ファーベルク伯爵家
「アイスナー子爵、メラニーは知らなくて当然です。まだ正式には発表されてはおりませんし、私も彼女に話しておりません。普通の学生である令嬢はまだ知る由もないでしょう」
リカルドは少し困ったような顔でアイスナー子爵夫妻にそう言ってから、再びディートマーを見た。
その視線の鋭さに、ディートマーはピクリと身体を震わせた。
「な……! なんだと言うの? いったい何の事を言っているのよ!」
父に口を塞がれ話のできない息子に代わりハーマン子爵夫人が叫ぶ。
「───だいたいの事情を君も聞いているんだろう? ご家族に教えてやってはどうかね? ハーマン子爵」
チラリとハーマン子爵に視線をやって感情の感じられない声でアイスナー子爵は言った。
俯きながら、ハーマン子爵はディートマーから手を離しゆっくりと口を開いた。
「───この度、我が国の王太子がお決まりになられたそうだ」
いきなり全く関係のない話題が出て来たので夫人は噛み付く。
「───は? そんな事位は噂で知っておりますわ。まだ発表はされてないけれどやっと我が国の王太子が決まったらしいという事は! あなた、今いったい何を仰っておられるのですか?」
「そうだよ父上! まさかたかだか弱小伯爵家の三男が王太子になったなんて馬鹿げた事を言うんじゃないだろうね!?」
父から離れたディートマーも母同様バカな事を言うなとばかりに父親に噛みついた。
「…………知っての通り、国王陛下のお子様はマルク殿下お一人だった。その殿下が失脚され、次期王太子選びは非常に難航したのだが───」
彼らの言葉を無視して尚も語り続ける父親に、ディートマーは我慢ならないとばかりに言い放つ。
「そのくらい分かってますよ父上! 公爵である王弟殿下にもお子様はおらず、先王陛下のご兄弟にまで遡る事になったと。議会は紛糾し、3年近くもこの国の王太子は不在だったのですから! 今回お決まりになったお方は確か、今上陛下の叔母である王女の降嫁先のご親族ではないかという噂があるくらい当然知ってます! ……ですが今回の話とは全く関係ありません!」
「───何も、分かっておらぬではないか───」
呆れたような諦めたような目でハーマン子爵は息子を見た。今まで『よく出来た息子』だと思って来た。少し母親が甘やかしているようなところはあったものの世間からの評判も良く自慢の息子だと思って来た。
後妻である今の妻を迎えてからは先妻の娘からは『父上は何も分かっていない』と言われ続け、幼馴染の騎士に嫁いでからは一度も帰らず顔も見せなくなってしまった。……もしやこういう事だったのかもしれない。
あの報告書の通り、息子ディートマーは悪き事をしては周りの弱き者たちに罪をなすり付け更に陥れてきたのだろう。そして出て行った娘も何度も私にそう告げたのに自分はそれを聞き入れなかったのだ。
項垂れるハーマン子爵の様子を見て、メアリーは流石に気付いた。
───まさか、リカルドは……。
「───兄ですよ」
「───は? なんだと?」
突然言葉を発したリカルドをディートマーは目を眇めて見た。
「……ふふ。我がファーベルク伯爵家の父は養子でしてね。その母はエンゲルハルト公爵家に降嫁した王女、今の陛下の叔母に当たる方なのですよ」
「……そんな……馬鹿な! 王女の子であり公爵家の子息が何故弱小伯爵家などに!!」
ディートマーは余りの驚きと興奮で、子爵家の人間でありながら伯爵家に対して失礼千万な言葉を叫んだ。
しかしリカルドはそれを気にしていないかのようにスルーして答えた。
「公爵家は当時子沢山で、王女の末っ子だった父は公爵家と遠い血縁だった子のない伯爵家の養子となったのですよ。父が生まれてすぐの話なのでその事実を知らない者が多いようですが」
「な……っ!? しかしそれならばその公爵家から王太子を出すはずだ! 何故今更養子になった末っ子の息子などに……」
ディートマーはそこまで言ってハッと気付く。
「……王女が嫁いだエンゲルハルト公爵家のお子様方は不幸な事に事故やご病気で大半がお亡くなりになられました。特に領地で起こった土砂災害に多数のお子様達が巻き込まれた話は有名ですよね。悲しい事に9人いた王女のお子様は現在の公爵である五男と末っ子の父だけとなってしまったのですよ」
美しい山岳地帯がある公爵領で起こった土砂災害の話は今も忘れてはならない自然災害の教訓として広く語り継がれている。流石に学園でも大きく扱われテストにもよく出るこの事をディートマーも覚えていたのだろう。
「───そして王女の孫であるエンゲルハルト公爵家には嫡男と令嬢の2人。そのご令嬢はマルク殿下の婚約者でした。ご存知の通り婚約破棄騒動の後に帝国の皇太子に熱烈なプロポーズをされ、皇太子妃として嫁がれました。
マルク殿下の行いはこの王国を真に混沌に陥れた……。婚約破棄と冤罪をかけようとした事だけではありません。結果『王太子の不在』そして『有能な公爵家令嬢を不信感を持たせた状態での他国への流失』。帝国へ嫁がれ溺愛されている多大な力を持つ皇太子妃にこの国は潰されてもおかしくはありませんでしたからね」
まあ実際公爵令嬢はこの国を愛していたしそんな事は起きないだろうが。
しかし帝国の力を背景に弱みを握られ国力を大きく削がれる位はあり得るのだ。
そしてこの王国で多大な力を持ち、しかも帝国の皇帝にも発言出来る立場のエンゲルハルト公爵家。彼らがそれをさせなかったのは、この国の次期国王としてエンゲルハルト公爵の末の弟の子が王太子となる条件を王家に呑ませたからだ。
……リカルドは当時の事を思い出して苦笑する。
「エンゲルハルト公爵家のご嫡男と、我が不肖の長兄は幼馴染でしてね。血の繋がったいとこでもありますし。そのいとこは長兄がこの王国の王となるのならと、その怒りの矛を収めてくださったのですよ。
そして王弟オッペンハイム公爵はご病気の為に次兄に跡を譲ると急遽内々に発表されたのです」
本当は一度に正式に発表するはずだったのですが、とリカルドは付け加えた。
公爵家嫡男ユリウスは昔から喰えない男で、リカルドも幼い頃から随分と#可愛がられて__・__#きた。そんな風にされて来たから、小さい頃はリカルドは大人しく言うがままにされる大人しい子供だった。しかし『ある人』の言葉のお陰でそんな公爵家の人々の事が理解出来るようになった。そうして学園に入る頃にはリカルドは身も心も強くなれたのだ。
……同時にその頃にはディートマーを畏れる事はなくなっていた。
……ユリウスはおそらくは国を潰すのも面倒なので、『弱小伯爵家』の息子を国王にさせる事である程度溜飲を下げよう、とでも考えたのだろう。そしてその新たな国王の後ろ盾としてエンゲルハルト公爵家は存在し、ある意味我が国の影の王として君臨するつもりなのだ。
そんな公爵家嫡男の思惑に乗るものかと初めは王太子への打診を固辞していたが、公爵家嫡男や周囲からの説得のいう名の脅しに負け、とうとう長兄は『王太子』となる決意をした。
そして何故か子のない王弟のオッペンハイム公爵家を次兄が継ぐ事になり、空席になったファーベルク伯爵家は三男リカルドが継ぐ事に決まったのだ。
これらは世間的にはまだ王家に近い高位貴族のみでの決め事の筈だった。しかし王弟殿下のご病気が重症化した為急遽次兄の公爵家襲名が先に発表された。するともしやファーベルク伯爵家が王位を得る事になるのではと一部の貴族が噂するようになったのだ。……確かにそれは当たっているのだが。
「───そういう訳で、長兄は王太子、次兄はオッペンハイム公爵、私はファーベルク伯爵と決まったのですよ」
そう、王国の麗しの三兄弟となるファーベルク伯爵家は、正式に発表されればまさにこれから一躍時の人となってしまうのだろう。
───そんな次期国王の弟で次期ファーベルク伯爵であるリカルドに、不貞という『冤罪』をかけてしまったディートマー。
流石に自分のやらかしの深刻さに気付いて、比喩ではなく血の気が引いて青くなりぺたんと床に座り込んだ。
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