第1章 第6節 拒絶と、救済
『うああああああぁぁ―――――っ!!』
善の体から溢れ出た光は教会を瞬く間に全壊させ、中にいた12使徒もアウル達も全員が、爆音と共に外へと弾き飛ばされた。
ただ1人、美奈を除いては――
「ど、どういうこと……?」
美奈はつい今しがたまで教会のあった場所に、力なく座り込んでいた。
突然目の前が光に包まれたかと思うと、次の瞬間には教会が消えてなくなって、そして皆はガレキに埋もれて気を失っている。
ドサッ
背後で聞こえた物音に驚いて、美奈は勇気を振り絞り、恐る恐る後ろを振り返った。
―――そこには、〈トゥエルヴ・アパソル〉の作り出した方陣が崩れた事で手足を拘束していた光と鎖から解放され、宙から地面に叩き落とされた善の姿があった。
無事なのは、自分と善君だけ。
そんな…
美奈の心臓の鼓動が、僅かに速くなっていく。
善はゆっくりと上半身だけ起き上がらせると、唯一の心の拠り所である美奈を、そのか細い眼差しで見つめた。
「神藤さん……」
美奈の脳裏に1つの疑念が湧く。
これをやったのは、善君なの?
鼓動が、更に速くなっていくのを感じる。
「助けて、神藤さん…」
善は何度も倒れそうになりながらやっとの思いで立ち上がると、落下したときに怪我をした左足を庇い、ずりずりと美奈の下へ歩み寄った。
〈それはあなたが――〉
〈―――あの『イエス・キリスト』様の生まれ変わりだからぜよ!〉
美奈の頭の中で、12使徒の2人が言っていたあの言葉がフィードバックする。
善君は、人間じゃない。
善は美奈から数歩の距離の所まで歩くと、ガサガサでやつれた左の手を美奈に向けて懸命に伸ばした。
「たす…けて……神藤さ―――――――――うぁっ!?」
突如として、消えていたはずの背中の光が燃え盛る炎のような形に変化して、善の体をつつみこむようにして再び現れた。
「うわああああぁ!!」
全身を光の炎に支配された善は、片膝をついてその場にしゃがみ込んだ。
「く、苦しいぃ!助けて…助けてぇ!!」
美奈は善を庇おうとした。だが、体が動かなかった。
善に対して「恐怖」を抱いてしまったのだ。
「守る」と誓った者を、「怖い」と感じてしまった。
こうなってはもう、美奈にはどうすることも出来なかった。ただ辺りを見回してその力の壮絶さを物語り、体中をガクガクと震わせるだけ。
そんな美奈に、哀れにも善はまだ助けを求める。
美奈はその大きな目に、うっすらと涙を浮かべた。
怖い、怖い、怖い、怖い………!!
そこで心臓の鼓動の速さは、一気に最高潮へと達した。
「神ど、う、さん…」
善は苦痛に顔を歪めながら立ち上がり、炎に似た光に包まれた左手をもう一度差し伸ばした。
「ひっ―――――」
両手で顔を覆い、美奈が口から悲鳴を漏らした瞬間、眼前を黒い影が立ち塞がった。
「…ぐああああああぁぁっ!!」
聞き覚えのある声に、美奈は多少の安堵を抱いて顔を上げた。
「ア、アウルっ!」
善と美奈の間に割って入り、美奈を庇って善の左手から出る光の炎を一身に受けるその影の正体は、銃を右手に握りしめたまま両手を羽のように拡げるアウルだった。だが先程の教会を吹き飛ばした光によるダメージか、既にその体はボロボロだ。
そして善の体からは、今度は炎から雷のようなものへと変化した背中の光が左手を伝って放出され、アウルの体に流れていく。
「お前が……」
2人の周りには、善の左手から発生する光によって、目に見えるほどの強力な電磁波が帯電している。これ程の電磁波を浴びてしまえば、ほぼ人間と変わらない美奈の体は、一瞬にして燃え尽きてしまうだろう。
「どいてよっ!神藤さんがいないと、僕は……っ!!」
激しい光の電磁波がアウルの頬を切り裂き、そこから真紅の血飛沫が飛び散る。
顔を自身の血に染めながら、アウルは善を睨んで拳を握りしめ、吠える。
「何言ってんだ……。その光で、美奈を殺す気なんだろうがっ!何故かは知らねえが、美奈はお前を守ろうとしてたんだぞ!!…………何が神だ。何がイエス・キリストの生まれ変わりだ!結局、やってることはただの人殺しだろうが!!」
「……うるさい、うるさい、うるさい!」
善は拒絶するように首を左右に振り回すと、怒りと悲しみのこもった瞳でアウルを睨み返した。
「どけって言ってるのが、わからないのかああああああぁぁ!!」
善の雄たけびに呼応して、左手から放出される光が一気に膨張し、破裂音と共にアウルの全身を切り裂いた。
アウルの体に一瞬にして無数の傷が刻まれ、尋常でない量の血液がまるで花吹雪のように飛び散った。
「アウルっ!?」
後ろの美奈が駆け寄ろうとするが、電磁波に阻まれ身動きがとれない。
「負けるかよ……美奈は、俺が絶対に守り抜く!」
アウルと善は互いに抱く激しい憎悪を糧にして、渾身の力を振り絞った。
『あああああああああああぁぁ――――――っ!!』
「うっ…」
暗黒の空と雷鳴轟く新宿跡の、大量のガレキの山から最初に抜け出したのは、〈トゥエルヴ・アパソル〉のリーダーの少女だった。
すぐさま少女は状況を確認するため、辺りに視線を巡らせる。
「あれは――イエス様っ!」
よほど遠くに飛ばされたらしい。さっきまですぐ近くにいたはずの善の姿は、遥か数十メートルも離れた所にあった。
「……!?」
イエス・キリスト様と対峙するレギオンとの間に生じている、雷に似た光の奔流。
そして、2人が互いに叫びながらぶつかり合うその様子に少女は、善の封印のときに開眼した『神眼』によって左だけが異形に変化したままのその目を、フードの下で大きく見開いた。
なぜあの金髪のレギオンは、イエス様と闘っているのか。
それに―――
少女は、そのレギオンの後ろで力なく座り込む、黒髪の少女を見つけた。
その構図はまるで黒髪の少女が金髪のレギオンに、襲いかかるイエス様から守られているように見える。
イエス様がそうまでして追う黒髪の少女。その子に対してさっきから込み上げてくる、どこか懐かしい感じ。
「あの人、一体何者なの…?」
「ああああああああぁぁっ!!」
「くっ…おおおおおぉぉっ!!」
2人の衝突は今もなお続いていたが、既に手負いであったアウルは徐々に押されつつあった。
「こんな所で…っ!」
残り少ない力でなんとか右腕を動かすと、その手に持った黒鋼の銃の銃口を、善の額に突きつけた。
「消えろおぉっ!」
――――だが、アウルがそのトリガーを引くより速く、善は空いている右手で銃を払いのけ、その掌を銃口に押し当てた。
「なっ!?」
不意を突かれ動きを止めたアウルを善が睨む。いや、正確に言えば睨んでなどいなかった。そしてそれは、「主神善」ですらなかった。
白く変色した眼。すすで汚れた額には、茨を繋いで作られた簡素な冠。その姿は、まさに―――――
―――――――善よ。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じるのだ。
「……神藤、さん…………!!」
善の言葉と共に、その体から発する光の電磁波が、眩い光の風へと変化して一気に膨張する。
「あぁ…ぐああああああああああぁぁ!!」
やがて光の中でアウルの銃は粉々に打ち砕かれ、アウル自身もその風の直撃を受けた。
……その光の旋風の一部が、アウルの体内へと吸収されていく。
アウルの視界が、一瞬にしてクリアになった。
気付くといつの間にか、何もない真っ白な空間に、ただ自分だけが浮かんでいた。
――何だ、これ?
誰もいない。何もない。ただ静寂だけが支配する世界。
――どういうことだ。俺は、あいつと…
おもむろにアウルの目の前に、茶色のセーターの上に赤いマフラーを着けた女の子らしき後姿が現れた。
背丈は美奈よりいくぶん小さい。小学生ぐらいだろうか。
――誰だ、お前。
お兄ちゃん。
――!
空間のどこからか、高いソプラノの声が聞こえてきた。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。
声はどんどん大きくなっていく。
――何なんだ、この声…
お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん。
あちこちから飛び出してくる声。
アウルは眼前に立つ子供の背中を見つめた。よく見ると、遠い昔に見たことのあるような背中だった。
――お前は…
その子供はセーターの裾を翻し、アウルの方へと向き直った。
しかしその顔が露になる寸前、その子は何故か急に力を失って「フッ」と倒れこんだ。
――お、おい!
駆け寄るアウル。すると子供はうつ伏せに倒れたまま体をブルブルと痙攣させ、手をアウルに向かって差し出した。
途端に子供の腹部から大量の血が滲み出し、水の中で波紋が広がるようにあっという間に膨大して、それは遂に空間全体を真紅に染め上げた。
――何が起こってる!?
うろたえるアウルの足を、その子供の力ない手が弱々しく掴んだ。
だずげで……お兄ぢゃん……ッ!!
顔を上げた子供。その顔は、もはや誰かも判別出来ないほど、男か女かも判らないほどに、おびただしい量のどす黒い血に塗れていた。
「うああああああああああああああああああぁぁ―――――――――――っ!!」
―――光の風は地面を抉りながら拡大していき、やがて美奈が学校の教室の窓から見た、天から降り注ぐあの光と同じように、既に壊滅した新宿の街を再び覆った。
*
しばらくして、光の風は虚空に吸い込まれるように消滅した。
それによって、暗く淀んでいた空が、明るく清楚な青空へと戻った。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
目まぐるしく変化する事態に対応できず、ただ息を荒げながら呆然とするしかない美奈の眼前を、ギリシャの彫刻のような銀色の巨大な盾が宙を漂っていた。
更にそれと同じものが、光の風が辺りに散らばるガレキを粉砕した為にその下から姿を現した、バクト、ハウ、そして〈トゥエルヴ・アパソル〉全員の眼前にも、同様に出現していた。その全ての盾は前面をグシャグシャに砕かれ、善の放った光がどれほど強力な破壊力を持っていたかを物語っている。
「私は、なんで……」
『神眼』の力によってその盾を作り出した張本人、12使徒のリーダーの少女は、無意識のうちに動いた自分の体を不思議そうに見つめた後、とりあえず敵味方全員が無事なのを確認して、左目を元に戻して安堵のため息を漏らした。
*
やがて美奈の前に現れていた盾が光の粒子となって四散すると、そこに傷だらけで全身を血で塗らしたアウルが両手をだらんと落として立っていた。
すぐにその体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「アウル!」
美奈は震えて動かない下半身を引きずり匍匐全身でアウルの下へ近づくと、その体を揺さぶった。
「アウル…しっかりして、アウル!!」
返事は返って来ない。
血まみれのアウルの顔からは生気が感じられず、白目を剥いていた。完全に気を失っている。
不意に、またも背後から声が掛けられた。
「神藤さん……今度こそ、僕と一緒に……」
声の主は分かっている。善だ。
美奈は涙で滲んだ目を後ろに向けた。そこに映るのは、青ざめた表情で亡霊のように歩み寄ってくる哀れな少年の姿。アウルとの接触で出現した茨の冠は、いつの間にか消えていた。
「やめて………来ないでっ!」
「――えっ?」
思いがけないその一言に、善はたじろいだ。
美奈はもう、最初に出会った時の天使のような姿とは程遠い、恐怖と絶望に打ち震えるただの少女の姿へと変わり果てていた。
否定された。信じていた人に。だがそれでも、今の善にすがれるのは「神藤美奈」という存在だけ。善は必死だった。
「そんな……僕は、僕は――――――」
言いかけた所で、ずっと善の体を覆っていた光が突然、その体の中へと入り込んでいった。
それと同時に善も気を失い、アウルと同じように白目を剥いて地面に倒れこんだ。
「あっ…」
「イエス様っ!」
美奈が声を漏らした瞬間、灰色の影が目の前を通り過ぎ一瞬のうちに善を、いわゆる「お姫様だっこ」で抱きかかえ、フードの中から美奈を見下ろした。その影は、あのリーダーの少女であった。
「あなた、勝手ですよ…!」
少女は歯を震わせ、怒りのこもった声で美奈を叱責した。背丈は美奈と変わらないほど小さいのに、妙に凄みがある。フードの下から覗く幼い少女特有の大きな目とは、あまりにも不釣合いだ。
「何故そうなったのかは知りませんが、イエス様のことを『守る』と言っていたのに、いざとなったら守るどころか拒絶するなんて!」
その言葉を聞いて、美奈は愕然とした。
あの時心に決めたはずだった。この子を守れるのは自分だけだと。いつも守られてばかりだった自分が、人の為に何か出来るきっかけになるはずだと。
「そ、それは…」
少女はそれきり口をつぐむと、くるりと回り美奈に背を向けて駆け出した。
――言い返せなかった。
守ると言っておきながら、恐怖を理由に逃げ出した。とてつもなく残酷に、善君を拒んだ。
美奈は激しい後悔の念に駆られ、嗚咽を漏らしながらその場に崩れ落ちた。
*
「皆さん、起きてください!」
少女はその華奢な腕で善を抱きかかえすぐさま仲間たちが倒れた場所へと走りながら、指を鳴らして12使徒たちの前に現われていた銀色の盾を無に帰した。
するとそれを合図に、倒れていた12使徒たちが次々に起き上がる。
「痛たたた…一体、何がどうなったぜよ」
「急いでください!早く連れて帰らないと、善様が!」
ぞろぞろと集まった仲間たちの下に駆け寄ると少女は、12使徒の中でもひときわ大きい、2メートルを軽く超すほどの長身の男に善を託した。
「うおおっ!どうなっとるんじゃ、これは!?」
アルバリスは自分たちの主である善のボロボロな姿を見ると、口をあんぐりと開けて飛び上がった。
「慌てるな、気絶してるだけだろ。それより『封印』はどうなったんだ」
エイリスが苛立ち気味に淡々と言った。
少女は少し考える仕草をした後、すぐに答えた。
「とりあえず、『手間が省けた』と言った方がいいでしょうか……詳しくは後で説明します。だから、今は早く善様を!」
少女は焦っていた。憔悴仕切った善の顔を見るたびに、不安がつのっていく。
「そうだな、それが先決のようだ。……だが、その前に――」
エイリスはアウル達が倒れた方へ体を向けると、右手で左目を押さえた。『神眼』を使うつもりのようだ。
「あいつらを、殺しておく」
「だめです!私たちの使命がイエス様を保護するために『立ちふさがる敵を排除せよ』だというのなら、目的は既に達成しています。これ以上の戦いは必要ないはずです」
「…ちっ」
不服だが皆の視線を感じたエイリスは、バツが悪そうに舌打ちしながら右手を下ろした。
「それじゃ、急ぎましょう!」
少女が駆け出すと、他の使徒たちもそれに続いて走り出した。
その途中でエイリスは、隣を走るリーダーの少女に問いかける。
「どういうつもりだ、リーダー。――いや、レナリス」
「え?」
「とぼけても無駄だ。お前、俺たちが倒れてる時にイエスが放った光を『神眼』の力で防いでくれたみたいだが………あいつらまで助けるとはどういうことだ」
エイリスは最後の部分だけ小声で話したが、人間を遥かに凌駕する能力を持つ〈トゥエルヴ・アパソル〉の中でも特に秀でたレナリスには、まるで脳に直接語りかけられたかのようにはっきりと、鮮明に聞こえた。
「そ、それは…」
「助けてくれた事には感謝する。だが、これから倒すべき敵までたかが一時の同情で助けるなどというのは、善悪の区別がつかない愚か者のする事だ!……なぜお前みたいなのが我々と同じ12使徒で、それもリーダーなのか理解できない」
動揺するレナリスを冷ややかな目で睨み、最後にエイリスは一言付け加えた。
「俺は、お前が嫌いだ」
何も反論せず、レナリスはただ反省した。
勝手に体が動いたとはいえ、自分は敵を助けてしまった。その事実に変わりはない。
レナリスは自らの手を見つめ、改めて気を引き締めるように、その拳をぎゅっと握り締めた。
*
「っ!…」
「うぅ…」
〈トゥエルヴ・アパソル〉が去って間もなく、ようやくバクトとハウの2人は意識を取り戻して起き上がった。
それと同時に、レナリスが作り出した銀色の盾が音も立てずに光と化した。
「次から次へと…一体、何が起こってるんです!?」
バクトはエイリスとの戦闘で傷付いた左足を庇いながら立ち上がると、辺りを見まわした。
「バクト様、あの人たちは逃げたんですか?」
怯えた目で、傍らのハウが問うた。
「いや、ここに彼らはここに来た時『イエス・キリストの力を封印する』と言ってました。それが成功したのかどうかは知りませんが。……とにかく、彼らの目的は私たちを倒すことではない。私たちのことなど、初めから眼中になかったんですよ!」
バクトは拳をありったけの力を込めて握り締めると、手近にあった教会の残骸の鉄骨に叩きつけた。
石が砕けたような音が響き、鉄骨は灰と化した。
バクトの脳裏に、あの時12使徒の青年が放った言葉が甦る。
〈冷静なようで、案外考えも無しに突っ走る、『バカ』だな!……そんな者の剣が、この御方に傷をつけることなど出来はしない!!〉
私がバカだと?あの男、今度はこの手で、必ず…!
バクトはその胸に復讐を誓い、瞳の奥に熱く燃える怒りの炎を煮えたぎらせた。
「あっ、美奈さん!」
ほどなくして、ハウが少し離れた所でしゃがみ込んだ美奈を見つけ声を上げると、すぐさま傍に駆け寄った。
「ハウ、ちゃん…」
「!」
美奈は意識を失っているアウルの頭を膝に置いて、その大きな目一杯に涙を湛えて顔を上げた。
「何があったんですか!?」
「わかんない…もう、何がなんだかわかんないよ!」
美奈はアウルの頭の上でむせび泣いた。
善を拒んでしまった事はもちろん、遥かに現実を凌駕した事態が立て続けに起こる今の状況に、美奈はもう耐えられなくなっていた。つい1時間前までは、学校にいていつも通りの日常を送っていたのだ。まだ理性を保っているのは奇跡のようなものだ。
「美奈さん…………あっ!!」
ハウは突然その目に映った光景に、驚愕した。
「み、美奈さん!アウレリエルさんが!!」
「…えっ」
美奈は視界を遮る涙を拭い去り、膝元のアウルの顔を見た。
「な、何これ……」
――アウルの体が文字通り幽霊のように、反対側が透けて見え、体全体が消えかかっていた。
「そんな!消えちゃ嫌だ、アウル!」
美奈はアウルの体を幾度となく揺さぶった。
だが、今はかろうじて触れられるものの急速に体重は減っていき、やがて紙と等しいほど軽くなっていった.
「体が消える…?まさか!」
2人を離れてみていたバクトは、学校の屋上でアウルと再会して以来見ていなかった腕時計を確認した.
針は10時を指していた.
「バカな……たった1時間なのか!」
やがてバクトの体も、半透明になりだんだんと消えかかりだした.
「バクト様、これは!?」
バクトの方へと走りながらハウが困惑気味に叫ぶ.
「…霊体である私たちレギオンはホルダーと制約することで体を手にいれ、戦います.ですが所詮は作り物の体で不安定な為に、レギオンには活動時間というものがあるんですよ。そしてそれを過ぎれば、レギオンは消滅します」
「……消えたらどうなるんです?」
ハウは額に汗を浮かべながら息を飲んで、バクトの次の言葉を待った。
答えは半ば予想できる。
「――完全な霊体に戻り、強制的に地獄へと落とされます。いわば、『2度目の死』です」
「そんなっ!どうすればいいんです!?」
「残念ながら、聞かされては……。それに、こうも活動時間が短いとは思わなかったので…」
2人の間に沈黙が流れる。まさに絶望的だった。
どうすれば体を元に戻せるのかが分からない。完全に消滅するまで、後5分と無いだろう。
「アウル!しっかりして、アウルっ!!」
静寂の中、美奈は1人叫び続けた。
「やだよ……こんな所で、死んじゃうなんて…消えちゃ嫌だ、アウル!」
ガレキとかつては人をなしていた肉塊が散乱する新宿跡に、美奈の悲痛な叫びがこだまする。
「バ、バクト様ぁ…」
涙ぐむハウを、バクトは唇を噛み締めて見つめた。
これまでなのか。
バラバラバラバラ……
「!」
突如、凄まじいプロペラの回転音と共に辺りに風が舞い、自分たちの周りだけが急に真っ暗になった。
「な、なんです!?」
「バクト様、上です!」
涙を手の甲で拭ったハウが、人差し指を頭上に向ける。
――その正体は、全長15メートルはあるかという、巨大な漆黒のヘリコプターだった。
その底部にいかめしい色調で描かれた、ペンタゴンと神話に出てくるような禍々しい悪魔の絵が組み合わされ、その中央に1本の長い槍を描いたその独特なマークには見覚えがある。そしてその絵の背景として描かれた、アウルとバクトの顔にあるものと同じ、『逆十字』――
それを見て、バクトは呟いた。
「これが先生の言っていた、組織…」
「アウル!目を覚ま――――――きゃぁっ!」
突然のプロペラ音と吹き荒れる風に、美奈は両手で顔を覆った。
「オ〜、危ない危ない。ベリーベリー間一髪ネ!」
片言の喋り方の場違いな声に驚いて、美奈は顔を上げた。
すると美奈から少し離れたバクトとハウの真上に、巨大なヘリがまるで空を漂っているかのようにふわふわと浮かんでいた。初めて間近で見るヘリの姿に、美奈は圧倒された。
そしてそこのドアを開け、アウルやバクトと同じ黒のスーツを着たドレッド頭の黒人が、ドアから身を乗り出し美奈に向かって、腕が千切れんばかりに大きく手を振りまくった。
「お譲ちゃ〜ん、助けに来たヨ〜♪」
ドレッド頭の男は手を振りつつ、美奈に投げキッスを送った。
「あ、あなたは…?」
美奈が問うと、ドレッド男は満面の笑みを作り、意気揚々と叫んだ。
「―――『ロンギヌス』、ヨ♪」
次回――第1章 第7節 組織と、仲間
ここで一応、一段落つきました。
読んでくださっている方、本当にありがとうございます!!