領地へ
- Seen through the gaze of another, … -
アリアスの秘書であるフェランが、主とその妻一行が領地へ向かうための準備をしていると、公爵の使いが再び現れた。
「おや? そなたも忙しいのう」
フェランの言葉に、騎士イゴール・ハイツは苦々しい表情を作るも、すぐに用件を口にする。
「閣下が貴公を呼んでおられる。来てもらいたい」
「それがしを? ちょっと待て……ヴォルツ!」
フェランの声で、ヴォルツが何事かと駆け足で現れた。
「お館様が儂にご用だと。お前、準備しとれ」
「は、かしこまりました」
騎士に用事を引き継いだ老人が、イゴールが用意した馬へと鮮やかに乗る。その所作に、イゴールの部下たちが「さすが」「老いてもまだ現役ですな」と称えるも、言われた本人は仏頂面で馬を進めた。
(お館様がそれがしを呼ぶ……ま、若の件であろうが……もしかしたら、セレス様もご到着されたことだし、いよいよか?)
かくして彼が、公爵の書斎に入った時、黒竜公爵アキレスは安楽椅子に身を沈め、こめかみを揉んでいた。公爵は今年に入ってから現在まで、原因不明の頭痛に悩まされている。
「お館様、参りました」
「おお、すまんな……いてて、あいかわらず頭痛が消えぬでな」
アキレスは、かつて参謀として自分を支えた相手を手招く。
フェランは一礼し、公爵の傍らで膝をついた。
「アリアスを怒らせてしまった」
「無理もございません。若は昔から筋を通す方です」
「クレアといい、バカどもといい、アリアスの賢さを少し見習ってもらいたいくらいだ……で、本題だが」
「は……」
「アリアスが領地に戻ると聞いた。俺の直下の騎士たちを預けるゆえ、アリアスを守ってくれ」
「……しかし、お館様の身辺が……」
「影がおるし心配ない……近々、例の……相続の件で陛下に会う。その後、予定どおりしばらく帝都にいようと思う」
「は……ではいよいよ?」
「そうだ。セレスどのが来てくれて整った。よく動いてくれた」
フェランは、アキレスと皇帝が会った後に明らかとなる相続の件で、兄たちと母親がアリアスの命を狙わないよう、精鋭部隊を四男につけると言ったアキレスの意図に頭を下げた。
「お心遣い、感謝申し上げます」
フェランの感謝に、アキレスは笑う。
「今回の件、俺が礼を言う。それに、アリアスを賢く育ててくれて感謝する……あいつの家庭教師に、お前をつけて正解だった。他で失敗したゆえな……アリアスは絶対に失敗させられんと思うたんだ」
公爵は笑みを消すと、元参謀に尋ねる。
「お前の読みを聞かせよ……俺が引退し、アリアスが継ぐと、やはり争いになるか?」
「なりましょう……ですが、小細工をしてまとめるよりも争いを表に出し、一掃したほうが後々の状況は良いものとなりましょうな」
「……俺としては、殺さずに済ませたい」
「お任せください。そのために、それがしがアリアス様についております」
「頼む……月が変われば帝都に行く。そこで決まる」
公爵は口を閉じると、手の動きでフェランに去れと伝えた。
アキレスの書斎を出たフェランはそこで、公爵の側近騎士である老騎士ジューレ・カントナに呼び止められる。
「フェラン卿、閣下からお聞きと思うが?」
黒竜公爵が他勢力に誇る精強な騎士団を束ねる騎士の問いに、フェランはうなずきを返しながら口を開く。
「うむ。明日の五時、発つ」
「承知した。準備はできているが……今回、儂は残る。騎士団は副長に任せる」
フェランは、老騎士の考えに首を傾げた。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「儂とお前がおっては、意見が割れたときにアリアス様がお困りだろう? アリアス様の補佐は、お前だけでよかろう」
「……すまんな」
「なに、貸しだ。良い酒で返せ」
手をあげて去る老騎士を見送ったフェランは、足早に公爵邸の厩舎に向かい、鮮やかな所作で馬上となった。
-Celestine-
アリアス様のご領地は、ベルク郷と呼ばれる一帯とその周辺で、彼はベルク子爵の爵位を持っている。
馬車の中では、あいかわらず彼の横顔しか見えないけども、声をかければ応えてもらえる。
公都ロスクーレから、馬車で五日ほどかかったけど、道中はちょっとした旅行みたいで楽しく過ごすことができた。
ベルク郷に近づくにつれ、山々が近くなり、森の雄大さは威圧的へと変化しはじめる。途中、ミラ伯爵領に入ると、伯爵自らわたしたちを出迎えてくれて、その屋敷で一泊させていただいた。
「セレス様、アリアス様をよろしくお願いいたします」
ミラ伯爵クレイズ様は、どうやらアリアス様を慕っているようだと思い、いろいろと聞くと、アリアス様がベルク郷を治めるようになり、国境のほうから定期的にやって来ていた魔獣の襲撃がなくなった他、洪水の被害なども劇的に減ったそうだ。
アリアス様に尋ねると、ベルク郷とその西は、五か国半島連邦領との国境がはしる山々と渓谷があり、そこで帝国と連邦が戦争をしているので、魔獣たちが追われて人が住む地域へと現れていたのだという。
「だから……警備の予算を増やして、傭兵を雇って定期的に討伐しています」
相変わらずの棒読み口調で、そう教えてくれた。洪水に関しては、風車や農業用水路を増やして河の水を分散することで下流の被害を抑えつつ、収穫量を増やす努力を続けているらしい。
そしてそれを、ミラ伯爵と協力しておこなうことで、クレイズ様の領地も二年前から収穫量が増えているそうだ。また、双方の領民たちの交流が盛んとなり、良好な関係となっていると話を聞いて理解できた。
わたしは、アリアス様が変人だと言われている理由を、なんとなくだけどわかってきた。
わたしへの態度もそうだけど、大貴族の男子っぽくないのだ。
偉そうにしない。
人に命令ではなく、頼む。
人任せにするようなことも、自分でしようとする。
わたしのために、少し離れたところに置かれていた葡萄酒のデキャンタを取ってくれて、手ずから注いでくれた。
身なりも贅沢ではないし、暮らしぶりもだ。
動物を可愛がっている……馬車をひく馬を撫でて、それを馬が喜ぶと微笑んでいる。
また、これはフェラン殿から聞いたことだけど、社交界に出なくなって二年を超すらしい。
「アリアス様は、諸侯の御令嬢が苦手だと仰って、不参加となられたのですよ」
「では……どうしてわたしとの縁談はお受けくださったのでしょう?」
勇気をだして質問したら、フェラン殿は苦笑して、「奥様だから正直にお話しますが」と前置きをしてから、教えてくれた。
「お館様に強く、今度は断るなと言われたそうです……ご気分を悪くしないでください」
「いえ、とんでもないことです」
アリアス様も、家のためにと応じたのだ。
わたしも、やはりそうだ。
でも、今は……アリアス様でよかったと思う……いや、強がりだ。
アリアス様に、魅かれている。
このまま、本当に、ちゃんと愛することができて……できたら、素晴らしいことだと願う。
馬車がベルク子爵領へと入る橋を渡った時、わたしはそう思えて、隣の夫に声をかけた。
「よろしくお願いいたします」
「……こちらこそ、お願いします」
すこしだけ、一瞬だけ、チラリとわたしを見てくれた彼に、自然と微笑みを返していた。
えへへへへへ。
にやける!