第18話:怪物化の兆候が"見える"事件
その日は、いつもと変わらない一日のはずだった。
午前中の授業を終え、昼食を済ませ、午後の訓練に向かう。
セラと並んで訓練場を歩いていたとき、それは起きた。
「殿下、今日は防御の練習を……殿下?」
セラが、急に言葉を止めた。
ルーカスの顔を、じっと見つめている。
その目には、驚きと恐怖が入り混じっていた。
「セラさん? どうしました」
「殿下、腕が……」
「腕?」
ルーカスは、自分の腕を見下ろした。
そして、息を呑んだ。
皮膚に、金属のような光沢が走っていた。
一瞬のことだったが、確かに見えた。
銀色の、冷たい輝き。
人間の皮膚ではない、何か別のものの光。
「……なんですか、これは」
「殿下、見えましたか」
「はい。一瞬ですが……」
「私も、見えました」
二人は、お互いを見つめた。
沈黙が、重くのしかかる。
「これは……」
「『自己修復』の……進行、だと思います」
「進行……」
「はい。殿下の身体が、変化している証拠です」
セラの声が、震えていた。
ルーカスは、自分の腕を見つめた。
今は、普通の皮膚に見える。
しかし、さっき見えたものは、幻ではなかった。
「見た人は、いますか」
「分かりません。私は、すぐに気づきましたが……」
「周りに、誰かいましたか」
二人は、周囲を見回した。
訓練場の入り口付近に、数人の生徒がいた。
彼らが、こちらを見ていたかどうかは、分からない。
「……まずいですね」
「はい。もし見られていたら……」
「噂が広まります。そして、教会に報告されます」
セラが、顔を青くしている。
ルーカスも、深刻な状況だと理解していた。
金属のような皮膚。
それは、「怪物化」の兆候として、最も分かりやすいものだ。
教会の保守派が、これを知ったら、黙っていないだろう。
「禁忌」としての認定が、一気に現実味を帯びてくる。
「どうしましょうか」
「まず、見られたかどうかを確認します」
「どうやって」
「あの生徒たちに、さりげなく聞いてみます」
セラが、覚悟を決めた顔で言った。
そして、訓練場の入り口に向かって歩き始めた。
* * *
セラが戻ってきたのは、数分後だった。
その表情は、複雑だった。
「どうでしたか」
「一人だけ、見ていたようです」
「……」
「ただ、『何か光ったような気がした』程度で、詳しくは見ていないみたいです」
「そうですか……」
「その生徒には、『日差しの反射だ』と説明しておきました」
「信じてくれましたか」
「たぶん。半信半疑でしたが、深く追及はしてきませんでした」
セラの説明に、ルーカスは少し安堵した。
しかし、完全に安心はできない。
その生徒が、後で誰かに話すかもしれない。
そうなれば、噂が広まる。
「セラさん、僕はどうすればいいでしょうか」
「……分かりません。でも、これ以上の変化を防ぐ方法を、考えなければなりません」
「変化を防ぐ……」
「マーガレット先生が言っていました。刺激が多いほど、進化が速くなると」
「はい」
「つまり、刺激を減らせば、進化を遅くできるかもしれません」
「刺激を減らす……」
それは、以前も話し合ったことだ。
しかし、学院生活で刺激を完全に避けることは難しい。
授業、訓練、食事。
すべてが、刺激の源だ。
「でも、完全には避けられません」
「分かっています。だから、できる範囲で、です」
「できる範囲で……」
「例えば、激しい運動を控える。感情の起伏を抑える。ノイズの多い場所を避ける」
「なるほど……」
セラの提案を、ルーカスは頭に刻んだ。
激しい運動を控える。感情の起伏を抑える。ノイズを避ける。
それらを実践すれば、進化を遅らせられるかもしれない。
「やってみます」
「はい。私も、協力します」
「ありがとうございます」
ルーカスが、頭を下げた。
セラが、小さく微笑んだ。
しかし、その笑顔には、不安の色が隠しきれなかった。
* * *
その日の夕方、噂は学院中に広まっていた。
「聞いた? 第三王子が、また何かやったらしいよ」
「何何?」
「訓練場で、腕が光ったんだって」
「光った?」
「金属みたいに、キラキラって」
「それ、本当?」
「見た人がいるって」
ルーカスの耳に、その囁き声が聞こえてきた。
やはり、噂になってしまった。
あの生徒が、誰かに話したのだろう。
「殿下……」
隣にいたセラが、顔を曇らせた。
ルーカスも、重い気持ちになった。
「広まってしまいましたね」
「はい。どうしましょうか」
「……否定しても、信じてもらえないでしょう」
「では、どうしますか」
「冗談にするしかないでしょう」
ルーカスが言った。
以前、噂を笑い話にする方法を学んだ。
今回も、それを試すしかない。
「腕が光った、ですか。では、僕は本当に鉄でできているのかもしれませんね」
「殿下……」
「冗談ですよ」
ルーカスが、微笑んだ。
しかし、その笑顔は、少しぎこちなかった。
* * *
翌日、教会の監察官から呼び出しがあった。
ルーカスは、覚悟を決めて、監察官の執務室に向かった。
「失礼します」
扉を開けると、ヴィンセント・モローが待っていた。
黒い衣を着た、冷たい目の男。
以前の安全講習で、ルーカスを追及した人物だ。
「お座りください、殿下」
「はい」
ルーカスは、指示された椅子に座った。
ヴィンセントは、じっとルーカスを見つめていた。
その視線は、獲物を狙う狩人のようだった。
「昨日のことについて、お聞きしたいことがあります」
「何でしょうか」
「殿下の腕が、金属のように光った、という報告がありました」
「……」
「事実ですか」
直球の質問だった。
ルーカスは、どう答えるべきか考えた。
否定すれば、嘘をつくことになる。
肯定すれば、「異常」を認めることになる。
「日差しの反射だと思います」
「日差しの反射……」
「はい。訓練場は、日当たりが良いので」
「しかし、目撃者は『金属のような光沢』と言っています」
「私は見ていないので、分かりません」
ルーカスが答えた。
嘘ではない。
自分の腕を「見て」はいない。
ただ、「感じて」はいたが。
ヴィンセントの目が、細くなった。
何かを見抜こうとしているようだった。
「殿下、一つお聞きしてもいいですか」
「何でしょうか」
「殿下は、自分が『普通の人間』だと思っていますか」
「……」
また、核心を突く質問だった。
ルーカスは、少し考えてから答えた。
「私は、人間です」
「それは、質問の答えになっていません」
「私は、人間として生きようとしています。それが、私の答えです」
ルーカスが、まっすぐにヴィンセントを見た。
ヴィンセントの表情が、一瞬だけ揺らいだ。
「……なるほど」
「他に、質問はありますか」
「いいえ。今日は、これで結構です」
「では、失礼します」
ルーカスが立ち上がり、部屋を出ようとした。
そのとき、ヴィンセントが言った。
「殿下、一つだけ忠告を」
「何でしょうか」
「『人間として生きようとしている』と言いましたが、それが叶わなくなる日が来るかもしれません。そのとき、どうするか、今から考えておくことをお勧めします」
「……」
「失礼しました」
ヴィンセントが、冷たく笑った。
ルーカスは、何も言わずに部屋を出た。
* * *
廊下で、セラが待っていた。
心配そうな顔で、ルーカスを見ている。
「殿下、大丈夫でしたか」
「はい。大丈夫です」
「何を聞かれましたか」
「昨日のことです。腕が光った、と」
「どう答えましたか」
「日差しの反射だと」
「……信じてもらえましたか」
「分かりません。でも、証拠はないはずです」
ルーカスが答えた。
セラが、少し安堵した表情を浮かべた。
「でも、監察官は諦めていないようです」
「はい」
「『隔離申請』の書類を作り始めているかもしれません」
「隔離申請……」
「殿下を『禁忌』として、隔離するための手続きです」
「……」
ルーカスは、その言葉の重さを噛み締めた。
隔離。
それは、学院から追い出されることを意味する。
あるいは、もっと悪いことを。
「怖いですか」
セラが、静かに問いかけた。
ルーカスは、少し考えてから答えた。
「怖いです。でも、諦めたくはありません」
「諦めない……」
「はい。僕は、人間として生きたいのです。どんなに身体が変わっても、心は人間のままでいたい」
「殿下……」
「セラさんが教えてくれました。心が人間なら、人間だと」
「……」
「僕は、それを信じます。だから、諦めません」
ルーカスが、まっすぐにセラを見た。
セラの目に、涙が浮かんでいた。
「殿下……私は、殿下の味方です」
「分かっています」
「何があっても、離れません」
「ありがとうございます」
「だから……一緒に、頑張りましょう」
セラが、涙を拭いながら言った。
ルーカスは、その手を取った。
手袋越しでも、温かさが伝わってきた。
「頑張りましょう、セラさん」
「はい」
二人は、お互いの手を握り合った。
困難は、まだまだ続くだろう。
しかし、一人ではない。
セラがいてくれる。
それだけで、前に進む力が湧いてくる。
窓の外では、夕日が沈み始めていた。
赤い光が、廊下を照らしている。
明日も、また一日が始まる。
その一日を、人間として生きていく。
ルーカスは、そう決意した。




