第23話:一回戦、"寸止め"という概念を学ぶ
本選初日。
剣術部門の一回戦が始まった。
会場には、昨日よりも多くの観客が集まっていた。
「殿下、緊張していますか」
「少しだけ」
「大丈夫です。いつも通りにやれば」
「いつも通り……」
ルーカスは、セラの言葉を噛み締めた。
いつも通り。
それが、一番難しいのだが。
* * *
「一回戦、第三王子ルーカス殿下対、カール・シュミット」
審判の声が響いた。
ルーカスは、ふわふわ棒を持って闘技場に入った。
昨日と同じ、巨大な訓練棒だ。
「また、あのふわふわ棒か……」
「昨日の予選、見たか?」
「ああ。相手が吹っ飛んでたな」
「柔らかいのに、どうやって……」
観客席から、囁き声が聞こえる。
ルーカスは、それを無視しようとした。
しかし、聞こえてしまう。
すべてが、聞こえてしまう。
「殿下、お手柔らかに」
対戦相手のカールが、苦笑しながら言った。
騎士科の三年生だ。
体格が良く、落ち着いた雰囲気を持っている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「昨日の予選、見させていただきました。正直、怖いですよ」
「怖い……」
「はい。ふわふわ棒で人を吹っ飛ばすなんて、聞いたことがありません」
「すみません。力加減が、まだ上手くできなくて」
「いえ、謝らないでください。実力があるのは、良いことです」
カールが、にこりと笑った。
彼は、他の相手と違って、恐れている様子がなかった。
むしろ、楽しんでいるようだった。
「では、全力でお相手してください」
「はい。やってみます」
二人が、構えを取った。
審判が、二人の間に立つ。
「試合、開始!」
* * *
カールが、前に踏み出した。
木剣を構え、じりじりと距離を詰めてくる。
慎重な動きだ。
昨日の試合を見て、警戒しているのだろう。
ルーカスは、ふわふわ棒を構えた。
今日は、本当に軽く当てよう。
いや、当てないくらいがいいかもしれない。
寸止め。
そうだ、寸止めをしよう。
「来ます」
カールが、一気に距離を詰めてきた。
木剣が、横一文字に振られる。
速い。
しかし、見える。
ルーカスは、後ろに下がった。
攻撃を避ける。
反撃はしない。
「おや、反撃しないのですか」
「はい。様子を見ています」
「では、もう一度」
カールが、再び攻撃を仕掛けてくる。
今度は、突きだ。
鋭い一撃が、ルーカスに向かってくる。
ルーカスは、横に避けた。
そして、ふわふわ棒を振り上げた。
カールの胴体に向かって。
しかし、途中で止めた。
当たる直前で。
寸止めだ。
「……」
カールが、目を丸くした。
ふわふわ棒は、彼の胴体の数センチ手前で止まっていた。
完璧な寸止めだった。
「殿下、今のは……」
「寸止めです」
「寸止め……」
「当てると、また吹っ飛ばしてしまうかもしれないので」
「なるほど……」
カールが、困惑した表情を浮かべた。
しかし、すぐに表情を引き締めた。
「では、私も本気で行きます」
「お願いします」
カールが、再び攻撃を仕掛けてくる。
今度は、連続攻撃だ。
斬りつけ、突き、払い、薙ぎ。
次々と攻撃が繰り出される。
ルーカスは、すべてを避けた。
そして、隙を見つけてふわふわ棒を振る。
しかし、当てない。
寸止めする。
一度、二度、三度。
何度も寸止めを繰り返した。
「殿下、当ててくださいよ」
「でも、吹っ飛ばしたくないので」
「吹っ飛ばしてください。そうしないと、試合になりません」
「でも……」
ルーカスは、困惑していた。
当てれば、相手を傷つけてしまう。
当てなければ、試合にならない。
どうすればいいのだろうか。
* * *
試合は、膠着状態に陥っていた。
カールが攻撃し、ルーカスが避ける。
ルーカスが反撃し、寸止めする。
その繰り返しだった。
「殿下、お願いですから、当ててください」
「でも……」
「大丈夫です。私は、三年生です。多少の衝撃には耐えられます」
「本当ですか」
「本当です。だから、遠慮なく」
カールが、真剣な目で言った。
ルーカスは、少し考えた。
そして、頷いた。
「分かりました。軽く当てます」
「お願いします」
カールが、また攻撃を仕掛けてきた。
ルーカスは、その攻撃を避けた。
そして、カウンターを放った。
ふわふわ棒を、カールの肩に向かって振り下ろす。
軽く。
本当に軽く。
羽毛が落ちるように。
しかし、当たる直前。
カールの顔が、強張った。
そして、彼は自分から倒れた。
「……え」
ルーカスは、困惑した。
ふわふわ棒は、カールに当たっていない。
まだ、数センチの距離があった。
しかし、カールは倒れていた。
「カール殿、大丈夫ですか」
審判が、駆け寄った。
カールは、地面に座り込んでいた。
顔は青ざめていた。
「だ、大丈夫です……足が、もつれただけです」
「足が?」
「はい。殿下の攻撃を見て、思わず後ろに下がろうとしたら……」
「……」
ルーカスは、言葉を失った。
カールは、攻撃を受ける前に、自分から倒れたのだ。
恐怖で。
「僕、触れてないのに……」
小さく呟いた。
その言葉が、静まり返った会場に響いた。
「勝者、第三王子ルーカス殿下!」
審判が、宣言した。
会場は、奇妙な沈黙に包まれていた。
* * *
「殿下……」
セラが、控え室で待っていた。
その表情は、複雑だった。
「触れてないのに、勝ちました」
「見ていました」
「どうすればいいか、分からなくなりました」
「……」
セラも、言葉が見つからないようだった。
ルーカスは、椅子に座り込んだ。
ふわふわ棒を、膝の上に置く。
柔らかくて、優しい武器。
しかし、それでも相手を恐れさせてしまう。
「僕の存在自体が、怖いのでしょうか」
「殿下……」
「武器を当てなくても、勝ってしまう。それは、強いのでしょうか。それとも、おかしいのでしょうか」
「おかしくはありません」
セラが、きっぱりと言った。
ルーカスが、顔を上げた。
「おかしくないですか」
「はい。殿下は、相手を傷つけまいとして、寸止めをしていました。それは、優しさです」
「優しさ……」
「相手が自分から倒れたのは、殿下のせいではありません。相手の問題です」
「でも、僕が怖かったから……」
「それは、殿下が悪いわけではありません」
セラが、ルーカスの手を握った。
手袋越しでも、温かさが伝わってきた。
「殿下は、悪くありません。何も、悪くありません」
「セラさん……」
「だから、自分を責めないでください」
セラの目には、涙が浮かんでいた。
ルーカスも、目頭が熱くなった。
「ありがとうございます」
「いいえ」
「セラさんがいてくれて、良かったです」
「……はい」
二人は、しばらく手を握り合っていた。
静かな時間が、流れていった。
* * *
控え室の外では、噂が広まっていた。
「聞いたか? 第三王子の試合」
「ああ。触れずに勝ったって?」
「そうらしい。相手が、恐怖で自滅したって」
「怖すぎるだろ……」
「やっぱり、普通じゃないんだな」
「禁忌だって噂、本当かもしれないぞ」
囁き声が、廊下に響いていた。
ルーカスの異常さが、また話題になっている。
それを聞いて、セラの表情が曇った。
「殿下、噂が……」
「聞こえています」
「大丈夫ですか」
「慣れました」
ルーカスが、淡々と答えた。
しかし、その声には、悲しみが滲んでいた。
「セラさん、僕は次の試合も、寸止めをした方がいいでしょうか」
「……分かりません」
「当てれば吹っ飛ばす。当てなければ自滅させる。どちらも、良くない気がします」
「そうですね……」
二人は、考え込んだ。
どうすれば、普通に戦えるのだろうか。
答えは、なかなか見つからなかった。
* * *
午後の試合が始まる前、ルーカスは一人で闘技場の隅にいた。
ふわふわ棒を持って、素振りをしていた。
軽く振る。
もっと軽く。
羽毛のように。
風のように。
「難しいな……」
力を抜いても、威力が出てしまう。
自分の身体が、どれだけ強くなっているのか、改めて実感した。
「殿下」
声をかけられて、振り返った。
カール・シュミットだった。
さっきの対戦相手だ。
「カールさん」
「少し、話をしてもいいですか」
「はい」
カールが、隣に立った。
二人で、闘技場を見つめる。
「さっきは、すみませんでした」
「何がですか」
「自分から倒れてしまって。殿下に失礼でした」
「いいえ。そんなことは……」
「殿下は、寸止めをしてくれました。私を傷つけまいとして。それなのに、私は恐怖で自滅してしまった」
「……」
「情けない話です」
カールが、苦笑した。
ルーカスは、何と言えばいいか分からなかった。
「殿下、一つ教えてください」
「何ですか」
「なぜ、ふわふわ棒を使っているのですか」
「……安全だからです」
「安全?」
「はい。木剣は、折れてしまうので。相手を傷つけないように、柔らかい武器を選びました」
「なるほど……」
カールが、しばらく考え込んだ。
そして、口を開いた。
「殿下は、優しい方ですね」
「優しい……」
「はい。自分の強さを、恐れている。だから、相手を傷つけないように気を遣っている」
「……」
「それは、武人として、とても大切なことです」
「大切……」
「強さだけでは、武人にはなれません。相手を思いやる心が、必要です。殿下には、それがある」
カールの言葉に、ルーカスは胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
「いいえ。私の方こそ、勉強になりました」
「勉強……」
「はい。強さとは何か、考えさせられました。殿下と戦えて、良かったです」
カールが、手を差し出した。
ルーカスは、その手を握った。
「また、機会があれば、手合わせをお願いします」
「はい。今度は、ちゃんと戦いましょう」
「ええ。楽しみにしています」
カールが、にこりと笑った。
ルーカスも、小さく微笑んだ。
* * *
カールが去った後、ルーカスは一人で考えていた。
強さとは何か。
武人とは何か。
前世では、そんなことを考えたことがなかった。
戦闘用ロボットには、「強さ」しかなかった。
敵を倒す。
それだけが、目的だった。
しかし、今は違う。
人間として生きている。
相手を思いやる心がある。
それは、弱さではない。
強さの一部なのだ。
「僕は、強くなりたい」
小さく呟いた。
ただ力が強いだけではなく。
相手を傷つけない強さ。
優しさを持った強さ。
そういう強さを、身につけたい。
「次の試合は、もっと上手くやってみよう」
決意を新たにして、ルーカスは立ち上がった。
ふわふわ棒を握りしめて。
* * *
午後の試合。
二回戦が始まった。
「第三王子ルーカス殿下対、エドワード・グリーン」
審判が、対戦カードを読み上げた。
ルーカスは、闘技場に入った。
対戦相手のエドワードは、貴族科の二年生だった。
細身の青年で、優雅な雰囲気を持っている。
しかし、その目には、鋭い光が宿っていた。
「殿下、お手合わせ願います」
「よろしくお願いします」
二人が、構えを取った。
エドワードは、細身の木剣を持っていた。
スピード重視の構えだ。
「試合、開始!」
審判の合図。
エドワードが、一気に距離を詰めてきた。
速い。
今までの相手の中で、一番速い。
ルーカスは、その攻撃を避けた。
そして、ふわふわ棒を振った。
今度は、寸止めではない。
軽く、当てる。
ボフッ。
柔らかい音がした。
ふわふわ棒が、エドワードの腕に当たった。
本当に軽く。
羽毛が触れるように。
「……」
エドワードが、目を丸くした。
しかし、吹っ飛ばなかった。
その場に、立っていた。
「やった……」
ルーカスが、小さく呟いた。
力加減が、上手くいった。
相手を傷つけずに、攻撃を当てることができた。
「殿下、今のは……」
「軽く当てました」
「軽く……確かに、痛くなかったです」
「良かった」
ルーカスが、ほっとした表情を浮かべた。
エドワードは、困惑しているようだった。
「では、続けましょう」
「はい」
試合が、再開された。
エドワードが攻撃し、ルーカスが避ける。
ルーカスが反撃し、軽く当てる。
その繰り返しだった。
しかし、ルーカスの攻撃は、ダメージを与えていなかった。
軽すぎて、相手に効いていないのだ。
「殿下、もう少し強く打っても大丈夫ですよ」
「でも、吹っ飛ばしたくないので」
「……」
エドワードが、複雑な表情を浮かべた。
試合は、長引いた。
ルーカスの攻撃は当たるが、ダメージがない。
エドワードの攻撃は、ルーカスに当たらない。
勝負が、つかなかった。
「時間です。判定に入ります」
審判が、宣言した。
制限時間が、過ぎてしまったのだ。
「有効打数で判定します。第三王子殿下、十五打。エドワード・グリーン、零打。勝者、第三王子ルーカス殿下」
審判が、結果を発表した。
会場が、静まり返った。
「十五打も当てたのか……」
「でも、全然効いてなかったよな……」
「軽すぎて、ダメージゼロ……」
「それでも勝ちなのか……」
観客席から、囁き声が聞こえた。
ルーカスは、複雑な気持ちだった。
勝ちは勝ちだ。
しかし、これは本当に「勝ち」と言えるのだろうか。
相手を傷つけずに、判定で勝つ。
それは、自分が望んでいた戦い方なのだろうか。
「難しいな……」
ルーカスは、ふわふわ棒を見つめながら、呟いた。
強さと優しさのバランス。
それを見つけるのは、思った以上に難しかった。
* * *
「殿下、二回戦突破おめでとうございます」
セラが、控え室で迎えてくれた。
ルーカスは、小さく頷いた。
「ありがとうございます。でも、複雑です」
「複雑……」
「力を抑えすぎて、ダメージを与えられませんでした。勝ちましたが、試合らしい試合ではありませんでした」
「そうですか……」
「どうすれば、ちょうどいい力加減ができるのでしょうか」
ルーカスの問いかけに、セラは少し考えた。
そして、答えた。
「練習するしかありません」
「練習……」
「はい。力加減は、経験で身につくものです。何度も試して、感覚を掴むしかありません」
「なるほど……」
「今日の試合も、良い経験になったはずです。次は、もっと上手くできると思います」
「そうですか……」
セラの言葉に、ルーカスは少し希望を感じた。
練習すれば、上手くなれる。
それは、人間として当たり前のことだ。
「明日も、試合がありますね」
「はい。三回戦です」
「もっと上手く戦えるように、頑張ります」
「応援しています」
セラが、微笑んだ。
ルーカスも、微笑んだ。
実技祭は、まだ続く。
そして、ルーカスの挑戦も、まだ続く。
「ちょうどいい力加減」を見つけるために。
人間らしく戦うために。




