戦地から帰った夫が妊婦を連れていた件
暴力指定R-18かもしれない。
指摘があれば封印します。
人権を無視した表現がありますので、不快になられるかもしれません。
戦地から帰ってきた夫のマリオットと、その隣に座る見覚えのない女性と、その女性の大きくなった腹を、子爵夫人であるエディットは順番に眺めた。
エディットの前に用意された茶器に手をのばし、そっと口をつける。馥郁とした香りが漂う。侍女のアンは今日もよい仕事をしてくれている。
ちなみにエディットの前に座る戦場帰りの二人の前には、何も用意されていない。
「それで、避妊に失敗したということでよろしいですか?」
冷然とした笑みを浮かべてたずねたエディットに、マリオットの顔が引き攣る。
「いや、ええと。彼女には戦場で、とてもお世話になったんだ」
イコラです、と大きなお腹をかかえた女性が、ぺこりと頭をさげる。
姓を名のらなかったということは平民なのだろう。
「ええ、戦場にはそういうお世話をする女性がいると聞いておりますわ」
エディットの言葉に、二人は凍りついた。あわててマリオットが声をあげる。
「ち、違うよ。イコラは衛生兵だ。生活の支援もかねて、戦地になって焼けた村から雇われたんだ」
「そうですか。それで、その衛生兵であったイコラさんが、どうして当家に?」
「それは、その……」
言い淀み視線をそらしたマリオットに業を煮やしたのか、イコラと名のった女性がぐっと頭をあげる。
「子どもができたんです。マリオット様との子です」
エディットはその言葉に驚いたように目を見開くと、イコラをまじまじと見つめた。
「本気でおっしゃっていらっしゃるの?」
「本気です」
こくりとうなずくイコラに、「まあ……」と言って、エディットは言葉を失う。
しばらく沈痛な表情で黙ったあと、エディットは、はかなげな笑みを浮かべた。
「マリオット様も、イコラさんをこちらまでお連れしたということは、そういうことでよろしいのね?」
「う、うん……?」
マリオットの答えにすっと目を細めると、「わかりましたわ」と応えてから、「アン、お願いね」と部屋の隅に控えていた侍女に視線を送った。アンはすっと頭をさげて退室する。
しばらくして戻ったアンが、長椅子に座ったままのマリオットとイコラの前に、茶器をならべると、慣れた手つきでお茶を淹れていく。やがて温かな湯気が立ち上った。
「イコラさんのために特別なお茶を用意させましたわ。どうぞ召し上がれ?」
にこりと笑って勧めたエディットに、イコラは「わあ、ありがとうございます」とはしゃいだ声をあげる。
「妊婦にだめなものってありますものね!」
喉が渇いていたんです、と、適温で淹れられた茶を両手で持ってあおった。
それを見て、ずっと緊張していたマリオットも、ようやく肩の力をぬいて、茶器を手にした。ゆっくり味わうように口をつける。
「これ、おいしい!」
茶請けに出された焼き菓子を口にほうばって無邪気に喜ぶイコラの声が、しばらく響く。
マリオットはそんなイコラを穏やかな目で見つめている。
エディットは静かに待っていた。
すぐに、その時が来る。
ガチャンと不躾な音がして、イコラが口元を押さえる。噴水のように吐物を撒き散らした。
長椅子から転げ落ち、げえげえと吐いている。やがて細く息をもらし、何度も激しく痙攣しては、最後に動かなくなった。
「な、な、な」
呆然とそれを見ていたマリオットが、怯えたように長椅子の上で後退った。
血走った目で、エディットを見る。エディットは、わずらわしそうにイコラが撒き散らしたものに小さく吐息する。もうこの長椅子も絨毯も駄目だろう。
「き、君の仕業か!? 君が、イコラを!」
夫の醜態を前に、エディットは品よく小首を傾げた。
「なぜ驚いていらっしゃるの? マリオット様もそういうことでよいとおっしゃったではありませんか」
エディットは心底不思議だという顔をして続けた。
「平民がわざわざ貴族の屋敷に来て、不用意な発言をするなんて。無事でいられると思うのが間違っています」
「き、君は、人を殺しておきながらっ」
「戦場では多くの方が殺されて亡くなったのではなくて?」
臆病な夫が前線に出ていなかったことは知っていた。剣を握ることなく、後方でふんぞりかえっていたと聞いた。戦争に参加していながら、人が目の前で死ぬのを見るのは、きっと初めてなのだろう。
戦争では勝利をおさめたものの、人的資源の減少はさすがに避けられなかった。
引き攣った顔で黙り込むマリオットに、エディットは目を細めた。
「そもそも、マリオット様は戦場に行く前にきちんと処置されていますわ。子種をばら撒かれてはたまりませんもの。――戦場にはそういう女性がいると存じていると申し上げたではありませんか」
マリオットの喉がひゅっと鳴った。
「い、イコラは、イコラの、腹の子は」
「あなたの子ではありえませんわね」
マリオットの喉がひゅーひゅーと音を立てた。
ばたばたと賑やかな足音が近づいてきて、勢いよく部屋の扉が開いた。
わらわらと五つ前後の男の子が二人、駆け込んでくる。
「「お母様!」」
エディットに飛びつく二人を、彼女はやわらかく嗜める。
「まあ、あなたたち。ここへ来てはいけないと言ったでしょう」
部屋の惨状を気にすることなく、双子の息子たちは明るく笑う。
「だって、可愛い子豚を父様が連れ帰ったって聞いて!」
「どこにいるの、子豚!」
エディットは吐物にまみれたまま床でぴくりとも動かないイコラに視線を向けた。
「それが、子豚は餌が口に合わなくて死んでしまったのよ」
「それは、かわいそうだね」
双子のひとりが言った言葉に、エディットは眉尻を下げる。もう一人の息子はつまらなそうに「もう死ぬなんて」と口を尖らせている。
「そうね。不相応な所に連れて来られなければ、死なずにすんだのにね」
長椅子の上では、手足の力を失ったマリオットがだらりと体を投げ出している。小さく細い呼吸の音がまだ聞こえていた。
それをちらっと見てから、エディットは一人がけの椅子から立ち上がった。
まとわりつく息子たちの頭をやさしくなでる。
「リンツ、ランツ。この間買ってきた子犬を見に行きましょうか」
「うん! 嬉しいな」
「黒い毛に黒い瞳の珍しい子だよね」
「そうね。異国の血が混じっているのかもしれないわ。良い番犬に育ってくれると嬉しいのだけれど」
「あなたたちも育てるのを手伝ってくれる?」と尋ねたエディットに、「もちろん!」という可愛い声が返ってくる。
長椅子から動く気配のないマリオットに、ランツが目を向けた。
「父様は行かないの?」
「お父様は戻られたばっかりでお疲れですからね。ゆっくりお休みいただきましょう」
そう――永遠に、と小さく口の中で付け加えたのは、子どもたちに聞こえないように配慮してだ。
「アン、後始末はお願いね」
「かしこまりました、ご主人様」
ふふ、と微笑んで、エディットは愛しい息子たちとともに客間を後にした。
本当にアンは、素晴らしく仕事のできる侍女に育った。エディットの実家である伯爵家に来たばかりの頃は、毛を逆立てた子猫のようだったのに。
イコラとは違う毒を盛られたマリオットは、なぜ自分が死ななければならないのか、きちんと理解してくれただろうか。彼に使われた毒は、四肢の動きは奪うが、最後まで意識は保つ。
戦場で戦うという貴族としての義務も、国に有用な人材を育てるという家としての責務も、まったく理解できない当主など不要なのだ。情報漏洩の窓口になるとしか思えない情婦を連れて帰る夫など、邪魔以外の何物でもない。
戦場で死んでくれていれば、こんな手間もなかったのに、と、エディットは内心嘆息する。
実家の伯爵家に詰めて、戦地から送られてくる情報の精査と分析を行っていたエディットは、無能な夫に構っている暇がなかった。戦地で使えるほどの人材を、無能を始末するために動かすような無駄遣いはできなかった。
武家でもない貴族家の当主が戦場に送られるなど、死を望まれているとなぜ理解できなかったのだろう。せっかく戦地で生き残れたのだから、すべてを捨てて逃げていれば、まだ生きる道はあったかもしれないのに。
人材育成と、育てた人材からもたらされる情報の収集・分析が、領地に資源を持たない伯爵家の大事な家業だ。エディットが子爵家に嫁いだのも、人材を育てる場を広げるため。王家からも期待されている。戦争で減少した人材の育成は、喫緊の課題なのだ。
面倒な仕事を手際よくこなしたアンには、後で何か褒美を送ろう。扱う人材への信賞必罰は、主人の責務だ。
「今度の子は何が得意かしらね?」
新しく仕入れた子犬をどう躾けるか思案しつつ、エディットは次代を担う子どもたちとともに、子犬の元へ向かった。
うちの子が殺しにかかるのは、たぶん仕様です。




