第12話:床になる王子(比喩じゃない)
「目立たない」ための特訓は、思わぬ方向に発展した。
「殿下、存在感を消す訓練をしましょう」
セラが、真剣な顔で言った。
放課後の訓練場で、二人は向かい合っていた。
「存在感を消す……」
「はい。殿下は、何もしなくても目立ちます。だから、積極的に存在感を消す技術を身につける必要があります」
「なるほど」
ルーカスは、頷いた。
確かに、自分は目立つ。
見た目は普通の少年のはずなのに、なぜか注目を集めてしまう。
それは、おそらく「気配」のようなものが原因だろう。
前世で戦闘用ロボットだった頃の、殺気のようなものが残っているのかもしれない。
「まず、基本的なことから」
セラが、説明を始めた。
「存在感を消すには、いくつかのポイントがあります。一つ目は、動きを小さくすること」
「動きを小さく……」
「はい。大きく動くと、注目を集めます。歩くときも、手を振るときも、なるべく小さく」
「分かりました」
「二つ目は、視線を合わせないこと」
「視線を合わせない?」
「はい。人と目が合うと、お互いに意識してしまいます。存在感を消すには、視線を下に落とすか、遠くを見るかです」
「なるほど」
「三つ目は、呼吸を浅くすること」
「呼吸を浅く……」
「深い呼吸は、体を大きく見せます。浅い呼吸で、存在を小さくします」
セラの説明を、ルーカスは注意深く聞いていた。
動きを小さく、視線を合わせず、呼吸を浅く。
それが、存在感を消す基本らしい。
「では、やってみましょう」
「はい」
ルーカスは、セラの言った通りにやってみた。
動きを小さく。
視線を下に落とす。
呼吸を浅く。
「……殿下」
「はい」
「それは、存在感を消すというより、死んでいるように見えます」
「え?」
「動きがなさすぎます。呼吸も止まっているように見えます」
「……やりすぎましたか」
「はい。もう少し、自然に」
セラが、苦笑しながら言った。
ルーカスも、少し苦笑した。
加減が難しい。
* * *
何度か練習を繰り返したが、なかなか上手くいかなかった。
存在感を消そうとすると、やりすぎてしまう。
かといって、普通にしていると、目立ってしまう。
中間が見つからない。
「殿下、ちょっと休憩しましょう」
セラが、疲れた顔で言った。
ルーカスも、頷いた。
二人で、訓練場の隅に座った。
水を飲みながら、しばらく黙っていた。
「セラさん」
「はい」
「存在感を消すのは、難しいですね」
「そうですね。私も、騎士科で習いましたが、殿下ほど極端な人は初めてです」
「極端……」
「はい。普通の人は、存在感を『少し』消す程度です。殿下は、完全に消そうとしてしまいます」
「完全に消す……それは、ダメなのですか」
「ダメではありません。でも、不自然です」
セラの言葉に、ルーカスは考え込んだ。
不自然。
それは、目立つのと同じくらい問題かもしれない。
「では、どうすれば……」
「うーん……」
セラも、考え込んでいる。
しばらくして、彼女は何かを思いついたように顔を上げた。
「殿下、一つ試してみたいことがあります」
「何ですか」
「床になってみてください」
「……床?」
ルーカスは、耳を疑った。
床になる?
それは、どういう意味だろう。
「比喩ではありません。文字通り、床になってください」
「文字通り……」
「はい。床に伏せて、動かないでください」
「それは、存在感を消す訓練ですか」
「はい。床は、誰も注目しません。床になることで、存在感を完全に消す感覚を覚えてもらいます」
セラの説明に、ルーカスは納得した。
床になる。
それは、確かに究極の「存在感を消す」方法かもしれない。
「やってみます」
ルーカスは、床に伏せた。
腹ばいになり、顔を床につける。
手足を伸ばし、体を平らにする。
まるで、本当に床の一部になったかのように。
「……殿下」
「はい」
「それは、床というより、死体です」
「え?」
「顔を床につけないでください。窒息します」
「ああ、そうですね」
ルーカスは、顔を横に向けた。
それでも、限りなく床に近い姿勢だ。
「では、そのまま動かないでください」
「分かりました」
ルーカスは、動きを止めた。
呼吸も、最小限に抑える。
意識を、できるだけ薄くする。
しばらくして、訓練場に誰かが入ってきた。
足音が聞こえる。
複数の人物だ。
「おい、騎士科の連中、どこ行った?」
「さあ、知らねえ。訓練場にいるかと思ったんだが」
「誰もいないな。行くか」
足音が、遠ざかっていった。
彼らは、床に伏せているルーカスに気づかなかったようだ。
「……殿下」
セラの声が聞こえた。
ルーカスは、顔を上げた。
「今、二人の生徒が入ってきましたが、殿下に気づきませんでした」
「本当ですか」
「はい。完全に存在感を消していました」
「なるほど。床になるのは、効果的なのですね」
「いえ、それは極端すぎます」
セラが、頭を抱えた。
「殿下、試験中や授業中に床になるわけにはいきません」
「そうですね」
「もう少し、日常的に使える方法を見つけましょう」
「分かりました」
ルーカスは、立ち上がった。
服についた埃を払う。
* * *
そのとき、訓練場の扉が開いた。
入ってきたのは、複数の生徒だった。
彼らは、ルーカスとセラを見つけると、足を止めた。
「おい、見ろよ。第三王子だ」
「本当だ。あの、鉄でできてるって噂の……」
「一緒にいるの、騎士科のセラフィーナだろ?」
囁き声が聞こえる。
ルーカスは、存在感を消そうとした。
しかし、すでに見つかっている。
今さら消しても、不自然だ。
「殿下、普通にしていてください」
セラが、小声で言った。
ルーカスは、頷いた。
「おい、第三王子。ちょっといいか?」
生徒の一人が、近づいてきた。
茶髪の少年で、体格が良い。
記憶データベースを検索すると、騎士科の二年生、ガルシア家の次男と出た。
「何でしょうか」
「噂を聞いたんだが、本当に鉄でできてるのか?」
「いいえ。鉄ではありません」
「じゃあ、何でできてるんだ?」
「肉と骨です。普通の人間と同じです」
「普通の人間が、机に頭をぶつけて平気なわけないだろ」
少年が、にやにやと笑っている。
からかっているのだろう。
ルーカスは、どう対応すべきか考えた。
「では、試してみますか」
「え?」
「机に頭をぶつけて、平気かどうか。試してみますか」
ルーカスが、真顔で言った。
少年が、一瞬たじろいだ。
「い、いや、そういう意味じゃ……」
「では、何が知りたいのですか」
「いや、だから、噂が本当かどうか……」
「噂は噂です。事実かどうかは、自分で確かめてください」
ルーカスが、淡々と答えた。
少年が、困った顔をしている。
どうやら、からかうつもりが、逆に圧倒されてしまったようだ。
「お、おい、もういいだろ。行こうぜ」
仲間の一人が、少年の腕を引っ張った。
少年たちは、そそくさと去っていった。
「……殿下」
セラが、呆れた顔で言った。
「はい」
「今のは、存在感を消すのとは真逆でしたね」
「そうですか」
「はい。完全に注目を集めていました」
「……すみません」
ルーカスが、しょんぼりと肩を落とした。
からかわれると、つい対抗してしまう。
それは、良くない癖だ。
「でも、悪くはありませんでした」
「え?」
「あの生徒たち、殿下を『からかいにくい相手』だと思ったはずです」
「からかいにくい……」
「はい。次からは、わざわざ絡んでこないでしょう」
セラが、少し微笑んだ。
ルーカスも、少しだけ安心した。
* * *
翌日、問題が発生した。
朝の教室で、ルーカスは衝撃的な光景を目にした。
「おい、見ろよ。第三王子が倒れてる!」
「うわ、本当だ! 動かないぞ!」
「誰か、先生を呼べ!」
騒ぎが起きていた。
騒ぎの中心には、ルーカスがいた。
床に伏せて、動かないルーカスが。
「殿下! 殿下!」
セラが、駆け寄ってきた。
慌てた様子で、ルーカスの肩を揺する。
「大丈夫ですか! 何があったのですか!」
「……セラさん」
ルーカスが、顔を上げた。
その表情は、至って冷静だった。
「僕は大丈夫です。存在感を消す練習をしていました」
「……は?」
「昨日、床になると存在感が消えると学んだので、実践していました」
「……」
セラが、絶句した。
周囲の生徒たちも、困惑した顔をしている。
「殿下……それは、授業前にやることではありません」
「そうですか」
「はい。皆さんが心配しました」
「すみません。配慮が足りませんでした」
ルーカスが、立ち上がった。
服についた埃を払う。
周囲の生徒たちは、呆然とルーカスを見つめていた。
「第三王子、何やってたんだ……」
「存在感を消す練習って……」
「やっぱり、変わってるな……」
囁き声が聞こえる。
ルーカスは、それを聞いて、少し考えた。
どうやら、「床になる」のは、日常的には使えないようだ。
「セラさん」
「はい」
「別の方法を考えた方が良さそうですね」
「……はい、そうですね」
セラが、深くため息をついた。
* * *
その日の昼休み。
ルーカスとセラは、中庭のベンチで話し合っていた。
「殿下、『床になる』は禁止です」
「禁止……」
「はい。少なくとも、人前では。心配されますし、噂が広まります」
「分かりました」
「もっと、自然な方法を見つけましょう」
セラが、真剣な顔で言った。
ルーカスも、頷いた。
「自然に存在感を消す方法……」
「はい。例えば、周囲に溶け込むことです」
「溶け込む?」
「皆と同じ行動をする、皆と同じ服装をする、皆と同じ話題で話す。そうすれば、『特別な存在』ではなくなります」
「なるほど……」
それは、確かに効果的かもしれない。
目立つのは、「違う」からだ。
「同じ」になれば、目立たない。
「しかし、僕は『同じ』が難しいです」
「分かっています。だから、『演技』をするのです」
「演技……」
「はい。皆と同じように振る舞う演技を。笑顔の練習と同じです」
セラの言葉に、ルーカスは納得した。
そうか。
笑顔も、力加減も、すべて「演技」なのだ。
「普通の人間」を演じる演技。
それが、今の自分に必要なスキルなのだ。
「やってみます」
「頑張ってください。私も、手伝います」
セラが、微笑んだ。
ルーカスも、微笑み返した。
「床になる」のは失敗だった。
しかし、学んだこともある。
存在感を消すには、極端な方法ではなく、自然な方法が必要だ。
それは、「普通の人間」を演じることだ。
難しい。
しかし、不可能ではない。
セラがいてくれる。
一緒に練習すれば、きっとできるようになる。
ルーカスは、空を見上げた。
雲が、ゆっくりと流れていく。
平和な昼下がりだった。
今日も、「普通」になるための努力が続く。
それは、大変なことだ。
しかし、意味のあることだと、ルーカスは信じていた。




