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発生。(その13)

 東京。千代田区神田。あるオフィスビルの地下駐車場のさらに下に、その()()()()()はあった。

 警察庁広域麻薬捜査課・特殊班。

 違法薬物の日本国内への流入を根絶するため設立された組織。

 非合法組織への潜入捜査を主たる任務とし、場合によっては麻薬組織の要人暗殺も行う。その性質上、国家公安委員会と警察庁の一部の人間以外に特殊班の存在を知る者は無く、表向き、班員はオフィスビルを所有する防弾チョッキ・メーカーへの警察庁からの出向という形を取っていた。

 水曜日。

 地下施設内の射撃場へ向かう廊下を、一人の男が歩いていた。

 細面(ほそおもて)の顔に銀縁のメガネ。ひょろりとした体に白衣。

 後塚(うしろづか)堅三郎(けんざぶろう)。三十二歳。広域麻薬捜査課・特殊班の装備を一人で選定・開発している男だった。

 銃声の反響から耳を守るイヤープロテクターを射撃場の前室で(かぶ)り、レンジへの扉を開けた。

 室内に357マグナムの轟音が響く。

 一人の男が標的に向かって黙々と弾丸を打ち込んでいた。

 身長は平均的な日本人より少し高いくらい。顔にも、これといった特徴が無い。しいて()げれば、アスリート特有の削げた(ほお)と、鷹のような鋭い目か。

 筋肉質の引き締まった体を安物のビジネス・スーツで包んでいた。足には革靴……ではなく、真っ黒なスニーカーを履いている。

 八回連続でターゲットに銃弾を撃ち込み、男はリボルバーの弾倉をスイング・アウトさせた。

 空になった薬莢(やっきょう)をプラスチックの廃薬莢入れに落とし、新たな弾丸を中に詰めてスーツの(わき)の下に隠したホルスターに納める。

 射撃場を出ようとドアを振り返った所で、ビジネス・スーツの男と後塚(うしろづか)の目が合った。

 二人同時にイヤー・プロテクターを(はず)す。

「よう。荒木。謹慎(きんしん)明け初日から出勤して射撃の練習とは、仕事熱心だな」

 荒木と呼ばれた男が苦笑いした。

「お前も山奥の隠し山荘で、誰とも会わず誰とも連絡を取らない生活を一ヶ月続けてみると良い。退屈で頭が変になるぞ。あそこに比べたら、このせまい地下室も遊園地さ」

 荒木(あらき)毅殻(ごうかく)。三十二歳。広域麻薬捜査課・特殊班刑事。

「なにか用か?」

「お前さん専用の新しいクルマが出来たんでな。納車させて頂こうと思ってさ」

「ほう? そりゃ楽しみだ」

 ビジネス・スーツの男と白衣の男、二人は並んで射撃場から地下の廊下に出た。

「しかし荒木も、大変な事をして()れたもんだぜ」

 白衣の男……後塚が言った。

()昼間(ぴるま)の繁華街で、高校生の少年をヘッドショット一発で『無力化』しちまうんだからなぁ……あれから、お前の身元をマスコミや野党議員から隠すのに、班長がどれだけ苦労したことか……」

 溜め息混じりに言う後塚に、荒木が低い声で答えた。

「奴は……あの高校生は、すれ違った少女に向かってナイフを振り上げていた。撃たなければ少女が刺し殺されていた」

「……まあな。死んだ少年の手に違法な大型サバイバル・ナイフが握られていた事と、自宅から『失恋した、自殺する、今から街へ行って同世代の少女たちを巻き添えにしてやる』って遺書が見つかった事で、どうにかこうにか世間に『仕方が無かった』というムードを作れたからな」

「俺には、な、後塚……」

 荒木が隣を歩く白衣の男を横目に見て、言った。

「一つだけモットーがあるんだ。この(くそ)みたいな世界で生きるためのモットーが、な。教えてやろうか? 『他人に危害を加えようとする人間は、もはや善良な市民とは言えない。少年だろうと、老人だろうと、病人だろうと、そいつの頭を撃ち抜くのに躊躇(ちゅうちょ)はしない』……だ」

「なるほどねぇ……」

 それっきり、後塚は黙ってしまった。

(荒木……そのお前のモットーが、いつの日か()()()()()()()かも知れないぜ)

 しかし、心の中に立ち現れたその思いを口に出すことは無かった。

 廊下の突きあたり、地下ガレージの扉を開けながら、後塚が荒木に言った。

「さあ、新しい()()()()のお披露目だ」

 ガレージには、一台の真新しいセダンがあった。

 メタリック・ブルーの車体。トランクの上には巨大なウィング。

 フロント・グリルにはプレアデス星団……日本では古来より「すばる」と呼ばれる星々を象徴(かたど)ったエンブレム。

「どうだ? 水平対向四気筒2リッター・ターボ。全輪駆動。かつて世界中のラリーを荒らしまわったクルマの末裔だ」

「多少はイジッてあるのか?」

「ああ。いつも通り、ボンネットとボディ・パネル、窓ガラスはレベルA+の防弾仕様だ。9ミリ・パラベラム程度じゃ、塗装に傷も付かないさ。エンジンの出力は四割ほど上げてある。過給機を圧力可変型に換装して、運転席のダイアルで調整できるようにしておいた。……それだけじゃないぜ……シリンダーにオリジナルの直噴ヘッドを組み込み……なんと、驚くなよ? 気筒休止システムも付けてある」

 後塚が「どうだ、すごいだろう」と言わんばかりに胸を張った。

 荒木が(たず)ねる。

「気筒休止システム?」

「水平対向四気筒のうち、二気筒のバルブ、インジェクション、スパーク・プラグを停止させるシステムさ」

「それで、出力は大丈夫なのか?」

「もちろん、ガタ落ちになる」

「何で、そんな事をするんだ?」

「燃費が良くなる」

「燃費って……お前、犯罪者を追いかけるのに、誰が燃費なんか気にするんだ?」

「追跡中、ガソリン・スタンドに寄る回数が減るだろ……っていうのは冗談だが……悪い奴らを追っかけている時は、ブーストをがんがん上げて、燃料をがんがん燃やせば良いさ。でも実際には、派手に追いかけっこをする事なんて、ほとんどないだろ?」

「まあな」

「俺らも一応は警察官だからな。仕事中でも、ほとんどの場合は赤信号で止まり、速度制限を守り、その他もろもろの交通法規を守って移動するわけだ。その間はブースト圧を下げて気筒を休止させれば、給油無しで長距離を走れる」

「しかし、何も燃費のためだけに新たなシステムを組み込まなくても……」

「エコだよ、エコ。それに長引く不況で税収も減り、俺らに回って来る予算も年々厳しくなる一方だ。せいぜいガソリン代を節約して経費節減に貢献してくれ」

世知辛(せちがら)い話だな」

「それから、前からお前が言っていた『パンク対策』だ」

「ああ、それは、ぜひ頼みたいね。最近の犯罪者連中は、逃走時に道路に()()()()()くんだ。ほんと、勘弁してほしいぜ」

「この特殊タイヤの中には、ある種の薬剤を(ムース)状にして封入してある」

「薬剤?」

「空気に触れると瞬間的にゴム状になる化学物質だ。人間の血液に例えるなら『血小板』だな。傷口が空気に触れることによって凝固し、出血を抑える。これなら時速二百キロで五寸クギを踏んでも平気だ」

「なるほど……」

「お次は室内だ。運転席に座れよ」

 言いながら、後塚がイグニッション・キーを放り投げた。荒木が鍵を受け取って運転席に潜り込む。

 通常のクルマとは、センター・コンソール部分が随分(ずいぶん)違う。

「ナビ、警察無線の(たぐい)は一通り付けてある」

 開けっ(ぱな)しのドアに寄りかかって、開発者の後塚が言った。

「無線の方は、ご希望通り、日本の空を飛び交うありとあらゆる周波数帯の電波を拾える。昔ながらの携帯トランシーバー、アナログ無線から、自衛隊の最新式デジタル暗号無線まで、な。……ただし、自衛隊などが使うハイスペックのデジタル無線に割り込むには、部隊ごとに割り振られた『暗号解除コード』が必要だ。ナビ画面兼用のタッチパネルに正しいコードを入力しないと、受信しても意味不明の雑音にしか聞こえないよ」

「わかった」

 その時、地下のガレージに館内放送が響いた。

荒木(あらき)毅殻(ごうかく)、今すぐ班長室へ」

 後塚がスピーカを見上げながら言った。

「お、班長(かんとく)がお呼びだぜ。復帰第一戦だな」


 * * *


 広域麻薬捜査課・特殊班、地下本部の班長室。

 事務机の前に座る目つきの鋭い中年男が、引き出しから小さなビニール袋を出して、机の反対側に立っている荒木毅殻に放った。

 受け取って、袋の中身を見た。

 枯れて茶色くなった雑草のようなものが入っていた。

「何だと思う?」

 椅子に座る中年男……特殊班班長が荒木に(たず)ねた。

「合成ハーブの類に見えますが……()()()、ですか?」

 班長が(うなづ)く。

「最近、池袋あたりのガキどもの間で流通し始めた新薬で、な。連中は〈(エヌ)(エヌ)〉とか呼んでいる」

「エヌ・エヌ……」

「本庁の化学分析課に言って、分子構造の解析を急がせているが……ガキどもが言うには、従来のヤツよりも『アガる』んだと。今のところ流通量は大した事ないが……東京、大阪、名古屋で流行の(きざ)しがある。我々としては中毒者の数が増える前に、製造元から絶っておきたい」

出所(でどころ)は分かっているんですか?」

「どうやらN市らしい」

「N市?」

 日本の何処(どこ)にでもある、中規模の地方都市だ。

大方(おおかた)、田舎に住む化学実験好きのガキが出鱈目(でたらめ)に薬品を混ぜ合わせて偶然作ってしまった、と言ったところだろうが……偶然では無く、誰かが意図的に開発したのだとしたら、高性能なクラスター・コンピュータと分子合成シミュレーション・ソフトを使ったはずだ。バックに大掛かりな組織があるやも知れん」

「それを俺に探って来いと?」

 班長が(うなづ)いた。


 * * *


「復帰戦のスタジアムが決まったよ」

 ガレージに戻った荒木が、後塚に言った。

東京(ホーム)か?」

「アウェイさ。N市だ。金曜日に立つ。午前中に東京を出れば、ゆっくり走っても夕方までにはN市に着けるだろう」

「装備は?」

「いつも通り、357マグナム弾。それと、足首(アンクル)ホルスターに入る357仕様の小型拳銃。念のため狙撃銃も」

「ボルトアクション?」

「いや、そこまでは必要ないだろう。むしろ連射機能が欲しい。部品精度を高めたスナイパー仕様のアサルト・ライフルが良い。防弾ジャケットとマガジンも用意してくれ」

「7・62ミリで良いか?」

「ああ」

「ようし、我が同僚、荒木くんの復帰祝いだ。トランク一杯、戦争が出来る程の弾薬とマガジンを用意しましょう」

 後塚の言葉に荒木は苦笑した。

「ああ、そうだ……弾薬と言えば、面白いものを作ったんだ」

 そう言って後塚は白衣のポケットから拳銃のカートリッジを一つ出して、荒木に渡した。

「何だ、これ……」

 荒木がしげしげと弾丸を見つめる。

「パッと見、357マグナム弾に見えるが……」

「俺が開発した〈静音カートリッジ〉さ。開発したって言っても、旧ソ連KGBのパクリだけどね。内部に超小型のピストンを内蔵した、密閉型カートリッジなんだ。……発火と同時に超小型ピストンが前進して、弾頭を射出する。燃焼ガスがカートリッジの外に漏れないから、ほとんど音がしない。火薬の分量を減らす必要があって威力が下がるのが欠点だ。それでも近距離から生身の人間(ソフト・ターゲット)を無力化する分には、問題ない」

「静音カートリッジねぇ……」

「百聞は一見に()かず。射撃場に来いよ」

 後塚は白衣を翻しながらガレージを出て、室内射撃場へ向かう。荒木も後を追った。

 射撃場の前室に入り、イヤー・プロテクターを取ろうとした荒木を後塚が()めた。

「静音カートだって言っただろ。耳栓なんて必要ないって」

 半信半疑のまま、レンジへ行き、(わき)の下から銃を取り出す。

 五インチの銃身の下部に、レイル・システムと呼ばれる光学機器などを()め込むギザギザがある。

「今どき、リボルバーなんて……」

 荒木の手元を見て、後塚が言った。

「何で、自動拳銃(オート)じゃないんだ? 装弾数だって少ないだろうに」

「こいつは八連発のリボルバーだ。多くはないが、少な過ぎって事もない。それに357マグナムなら、38スペシャルも撃てるからな。いざという時は、全国の警察署に行って弾薬を『借りる』ことも出来る」

「ほんとかよ、それ」

 荒木は弾倉をスイング・アウトさせ、一旦(いったん)中の弾薬を全て出してから、後塚に渡されたカートリッジを一発だけ銃に込めた。

 ターゲットに向け引き金を引く。

 カシャンッ。

 機械が動くような小さな音がして、ターゲットに穴が開いた。

 火薬の爆発する音がしない。銃口や、フレームとシリンダーの隙間から発火光(マズル・フラッシュ)が出ることも無かった。

「すごいな……これ」

「だろ? こいつもクルマのトランクに山盛りに詰めといてやるよ。戦争が出来るほどに、な」


 * * *


 二日後、金曜日の朝、荒木(あらき)毅殻(ごうかく)はメタリック・ブルーのセダンに乗り込み、警察庁広域麻薬捜査課・特殊班の地下本部を後にした。

 ガレージから地下駐車場に続く秘密の(ランプ)を昇りながら、荒木がクルマの中でつぶやいた。

「後塚のやつ……本当にトランク一杯に銃弾を詰めやがって……嫌がらせか? これじゃあ、まるで、N市へ戦争しに行くみたいじゃねぇか」

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