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出発。(その3)

 前方遠くには満車の〈道の駅〉。駐車場から溢れ出て幹線道路を(ふさ)ぎ、そのまま路上に放置された何十台ものクルマ。知性を失くした運転手とその家族たちが目的も無くうろついている。

 後方遠くには、こちらに向かってゆっくりと歩く〈噛みつき魔〉たち。

「どうする?」

 もう一度、大剛原(おおごはら)風田(かぜた)に聞いた。

(どうする、って言われても……)

 風田も(すぐ)には答えが見つからなかった。

(大剛原さんが決めてくださいよ! 事実上このグループのリーダーなんだから……)

 引き返すか? しかしN市へ戻ったところで行く当てが無い。

 ハイブリッド・カーのドアが開いた。後部座席に乗っていた禄坊(ろくぼう)太史(ふとし)が車外に出て大剛原と風田を見た。

「あ、あの……」

 太史がおずおずと言った。

「田んぼ道を通ったらどうでしょうか?」

 彼らが駐車している地点と〈道の駅〉の中間あたりを指さした。

 大剛原と風田がその指さす方向に視線をやる。良く見ると一カ所だけガードレールが切れていた。そこから田んぼの中を真っ直ぐに山の方へ伸びる道が見えた。

 農機具を積んだ軽トラックを通すための、あぜ道に毛の生えたような砂利道だ。

「と、とりあえず、あの砂利道を通って山の方へ逃げませんか? ぼ、僕、少しだけ土地勘があります」

 太史の提案に風田と大剛原は顔を見合わせた。

「時間が無い。禄坊くんの提案に乗りましょう」

 風田が大剛原に言った。

 大剛原が反論する。

「……しかし、普通車が通るだけの道幅が無かったらどうする? 通り抜けられなければ、かえって追い詰められる格好になるぞ」

 彼らの存在に気づいたのか、〈道の駅〉の〈噛みつき魔〉たちがぞろぞろとこちらへ向かって歩き始めていた。

 クルマの向こう側から禄坊太史が大剛原に顔を向けた。

「だ、大丈夫だと思います。大剛原さんのSUVも、風田さんのハイブリッドも、それほど大きなクルマっていう訳でもないし……じゅ、充分、行けると思います」

「時間が無い……大剛原さん」

 決断して下さい……そう言いたそうな顔で風田が大剛原を見た。

 年上の警察官は数秒間だけ沈黙し、一言「わかった」と返答した。

 風田が(うなづ)いて、太史に指示を出す。

「禄坊くん、隼人くんと席を替わってくれ。後部座席は真ん中に座った方が前方視界も良いし、コミュニケーションも取りやすい」

 太史が車内の隼人に声を掛け、一旦(いったん)クルマの外に出てもらい、席を入れ替えた。

 再度、風田が大剛原を見た。

「今度は俺のハイブリッド・カーが先導するって事で、良いですか」

「ああ。分かった。君の後ろに()いて走るよ」

 運転手(ドライバー)たちはそれぞれのクルマに乗り込み、ギアを前進に入れた。

 風田がミラーを見ると、後ろの〈噛みつき魔〉との距離は既に五十メートルを割っていた。

 ゆっくりとハイブリッド・カーを動かし、大剛原のSUVを追い越す形で徐々に速度を上げ、時速四十キロで田んぼ道の入口を目指す。SUVが後に続いた。

 国道と田んぼ道の接続点は、農家の軽トラが出入りできるようガードレールが切れていた。

 切れ目を通過して、ハイブリッド・カーを砂利道に入れた。ドアミラーで両側を確認する。道幅には多少の余裕があった。

 ミラーには、無事(ぶじ)田んぼ道に入ったSUVと、追いかける〈噛みつき魔〉たちの集団が見えた。

 安全な速度で砂利の上を走る。のろのろ歩く連中を振り切るには、それで充分だった。

 田園地帯の中を真っ直ぐに走る砂利道を抜け、森林地帯との境界あたりで再び舗装路に出た。

 後部座席の真ん中に座る禄坊太史の指示に従いハンドルを切った。

 農村部の道をF市の方角へ向かって走る。

「農道って言っても、けっこう幅の広い道なんだな。センターラインもあるし、よく整備されている」

 ハイブリッド・カーの運転席で風田がつぶやいた。

「場所によりけり、ですけどね」

 後部座席から太史が答える。

「名前は『農道』でも、集落と集落をつなぐ道は農村部に住む人たちにとって幹線道路みたいなもんですよ」

 正面に老人が立っていた。七十歳くらいの痩せた男だ。口の周りが赤く染まっていた。

 クルマが(せま)っているというのに避けようとしない……避けるどころか、よろよろとした足取りで風田たちのハイブリッド・カーに向かって来た。

 集中ドアロックが掛かっているのを確認して、風田はクルマを徐行速度まで落とした。いったん車体を右に寄せ、老人が釣られたタイミングを見計らってフェイントを掛け、加速しながらハンドルを左に切って、脇をすり抜ける。

 少年サッカー部のエース……()エース……の隼人が言った。

「大勢に囲まれなければ、それほど怖くないんだね……足が遅いから、相手が一人だけなら僕でも振り切れるよ」

 ルームミラーに映る甥っ子の顔を見ながら、風田は(うなづ)いた。

「そうだな。逆に言えば、大勢に囲まれたら()()()って事だ。それと、物陰に(ひそ)んでいる奴に気づかず、出合いがしらにガブリッとやられる危険もある」

「袋小路に追い詰められる、って可能性もあるでしょうね」

 太史が追加した。

「いずれにしろ、都市部の方が確率は高そうです。噛まれた人間の数も、物陰も、袋小路も……街中(まちなか)の方が遥かに多い。農村部と都市部で危険度に極端な差がある」

「日本は都市への人口集中が極端だって言うからな。噛まれている噛まれていないに関わらず、過疎の村ならそもそも人間に会う確率が低い。しかも少子高齢化で老人ばかり……噛まれる前からヨロヨロしてる……」

「風田さん、さすがにそれはお年寄りに失礼じゃ……」

 農道は小さな林に入った所で急に道幅が狭くなった。両側に雑木が生えていて、見通しが悪い。

 風田は嫌な予感がした。

「所どころ狭い区間があるんです。たぶん何らかの事情で道の両側の地権者が土地を売らないんだと思います」

 太史が解説した。

「普段は交通量も少ないし、一部区画の道幅が狭くても問題ないんですが……」

 百メートルほど先に老人が立っていた。今度は小太りの男だった。口の周りをべったり血に染めているところは、先ほどの老人と同じだ。

 風田は、先ほどと同じように車速を落とし、徐行しながら右側にクルマを寄せた。目論見(もくろみ)どおり小太りの老人も釣られて片側に寄った。

(すり抜けられるか?)

 さっきと違って道幅に余裕が無い。

()き殺しちゃう、っていうのは駄目ですか?」

 後ろの太史が物騒な言葉を吐いた。

「健康な僕らを襲うんだから殺しても正当防衛でしょう。知能も低いみたいだし人間扱いしなくても良いんじゃないですか?」

「禄坊くん、それ、後続車に乗ってる大剛原警察官にも言えるの?」

「やっぱ、駄目ですか?」

(駄目に決まってるだろ)

 心の中で悪態をつく。

 突然、〈噛みつき魔〉の老人が、右手の林の中に視線を向けた。

(なんだ?)

 徐行運転しながら、風田は老人の動きを注視した。

 足を止め、向かって右側の林の中を熱心に見つめる〈噛みつき魔〉。

「……驚いたな……」

 後ろで太史がつぶやく。

 彼が何に驚いたのか、風田にも分かった。

 林を見つめる老人の顔には(かす)かに()()()()()()

(何かを()()()()()?)

〈噛みつき魔〉の老人が慌てたような動作で(しかし、実際にはのろのろと)向かって左側へ体を向け、()()()()()

 なぜ逃げるのか? 何を恐れているというのか?

 ガサガサッという葉擦れの音と共に右側の木々の間から「何か」が飛びだした。

 林の中から現れた()()は物凄い速さで道路を横切り、逃げようとする〈噛みつき魔〉の背中に飛び付いた。勢いで〈噛みつき魔〉が前のめりに倒れる。

 ……老婆だった……

 小太りの老〈噛みつき魔〉よりもさらに一回り小さな老いた女が、()ぶさるように老人の肩に取り付き、(うなじ)の肉を(かじ)っていた。

 〈噛みつき魔〉はアスファルトの上で(もだ)()()打ちまわり、何とか老婆を引き離そうとした……しかし老婆はピタリと背中に貼り付いて離れない。

 〈噛みつき魔〉の(うなじ)の肉がどんどん削り取られていく。

 とうとう白い頸椎が露出した。

 道路上で一塊(ひとかたまり)になって転がる老人と老婆の横を、ハイブリッド・カーとSUVがゆっくりと通過した。老婆はクルマに何の興味も示さなかった。

 ごきりっ、という骨の砕ける音が聞こえたような気がした。

 老いた男の〈噛みつき魔〉はビクンッと一回からだを震わせ、首から下の力が抜けて動けなくなった。

 頸椎を壊され、その中を通る中枢神経が切れてしまったのだろう。

 首から上……目玉と(あご)だけが、キョロキョロ、パクパクと力なく動いていた。

 抵抗する力を失った〈噛みつき魔〉の肉を老婆が喰らう。

 その様子を窓ガラスにへばりつくようにして見つめながら、太史が言った。

「い、今、骨の砕ける音がしませんでした? すごい(あご)の力だ……あ、あの婆さんも、〈噛みつき魔〉の一種、ですよね?」

 尋ねているのか独り言なのか分からないような言い方だ。それに答えた風田の声も独り言のようだった。

「だとすると、ずいぶん()()()な奴だな。俺たち健康な人間には目もくれず、一直線に〈噛みつき魔〉の所へ走って飛び付いた」

「しかも物凄(ものすご)いスピードでした……オリンピック選手でも勝てないような速さだった……っていうか、あれ、サバンナの猛獣並みでしょ、婆さんなのに……」

「とにかく、初めてお目にかかる特殊なタイプだ。〈奇行種〉とでも名付けるか?」

 風田が、有名な漫画の怪物に例える。

「勘弁してくださいよ」

「気づいたか? あの婆さん、両手が真っ赤だったな」

「ええ? そうですか?」

「確かに赤かった。血に染まったんじゃない。両手の皮膚そのものが鮮やかな赤色に変色しているんだ。しかも手の甲にテントウ虫みたいな黒くて丸い斑点が見えた……それから気のせいか顔が微妙に歪んでいたような気がする」

「歪んでいた……って、どういう風にですか?」

「何というか……本当に微妙なんだけど……鼻から下が前に突き出ていたような」

「元々そういう顔なんじゃ……」

「そうかも知れない」

 林の中の細い区間は三百メートルほどで終わった。再び道幅が広がり、センターラインが現れた。

 クルマの速度を少しだけ上げた。

(健康な人間には目もくれず、他の〈噛みつき魔〉を襲う。真っ赤に変色した両手に黒い斑点。肉食獣のような筋力(パワー)と運動能力……少しだけ突き出た(あご)。〈噛みつき魔〉は一種類だけではない、ということか)

 ハンドルを握りながら、風田は心の中でつぶやいた。

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