る奴らから見て、僕らとは反対方向に飛ばせば飛ばすほど効果がある。本当は、もう少し飛ばしたかったんだけど、まあ、仕方がない」
高度を下げながら、善忠は適当な着陸場所を探した。
「車も無くて、奴らもいない場所……そして、コンビニの前に居る奴らからは、物陰になって見えない場所……これが大事だ」
「物陰になって奴らから見えない場所? どういう意味だよ」
「まあ、見ていてください」
善忠は、ドローンをコンビニとは反対側の歩道の上、街灯のほぼ真下に降ろした。
無事に着陸させることができて、思わず「ほっ」と息を吐く。
「あそこなら駐車車両の列が陰になってコンビニからは見えない」
プロペラのうなり音が止んだ。
空飛ぶ小さな機械を見つめ続けていた路上の〈噛みつき魔〉たちは、一斉に興味を無くし、再び思い思いに彷徨い歩き始めた。
「薄情な奴らだな……あんなにドローンをガン見していたってのに、音が止まった途端、興味を無くして知らんぷりかよ……いや……薄情っていうよりアホなのか。あいつら三秒前のことすら覚えてらんねぇのかもな」
「また、すぐに注意を向けますよ……もうすぐアラームが鳴る……でも今度は、飛ばさない。車の陰に隠したまま音を鳴らす」
突然、可愛らしい若い女の声が県道に響き渡った。
「朝だよー! 善忠くーん、起きろー! 遅刻しちゃうぞー!」
「なんだ、あれ……」
ゲンタは、振り返って善忠の顔を見た。
「ぼ、僕の元カノの声です……あのアプリ、あらかじめ録音した音声を登録しておくと、自分の好きな声で起こしてくれるんです」
「元カノってことは、別れたの?」
「……はい」
「ふられたの?」
「……」
「ふられたのに、いまだに目ざまし音に彼女の声つかってるの?」
「……」
「ああ、それでお前、言動が微妙にヤケクソだったのか……」
そんなことを言っている間も、ドローンの背に貼り付けられた携帯電話は「朝だよー! 善忠くーん、起きろー! 遅刻しちゃうぞー!」「朝だよー! 善忠くーん、起きろー! 遅刻しちゃうぞー!」と繰り返し繰り返し鳴り続けた。
路上の〈噛みつき魔〉たちが、再び、一斉に音のする方を見た。
しかし先ほどとは違い、空飛ぶドローンは無い。駐車車両の陰に隠れて見えない。
〈噛みつき魔〉たちは、音のする方へ引き寄せられるように向きを変え、歩き出した。
「声はすれども姿は見えず、ってね……思った通りだ」善忠が言った。
「何が『思った通り』なんだよ?」
「奴らは音に敏感だ。物音がすれば、必ず一度はそちらを振り返って見る。音のする方に何があるのか、何が音を発したのかを確認する……そして、その発生源が自分たちと同類の〈噛みつき魔〉だと視認すると、途端に興味を失う……基本的には、奴らの興味は『まともな人間』にしかない。『まともな人間に噛みついて自分たちの仲間にする』ことにしか興味がない」
「そうか……俺らとしては、できるだけ長い時間やつらの注意を囮に引きつけておきたい……そのためには『音の発生源は人間かもしれない』と思い込ませ続けなくてはいけない」
「そうです。アラーム・アプリが大音量で発しているのは『人間の声』だ。奴らは、その人間を探す。声の発生源を探し続ける……それが只の携帯電話だとバレるまでは……」
「だから、コンビニ前にたむろしている奴らからドローンを隠したのか」
ゲンタは、歩道橋の目隠し板から頭を出して県道を見下ろした。
ほとんどの〈噛みつき魔〉たちが、音のする方へ引き寄せられるように歩いていた。
「どうやら賭けに出るタイミングのようだな」ゲンタが独りごち、ニヤリと笑った。そして善忠に向かって「お前、百メートル走は何秒だ?」と言った。
「何ですか、急に。憶えてませんよ。確か高校時代に男子の平均より遅いって言われたような……十五秒か十六秒くらいじゃないですか?」
「ここからコンビニまでの百メートル弱……今から一気に駆け抜ける」
「ええ?」
「奴らがアラームに気を取られてる今なら一気に行ける。コンビニ前の奴らがドローンの方に移動し始めた今なら、行ける」
「そうは言っても、堂々と走って近づけば何人かは僕らに気づくでしょう? さっきみたい車の陰に隠れながら移動したほうが……」
「いや、俺はもう決めた」
言うなり、ゲンタは隠れることをやめ、立ち上がった。
善忠が「あっ」と小さく驚きの声をあげる。
「善忠、お前も走れ。コンビニまでの百メートル、その十五秒間、それを俺に預けろ」
善忠の返事を待たずに、ゲンタが橋の上を全速力で走る。
「走りますよっ、走ればいいんでしょ、くそっ」善忠も立ち上がり、コントローラーを橋の上に捨て置き、金属棒の束と紐を持ってゲンタを追った。
コンビニ側の階段を一気に駆け下りる。
ゲンタが前、そのすぐ後ろを善忠が追う。
階段を降りた直後、階段の裏側から中年の男が現れ、ゲンタに襲いかかった。
ゲンタは、その姿を視界の端で捉え、まるで『振り向く時間が惜しい』とでもいうように体はコンビニの方へ向けたまま、剣だけを逆手にして後方に突き出した。
中年男の胴体に剣が刺さった感触を掌で感じ、すぐさま小指でトリガー・スイッチを引いた。
電撃が走り、中年男が後ろへ倒れる。自然、男の胴体から切っ先が外れる。
相手の生死も確認せず、ゲンタは歩道を走りだした。
〈噛みつき魔〉たちは皆、反対側の歩道で鳴り続ける携帯電話へ吸い寄せられるように移動したため、こちら側の歩道には誰もいない。
その誰も居ない歩道を全力で走る。
気配に気づいたのか、それとも走る足音が聞こえたのか、車道にいる〈噛みつき魔〉のうち何人かが振り向き、方向を変え、こちら側の歩道に戻ってきた。
コンビニまでの道をさえぎるようにして向かってくる若い女に対し、ゲンタはこちらから迎え撃つように全力で走って行き、掴みかかる女の腕を紙一重で避けながら、順手に持ち直した剣で、その脇の下を払った。
電撃。
倒れる女。
速度を落とさず走り抜けるゲンタと善忠。
二十メートル先に顎髭を生やしたゴツい男。
距離を詰める。
男が、ゲンタを抱きしめるように両腕を前へ出した。
姿勢を低くして、その両腕の下から剣を突き上げる。
切っ先がモジャモジャに生えた顎髭の中へ潜り込み、下顎を貫通し、舌を貫通し、さらに上顎を貫通し、鼻腔を抜けて脳に突き刺さった。
電撃を見舞うまでもなく、男が崩折れた。
膝をついて仰け反った男を足で押さえつけて顎から剣を抜いた。
さらに走る。
コンビニまであと少し。
その一方で、ゲンタたちの存在に気づいてコンビニの方へ戻ろうとする〈噛みつき魔〉の数も増えていた。
コンビニの入り口スイングドアの前に、少年が三人、まるで門番のように立って進路を塞いでいた。
顔に見覚えがあった。ときどき真夜中のコンビニ前でたむろしている不良少年たちだった。
三人を倒せば、その向こうは店内だ。
しかし、後ろからも奴らが迫ってきている。不良少年たちを始末するのに時間をかけてはいられない。
向かって右に立つピアスをつけた少年の腹を剣で捌きながらトリガーを引く。
ピアス少年が電撃を浴びて痙攣し、倒れた。
すぐに切っ先を真ん中の金ネックレスをした少年に向け、腹に突き刺す。
トリガー・スイッチを入れながら、力でスイングドアに押し付ける。
そのまま金ネックレス少年の体ごと店内に押し入ろうとしたとき……
残った左側の少年がゲンタに抱きついてきた。
「ちっ、しまった」
少年が口をガッと大きく開け、ゲンタの左肩に噛みつこうとした……その瞬間、善忠が手に持った金属棒を少年の耳の穴に差し込み、手のひらで一気に押し込んだ。
耳の穴から入った金属棒が鼓膜を破り脳に達し、少年が白目を剥いてその場にへなへなと力無く倒れた。
「テント用のペグです」善忠が倒れた少年の耳から金属棒を抜いて言った。「時間が無い。店の中へ、早く」
ゲンタは頷き、金ネックレスの少年の死体ごとスイングドアを押し広げ、コンビニの中へ入った。
後に続いて入った善忠が直に振り返ってドアを閉め、ドアの取っ手に持っていた金属棒を全て閂のように差し込んた。
直後、〈噛みつき魔〉たちがドアの前に押し寄せ、スイングドアを外から押し開けようとした。しかし、両方の扉の取っ手を繋ぐように差し込まれた金属棒のせいで開けることができない。
金属棒だけでも十分に閂として機能していたが、善忠は持ってきた紐で金属棒と取っ手を縛って固定し、さらにコンビニの雑貨売り場から荷造り紐とハサミを持ってきて取っ手をぐるぐる巻きに縛った。
「これで大丈夫でしょう。よほどのことが無いかぎり扉は開きません」
「そ……そうか……俺たち成功したのか……とうとうやったんだな?」
ゲンタはコンビニの外を見た。
店内の明るい照明に照らされ、全面ガラスの壁に血まみれの顔を押し付ける奴ら。
ガラス一枚で隔離された二つの領域。
こちら側は『光』、向こうは『地獄』
「ステージ側から見ると、最前列のファンたちってこんな風に見えるのかな? ロック・コンサートとかで、さ」
二人の腹の中から、同時に、不思議な笑いが込みあげてきた。二人は顔を見合わせゲラゲラと笑い出した。
「やった……やったぞ、へへへ……外の奴ら全員出し抜いて、まんまとコンビニに辿りついたぞ」
「や、やりましたね、ゲンタさん。成功だ。僕たち、成功したんだ」
善忠は、ガラス製のスイングドアに向かい、外にいる〈噛みつき魔〉たちに「バーカ、バーカ、バーカ」と叫んだ。「お前らみたいな薄鈍が何人いようと、意味ねぇんだよ!」
それから、またゲンタの顔を見て、二人で思いきり大声をあげて笑った。
数分後、笑い飽きたゲンタが言った。「さて、そろそろこのゲームの賞品を頂こうとするか……腹が減って仕方がない」
「ゲンタさん、その前に、もうひと仕事ありますよ。一応、倉庫も含めて、この店内に奴らが居ないかどうか、確かめなきゃ」
「うーん……そうだな……仮に奴らが居たとしても、コンビニ・バイトの二人や三人、このシャーク・デス・セーバーさえあれば瞬殺だから、そう神経質になることもないと思うけど……まあ、どうせ食事を摂るなら、落ち着いて摂りたいからな……先に掃除を済ませてからにするか……」
ゲンタは長剣を持ち直し、店の奥の扉を見つめた。




