あの日のラムネは夕陽色
「あーもーまったく…ちっとも片付かないわ…」
私は段ボールにいる物といらない物を整理していく。押し入れを発掘していると、思ってもみない物がざかざか出てくるもんだ。昔友達と撮った写真とか、お祭りで買ってもらったぬいぐるみとか。昔よく買ってた飴の袋が出てきたときは少しぞっとしたけど。
早く終わらせよう。クーラーのないこの物置で、こんな真夏に押し入れの整理しているなんて地獄だ。
「あっつーい…」
風鈴でも出てきたら少しは涼しくなるのに。居間から「スイカ切ったわよおー」なんて母の声が聞こえてくる。せっかく大学の寮からはるばる帰省してきたんだ、こんなこと早く終わらせてのんびりしよう。
「…あら」
いい物見つけた。
子供の頃遊んでいたのであろうビー玉。爪で弾くところころ転がっていく。置いてみたら少し涼しげになった。太陽の光を反射して、ビー玉はきらきら輝いた。その輝きに、「何か」を思い出した。
「あっ、」
そうだ。あの子だ。
私は子供の頃、この田舎で育った。両親の他に、祖母と一緒に住んでいた。大好きなおばあちゃん。優しいおばあちゃん。そんなおばあちゃんに少し甘やかされていたせいもあって、わがままで自己中心的なところのある子供だった。小学校でも、みんなが私に優しくしてくれると思っていた。
そして、大好きな夏休みがやってきた。私は毎日、友達と遊び回った。そんなある日、私は家の近くにある裏山に入ってみた。裏山というよりは、小さな丘といった方が正しいのだろうが、小学校低学年の私にとってはそこに入るだけで大冒険だった。どきどき、わくわくしながら木々の中に入っていった。
そして、一際大きな樫の木を見つけた。カブトムシでもいるんじゃないかと私はその木に走っていった。
そこにいたのが、「あの子」だった。
真っ白なワンピースに、ピンクのリボンのついた薄い水色の帽子。きれいな黒髪はくるくると巻いていて、まるでお姫様みたいな外見だった。田舎に住んでいて、Tシャツに短パン、麦わら帽子の私とは対照的だった。
でも、その時はお姫様だとかはどうでもよかった。ただ、自分が喜び勇んで冒険しにやってきた山の中に誰かが先にいるというのが、わがままな私には気に食わなかった。強気な性格も手伝って、私はその子にずんずん近づいていった。
「あんた、誰」
すると彼女は、いきなり偉そうに話しかけてきた私を怒りもせず、ゆっくりと振り向いてこう言った。
「この樫の木は、あなたの木?」
「…違う」
「あら」
彼女はそういうとまた木を見上げ始めた。何が、あら、なのさ、と思っていると彼女はまた口を開いた。
「ねえ、あなた時間ある?」
「ある…けど」
すると彼女はにっこりと微笑んだ。
「だったら、私と一緒に遊んでくれないかしら」
誰と約束しているわけでもないけど、前にも言ったように、何となくこの女の子のおっとりした態度は気に食わなかった。でも、むげに断るのもさすがにかわいそうだし、何よりこの不思議な女の子に私は興味を持ち始めていた。
「…いいよ」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。黒目がちでぱっちりした目はきゅっと細くなった。
私達はその木の下で、私の持ってきた水筒のお茶を一緒に飲みながらお互いのことを話した。私は彼女のことを色々知った。
彼女はこの村に住んでいるのではなくて、都会から親戚の家に遊びに来ているということ。大人達が話していて退屈なので、この山に入ってみたこと。少し体が弱いので、あまり外に出ることができず、こんな森に入るのは初めてだということ。好きな食べ物はイチゴのショートケーキとアーモンドチョコレート。白い犬を飼っていて、名前はプリン。運動は苦手で、本を読む方が好き。でも、この村の川を見て、泳いでみたいと思った。
彼女のことを知れば知るほど、私は彼女に興味を示していった。色々なことを聞いた。どこに住んでるの?東京ってどんなところ?学校の先生怖い?体弱いって、なんの病気なの?
彼女はすべての質問に応えてくれた。でも、病気に関しては「難しくて私もよくわからないの」と答えた。
そんなことをしているうちに空が赤くなってきた。彼女は立ち上がった。
「今日はとても楽しかったわ。ねえ、明日もここで会えない?」
私も彼女と遊びたかった。色々な話が聞きたかったし、彼女を森や川や畑に連れて行ってあげたかった。
当然、明日も一緒に遊ぶことになった。
私達は、次の日も色々なことをした。彼女は家からお菓子を持ってきてくれて、山の中で二人で一緒に食べた。次の日も、私達はあの木の下で待ち合わせをした。彼女が行ってみたいと言ったので、駄菓子屋に連れて行ってあげた。彼女はお嬢様育ちなので、安いお菓子が新鮮なようで、目を輝かせていた。次の日も、私達は水着を持ってあの木の下で会った。それから、近くの川に行って一緒に遊んだ。泳げない彼女に泳ぎを教えてあげた。これから二日に一回、泳ぎを教えてあげることになった。彼女は私の家族とも仲良くなって、よく家で一緒にすいかやらかき氷やらを一緒に食べた。たまに、ごはんも食べていった。優しくて垢抜けた彼女のことを、私の家族も気に入っていた。日増しに私達はどんどん仲良くなり、一緒にいる時間も増えていった。私はその時間を大切にした。少しでも長く、彼女と一緒にいたかった。
そんなある日、私は彼女を夏祭りに誘った。年に一度、何も楽しみのない田舎の村で開かれる割と大きな夏祭りだ。その日だけは、村の外の町からもお客さんがやってくる。当然彼女は夏祭りなど行ったことはなく、目を輝かせてその日を楽しみにしていた。
その次の日、彼女は町に帰ることもその時知った。じゃあ最後の思い出だね、と言うと寂しさがこみ上げてきた。
そして、待ちに待ったその日はやってきた。
あの木の下に少し遅れてやってきた彼女は浴衣を着ていた。私も浴衣を着ていたが、お姫様のような彼女が着ると本当に綺麗だった。
「浴衣可愛いね。似合ってるよ」
小学生なりにほめると、彼女は少し照れたように笑った。初めてのお祭りだから、お洒落したかったのだそうだ。そうやって少し照れる彼女を可愛いと思った。
私達はたくさんの人々で賑わう通りに繰り出した。彼女は何もかもを楽しそうに見つめていた。まるで、おもちゃ売り場にいる小さな子のように。私達は、本当に楽しかった。彼女がしたいといった金魚すくいをした。射的をして、彼女にぬいぐるみをとってあげた。彼女が食べてみたいといった綿菓子を食べた。
彼女は、一つの店の前で立ち止まった。何かを見つめていた。すると、視線をこちらに向けずに彼女は言った。
「…ねえ、私これが欲しいな」
それは、透明にきらきら輝くラムネの瓶だった。
「炭酸のジュースとか、飲んだこと無いの?」
「うん、初めて。飲んでみたいの」
私達はラムネを買って、人混みから抜けたところで飲もうと、あの木の下に行った。
木の下につくと、彼女はかちんと瓶を私の瓶に当てた。
「かんぱい」
私達はどちらからともなく笑って、瓶を開けた。しばらく二人とも無言で飲んだ。半分ほど飲んだところで、彼女は瓶を色々な角度から観察し始めた。
「ねえ、中に何が入っているの?」
ビー玉だよ、と答えると彼女はそれが欲しいと言った。全部飲んだところで、私達は一緒に泳いだ川で瓶を洗った。やり方を知らなかったので、やっとの事で瓶の中からビー玉を取り出した。
彼女は本当に嬉しそうに、ビー玉を上に掲げて夕陽に透かした。ビー玉はきらきらと輝いて、まるで宝石のようだった。
「おそろいだね」
私達は顔を見合わせて笑った。
その日は遅くまで一緒にいた。私の家の縁側で、一緒に麦茶を飲んだ。
「ねえ」
「なに?」
「明日、東京に帰るけど…電話とかしてね」
「…うん。来年も、来てくれる?」
「うん、多分来られるよ」
もうお別れで、言いたいことはたくさんあるのに、なぜか二人ともあまり話せなかった。
次の日、朝起きると彼女はもう居なかった。朝早くに発ったらしい。代わりに、ポストに封筒が入っていた。中の可愛らしい便箋には、彼女らしい丁寧な字で、彼女の東京の家の住所と電話番号と「また来年会おうね」と書かれていた。
そして、次の年も彼女は遊びに来た。また次も。中学生になっても、私達は夏に会う約束をしていた。でも、心なしか彼女は年々痩せていくようだった。
中学三年生の夏。彼女は私の家に泊まることになった。長い付き合いの中で初めてのことだったので、彼女も私も、私の家族も喜んだ。家族で夕食を食べて、テレビを見たりしたあとで、私と彼女は同じ部屋で布団に入った。しばらくは、学校の話やテレビの話をしていた。大きくなるにつれて、男の子の話題もあがってくる。そうして二人で笑っていると、彼女がいきなり声を低くして話し始めた。突然の告白だった。衝撃過ぎて細かい内容は覚えていないが、
彼女は、遠くの高校に行く。だから、家ではなく下宿することになった。そして、ここには多分高校生になってからは当分、大学生になるまでは来られない。
彼女はぽつりぽつりと、淡々と話していたが、途中で声がゆれ始めた。
「私、まだここにいたい…まだ一緒に遊びたいよ。しばらく会えないなんて、寂しいよ」
私と彼女は、一緒に声を殺して泣いた。お互い会えなくなることが寂しかったし、お互いを繋ぐ絆が壊れてしまいそうで怖かった。
彼女が東京に帰る日、私は小さな頃のビー玉を持って行った。そして、それを彼女に見せて言った。
「これ、覚えてる?」
すると彼女はにこりと、どこか寂しそうに笑って言った。
「うん、覚えてる。今も持ってるよ」
そう言うと、ポケットからビー玉を出して見せた。
「これがあれば、繋がってるよね」
「うん。一緒だよ」
「また会えるよね」
「当たり前じゃん!」
私達はそんな会話を交わした。そして、別れ際に彼女が言った。
「あのさ、私が来なくても、必ず毎年ラムネ飲んでね?」
「うん、わかった。大学生になって帰ってきたら一緒に飲もうね」
「約束だよ?」
「うん」
「またね」
「またね」
じゃあね、は言わなかった。また会えるから、「またね」じゃないとおかしいから。
そして、彼女は次の年から来なくなった。携帯電話なんて持っていなかったし、私も高校生活が忙しくて、連絡を取らなくなっていった。
そして、二年ほど過ぎた。私は、電車で通う高校で真面目に過ごした甲斐あって、割と有名な私立大学の推薦を通っていた。家族はすごく喜んでくれた。周りの子が忙しいとき、私はのんびりしていられた。そんな中、私はふと思い立って彼女の家に電話をかけた。冬休みなので、帰ってきているはずだ。
彼女はちゃんと家にいた。
「久しぶり!元気だった?」
久しぶりに聞く彼女の声は、少し掠れていた。
私達は、しばらく学校の話などをした。そして、私はさりげなくこう聞いた。
「ねえ、いつ遊びに来るの?」
すると、少しの間を置いて、彼女はこう言った。
「…わかんない、けど…来年の八月には行けるよ」
「本当に?楽しみにしてる!一緒にお祭り行こうね」
「…うん!…あのさ、」
「なに?」
「えーっと、八月にそっち行くけど、その時でもその次でもいいんだけど、お祭りの日に、あの木の下掘ってみてくれない?」
「えーっ、タイムカプセル?一緒に掘ろうよ!」
「やだよ、なんか恥ずかしいもん。絶対掘ってね?」
「うん。約束する」
そして、またしばらく話して「またね」と言って電話を切った。
そして、次の年-去年の八月。
私はわくわくして大学の寮から帰省してきた。彼女に早く会いたい。ただそれだけ思っていた。
彼女は、きちんと彼女の実家に帰ってきていた。
赤い蝋燭につれられて…。
彼女は、仏壇で優しく微笑んでいた。
病気のせいで、今年の春亡くなったらしい。
私のあげた、ビー玉を握りしめて…。
微笑んで、向こうに行ったそうだ。
八月に帰ってくるって、こういうことだったんだね。
私は、彼女の仏壇の前で泣いた。ビー玉を握りしめて泣いた。押さえようとしても、涙が止まらなかった。彼女のお母さんは、私の背中を優しく撫でていてくれた。
空が赤くなっても、涙は止まらなかった。
私は、空に向かって言った。彼女の名前を。
ねえ神様。彼女を返してください。
「ねえ、聞いてた?」
「あ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出してた」
母親と向かい合ってすいかをかじる。
彼女が旅立ってから一年経つ。彼女も今帰ってきている。そういえば、
「お母さん、今年のお祭りっていつ?」
「…あら、そうだったわね。今日だった気がするわ。もうじき賑わってくるわよ」
「そうなんだ」
「ちょっと行ってみる?」
「うん」
私は、賑わう大通りを歩いていった。探している店はただ一つ。
あった。
あの木の下に行った。目を閉じて、ラムネを飲んだ。冷たい透明の液体は、私の喉をなめらかに流れていった。甘酸っぱくて、爽やかな味がした。あの日と変わらない味だった。
ふと目を開けた。
今も彼女-君が、そこにいるような気がして。
そこには誰もいない。
私は、ぱっとあの日の約束を思い出した。
木の下に、お菓子の缶が埋まっていた。
中に入っていたのは、四つのビー玉だった。ラムネに入っているのではなくて、おもちゃ屋に売っているような物だった。
私は、あの日の彼女のようにそれを夕陽に透かした。すると、きらきら光る中に何か細かい物が見えた。よく見ると、それは文字だった。四つのビー玉に一文字ずつ書かれていた。
「だ」
「い」
「す」
「き」
私は、それを強く握りしめた。
葉っぱが風に揺れた。そして、誰かの声が聞こえた。空耳ではなく、確かに人の声だった。柔らかく、よく通る、懐かしい声だった。
-約束、覚えてくれててありがとう-
木漏れ日が優しく差す。
もう会えない人。私の、誰より大切な人。
大好きだよ。
ありがとう。
まだ寒いのに、夏の小説を書いてしまいました…。
初めてなので、生温かく読んでいただければ嬉しいです。