第8話:購買部で「手袋」を買う(温度対策)
朝の教室で、ルーカスは自分の手を見つめていた。
白い、細い指。
見た目は普通の、少年の手だ。
しかし、この手には問題があった。
「殿下、どうされましたか」
隣の席のセラが、心配そうに声をかけてきた。
今日も、監督役として同じ教室にいる。
正確には、特別に許可を得て、ルーカスの授業に同席しているのだ。
「手を見ていました」
「手?」
「はい。昨日、うっかり侍従の手に触れたら、火傷させてしまったので」
「火傷……!」
セラが、目を見開いた。
ルーカスは、淡々と続けた。
「僕の体温が、普通より高いようです。それに、皮膚から熱が放散されるみたいで」
「それで、グスタフ殿は……」
「軽い火傷でした。すぐに治療してもらいましたが、申し訳ないことをしました」
ルーカスの声には、確かに後悔の色があった。
グスタフは長年仕えてくれている侍従だ。
その彼を傷つけてしまったのは、心が痛い。
「殿下、それは危険です」
「分かっています。でも、自分では体温を感じられないので、つい油断してしまいます」
「感じられない……」
「はい。皮膚の耐熱化が進んでいるようで、自分の体温が分からないのです」
ルーカスが説明した。
セラが、深刻な表情を浮かべた。
「対策を、考えなければなりませんね」
「はい。何か、良い方法があれば……」
「……手袋は、どうですか」
「手袋?」
「はい。熱を遮断する手袋をすれば、人に触れても火傷させないのでは」
セラの提案に、ルーカスは目を輝かせた。
手袋。
それは、良いアイデアだ。
「でも、普通の手袋では、溶けてしまうかもしれません」
「確かに……では、特殊な素材の手袋が必要ですね」
「特殊な素材……どこで手に入りますか」
「購買部なら、魔導具もあります。探してみましょう」
セラが立ち上がった。
ルーカスも、それに続いた。
* * *
学院の購買部は、本館の一階にあった。
広い店内には、様々な商品が並んでいる。
文房具、教科書、日用品、そして魔導具。
「いらっしゃいませ」
店番の老婆が、にこやかに迎えてくれた。
白髪を後ろで束ね、丸い眼鏡をかけている。
名前は、マリア。学院購買部を50年以上切り盛りしているベテランだ。
「手袋を探しているのですが」
セラが代表して話しかけた。
マリアが、にっこりと笑った。
「手袋ですか。どんなものをお探しで?」
「熱を遮断できるものを。特殊な素材でできた手袋です」
「ほう、熱を遮断……鍛冶場で使うような?」
「そうですね。それに近いものです」
セラが頷いた。
マリアが、棚の奥に案内してくれた。
「こちらに、特殊素材の手袋がございます」
棚には、様々な手袋が並んでいた。
革製、布製、金属製。
色も形も、様々だ。
「まずは、こちらの革手袋」
マリアが、茶色の革手袋を差し出した。
ルーカスは、それを受け取った。
「耐火竜の革で作られています。炎に強く、多少の熱なら遮断できます」
「なるほど……」
ルーカスは、手袋を手にはめてみた。
サイズは、ちょうど良い。
しかし、何か違和感がある。
「殿下?」
「少し、薄い気がします」
「薄い?」
「はい。僕の体温を遮断するには、これでは足りないかもしれません」
ルーカスが言った。
マリアが、首を傾げた。
「どれほどの熱を、遮断されたいのですか?」
「……正確には分かりません。でも、この手袋では溶けそうな気がします」
「溶ける……」
マリアの表情が、少し変わった。
興味と、驚きが混ざったような顔だ。
「では、こちらはいかがでしょう」
マリアが、別の手袋を差し出した。
今度は、銀色の金属製だ。
「魔導銀で編まれた手袋です。熱伝導率が極めて低く、かなりの高温でも耐えられます」
「魔導銀……」
ルーカスは、その手袋を手にはめた。
冷たい、金属の感触。
しかし、すぐにその感触が変わった。
「……」
手袋が、熱を帯び始めている。
ルーカスの体温が、魔導銀に伝わっているのだ。
しかし、溶ける様子はない。
「どうですか?」
「溶けません。これなら、使えそうです」
「よかった。お値段は……」
「待ってください」
セラが、手袋を指さした。
その表情は、心配そうだった。
「殿下、手袋が光っています」
「光っている?」
ルーカスは、自分の手を見た。
確かに、魔導銀の手袋が、微かに赤く光っている。
それは、金属が高温になったときの輝きだ。
「……まずいですね」
「殿下、外してください!」
セラが慌てて言った。
しかし、ルーカスは首を振った。
「大丈夫です。僕は熱を感じないので」
「問題はそこではありません! 周りの人が火傷します!」
「ああ、そうですね……」
ルーカスは、手袋を外した。
外した手袋は、しばらく赤熱していたが、やがて冷めていった。
「……これも、ダメですね」
「殿下の体温、どれほど高いのですか……」
セラが、呆然と言った。
マリアも、目を丸くしている。
「お客様……その、お体は大丈夫なのですか?」
「はい。僕は大丈夫です。ただ、周りの人が危険なのです」
「なるほど……それは、困りましたね」
マリアが、腕を組んで考え込んだ。
しばらくして、彼女は何かを思い出したように顔を上げた。
「一つ、ございます」
「何ですか?」
「魔導繊維で作られた手袋です。熱を遮断するだけでなく、逃がすこともできます」
「逃がす?」
「はい。魔導繊維は、熱エネルギーを吸収し、別の形で放出する特性があります。これなら、殿下の体温を安全に処理できるかもしれません」
マリアが、棚の奥から小さな箱を取り出した。
中には、白い手袋が入っていた。
見た目は、普通の布手袋だ。
「こちらです。魔導研究科の生徒が試作したもので、まだ販売していないのですが……」
「試してもいいですか」
「どうぞ」
ルーカスは、白い手袋を手にはめた。
布の感触が、心地よい。
しばらく待っても、手袋は熱くならなかった。
「……これは、いいですね」
「光っていませんか?」
「いいえ。普通の状態です」
セラが、安堵の表情を浮かべた。
「では、これをいただきます」
「ありがとうございます。ただ、試作品なので、耐久性は保証できません。壊れたら、また来てください」
「分かりました」
ルーカスは、手袋を購入した。
値段は、少し高かったが、それだけの価値はある。
* * *
購買部を出て、廊下を歩く。
ルーカスは、白い手袋をはめたまま歩いていた。
少し目立つが、仕方ない。
「殿下、手袋、似合っていますよ」
「そうですか?」
「はい。貴族の方は、手袋をする習慣がありますから、違和感はありません」
「なるほど。では、常時つけていても問題ないですね」
「そうですね」
セラが、小さく微笑んだ。
ルーカスは、その笑顔を見て、胸が温かくなるのを感じた。
「セラさん」
「はい」
「ありがとうございます。手袋のこと、思いついてくれて」
「いいえ。当然のことです」
「いいえ。セラさんがいなければ、僕は今も困っていたでしょう」
ルーカスが、真剣な顔で言った。
セラが、少し顔を赤くした。
「殿下は、いつも大げさです」
「大げさではありません。事実です」
「……そうですか」
セラが、そっぽを向いた。
しかし、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
* * *
昼食の時間。
ルーカスとセラは、いつものように食堂に向かった。
ルーカスの手には、白い手袋がはめられている。
「殿下、その手袋、良さそうですね」
「はい。今のところ、問題ありません」
「よかったです」
食堂に入る。
相変わらず、人でごった返している。
匂い、音、熱、視線。
ノイズの嵐が、押し寄せてくる。
しかし、以前ほどは辛くなかった。
慣れてきたのだろう。
それに、セラが隣にいる。
その存在が、心強かった。
壁際の席に座り、食事を始める。
スープを飲み、パンを食べ、肉を口に運ぶ。
その一つ一つの動作が、以前より自然になっている気がした。
「殿下、食堂にも慣れてきましたね」
「はい。セラさんのおかげです」
「私は、何もしていません」
「いいえ。セラさんがいるだけで、落ち着きます」
ルーカスが正直に言った。
セラが、また顔を赤くした。
「殿下は、本当に……」
「本当に?」
「いえ、何でもありません」
セラが、スープに視線を落とした。
その仕草が、なぜか可愛らしく見えた。
可愛らしい、という感覚が正しいのかは分からないが。
食事を続けていると、誰かが近づいてきた。
金髪の少年。
フェリクス・ヴァレンティだ。
「おや、殿下。お隣に、セラフィーナ嬢ですか」
「フェリクス殿。こんにちは」
「こんにちは。その手袋、新しいものですね」
フェリクスが、ルーカスの手袋に目を向けた。
その視線は、観察するようなものだった。
「はい。今日、購買部で買いました」
「魔導繊維ですね。なかなか良いものをお持ちだ」
「詳しいのですね」
「ええ、少々。家業の関係で、魔導具には興味がありまして」
フェリクスが、にこやかに笑った。
しかし、その笑顔の奥に、計算高いものを感じた。
以前から感じていたことだ。
「何か、用事ですか」
セラが、少し警戒した声で言った。
フェリクスは、気にした様子もなく答えた。
「いいえ、特には。ただ、殿下のお姿を見かけたので、ご挨拶をと思いまして」
「そうですか」
「では、失礼します。また、授業で」
フェリクスが、優雅に一礼して去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、セラが呟いた。
「あの方、何か企んでいる気がします」
「企んでいる?」
「はい。殿下に近づこうとしています」
「それは、悪いことですか」
「分かりません。でも、注意した方が良いと思います」
セラの言葉に、ルーカスは頷いた。
フェリクスは、敵ではない。
少なくとも、今のところは。
しかし、完全に味方とも言えない。
警戒しておくに越したことはない。
* * *
午後の授業が終わり、ルーカスは訓練場に向かった。
今日は、剣術の自主訓練だ。
セラも、一緒に来てくれている。
「殿下、手袋をしたままで、剣術はできますか」
「やってみないと分かりません」
「では、試してみましょう」
セラが、木剣を差し出した。
ルーカスは、それを受け取った。
手袋越しに、木剣を握る。
感触は、少し違う。
しかし、問題なく握れる。
構えを取り、振ってみる。
木剣は、折れなかった。
力加減も、以前より安定している。
「大丈夫そうですね」
「はい。手袋の影響は、あまりないようです」
「よかったです」
セラが、安堵の表情を浮かべた。
二人で、打ち合いを始める。
セラの動きは、相変わらず洗練されている。
ルーカスは、それを受け止め、反撃する。
しかし、しばらくすると、問題が発生した。
「殿下、手袋が……」
「え?」
ルーカスは、自分の手を見た。
白い手袋が、少し変色している。
熱で、繊維が劣化しているのだ。
「まずいですね。運動すると、体温が上がるようです」
「訓練は、中止しましょう」
「いいえ。もう少し、続けたいです」
「でも、手袋が……」
「大丈夫です。まだ持ちます」
ルーカスが言った。
しかし、セラは納得していない様子だった。
「殿下、無理はしないでください」
「無理ではありません。これは、必要な訓練です」
「必要……」
「はい。僕は、力加減を覚えなければなりません。そのためには、訓練が必要です」
ルーカスが、真剣な顔で言った。
セラが、しばらく黙っていた。
そして、小さくため息をついた。
「……分かりました。ただし、手袋が限界になったら、すぐに止めてください」
「分かりました」
二人は、訓練を再開した。
打ち合いを続ける。
セラの攻撃を受け、反撃する。
その繰り返し。
手袋は、少しずつ変色していったが、まだ持っている。
やがて、訓練の終了時間が来た。
二人は、木剣を置いて、休憩を取った。
「殿下、手袋は大丈夫ですか」
「少し傷んでいますが、まだ使えます」
「よかったです」
セラが、安堵の表情を浮かべた。
ルーカスは、手袋を見つめながら言った。
「マリアさんに、予備を頼んでおいた方が良さそうですね」
「そうですね。消耗品として、いくつか持っておいた方が良いでしょう」
「明日、また購買部に行きます」
「私も、付き添います」
「ありがとうございます」
ルーカスが、セラに微笑んだ。
セラも、微笑み返した。
その瞬間、ルーカスは気づいた。
セラの笑顔を見ると、嬉しい。
その感覚が、以前より強くなっている。
それは、何を意味するのだろう。
分からない。
しかし、悪いことではない気がした。
* * *
その夜、ルーカスは寮の自室で、手袋を眺めていた。
白い魔導繊維の手袋。
少し変色しているが、まだ使える。
この手袋のおかげで、人に触れても火傷させないで済む。
それは、とても大きな進歩だ。
セラのアイデアのおかげだ。
「セラさん……」
ルーカスは呟いた。
セラのことを考えると、胸が温かくなる。
それは、「嬉しい」という感情だと、分かっている。
しかし、それだけではない気がする。
もっと、複雑な何かがあるような気がする。
それが何なのか、まだ分からない。
しかし、いつか分かる日が来るだろう。
人間として生きていく中で、少しずつ学んでいく。
ルーカスは、手袋を大切にしまった。
明日も、この手袋をはめて過ごす。
セラと一緒に。
その思いを胸に、ルーカスは眠りについた。
今夜は、枕が焦げませんように。
そう願いながら。




