初対面
-Celestine-
「姫様、もうそろそろ到着します」
「婆や、その姫様っての、もうやめてよ」
「言葉遣いにご注意を……わたくしにとって、姫様は姫様です」
「ああ……婆やだけよ、わたしの味方は」
「姫様の唯一の味方であるわたくしの助言……そろそろお行儀よくなされませ」
わたしは馬車の中で、座席に寝そべっていたのを正してスンと座った。
だって……長時間はお尻が痛いんだもの。婆やはすごいね? ずっと座ってて疲れないんだから。
「黒竜公領に入るからといって、いきなり相手は来ないでしょ? しばらくは寝ていたかった」
「油断はダメです。第一印象は大事でございますよ」
「……政略なんだもの。印象なんて……」
「姫様、今度こそ長続きしていただかないと」
言い方! 言い方に気を付けて!
言葉ひとつで気持ちよくも悪くもなるというもの……。
「わたしは被害者よ。いずれの場合も被害者よ」
「しかしながら、あのままご実家で辣腕をふるっておられては、代替わりの支障となります。今回の件は、よきご縁かと思いますよ」
「……」
「お館様も、姫様のことをご心配なさってくださったものと思いますよ」
「今度こそ、帰ってくるなと言われたけど?」
「照れ隠しでございますよ。娘の幸せを願わない親はおりません」
「わたしは、実家で幸せを見つけることは許されないのね?」
「代替わりの支障となりますゆえ」
代替わり>わたしの幸せなんですね……。
でも、そこはわたしも公家の娘。
代替わりは大事なのは理解している……わたしがおろそかにされるところは理解できないけど、代替わりが大事であることはよくよく理解している。
脈々と続く家を、次の世代にまた繋いでいくのは大変なこと。
わたしがいないことで、実家の兄上と兄嫁が、問題なく公爵家継承をできるというなら、受け容れようじゃないか。
そんなことを考えていると、婆やが笑っていた。
「どうしたの?」
「いえ、もうすぐ到着です。わたくしはそこまでの身……笑顔でお送りしたいのです」
「婆や……」
「嫁いでからのことは、侍女のエレーナによくよく相談なさればよろしいでしょう」
「ええ……そうするわ」
ニコニコとしている婆やだけど、その目尻が少し濡れている。
わたしは、ここにきて初めて感情が高ぶり、両親の前では見せなかった表情を婆やに見られてしまった。
「姫様、幸せになられてください」
「婆や……うん、ありがとう」
「とっても幸せになって、姫様を邪魔者扱いしている人たちを見返してやってくださいな! わたくしは姫様の味方ですよ」
「うん!」
わたしたちは、泣きながら笑っていた。
-Alias-
嫁が来る。
面倒だ。
はっきり言って、面倒だ。
だけど、この世界で貴族の四男坊として生きていくには、こういう面倒も受け入れなければならないのだろう。
せっかく、異世界に生まれ変わって最強パターンか? と赤ん坊のころはワクワクしたけど、記憶というか人格は俺のままとはいえ、力や体力やスピードも普通というか、優れているわけではない……魔法がある世界だから、最強魔力的なことを期待したのに、大したことはない……知識スゲーで活躍するパターンだと頑張ったが、どこにでもいるリーマンだった俺にそれができるほどの知識の深さも幅もなかった……しかたないので大貴族の男子としてのんびり暮らすかと思っても、やることはあるし、面倒な付き合いもあるし……兄たちには嫌われ疎まれ、母親からは顔が自分に似ていないという理由で嫌われ、あまり楽しくない……。
さらには……日本人だった時と同じく、こちらでもやはり結婚やら家族やらという制度はあって、俺も家のために結婚しなくちゃいけないそうだ。
好みの女性と結婚させてほしいです……。
社交界で相手を探せば、自分が良いと思った相手と結婚できるのだが、そういうところに出入りする女性の多くは、いやほとんどは、頭がおかしい系なんです。
人に命令する立場が当たり前、お金があるのが当たり前、思い通りにならないなんて理解できない、流行りの服にアクセサリーを追っかけ、流行の演劇や歌劇やお茶会様式やらでお金を湯水のごとく使うことが日常のそいつらの、どこをどう見れば好きになるのか教えてほしいと思ったほどだ。
自然と社交界に出入りしなくなり……自分の領地で見かける可愛いと思う子に話しかけると、驚かれて逃げられてしまう……前世の呪いで、俺は転生したのか?
十八歳になり、相手を探してやると父さんに言われて――ちゃんと父上と呼んでいる――父上には強く貴族社会のお嬢様系や、貴族社会の男子を狙う高級官僚や大手商会の娘系はやめてくれとお願いした。
それでも、父上が勧めてくるのは高級官僚や大手商会の娘系……貴族社会の男子をゲットすることで金と権力目的の……わかりやすく例えると港区女子だ……そういう系ばかりでずっとお断りしていた。
二年ほど、ずっと嫌ですで、押し通していたんだ。
押し通せていたんだ。
それが今回は、父上から「今度は断るな。家のためにもなる。お前にためにもなる。断ったら追い出す」と、真面目な顔で脅されて……怒らせるとガチで恐い人だから、「はい」と言うしかなかった。
嫁に来るのは……黒蝶公爵のところのご令嬢だ。
社交界で見た、性格どブスの金遣いマシーンのような女が来るのだ……。
家のために、我慢しろってことなのか?
俺の家……黒竜公爵と、嫁の実家である黒蝶公爵の他、黒鷹公爵と黒獅子公爵を帝国四公と呼ぶ。現在の帝室と関係が良い黒竜公爵たる俺の家と、中立派の黒蝶公爵の男女が夫婦になる意味は、摂政を務めるシュバイク候と関係を深める黒鷹公爵と黒獅子公爵に対するけん制なのだろうか?
対立が深まり、決定的なことにならなかったらいいけども……だが、俺が頭オカシイ系の女と仲良くできず、中立が対立となり、一対三になるのはもっと困るのかも……知らんけど。
ドレスに宝石、歌に踊り、舞踏会にお茶会にあれやこれやに夢中で、それができることが自分の価値であるかのように思っているタイプの女が嫁に来るが……家のために、我慢するしかないのか。
こちらの世界でも、いろいろと我慢することはあったし、これからもあるんだろうけど、性格どブス女を三乗したような奴と夫婦としてやっていけるんだろうか。
会ったことがないから、どんな人かわらかないので、心配ばかりが大きくなる。
ドアが叩かれて、爺が顔を見せた。
「アリアス様、お相手の馬車がそろそろご到着です。お迎えを」
「そうか、わかった」
家庭教師から、今は俺の秘書をしてくれているフェラン・トレスが、ソファから腰をあげる俺に注意をする。
「もっと嬉しそうな表情でお迎えするのですよ」
「……わかっている」
爺、そんな顔で見るなよ……わかっているから。
黒竜公爵領の公都ロスクーレ郊外にある四男坊たる俺の屋敷は、兄たちに比べてこぢんまりとしている。使用人たちも三人で、護衛の者たちも一個小隊の十人だけだ。
こんなところに来て、贅沢大好き女は残念がるどころか、帰りたいと言うんじゃないか?
……それなら、それでいいけど……いや、いかんのだ、いかん……家のために我慢だ……嫁に来るという人のことに詳しくない……公爵の娘ということへの拒否反応が強くて、知ろうという思考を停止させていた……し、最近は社交界への出入りがない女性かな? といっても、ここ二年くらい俺も出ていないから、まったく相手を知らないのは無理ないのかも……。
「爺、セレスティーヌという女性は、どういう人か知っているか?」
「……アリアス様、これまで縁談を断りつづけてこられた貴方様が、どうして今回は承知なさったのかと不思議でしたが、相手を知らずして承知なさったので?」
……断りきれなくなったんですよ! 父上の顔が、ガチで受けろと本気だったんだから……。
「相手は黒蝶公爵のところの女性だから……家と家のことだ」
「幾度か離縁をなさっているお嬢様ですが、家柄と人柄はこれまでのお話のどの方よりも上でしょうな」
「離縁?」
離婚経験があるのか。
俺の疑問に、爺は苦笑しながら応じる。
「ええ、四度ほど」
「四回も⁉」
四回も⁉ 性格が超悪いんじゃないの⁉
違う意味でも、不安になるよ……。
屋敷の外に出ると、門のところに停車する馬車が見える。
豪華な……六頭立ての馬車の扉をちょうど開いたところだった。
庶民は毎日の生活で大変なのに、こいつらときたら……俺もそうだけど、やはりこれを当たり前として享受する感覚にはなれない……。
馬車のドアから、女性が姿を見せた。
……その人が、馬車から降りる。
あれが……いや、この人が俺の相手……。
その女性は、凛として俺を見つめた。
-Alias-
「お……お待ちしておりました。アリアスと申します」
緊張しすぎて、棒読みで挨拶してしまった。
いかん……超絶タイプ……なんだけど!
やばい……マジでキレイ……ガチで美人……だめだ。もっと気がきいた挨拶をせねば……えっと……なんて言えばいいんだ? 何も考えてなかった。
悩む俺の前で、お相手が腰をおって挨拶をする。
「お迎えくださいまして、感謝申し上げます、アリアス様。セレスティーヌでございます。どうぞ、セレスとお呼びくださいませ」
彼女は一礼し、笑みで俺を見つめた。
笑顔……かわいい。
いかん。
ど緊張して喋れん……えっと……なんて答えよう?
助けを求めるべく、ちらりと爺を見ると、爺は目をまん丸くした。
え? どういう意味?
爺が、俺と彼女を交互に見ながら、慌てた様子で口を開く。
「長旅、お疲れでございましょう。公爵閣下へのご挨拶などは改めて明日おこなうものとして、まずはごゆるりとお疲れを癒してくださいますよう……湯あみもして頂けるように整えております」
爺は、ここでセレスさんの後ろに控える目つきの悪い女に言う。
「それでは、ご案内いたしますのでこちらへ……アリアス様」
「は? はい?」
「自室で、お待ちください」
「は? はい」
俺は、カチンコチンに緊張した状態で歩き、自室に戻った。どうやって戻ったかの記憶がないほどで、自室の執務椅子に身を沈めても、まだドキドキがとまらない。
これは……一目惚れだ。
一目惚れ……本当にこんなこと、あるのか。
セレスさん……が、俺の嫁……いや、俺の奥さんになってくれるのか……。
どうしよう……。
喜びと、緊張と、嫌われたらどうしようという恐怖と、セレスさんの性格が実は悪いパターンもあるという不安と……複雑な内面で混乱している俺はどうしよう……。