表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしとんでもロボが異世界の第三王子に転生したら  作者: とま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/15

第5話:医務室の先生が一番怖い

 定期健康診断の日が来た。


 学院では、月に一度、全生徒が医務室で健康診断を受けることになっている。


 ルーカスにとっては、最も避けたい行事の一つだった。




「殿下、本日は健康診断です」


 侍従のグスタフが、朝食の場で告げた。


 ルーカスは、パンを噛む手を止めた。




「……マーガレット先生のところですか」


「はい。午前中に、お越しください」


「分かりました」


 ルーカスは、淡々と答えた。


 しかし、内心では不安を感じていた。


 いや、不安という感情が正しいのか分からないが、胸の奥に重いものがある。




 マーガレット・ホーソン。


 学院の医務官であり、ルーカスの「異常」を知る数少ない人物の一人だ。


 彼女は、ルーカスの身体に起きている変化を、詳細に記録している。


 その目は、常に鋭く、容赦がない。




 正直に言えば、マーガレット先生は「怖い」。


 怖い、という感情を理解し始めたのは、彼女のおかげかもしれなかった。




 * * *




 午前10時、ルーカスは医務室の前に立っていた。


 白い扉が、威圧感を放っている。


 いや、扉に威圧感はない。


 威圧感を感じているのは、自分の心だ。




「……入ります」


 ルーカスは、扉をノックした。




「どうぞ」


 中から、マーガレットの声が聞こえた。


 扉を開けて、中に入る。




 医務室は、相変わらず清潔で、整然としていた。


 白い壁、白いベッド、白い棚。


 消毒薬の匂いが、鼻をくすぐる。


 そして、部屋の奥に、マーガレットが立っていた。




「いらっしゃい、殿下。お待ちしていました」


 銀縁の眼鏡の奥で、彼女の目が光った。


 その視線は、獲物を見つけた狩人のようだった。




「……よろしくお願いします、マーガレット先生」


「では、診察台に座ってください」


 ルーカスは、言われるままに診察台に座った。


 マーガレットが、様々な器具を準備している。


 聴診器、血圧計、体温計。


 そして、いくつかの見慣れない器具。




「今日は、いつもより詳しく調べます」


「……何か、問題が?」


「問題だらけですよ、殿下」


 マーガレットが、鋭い目でルーカスを見た。


 その視線に、ルーカスは身をすくめた。




「先日の食堂での件、聞きました」


「……はい」


「感覚過敏で倒れた、と」


「はい」


「それは、以前より悪化しているということですね」


「……たぶん」


 ルーカスが正直に答えた。


 マーガレットが、ため息をついた。




「殿下、私は何度も言っていますが、無理は禁物です」


「分かっています。でも、避けられない状況もあります」


「それは、理解しています。だからこそ、詳しく調べる必要があるのです」


 マーガレットが、聴診器を取り出した。


 ルーカスは、上着を脱いだ。




「深呼吸をしてください」


 ルーカスは、言われた通りにした。


 マーガレットが、聴診器を胸に当てる。


 その表情が、みるみる険しくなっていった。




「……心拍数が、また上がっていますね」


「そうですか」


「通常の1.5倍です。前回は1.3倍でした」


「……」


「つまり、心臓も強化されているということです」


 マーガレットが、聴診器を外した。


 その目が、真剣だった。




「殿下、正直に答えてください」


「はい」


「身体の変化を、自分で感じていますか」


「……はい」


「どのような変化ですか」


 ルーカスは、少し考えた。


 どこまで話すべきか。


 しかし、マーガレットは味方だ。


 隠しても、意味がない。




「骨が、硬くなっている気がします」


「骨が」


「はい。以前より、衝撃に強くなっています」


「他には?」


「皮膚が、熱に強くなっています。熱湯を触っても、熱いと感じません」


「他には?」


「感覚が、鋭くなっています。音、匂い、温度、すべてが以前より強く感じられます」


「他には?」


「……筋力が、上がっている気がします。木剣を握ると、砕けそうになります」


 ルーカスが、すべてを話した。


 マーガレットが、メモを取りながら聞いていた。


 その表情は、険しいままだった。




「殿下、それは『自己修復』ではありません」


「え?」


「それは、『進化』です」


 マーガレットが、重い声で言った。


 ルーカスは、その言葉の意味を考えた。




「進化……?」


「はい。殿下の身体は、勝手に『より強く』なろうとしています。それは、単なる修復ではありません。生物として、進化しているのです」


「……」


「問題は、その進化が止まらないことです。このままでは、殿下の身体は、人間の範疇を超えてしまうかもしれません」


 マーガレットの言葉が、ルーカスの胸に突き刺さった。


 人間の範疇を超える。


 それは、つまり――




「僕は、人間ではなくなる、ということですか」


「可能性の話です。確定ではありません」


「でも、可能性がある」


「はい。あります」


 マーガレットが、正直に答えた。


 その誠実さが、逆に怖かった。




「止める方法は、ないのですか」


「今のところ、分かりません。調べてはいますが、こんな症例は前例がないのです」


「……」


「ただ、一つ言えることがあります」


「何ですか」


「進化の速度は、一定ではありません。刺激が多いほど、速くなるようです」


 ルーカスは、その言葉の意味を理解した。


 食堂で倒れたこと、剣術で力が入りすぎること。


 それらは、身体に「刺激」を与えている。


 その結果、進化が加速しているのだ。




「つまり、刺激を減らせば、進化も遅くなる、と」


「理論上は、そうです。しかし、学院生活で刺激を完全に避けることは、不可能でしょう」


「……はい」


「だからこそ、私は殿下に言っているのです。無理は禁物だと」


 マーガレットが、厳しい目でルーカスを見た。


 その視線に、ルーカスは背筋が伸びた。




「分かりました。気をつけます」


「本当に分かっていますか」


「……たぶん」


「たぶん、ではダメです」


 マーガレットが、ため息をついた。


 そして、ルーカスの肩に手を置いた。




「殿下、私はあなたの味方です。だから、厳しいことも言います」


「はい」


「進化が進めば、教会の監察官も黙っていないでしょう。『禁忌』として、処分される可能性があります」


「……」


「それを避けるためにも、今は目立たないことが重要です。分かりますね?」


「はい。分かりました」


 ルーカスが頷いた。


 マーガレットが、少しだけ表情を和らげた。




「良い子ですね。では、続きの検査をしましょう」


 マーガレットが、血圧計を取り出した。


 ルーカスは、腕を差し出した。


 検査は、まだまだ続きそうだった。




 * * *




 健康診断が終わったのは、昼近くだった。


 ルーカスは、医務室を出て、廊下を歩いていた。


 頭の中は、マーガレットの言葉でいっぱいだった。




 進化。


 自分の身体は、勝手に進化している。


 止める方法は、分からない。


 このままでは、人間ではなくなるかもしれない。




「殿下?」


 声をかけられて振り返ると、セラが立っていた。


 騎士科の制服姿で、少し息が上がっている。


 探していたのだろうか。




「セラさん。どうしましたか」


「健康診断が終わったと聞いて。様子を見に来ました」


「……ありがとうございます」


「何か、あったのですか。顔色が悪いですが」


 セラが、心配そうにルーカスの顔を覗き込んだ。


 その視線が、温かかった。




「……少し、考え事を」


「考え事?」


「はい。自分の身体のことを」


 ルーカスが、曖昧に答えた。


 すべてを話すのは、まだ早い気がした。


 セラを、巻き込みたくない。




「殿下、何かあれば、言ってください」


「はい」


「私は、殿下の味方です」


「……ありがとうございます」


 ルーカスが、小さく笑った。


 その笑顔が、少し寂しげに見えたのか、セラが眉をひそめた。




「殿下」


「はい」


「一つ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「マーガレット先生に、何か言われたのですか」


 セラの目が、まっすぐにルーカスを見ていた。


 鋭い。


 ルーカスは、少し驚いた。




「……なぜ、そう思うのですか」


「殿下の顔を見れば、分かります。何か、重いことを言われた顔です」


「重いこと……」


「はい。何を言われたのですか」


 セラが、真剣な表情で問いかけた。


 ルーカスは、どう答えるべきか迷った。




 すべてを話すべきか。


 それとも、黙っておくべきか。


 セラを巻き込みたくない、という気持ちがある。


 しかし、隠し通せるとも思えない。




「……セラさん」


「はい」


「僕の身体は、普通ではありません」


「それは、知っています」


「いいえ、もっと深刻なのです」


 ルーカスが、声を落とした。


 セラが、真剣な顔で聞いている。




「僕の身体は、勝手に『進化』しています」


「進化……?」


「はい。より強く、より速く、より頑丈に。それが、止まらないのです」


「……」


「このままでは、僕は……人間ではなくなるかもしれません」


 ルーカスが、正直に言った。


 セラが、目を見開いた。




「人間ではなくなる……?」


「可能性の話です。でも、ゼロではありません」


「……」


 セラが、しばらく黙り込んだ。


 その表情は、ルーカスには読み取れなかった。


 怖い。


 セラが、自分を拒絶するかもしれない。


 そう思うと、胸が締め付けられた。




「殿下」


「……はい」


「それでも、私は殿下の味方です」


 セラが、きっぱりと言った。


 その目には、強い意志が宿っていた。




「え……」


「人間ではなくなる、と言いましたね」


「はい」


「でも、殿下は今、人間として悩んでいます。人間として、苦しんでいます。それは、人間の証拠です」


「……」


「私は、殿下が人間でなくなるとは思いません。殿下は、人間です。今も、これからも」


 セラの言葉が、ルーカスの胸に響いた。


 人間として悩み、苦しむ。


 それが、人間の証拠。




「……セラさん」


「はい」


「ありがとうございます」


 ルーカスの目から、涙が一粒、こぼれ落ちた。


 涙。


 それは、初めての経験だった。




「殿下……泣いているのですか」


「……分かりません。目から、水が……」


「それは、涙です」


「涙……」


「はい。悲しいときや、嬉しいときに、出るものです」


 セラが、少し驚いたような顔をしていた。


 しかし、すぐに表情を和らげた。




「今のは、どちらですか。悲しいのですか、嬉しいのですか」


「……分かりません。両方、かもしれません」


「両方……」


「セラさんの言葉が、嬉しかったです。でも、自分が人間でなくなるかもしれない、という不安も消えません。だから、両方です」


 ルーカスが、涙を拭いながら言った。


 セラが、小さく笑った。




「殿下は、本当に正直ですね」


「嘘をつくのは、苦手です」


「分かっています」


 セラが、ルーカスの肩に手を置いた。


 その手の温かさが、ノイズではなく、「確かなもの」として感じられた。




「殿下、一緒に頑張りましょう」


「一緒に……」


「はい。殿下が人間でいられるように、私も手伝います」


「……ありがとうございます」


 ルーカスが、また涙を流した。


 今度は、嬉しさの涙だった。


 たぶん。




 * * *




 その日の午後、ルーカスは中庭のベンチに座っていた。


 セラは、騎士科の授業に戻った。


 一人になって、ルーカスは考えていた。




 進化。


 自分の身体は、勝手に強くなっている。


 それは、止められない。


 しかし、遅くすることはできるかもしれない。




 刺激を減らす。


 目立たない。


 無理をしない。




 それが、今の自分にできることだ。




 しかし、それだけでいいのだろうか。


 受け身で、守りに入るだけでいいのか。


 もっと、能動的に何かできないのか。




「……分からないな」


 ルーカスは呟いた。


 答えは、見つからなかった。




 ふと、視線を感じた。


 顔を上げると、中庭の向こうに、誰かが立っていた。


 黒い衣を着た人物。


 教会の監察官だった。




 監察官は、ルーカスをじっと見つめていた。


 その目は、冷たく、鋭かった。


 値踏みするような、観察するような視線。




 ルーカスは、その視線を受け止めた。


 恐怖を感じる。


 しかし、逃げるわけにはいかない。


 ここで逃げれば、疑惑が深まるだけだ。




 しばらくして、監察官は踵を返して去っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、ルーカスは胸の中で誓った。




 人間として、生きる。


 どんなに身体が変わっても、心は人間のままでいる。


 セラが言ってくれたように。




「僕は、人間です」


 ルーカスは呟いた。


 その言葉を、自分に言い聞かせるように。




 空には、雲が流れていた。


 風が、木々を揺らしていた。


 平和な午後だった。


 しかし、ルーカスの心には、暗い影が落ちていた。




 教会の監察官。


 彼らは、ルーカスを「禁忌」として狙っている。


 進化が進めば、その疑惑は確信に変わるだろう。


 そのとき、何が起きるのか。




 隔離か、処分か。


 どちらにせよ、良い結果にはならない。




「だから、止めなければ」


 ルーカスは、拳を握った。


 進化を止める方法を、見つけなければならない。


 そのために、何をすべきか。




 答えは、まだ見つからない。


 しかし、諦めるわけにはいかない。


 人間として生きるために。


 セラの期待に応えるために。




 ルーカスは、立ち上がった。


 まずは、今日できることをやる。


 それが、前に進む唯一の方法だ。




 中庭を後にしながら、ルーカスは空を見上げた。


 雲の隙間から、太陽の光が差し込んでいた。


 その光は、希望の象徴のように見えた。




 希望。


 それは、まだ手の届く場所にある。


 そう信じて、ルーカスは歩き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ