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第十六話
「吉野さん。吉野ユキさん。第一診療室まで」
濁ったアナウンスが院内に響いた。
「お。呼ばれちゃったね」
そう彼女は笑って小説を閉じる。
「あのさ。ユキ」
「うん?」
「ユキはどうして精神科に通ってるの?」
勇気を出して聞いてみた。
暫く沈黙があった。
彼女はいつもみたいに笑う。
僕は黙って返事を待っていた。
彼女は黒い髪を指で梳かす。
「聞いたらきっとスーは私の事嫌いになっちゃうよ」
そう言った彼女の声は少し震えているように思えた。
瞳が潤んでいるかどうかはわからなかった。
彼女がすぐに踵を返してしまったからだ。
独りになって冷えた珈琲を見つめる。
小さな波紋が広がっていた。




