第6話:セラ、監督役(仮)に任命される
その日の朝、ルーカスは学院長室に呼び出された。
理由は告げられなかったが、おそらく良い知らせではないだろう。
そう直感していた。
「失礼いたします」
ルーカスは扉をノックし、中に入った。
学院長室は、相変わらず荘厳な雰囲気だった。
壁一面の本棚、磨かれた木の床、大きな窓から差し込む朝日。
そして、執務机の向こうには、学院長が座っていた。
しかし、今日は学院長だけではなかった。
部屋の隅に、もう一人、人影があった。
黒い衣を着た人物。
教会の監察官だった。
「お掛けください、殿下」
学院長が、穏やかな声で言った。
しかし、その目には、緊張の色が浮かんでいた。
ルーカスは、指示された椅子に座った。
監察官の視線が、背中に刺さるように感じられた。
「本日は、殿下に一つ、お伝えしたいことがあります」
「何でしょうか」
「教会から、正式な要請がありました」
学院長の言葉に、ルーカスは身構えた。
教会からの要請。
それは、おそらく「禁忌判定」に関することだろう。
「殿下の『健康状態』を、継続的に監視したい、とのことです」
「監視……」
「はい。具体的には、殿下に『監督役』をつけることになりました」
「監督役?」
ルーカスは、首を傾げた。
監督役とは、何だろう。
警備員のようなものか。
それとも、監視員か。
「監督役は、殿下の日常生活に同行し、『異常』がないかを確認する役割です」
学院長が説明した。
その言葉を聞いて、ルーカスは理解した。
つまり、自分は監視されるのだ。
教会によって。
「その監督役は、誰が?」
「それについて、私から提案があります」
学院長が、少し声を落とした。
監察官を意識しているようだった。
「教会は、監察官を監督役として派遣したいと言っています。しかし、私は、それに反対しました」
「反対……」
「はい。監察官が常に殿下に張り付くのは、殿下の学院生活に支障をきたします。また、他の生徒にも不安を与えます」
学院長の言葉に、ルーカスは頷いた。
確かに、監察官が常に隣にいたら、普通の学院生活は送れないだろう。
「そこで、代案を出しました」
「代案?」
「はい。監督役は、学院の生徒から選ぶ、という提案です」
「学院の生徒……」
「具体的には、騎士科の生徒です。騎士志望の者なら、『護衛』という名目で、自然に殿下に同行できます」
学院長の説明を聞いて、ルーカスは少し安堵した。
監察官よりは、学院の生徒の方がマシだ。
少なくとも、四六時中監視されている、という圧迫感は減るだろう。
「教会も、その提案を受け入れました。ただし、条件があります」
「条件?」
「監督役は、定期的に報告書を提出すること。殿下に『異常』があれば、すぐに教会に報告すること。この二点です」
「……分かりました」
ルーカスは頷いた。
報告書。
つまり、監督役が自分の行動を記録し、教会に提出するということだ。
完全な監視ではないが、それに近い。
「では、監督役の選定についてですが……」
学院長が言いかけたところで、部屋の扉がノックされた。
「失礼します」
扉が開き、一人の生徒が入ってきた。
赤茶色の髪を一つに束ねた、凛とした雰囲気の少女。
セラだった。
「お呼びですか、学院長」
「ああ、セラフィーナ・ヴェルディ。待っていたよ」
学院長が、セラを手招きした。
セラが、ルーカスの隣に立った。
その視線が、一瞬だけルーカスと交わった。
「セラフィーナ・ヴェルディ。騎士科二年、成績優秀、品行方正。君を、第三王子殿下の『監督役(仮)』に任命したい」
「監督役……(仮)?」
セラが、眉をひそめた。
「仮」という言葉に、引っかかりを感じているようだった。
「正式な任命は、教会の承認を得てからになる。今は、暫定的な任命だ」
「承知しました。ただ、具体的に何をすればいいのですか」
「殿下に同行し、『異常』がないかを確認する。そして、定期的に報告書を提出する。それだけだ」
「……それだけ、ですか」
セラの声には、疑いの色が混じっていた。
彼女も、この任務の本質を理解しているのだろう。
これは、監視任務だ。
「もちろん、護衛としての役割もある。殿下の身の安全を守ることも、君の任務だ」
「護衛……」
セラが、少し目を輝かせた。
騎士志望の彼女にとって、「護衛」は魅力的な任務なのだろう。
「どうだ、引き受けてくれるか」
「……はい。引き受けます」
セラが、きっぱりと答えた。
その声には、決意が込められていた。
学院長が、安堵の表情を浮かべた。
監察官は、相変わらず無表情だった。
ルーカスは、セラの横顔を見つめていた。
「殿下、何かご質問は?」
学院長が問いかけた。
ルーカスは、少し考えてから口を開いた。
「セラさんが監督役になるのは、ありがたいことです。ただ、一つ確認させてください」
「何でしょう」
「これは、セラさん自身の意思ですか。それとも、命令ですか」
ルーカスの問いかけに、部屋が静まり返った。
セラが、驚いたような顔でルーカスを見た。
学院長も、少し戸惑っているようだった。
「殿下、それは……」
「セラさんには、騎士になるという夢があります。その夢に、この任務がどう影響するのか、知りたいのです」
ルーカスが、まっすぐにセラを見た。
セラの目が、少し揺れた。
「殿下……」
「もし、この任務がセラさんの夢の妨げになるなら、断ってもいいのです。僕は、セラさんに迷惑をかけたくありません」
ルーカスの言葉に、セラが息を呑んだ。
しばらく沈黙が続いた。
「……殿下」
セラが、口を開いた。
その声は、静かだが、力強かった。
「これは、私の意思です」
「本当ですか」
「はい。騎士志望として、『護衛』の経験は貴重です。それに……」
セラが、言葉を区切った。
少し、頬が赤くなっているように見えた。
「殿下を、放っておけないからです」
「……」
「以前も言いました。殿下を見ていると、放っておけないのです。だから、この任務を引き受けます。私の意思で」
セラが、きっぱりと言った。
その目には、強い意志が宿っていた。
ルーカスは、その言葉を聞いて、胸が温かくなるのを感じた。
セラは、自分のために引き受けてくれた。
命令ではなく、自分の意思で。
「……ありがとうございます、セラさん」
「礼を言う必要は、ありません」
「いいえ。言わせてください」
ルーカスが、頭を下げた。
適切な角度で。
セラが、小さくため息をついた。
「……どういたしまして」
その一言に、ルーカスは笑顔になった。
* * *
学院長室を出た後、ルーカスとセラは廊下を並んで歩いていた。
監察官は、先に去っていった。
二人きりになって、セラが口を開いた。
「殿下」
「はい」
「あの質問、驚きました」
「どの質問ですか」
「私の意思かどうか、という質問です」
「ああ、あれですか」
ルーカスが頷いた。
セラが、不思議そうな顔をしていた。
「なぜ、あんな質問を?」
「セラさんに、無理をしてほしくなかったからです」
「無理……」
「はい。命令だから引き受ける、というのは、セラさんにとって良くないと思いました」
ルーカスが正直に答えた。
セラが、しばらく黙っていた。
「……殿下は、本当に不思議な方ですね」
「よく言われます」
「普通、王子殿下は、他人の意思など気にしません」
「そうなのですか」
「はい。命令すれば、従うのが当然だと思っています」
「……僕は、命令するのが苦手です」
ルーカスが言った。
セラが、首を傾げた。
「苦手?」
「はい。誰かに何かを強制するのは、あまり良い気分ではありません」
「……」
「セラさんが自分の意思で引き受けてくれて、嬉しかったです」
ルーカスが、微笑んだ。
その笑顔を見て、セラが少し顔を赤くした。
「……殿下」
「はい」
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「殿下は、私のことを、どう思っていますか」
セラの問いかけに、ルーカスは少し考えた。
セラのことを、どう思っているか。
それは、難しい質問だった。
「……セラさんは、僕を助けてくれる人です」
「それだけ、ですか」
「いいえ。それだけではありません」
「では、何ですか」
セラが、まっすぐにルーカスを見ている。
その視線は、真剣だった。
「セラさんは……大切な人、だと思います」
「大切……」
「はい。以前、セラさんが教えてくれました。いなくなったら困る人が、大切な人だと」
「……」
「セラさんがいなくなったら、僕は困ります。とても困ります。だから、セラさんは大切な人です」
ルーカスが、正直に答えた。
セラの顔が、みるみる赤くなっていった。
「殿下……それは……」
「何か、おかしなことを言いましたか」
「い、いえ……おかしくは、ないですが……」
セラが、しどろもどろになっている。
ルーカスには、その理由が分からなかった。
「セラさん?」
「な、何でもありません!」
セラが、急に声を荒げた。
そして、足早に歩き始めた。
「セラさん、待ってください」
ルーカスが追いかける。
セラは振り返らず、どんどん歩いていく。
「セラさん、どうしたのですか」
「どうもしません!」
「でも、顔が赤いです」
「赤くありません!」
セラが叫んだ。
しかし、その顔は明らかに赤かった。
ルーカスは、首を傾げた。
何がセラをそんなに動揺させているのか、分からなかった。
「大切な人」と言ったのが、何か問題だったのだろうか。
* * *
昼食の時間になった。
ルーカスとセラは、一緒に食堂に向かった。
監督役としての任務が、早速始まったのだ。
「今日から、私が殿下に同行します」
「はい。よろしくお願いします」
「報告書は、毎日提出します。殿下の行動を、詳しく記録します」
「分かりました」
セラの言葉に、ルーカスは頷いた。
監視される、という状況は、あまり気分の良いものではなかった。
しかし、監視するのがセラなら、まだマシだ。
「殿下、一つ確認させてください」
「何でしょうか」
「私は、殿下の味方です。報告書には、事実だけを書きます。嘘は書きません」
「……ありがとうございます」
「ただし、『異常』があれば、それも報告しなければなりません。それは、ご理解ください」
「はい。分かっています」
ルーカスは頷いた。
セラは、味方だ。
しかし、任務は任務だ。
報告書には、事実を書かなければならない。
それは、仕方のないことだ。
食堂に着いた。
相変わらず、人でごった返している。
匂い、音、熱、視線。
ノイズの嵐が、押し寄せてくる。
「殿下、大丈夫ですか」
「はい。まだ、大丈夫です」
ルーカスは、深呼吸した。
セラが隣にいる。
その存在が、アンカーになる。
二人で、壁際の席に座った。
トレーを取り、料理を選び、席に戻る。
その一連の動作が、以前より楽になっている気がした。
「殿下、様子が良さそうですね」
「はい。慣れてきたのかもしれません」
「それは、良いことです」
セラが、少し微笑んだ。
その笑顔を見て、ルーカスの胸が温かくなった。
食事をしながら、二人は会話を続けた。
授業のこと、訓練のこと、日常のこと。
他愛もない話だったが、ルーカスにとっては新鮮だった。
誰かと、こうして食事をしながら話す。
それは、前世にはなかった経験だ。
「殿下」
「はい」
「私のこと、本当に大切だと思っていますか」
セラが、唐突に問いかけた。
その目は、少し不安そうだった。
「はい。思っています」
「……本当に?」
「はい。嘘は言いません」
ルーカスが、まっすぐにセラを見た。
セラが、少し顔を赤くした。
「……ありがとうございます」
「いいえ。事実を言っただけです」
「殿下は、本当に正直ですね」
「嘘をつくのは、苦手なので」
ルーカスが微笑んだ。
セラも、小さく微笑んだ。
その瞬間、ルーカスは気づいた。
セラの笑顔を見ると、胸が温かくなる。
それは、「嬉しい」という感情なのかもしれない。
セラが笑ってくれると、嬉しい。
セラが困っていると、助けたくなる。
それが、「大切に思う」ということなのだろう。
ルーカスは、少しずつ理解し始めていた。
* * *
食事を終えて、食堂を出る。
廊下を歩きながら、セラが口を開いた。
「殿下」
「はい」
「監督役として、一つお願いがあります」
「何でしょうか」
「危険なことは、しないでください」
「危険なこと……」
「はい。無理をして、身体を壊したり、教会に目をつけられるようなことをしたり。そういうことは、避けてください」
セラの声は、真剣だった。
ルーカスは、頷いた。
「分かりました。気をつけます」
「本当に分かっていますか」
「……たぶん」
「たぶん、ではダメです」
セラが、厳しい目でルーカスを見た。
その視線は、マーガレット先生に似ていた。
「殿下は、自分の身体を軽く見ているところがあります」
「そうでしょうか」
「はい。熱湯を熱いと感じない、木剣を粉砕する。それを、普通のことのように言います」
「……」
「それは、普通ではありません。殿下の身体は、普通ではありません。だから、もっと慎重になってください」
セラの言葉が、ルーカスの胸に響いた。
自分の身体を軽く見ている。
それは、言われてみれば、その通りかもしれない。
「分かりました。気をつけます」
「本当ですか」
「はい。本当です」
ルーカスが、真剣な顔で答えた。
セラが、少し表情を和らげた。
「……ありがとうございます」
「いいえ。セラさんに心配をかけたくないので」
「殿下……」
セラが、何かを言いかけた。
しかし、言葉は続かなかった。
代わりに、小さくため息をついた。
「……殿下は、本当に不思議な方ですね」
「よく言われます」
「でも、嫌いではないです」
「ありがとうございます」
ルーカスが微笑んだ。
セラも、微笑み返した。
二人は、並んで廊下を歩いた。
監督役と、監督される側。
しかし、その関係は、もっと別の何かに変わり始めている気がした。
「セラさん」
「はい」
「僕、危険物なんですか?」
ルーカスが、唐突に問いかけた。
セラが、目を丸くした。
「……何ですか、急に」
「監督役がつく、ということは、僕は危険物として扱われている、ということですよね」
「……」
「教会は、僕を『禁忌』として監視しています。つまり、僕は危険物なのです」
ルーカスが、淡々と言った。
その言葉に、セラは何も答えられなかった。
「……殿下」
「はい」
「殿下は、危険物ではありません」
セラが、きっぱりと言った。
その目には、強い意志が宿っていた。
「教会が何と言おうと、私は殿下を危険物とは思いません。殿下は、私の大切な人です」
「……セラさん」
「だから、心配しないでください。私が、殿下を守ります」
セラの言葉が、ルーカスの胸に深く響いた。
大切な人。
セラも、自分を大切に思ってくれている。
それが、とても嬉しかった。
「……ありがとうございます」
ルーカスの目から、また涙がこぼれそうになった。
慌てて、瞬きで抑える。
「殿下、泣いているのですか」
「いいえ。目に、ゴミが」
「嘘が下手ですね」
「……はい」
ルーカスが、少し笑った。
セラも、笑った。
二人の間に、温かい空気が流れていた。
監督役と、監督される側。
しかし、それ以上の何かが、確実に芽生え始めていた。




