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もしとんでもロボが異世界の第三王子に転生したら  作者: とま


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第2話:入学式で最敬礼しすぎる王子

 入学式の朝は、快晴だった。


 空は青く澄み渡り、雲ひとつない。


 ルーカスは寮の窓からその空を眺めながら、今日の予定を確認していた。




 入学式。


 正式な儀式としての入学式は、昨日の簡易的なものとは別に行われる。


 王族や高位貴族が出席する、格式高い式典だ。


 ルーカスは第三王子として、来賓席に座ることになる。




「殿下、お支度はよろしいでしょうか」


 侍従のグスタフが、扉の向こうから声をかける。


 ルーカスは鏡の前で、自分の姿を確認した。




 白を基調とした礼服。


 金糸の刺繍が施された上着。


 王家の紋章が刻まれたブローチ。


 一応、王子らしい格好にはなっている。




「準備完了です」


 扉を開けると、グスタフが恭しく頭を下げた。




「本日の式典の流れを、改めてご説明いたします」


「お願いします」


「まず、殿下は来賓席にお座りいただきます。学院長の挨拶の後、来賓紹介がございます。お名前を呼ばれましたら、起立して一礼をお願いいたします」


「一礼」


「はい。軽く頭を下げる程度で結構です。深々と礼をする必要はございません」


「承知しました」


 ルーカスは頷いた。


 軽く頭を下げる。


 それだけのことだ。


 簡単なはずだった。




 * * *




 式典会場は、学院の大講堂だった。


 昨日の入学式とは比べ物にならないほど、荘厳な雰囲気が漂っている。


 壁には歴代学院長の肖像画が掛けられ、床は磨き上げられた大理石。


 シャンデリアが天井から吊り下げられ、魔導灯の光を反射してきらめいている。




 来賓席は、壇上に近い特等席だった。


 ルーカスは案内されるまま、指定された席に座った。


 周囲には、高位貴族の面々が並んでいる。


 公爵、侯爵、伯爵。


 この国の権力者たちが、一堂に会していた。




「おお、第三王子殿下」


 隣の席の老紳士が、にこやかに声をかけてくる。


 白髪に白髭、恰幅の良い体型。


 記憶データベースを検索すると、カルロス・メンドーサ公爵と出た。


 王国でも指折りの名門貴族だ。




「お初にお目にかかります、メンドーサ公爵」


「いやいや、殿下が幼い頃に何度かお会いしておりますぞ。覚えておられぬのも無理はないが」


「申し訳ありません。記憶が曖昧で」


「ははは、気になさらず。今日から学院生活ですな。何かあれば、遠慮なくおっしゃってくだされ」


「ありがとうございます」


 ルーカスは軽く頭を下げた。


 社交辞令というものだろう。


 この世界では、こういったやり取りが重要らしい。




 式典が始まった。


 学院長の挨拶、来賓の祝辞、新入生代表の宣誓。


 昨日とほぼ同じ流れだが、規模と格式が段違いだ。




 そして、来賓紹介の時間になった。


 司会者が、一人ずつ名前を読み上げていく。




「カルロス・メンドーサ公爵閣下」


 隣の老紳士が立ち上がり、優雅に一礼する。


 会場から拍手が起きる。


 メンドーサ公爵は悠然と着席した。




 次々と名前が呼ばれていく。


 侯爵、伯爵、子爵。


 それぞれが立ち上がり、一礼し、着席する。


 流れるような動作だ。




「第三王子、ルーカス・オルディネ殿下」


 自分の名前が呼ばれた。


 ルーカスは立ち上がった。


 そして、礼をした。




 問題は、その「礼」だった。




 ルーカスの身体は、無意識に「最敬礼」の姿勢を取っていた。


 上体を90度に曲げ、両手を体の横にぴたりとつける。


 それは、前世で叩き込まれた、戦闘用ロボットとしての敬礼だった。


 司令官に対する、絶対服従の姿勢。




 しかし、問題はそれだけではなかった。


 ルーカスの身体は、90度どころか、さらに深く曲がっていった。


 額が、膝に近づいていく。


 そして――




 ゴンッ。




 鈍い音が、会場に響いた。


 ルーカスの額が、目の前の机に激突したのだ。




「……」


 会場が静まり返った。


 誰も、何が起きたのか理解できていない様子だった。




 ルーカスは、ゆっくりと上体を起こした。


 額には、机の角の跡がくっきりとついている。


 しかし、痛みはなかった。


 骨格強度が上昇しているおかげだろう。




「……申し訳ありません。礼が深すぎました」


 ルーカスが淡々と言った。


 その言葉に、会場がざわめき始めた。




「殿下、お怪我は……!」


「大丈夫です。問題ありません」


「いえ、額に跡が……」


「跡は残りますが、損傷はありません」


 ルーカスは平然と答えた。


 周囲の人々が、困惑した表情を浮かべている。




 ――また、「普通ではない」反応をしてしまった。


 ルーカスは内心でため息をついた。


 普通の人間なら、額を机に打ちつければ痛がるはずだ。


 少なくとも、顔をしかめるくらいはするだろう。


 しかし、自分にはその反応ができない。


 痛覚が鈍っているからだ。




「し、式を続けます……」


 司会者が動揺しながらも、式を進行させた。


 残りの来賓紹介が行われ、式典は終了した。




 しかし、ルーカスの「最敬礼事件」は、確実に人々の記憶に刻まれていた。




 * * *




 式典後、控室に戻ったルーカスを、グスタフが待ち構えていた。


 老侍従の顔は、蒼白だった。




「殿下……」


「申し訳ありません、グスタフ。礼の加減を間違えました」


「加減の問題ではございません! あれは……あれは……」


 グスタフが言葉を失っている。


 無理もない。


 王子が公式の場で、机に額を打ちつけるなど、前代未聞だろう。




「今後は気をつけます」


「お、お願いいたします……」


 グスタフが力なく頷いた。




 控室を出ると、廊下で誰かとすれ違った。


 赤茶色の髪、凛とした雰囲気。


 セラだった。




「殿下」


「セラさん」


 セラの表情は、いつもの無愛想なものだったが、目元がわずかに引きつっていた。




「式典、見ておりました」


「そうですか」


「あの……礼は、普通に、していただければ」


「普通に」


「はい。普通に」


 セラが真剣な顔で言う。


 ルーカスは首を傾げた。




「普通の礼とは、どの程度の角度ですか?」


「角度……?」


「はい。15度ですか? 30度ですか? 45度ですか?」


「いえ、角度ではなく……」


 セラが困惑した表情を浮かべる。


 どうやら、質問の仕方が間違っていたらしい。




「普通、というのは、感覚的なものです」


「感覚」


「はい。相手への敬意を示しつつ、自分の品位を保つ。そのバランスです」


「バランス……」


 ルーカスは考え込んだ。


 敬意と品位のバランス。


 それは、数値化できないものだ。


 前世の自分には、理解しがたい概念だった。




「難しいですね」


「……はい。でも、練習すれば身につきます」


 セラが少しだけ表情を和らげた。


 慰めているのだろうか。


 それとも、呆れているのだろうか。


 ルーカスには判断がつかなかった。




「セラさん」


「はい」


「教えていただけますか。普通の礼を」


「……私が、ですか?」


「はい。セラさんの礼は、とても綺麗でした」


 式典中、ルーカスはセラの姿も観察していた。


 騎士科の生徒として、彼女も会場にいたのだ。


 その立ち居振る舞いは、無駄がなく、洗練されていた。




「……分かりました。時間があるときに」


「ありがとうございます」


 ルーカスが頭を下げる。


 今度は、浅く。


 机に額を打ちつけない程度に。




「……それくらいで、大丈夫です」


 セラが小さく頷いた。


 その表情に、かすかな笑みが浮かんだ気がした。




 * * *




 その日の午後、ルーカスは教室で授業を受けていた。


 一年生の基礎科目、「王国史」だ。


 教官が黒板に地図を描きながら、オルディネ王国の歴史を説明している。




 しかし、ルーカスの意識は、授業の内容よりも別のところにあった。


 周囲の視線だ。


 クラスメイトたちが、ちらちらとこちらを見ている。


 囁き声も聞こえる。




「あれが、第三王子……」


「式典で、机に頭をぶつけた……」


「怪我してないって、おかしくない?」


「なんか、変わってるよね……」




 ルーカスの聴覚は、そのすべてを拾い上げていた。


 ノイズだ。


 処理すべきではない情報が、大量に流れ込んでくる。




 ――聴覚フィルター、調整中。


 脳内で、自動的に処理が始まる。


 しかし、完全には遮断できない。


 人間の耳は、機械のセンサーほど精密に制御できないのだ。




「殿下?」


 教官が声をかけてきた。


 どうやら、質問されていたらしい。




「申し訳ありません。聞いていませんでした」


 正直に答えた。


 教室がざわめく。


 教官の顔が引きつった。




「……では、改めてお聞きします。オルディネ王国の建国は、何年前ですか?」


「237年前です」


 即答した。


 これは、記憶データベースに登録されている情報だ。




「……正解です」


 教官が複雑な表情を浮かべた。


 聞いていなかったのに答えられる。


 それは、普通ではない。




 ルーカスは、自分がまた「普通ではない」行動をしてしまったことに気づいた。


 しかし、どうすればよかったのか分からない。


 聞いていなかったと言ったのは、正直に答えたかったからだ。


 嘘をつくのは、データの整合性を損なう。


 それは、受け入れがたかった。




 授業が終わり、教室を出る。


 廊下で、数人のクラスメイトに囲まれた。




「殿下、すごいですね!」


「聞いてなかったのに答えられるなんて!」


「もしかして、全部暗記してるんですか?」


 質問が矢継ぎ早に飛んでくる。


 ルーカスの脳が、それぞれを処理しようとする。


 しかし、同時に複数の声が入ってくると、処理が追いつかない。




「あの……一人ずつ、お願いできますか」


「え?」


「同時に話されると、処理が……理解が難しいので」


 クラスメイトたちが、顔を見合わせた。


 また、おかしなことを言ってしまったらしい。




「処理って……何の処理?」


「いえ、何でもありません。つまり、一人ずつ話していただけると助かります」


「あ、はい……」


 クラスメイトたちが、戸惑いながらも頷いた。




 その後、一人ずつ質問に答えた。


 暗記しているわけではない。


 ただ、一度聞いた情報は、記憶に残るだけだ。


 それが「普通ではない」ことは、理解していた。


 しかし、変える方法が分からなかった。




 * * *




 夕方、寮に戻る途中で、再びセラと出会った。


 今度は偶然ではなく、待ち伏せされていたようだった。




「殿下」


「セラさん。何か用ですか?」


「はい。少し、お話があります」


 セラの表情が、いつもより硬い。


 何か、深刻なことを伝えようとしているのだろう。




「どうぞ」


「……式典の件ですが」


「最敬礼の件ですか」


「はい。あれを見た人の中に、教会関係者がいました」


「教会」


「オルディネ正教会です。この国の国教を司る組織です」


 ルーカスは頷いた。


 教会については、ある程度の情報を持っている。


 王国の精神的支柱であり、政治にも影響力を持つ組織だ。




「その教会関係者が、何か?」


「殿下の……その、『異常な耐久性』を、目撃したようです」


「異常な耐久性」


「はい。普通なら、あれだけの衝撃で額を打てば、怪我をします。少なくとも、痛がります。でも、殿下は平然としていました」


「はい。痛くなかったので」


「それが、問題なのです」


 セラが声を落とした。


 周囲を気にしているようだった。




「教会には、『禁忌判定』という制度があります」


「禁忌判定」


「はい。人間として『あるべき姿』から逸脱した者を、『禁忌』として認定する制度です。認定されると……」


「されると?」


「隔離されます。あるいは、最悪の場合……」


 セラが言葉を濁した。


 その先は、言わなくても分かった。


 処分される、ということだろう。




「つまり、僕は『禁忌』と判定される可能性がある、と」


「可能性は、低くありません。殿下の身体は、明らかに普通ではありません」


「……はい。それは、自覚しています」


 ルーカスは頷いた。


 自分の身体が「普通ではない」ことは、十分に理解していた。


 しかし、それが「禁忌」として扱われるとは、思っていなかった。




「なぜ、教えてくれるのですか」


 ルーカスが問いかけた。


 セラは騎士科の生徒だ。


 第三王子に関わることで、彼女自身にも危険が及ぶかもしれない。




「……分かりません」


 セラが正直に答えた。


 その表情は、困惑と、何か別の感情が混ざっているように見えた。




「ただ、放っておけないと思いました」


「放っておけない」


「はい。殿下は……その、危なっかしいので」


「危なっかしい」


「はい。とても」


 セラの目が、まっすぐにルーカスを見ている。


 その視線に、敵意はなかった。


 警戒は、まだある。


 しかし、それ以上に、心配の色が濃い気がした。




「ありがとうございます、セラさん」


「……礼を言われることでは」


「いいえ。教えてもらわなければ、知らずに済ませていました。情報は、とても重要です」


 ルーカスが頭を下げる。


 今度は、適切な角度で。


 15度くらいだろうか。


 セラが少しだけ、表情を緩めた。




「殿下は、やはり変わっていますね」


「はい。自覚しています」


「でも……悪い人では、なさそうです」


「ありがとうございます」


 セラが小さく頷いて、踵を返した。


 その後ろ姿を、ルーカスは見送った。




 禁忌判定。


 それは、新たな問題だった。


 しかし、同時に、一つの指針にもなる。


 「普通の人間」に近づかなければ、危険が増す。


 つまり、「普通」を学ぶことは、生存のために必要なのだ。




「人間として、普通に生きる」


 ルーカスは呟いた。


 それは、想像以上に難しい課題だった。


 しかし、避けては通れない。




 寮に戻り、自室に入る。


 机に向かい、今日の出来事を整理する。




 入学式での最敬礼。


 教会関係者の目撃。


 禁忌判定の存在。


 セラからの警告。




 問題は山積みだ。


 しかし、一つ良いこともあった。


 セラという人物が、味方になってくれそうだということだ。


 少なくとも、敵ではない。




「味方」


 その言葉を、口の中で転がしてみる。


 前世には、なかった概念だ。


 戦闘用ロボットに、味方という概念は存在しない。


 あるのは、司令官と、任務と、敵だけだ。




 しかし、今は違う。


 人間として生きるなら、味方が必要なのだろう。


 セラは、その最初の一人になるかもしれない。




 ルーカスは、小さく笑った。


 笑い方が正しいのかは、分からない。


 しかし、胸の奥に、温かいものが広がった気がした。




 * * *




 翌日、ルーカスは早朝から中庭にいた。


 セラに礼の練習を頼んでいたのを思い出したからだ。


 約束の時間は決めていなかったが、早起きして待つことにした。




 朝の空気は澄んでいて、心地よかった。


 鳥の声が聞こえる。


 風が木々を揺らしている。


 平和な朝だ。




「……殿下?」


 声をかけられて振り返ると、セラが立っていた。


 騎士科の訓練着を着ている。腰には木剣。


 どうやら、朝の訓練に向かう途中だったらしい。




「おはようございます、セラさん」


「おはようございます……なぜ、こんな時間に?」


「礼の練習を、お願いしていたので」


「……時間は決めていませんでしたが」


「はい。なので、早めに来て待っていました」


 セラが絶句した。


 また、おかしなことをしてしまったらしい。




「殿下……普通は、時間を決めてから来ます」


「そうなのですか」


「はい。相手の都合を確認してから」


「なるほど。それは、知りませんでした」


 ルーカスが素直に認めた。


 セラが、深くため息をついた。




「……では、少しだけ。訓練の前に」


「ありがとうございます」


 ルーカスが頭を下げる。


 その動作を、セラがじっと見ていた。




「今の礼は、まあまあです」


「まあまあ」


「はい。もう少し、自然に」


「自然に……」


 難しい注文だ。


 自然に動くとは、どういうことだろう。


 意識せずに動くということか。


 しかし、意識しなければ、また最敬礼をしてしまうかもしれない。




「考えすぎです、殿下」


 セラが言った。


 まるで、心を読んだかのようだった。




「礼は、相手への敬意を示すものです。難しく考える必要はありません」


「敬意」


「はい。相手を大切に思う気持ちを、形にするだけです」


「大切に思う……」


 ルーカスは考え込んだ。


 大切に思う、という感覚が、よく分からない。


 前世には、そんな概念はなかった。




「殿下は、誰かを大切に思ったことは?」


「……分かりません」


「分からない?」


「はい。大切に思う、という感覚が、どういうものか分からないのです」


 正直に答えた。


 セラが、少し驚いたような顔をした。




「……では、こう考えてください。その人がいなくなったら、困る。寂しい。そう思える人が、大切な人です」


「いなくなったら、困る……」


 ルーカスは、その言葉を反芻した。


 いなくなったら、困る人。


 今の自分に、そういう人はいるだろうか。




 グスタフがいなくなったら、困るだろう。


 身の回りの世話をしてくれる人がいなくなれば、不便だ。


 しかし、それは「大切」とは違う気がする。




 では、セラがいなくなったら?


 情報を教えてくれる人がいなくなれば、困る。


 礼の練習も、できなくなる。


 しかし、それも「大切」とは違うような……




「殿下?」


「すみません。考えていました」


「……結論は出ましたか?」


「いいえ。まだ、分かりません」


 ルーカスが首を振った。


 セラが、何とも言えない表情を浮かべた。




「……殿下は、本当に不思議な方ですね」


「よく言われます」


「それは、褒め言葉ではありません」


「そうですか」


 ルーカスが首を傾げた。


 セラが、小さくため息をついた。




「今日の練習は、ここまでにしましょう。訓練の時間です」


「分かりました。ありがとうございました」


 ルーカスが礼をする。


 角度は、15度くらい。


 自然かどうかは、分からない。




「……まあまあです」


 セラがそう言って、足早に去っていった。


 ルーカスは、その後ろ姿を見送った。




 大切に思う、という感覚。


 それは、まだ理解できない。


 しかし、いつか理解できるようになりたい。


 人間として生きるなら、それは必要なことだろうから。




 ルーカスは空を見上げた。


 青い空に、白い雲が浮かんでいる。


 今日も、平和な一日が始まろうとしていた。




 * * *




 その日の夕方、ルーカスは学院長室に呼び出された。


 理由は告げられなかったが、おそらく昨日の入学式の件だろう。




 学院長室は、本館の最上階にあった。


 重厚な扉を開けると、広々とした部屋が広がっていた。


 壁一面の本棚、磨かれた木の床、大きな窓から差し込む夕日。


 そして、部屋の奥にある執務机の向こうに、学院長が座っていた。




「失礼いたします」


 ルーカスが入室し、礼をする。


 今度は、30度くらい。


 学院長は目上の人物だ。少し深めの方がいいだろう。




「お掛けください、殿下」


 学院長が、穏やかな声で言った。


 白髪の老婆で、優しげな顔立ちをしている。


 しかし、その目は鋭い。


 長年、この学院を率いてきた人物だ。伊達ではないのだろう。




「昨日の入学式の件で、お呼びいたしました」


「最敬礼の件ですね」


「はい。あのようなことは、今後お控えください」


「承知しました」


 ルーカスが頷いた。


 学院長の言葉は、穏やかだが、有無を言わせない響きがあった。




「それと、もう一つ」


「はい」


「教会の監察官から、問い合わせがありました」


 ルーカスの脳が、警戒モードに入った。


 セラが言っていた「禁忌判定」の件だろう。




「殿下の『体質』について、詳しく調べたいとのことです」


「体質」


「はい。具体的には、痛覚の鈍さ、異常な耐久性、などです」


「……」


 ルーカスは黙った。


 何と答えるべきか、判断に迷った。




「私は、殿下の味方です」


 学院長が、静かに言った。


 その言葉に、嘘の気配は感じられなかった。




「しかし、教会を無視することはできません。この国において、教会は絶大な力を持っています」


「承知しています」


「では、お願いがあります」


「何でしょうか」


「なるべく、目立たないでください」


 学院長の目が、真剣だった。




「殿下が『普通ではない』ことは、私も承知しています。しかし、それを表に出さなければ、教会も手を出しにくい。今は、時間を稼ぐことが重要です」


「時間を稼ぐ」


「はい。殿下が成長し、自分の身を守る力をつけるまで」


「……」


 ルーカスは、学院長の言葉を咀嚼した。


 つまり、今の自分は弱い、ということだ。


 教会という敵から、身を守る力がない。


 だから、目立たずに時間を稼げ、と。




「承知しました。努力します」


「お願いいたします」


 学院長が、小さく頭を下げた。


 ルーカスも、礼を返した。




 学院長室を出て、廊下を歩く。


 夕日が、窓から差し込んでいる。


 赤い光が、床に長い影を作っていた。




 目立たない。


 それは、難しい注文だ。


 自分の身体は、勝手に「普通ではない」ことをしてしまう。


 意識して制御しなければ、また問題を起こすだろう。




 しかし、やるしかない。


 人間として生きるために。


 この世界で、生き延びるために。




「普通に、なる」


 ルーカスは呟いた。


 その言葉は、誓いのように響いた。




 寮に戻り、自室に入る。


 今日も、焦げた枕を新しいものに替えなければならない。


 自己修復機能が、睡眠中も働き続けているのだ。




「普通に、なるのは、本当に難しいですね」


 ルーカスは、新しい枕を見つめながら呟いた。


 その言葉に答える者は、誰もいなかった。


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