禄坊家(その6)
風田と禄坊は裏木戸を塞ぐファミリー・カーの所に戻った。
「隼人くんのお陰で、君のご両親は二人とも木戸の向こう側に居ると確認できた」
風田が禄坊に言った。
「二人同時にこの車の中に『閉じ込め』なければ意味がないからな……さあ、禄坊くん、覚悟は良いか?」
禄坊が頷く。
風田がファミリー・カーのリモコン・キーを取りだし、いったん全てのドアをロックしてから、木戸の真正面にある助手席側後部ドアの開閉スイッチを押した。
ウィーンという電動音とともに、自動スライドドアが開いていく。
扉が完全に開いたのを確認して車の後ろへ回りこみ後部ハッチを開ける。
二列目・三列目シートは全て予め折り畳んでおいた。後部ハッチから覗く車内空間は、それなりに広かった。
風田が禄坊を振り返って見る。
「さあ、これで、裏木戸から後部スライドドアを通って車内へ、車内から後部ハッチを通って外へ、という通路が出来た」
「……なんか、でっかいネズミ捕りみたいですね」
「そうだな」
「ぼ、僕は、そのでっかいネズミ捕りの『エサ』というわけですか」
「嫌なのか?」
「いいえ。望むところです。もともと、この計画は僕のアイディアですから」
「最後に確認させてもらうが、万が一、計画が失敗して〈噛みつき魔〉になった君のご両親が車外へ出そうになったら……」
「分かっています。その時は全体の安全を第一に考え、後部ハッチを閉めて僕ごと車内に閉じ込めてください。……僕が〈嚙みつき魔〉になったら、アキちゃんを……姪の禄坊亜希子ちゃんだけは助けてあげて下さい。よろしくお願いします」
「分かった。約束するよ」
(……でも、その『約束』には何の保証も無いんだよな)
そう思いながら禄坊は、風田のポーカーフェイスをチラリと見て、後部ハッチから車内に乗り込んだ。
(だからこそ、成功させなくちゃいけないんだ。成功させて、生き残って、僕がアキちゃんを救い出す)
後部座席を折りたたんでガランとした車内を低い姿勢で歩き、開け放たれた後部スライドドアのすぐ向こうにある木戸を見つめた。
相変わらず、ドアノブがガチャガチャと動いている。
こちら側からノブを掴んで動きを抑えようと試みるが、扉の向こう側でノブを動かしている者の力は強かった。
(やっぱ、駄目か。親父だかお袋だか知らないが、何でそんなに力が強いんだよ)
ノブを抑えることは諦め、鍵穴に鍵を差し込む。
そして、ゆっくりと鍵を回す。
閂が鍵箱の中へ引っ込む感触と同時に、もの凄い勢いで木戸が引っ張られ、鍵を抜く間もなく戸が開け放たれた。
禄坊の目の前に母親の顔が現れる……目をどろんと濁らせ、口を真っ赤に染めた顔が……
「ぐがあああああ」
意味不明の呻き声を発し、母親が禄坊に迫った。
「禄坊くん! こっちだ!」
後部ハッチの横で叫ぶ風田の声に導かれるように、禄坊は無我夢中で車内に後ずさり、反転してハッチの方へ走った。
禄坊がハッチから転がり出ると同時に、風田が跳ねあげ扉を両手で下げ、車のボディに叩きつける。
直後、〈嚙みつき魔〉と化した禄坊の母親は、閉じられた後部ハッチの窓に顔を付け、窓ガラスの内側を爪でガリガリと引っ搔いた。
間近で見る〈嚙みつき魔〉のあまりに浅ましい姿に、さすがの風田も嫌悪感をあらわにして一歩後ずさった。
「お……親父は……」
禄坊が、板塀と車のわずかな隙間を覗く。
木戸を抜け、両腕を使って這いながらゾロリと車の中へ入っていく男の〈噛みつき魔〉の姿が見えた。
「風田さん! 今です! ドアを!」
禄坊が叫び、それに反応して風田がリモコン・キーのボタンを押した。
モーターの回るウィーンという音と共に、裏木戸に面した後部スライドドアが閉まっていく。
後部ハッチの窓から見える風田たちの姿を追うのに夢中なのか、車内の〈嚙みつき魔〉たちは、閉まっていくスライドドアにまったく興味を示さない。
カチンッ。
オートロックの掛かる音が聞こえ、ついに二人の〈嚙みつき魔〉は車内に閉じ込められてしまった。
ほっ、と安心しそうになる禄坊に、風田が「まだだ」と言った。
「まだ仕上げが残っているぞ。何かの拍子にドアが開かないよう、念のため車全体をロープで縛るんだ」
二人はガレージにあったロープを使い、車の突起部分やホイール、ドアノブなどに巻き付けながら、車全体をロープで縛った。
「よし、これで良い。気休めに過ぎないかも知れんが、無いよりはましだろう……次は、車を移動させる」
言いながら、風田は車止め代わりのコンクリート・ブロックをどかした。
禄坊と二人でファミリー・カーのボンネットを押す。あらかじめパーキング・ブレーキを外してギアをニュートラルに入れておいた車が男二人の力でゆっくりと動き出す。
「OKだ。この辺で良いだろう」
裏木戸が完全に露出したところで、風田が言った。コンクリート・ブロックをタイヤの前に置く。
「車のほうは、これで完了だ。禄坊くん、最後の大仕事だ。もう一度、俺たちだけで塀の中へ入る」
風田の言葉に禄坊が頷く。
「気を付けろよ。〈噛みつき魔〉が君のご両親だけという保証は無いからな。それに、さっきと違って俺たちには武器が無い」
裏木戸を潜る禄坊に、後ろから風田が言った。
土蔵と納屋の間の細い通路をゆっくりと歩く。
通路から芝生を敷きつめた庭にでる直前、素早く左右を見回す。
……誰も居なかった。
目の前の芝生の上に、さっき禄坊が捨てた猟銃が落ちていた。
思い切って納屋の陰から飛び出し、庭の真ん中に落ちている猟銃を拾い上げ、薬室を開く。
オート・イジェクターが作動し、撃ち終わった空薬莢だけがポンッと後ろへ飛んだ。
ジャケットのポケットから素早く新しい薬莢を取り出し、銃に詰めて薬室を閉じる。
「裏木戸は一旦閉めさせてもらった」
後から来た風田が、禄坊にキーホルダーを渡した。
「直にでも姪御さんを助けたいのだろうが、その前に最後の仕上げだ。納屋や土蔵の陰や屋敷の裏側……その他、塀の内側にまだ〈噛みつき魔〉が潜んでいないか、二人で確認する。
「分かってます」
それから、十五分ほどかけて、塀の中を隈なく調べ、〈噛みつき魔〉が居ないことを確認し、二人は玄関の前に立った。
「な、中は大丈夫でしょうか?」
禄坊が風田に尋ねる。
「今さら何を言っているんだ……その、亜希子ちゃん、か? 彼女は『正常』だったのだろう?」
「ええ」
「なら、大丈夫だろう。屋内に〈噛みつき魔〉が居るなら、今ごろその少女が無事な訳が無い」
「……それも、そうですね」
禄坊がインターホンを鳴らす。
「アキちゃん、聞こえるかい? 僕だ……太史にいちゃんだよ」
格子戸の向こうに、小さな人影が見えた。
鍵を外す「カチャ」という音が響く。
続いて、引き戸がガラガラと開けられ、中から幼い少女が飛び出して来て、禄坊の脚に抱き付いた。
「うわあああ……」
少女が大声で泣いた。
「怖かったよおおお……」
「よく頑張ったね……もう大丈夫だ……もう大丈夫だ」
言いながら、禄坊は少女の背中をさすり続けた。




