第8話「闇に潜む刃と光の結界」
同じ頃、迷宮の深い階層では、リオンとルミナが慎重に足を進めていた。
下層の空気は中層とは比べ物にならないほど冷たく、鋭く張り詰めていた。床に敷き詰められた黒曜石のタイルは、発光性の苔の微かな光を反射して、まるで底なし沼のように黒々と輝いている。呼吸をするたびに白い息が白煙のように立ち昇り、静寂の中に吸い込まれていく。
リオンは蒼銀の剣を腰に帯び、研ぎ澄まされた感覚で周囲を探っていた。祝福によって強化された五感は、迷宮の構造や魔物の気配だけでなく、空気の微細な流れすらも手に取るように感じ取ることができた。
ルミナはリオンの斜め後ろを歩きながら、いつでも白銀の矢を放てるよう、弓の弦に指をかけていた。彼女のエルフ特有の長い耳は、周囲のあらゆる音を拾い上げるために細かく動いている。
「ねえ、リオン」
ルミナが声を潜めて話しかけた。
「少し前から、妙な気配を感じない? 魔物特有の荒々しい殺気とは違う、もっと冷たくて、粘り気のある……人工的な悪意みたいなもの」
リオンは足を止めず、わずかに顎を引いて同意した。
「ああ、気づいていた。三……いや、四人だな。私たちがこの階層に降りてから、ずっと一定の距離を保って後をつけてきている。足音を完全に殺し、体温すら偽装しているようだが、風の流れと微かな鉄の匂いまでは隠しきれていない」
リオンの眼光が、前方の暗闇を見据えたまま鋭さを増した。
「彼らは魔物ではない。人間だ」
「人間が、こんな深層まで私たちを狙って? もしかして、あなたが前に話していた家族からの……」
「十中八九、そうだろう。兄のガレリアか、それを取り巻く連中が差し向けた暗殺者だ」
リオンの声には、怒りよりも深い溜め息のような響きが混じっていた。
「私の存在が、よほど目障りらしい。なら、ここできっちりと終わらせるしかない」
リオンは歩みを止め、迷宮の通路が少し開けた広間の中央に立ち止まった。ルミナもそれに合わせて立ち止まり、背中合わせになるように陣形を組む。
静寂が、鼓膜を圧迫するほど重くのしかかった。
水滴が黒曜石の床に落ちる小さな音が、ひときわ高く響いた瞬間だった。
四つの影が、周囲の暗闇から音もなく弾け飛んできた。
黒装束に身を包んだ暗殺者たちは、それぞれが特殊な形状の短剣や毒の塗られた暗器を構え、一切の無駄な動きなくリオンたちの急所を狙って殺到する。彼らの動きは常人の域を完全に超えており、まるで闇そのものが実体を持って襲いかかってきたかのようだった。
「ルミナ、左を頼む!」
リオンが叫ぶと同時、彼の体は弾かれたように前方へと飛び出した。
右前方から迫る二人の暗殺者に対し、リオンは蒼銀の剣を抜くことなく、鞘に入れたままの状態で凄まじい速度で踏み込んだ。
暗殺者の一人が毒の塗られた短剣をリオンの喉元へと突き出した。しかし、リオンの目にはその動きが完全に止まって見えていた。
彼は上体をわずかに捻って短剣の軌道をかわすと、そのまま鞘の先で暗殺者の鳩尾を正確に打ち抜いた。
「ぐはっ……」
暗殺者は短い悲鳴を上げ、くの字に体を曲げて床に崩れ落ちた。
その直後、もう一人の暗殺者が死角からリオンの背後を狙って跳躍した。手には細い鋼糸が握られており、リオンの首を刈り取ろうとしている。
しかし、リオンは背後を見ることなく、左手で空気を掴むように強く握り込んだ。
その瞬間、リオンの上着のポケットにしまわれていた通信水晶が、強烈な黄金色の光を放った。
『リオン、危ない! 神様たち、みんなで防御結界を張るわよ』
アリアの声が脳内に響き渡ると同時、リオンの背後に半透明の黄金の盾が具現化した。
暗殺者の放った鋼糸は、黄金の盾に触れた瞬間に激しい火花を散らして弾き返された。驚愕に見開かれた暗殺者の目と、リオンの冷静な瞳が交差する。
リオンは体を回転させ、鞘で暗殺者の側頭部を痛打した。鈍い音が迷宮に響き、二人目の暗殺者も意識を失って床に倒れ伏した。
一方、ルミナも左側から迫る二人の暗殺者に対し、神の力に満ちた白銀の矢を連続で放っていた。
暗殺者たちは驚異的な身のこなしで矢を回避しようとしたが、ルミナの放つ矢は彼らの動きを完全に予測しており、まるで意思を持っているかのように軌道を変えて追尾した。
ズガンッ、という衝撃音と共に、白銀の矢が暗殺者たちの足元の黒曜石を穿ち、強烈な魔力の波動が彼らの身体を吹き飛ばした。二人は壁に激突し、そのまま力なく崩れ落ちた。
わずか数秒の攻防。
四人の熟練の暗殺者は、リオンとルミナの圧倒的な力の前に、何一つ有効な打撃を与えることなく完全に制圧された。
リオンはゆっくりと息を吐き、倒れている暗殺者たちを見下ろした。
「これで、私の命を狙う理由が少しはわかってもらえただろうか。彼らには悪いが、ここで退場してもらう」
ルミナは弓を下ろし、リオンのそばへと歩み寄った。
「あなたの家族は、本当に愚かね。こんな圧倒的な力を前にして、まだ小手先の陰謀が通用すると思っているなんて」
彼女の言葉に、リオンは苦笑しながら通信水晶を取り出した。水晶は神々の熱狂を伝えるように、激しくチカチカと明滅を繰り返している。
『もう、リオンったら! 神様たち、心臓が止まるかと思ったってコメント欄がすごいことになってるわよ! でも、あの防御結界からのカウンター、見事だったわ』
アリアの興奮した声に、リオンは静かに礼を言った。
「ありがとう、アリア。君たちのおかげで、無傷で済んだ。……さあ、ルミナ。先を急ごう。この先には、まだ私たちを待っているものがあるはずだ」
二人は暗殺者たちを残し、さらに深く、暗く続く迷宮の奥へと足を踏み出していった。




