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医師モドキと猫モドキ

作者: 杞憂らくは

ちょっとモチベ出す為に書いてみました。


 アンリがその屋敷に足を踏み入れた時、まるで葬式に来た様だと感じた。辛気臭い執事に、全身から悲しみに溢れた女主人。

 その女主人に案内されながら、アンリは廊下の端に佇むメイド達に目を向けた。揃いも揃って質の悪いメイド達で、町医者はもっと年寄りの筈だとか、若くて顔が良いだとか、こそこそと噂話を止めない。女主人もそれどころでは無いのか、メイド達を注意する事も無い。そもそも貴族家では無いのだから、そこの所は元々緩いのかもしれない。


「此方ですわ」


 2階にある南向きの、陽当たりの良い部屋に案内され、アンリは気持ち肩を(すぼ)めながら入室した。若い娘の、しかも嫁入りを間近に控えた娘の部屋に入るなど、なんともばつの悪い気持ちになるからだ。

 部屋の奥には、少し意匠が凝った寝台が設えられていた。そしてその寝台には1人、若い娘が横たわっている。既に成人していると云う話だが、赤いリボンでお下げに結われた姿はあどけない少女の様だった。


「全く目を醒ましませんの⋯⋯もう、1週間になりますのよ」


 涙を堪える様に、母親は声を絞り出した。


「先日メディク医師(せんせい)が来てくだすったのですけれど、原因は不明だって⋯⋯」


 アンリはその言葉に頷いた。そのメディク医師に請われて、アンリは此処に居るのである。

 実際の所、アンリは医師でも何でも無いのだが、それっぽく寝台の傍に跪き、矢張りそれっぽく娘の手を取って、脈を測る()()なんぞをしてみた。

 本当なら瞼を捲ったりもするべきなのだろうが、()()()でしか無いアンリは若い娘にそんな無体を犯せない。だから、精一杯にそれっぽく医師らしい事を言うだけである。


「身体に異常は無い様ですが」


 実際、異常は無かったとメディク医師から事前に聞いていた事もあり、アンリはそう言う事が出来た。だが、揃って異常が無いと言われた母親からすれば堪ったものでは無い。堰を切った様に声を荒げた。


「前の医者もそう言ったけれど、異常が無くたって目醒めないのよ‼︎⋯⋯折角、折角貴族への輿入れが決まったのに⋯⋯‼︎」


 娘を心配する良い母親だと思ったのだが、ぽろりと零れた本音を聞いてアンリは首を竦めた。その様子は如何したって閉ざされそうになる娘の未来より、家の不利益を嘆いている様にしか見えなかったのである。

 しかし、それはこの家族の問題である。アンリが関与すべき事では無いので、アンリは小さく咳払いをして仕切り直した。


「では、何か変わった事などありませんか?」

「変わった事⋯⋯ですか?」

「瑣末な事でも構いませんよ。部屋で物が倒れたとか、近所で犬が吠えていたでも」


 何とも医師らしく無い質問であったが、女主人は眉間に皺を寄せて考え込んだ。そうして暫く「むう」と唸ったかと思うと、「そうそう」と膝を打った。


「猫が離れませんのよ」

「ね⋯⋯」


 アンリがはっとして身を翻したと同時に、寝台の下からずるりと毛玉が姿を現した。「ぎゃあ」と叫びそうになるのを何とか堪えた事を、誰かに褒めて貰いたいくらいだとその場で蹈鞴を踏みながら、アンリは毛玉を凝視する。

 毛玉は寝台の上へと飛び上がり、愛おしそうにゴロゴロと喉を鳴らしながら娘に擦り寄った。


医師(せんせい)、どうされました?」


 アンリの挙動が可笑しいと、女主人が声を掛けてきた。それをアンリは何でも無いとばかりに首を横に振る。⋯⋯本当は厨房に出る黒いてらてらの虫よりも猫が苦手なのだが、そこは(おくび)にも出したりはしない⋯⋯つもりだ。


「ああ、ええと」

「奥様、暫し、暫し⋯⋯」


 猫に近付くのも嫌なアンリは、女主人に頼んでどかしてもらおうかと考えた。しかしどう頼んだものかと声を出しあぐねている時、折悪く執事が女主人を呼びに来てしまった。

 執事は酷く慌てていた。漏れ聞こえて来た会話で「男爵」と聞こえたので、娘の状態を確認する為に輿入れ先から誰かが来たのかもしれない。

 女主人も執事の話を聞いて酷く慌てふためき、アンリに対して等閑(なおざり)に「少し失礼致しますわ」だなんて言い捨てて、執事を伴って出て行ってしまった。

 お陰で室内には、懇々と眠りに付く娘と、アンリと猫が残される事になってしまった。


(なんてふてぶてしい⋯⋯!)


 猫と見詰め合いながらじりじりと後退するアンリに対して、当の猫は冷静であった。理知的な眼差しを向けたまま、少しだけ小首を傾げて、ゆっくりと()()()()()


「噂通り猫がお嫌いなのですね、男の魔女どの」

「別に嫌いじゃ無い⋯⋯苦手なんだ」


 猫⋯⋯では無く、ケット・シー(猫妖精)はもう擬態するつもりも無いのか、のっそりと立ち上がる。その姿に喉から引き攣れる悲鳴が出たが、アンリは取り繕う気にもならなかった。


「何も致しませんよ、魔女どの」


 呆れた様に肩を竦めるケット・シーに対して、恥ずかしさを覚えたアンリは、その恥ずかしさを誤魔化す様にケット・シーを責め立てた。


「お⋯⋯お嬢さんが目を醒まさないのは、お前の魔法だろう」

「⋯⋯⋯⋯」

「理由は分からないけど、今すぐ止めろ。人間は寝てるだけでは、ただただ衰弱するんだ」


 アンリの真っ当な忠告に、ケット・シーは暫し唸ったかと思ったら、すぐに肩を落として項垂れた。


「確かにその通りなのですが⋯⋯意識が無ければ返事をせずに済みます。連れて行かれる事はありません」


 一体何の事だとアンリが首を傾げたと同時、室内だと云うのに生温かい風が吹いた。何事かとアンリが振り返ると、扉の前に誰かが立っていた。

 扉が開いた音はしなかった。その人はこの至近距離だと云うのに蜃気楼の様に靄々(もやもや)としていて、ようやっと男性であると視認出来る程度だった。

 アンリが思わず身を固くしてその人を凝視すると、その人はやけに真っ白さが際立つ眼球をぎょろりと動かし、アンリを睨んで口を開いた。


「誰だ貴様、私の花嫁に何の用だ」


 成る程と、アンリは納得した。つまり娘はこの悪霊に魅入られていて、ケット・シーはそれから守る為に娘を眠らせているのだ。こう云う手合いは、無視が1番だからである。ちらりと視線を遣れば、ケット・シーは寝台の下に潜り込んで「シャーッ」と威嚇音を出していた。


「聞いているのか、其処を退け。私はその花嫁を連れて行かねばならんのだ!」

「う⋯⋯」


 悪霊は生臭い悪臭を漂わせながら、アンリに近付いてくる。黒い(もや)はドロリとタールを思わせた。何とも濃い死の臭いがする。


(これは、しつこい手合いだ)


 このままは拙いと思ったアンリは、さっと視線を巡らして咄嗟に娘の赤いリボンを解いた。


「どうぞ、お連れなさい」


 アンリはにっこりと微笑み、悪霊の鼻先にリボンをひらひらと翳してやった。すると悪霊は嬉しそうに手だと思われる靄を伸ばし、リボンを鷲掴んだ。


「あ⋯⋯ああ、あは、ははは、あはははぁはは⋯⋯私のモノ、私のモノだ⋯⋯」


 癇に障る金属的な笑い声を発したかと思うと、悪霊はタールをドロドロと滴らせて形を崩した。そうして瞬きと共に、その溶けたタールも跡形も無く消え失せてしまった。

 その光景はケット・シーも理解が及ばなかったらしく、慌てて寝台の下から飛び出して、アンリの足下に近寄った。そのお陰で、アンリは過剰なまでに飛び退った訳だが。


「魔女どの⋯⋯」

「うぅわっ⁉︎」

「⋯⋯今のは、何です?」

「対象が身に付けていたものを対象だと錯覚させたんだ⋯⋯魔女がよく使う手だよ」


 そしてアンリは、残ったもう片方のリボンにも手を伸ばす。娘の髪からするりと抜かれたリボンを、アンリはほいっとケット・シーへと投げ渡した。


「あっ⋯⋯」

「こっちはお前に。妖精が人間に執着するのは良い事ばかりじゃ無い⋯⋯その娘の事は、諦めるんだ」


 アンリの言葉に、ケット・シーは()()()と涙を零した。







***






「それで、お嬢さんはちゃァんと目ぇ醒ましたのか?」


 アンリの目の前で、ゴシップ誌を読みながらだらし無く菓子を摘まんでいたメディク医師が、出し抜けに呟いた。

 この男は会話をするつもりが更々無いのか、よくこうやって急な発言をする事がある。勿論独り言では無いので、臍を曲げられない様しっかりと返答をせねばならない。


「⋯⋯ええ。私の目の前で、しっかりと身体を起こされましたよ」

「そいつぁ良かった!後で料金を請求しに行かにゃならんな」


 出張料金も弾んで貰わにゃならんと、ほくほく顔の医師は、アンリにちゃんと臨時報酬を寄越すつもりがあるのかどうかは分からない。なので、アンリは医師に釘を刺す為に口を開いた。


「それなら医師(せんせい)、私への報酬に関してなのですが」

「おおっと、この記事を見るんだアンリ!」


 しかし釘を刺そうとした瞬間、医師はわざとらしく大きな声を出して遮って来た。おまけに、やけにアクロバティックな体勢で読んでいたゴシップ記事をアンリの鼻先に広げてみせた。


「何ですか⋯⋯貴族の死亡事故⋯⋯?」

「お前、ただの死亡事故じゃねぇよ。(くだん)のお嬢さんが嫁入りする筈だった男爵家だよ」

「え⋯⋯」


 アンリは思わず医師の手からゴシップ誌を毟り取り、記事にかぶりついた。


「⋯⋯落馬して数日間、意識不明で⋯⋯意識が戻らずそのまま⋯⋯?」

「結婚を間近に控えての事故なんてなぁ、可哀想じゃねぇか」


 アンリはあの悪霊を思い出していた。あの時、あの悪霊は執拗に「花嫁」と繰り返していたのだ。死んでも死に切れず、迎えに来ていたのかもしれない。死んだばかりの人間は特に見境が無いので、ケット・シーの判断は正しかったのだろう。


「それより運が無いというか、間抜けというか」

「何の話ですか?」


 アンリが首を傾げると、医師は何とも言えない顔をしながら、記事の最後の方を指でなぞってみせた。


「ほらここ⋯⋯本当かわからんけど、落馬の原因が書いてあるだろ⋯⋯⋯⋯⋯⋯『目撃した従者の証言に拠れば、いきなり飛び出した()に、乗っていた馬が驚いて振り落とされた』⋯⋯お前じゃねぇけど、これじゃあ猫が嫌いになっちまうかもなぁ」

ケット・シーとか出てますけれど、師匠(仮)とは別の世界です。基本、魔法じゃなくておまじないの世界です。

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