【コミカライズ】聖女様は微笑む【アンソロ収録】
聖女リーファは常に微笑んでいる。
どんな状況であろうとも微笑みを絶やさないその姿は、一部貴族の令嬢からは見習うべきだとされているが、しかし同時に一部の貴族からは考えが読めずに不気味だと不評でもあった。
たとえば聖女に対して友好的な相手であれば、その微笑みは好意的なものに見える。
だが、反対に聖女にあまり良い感情を持っていない者からすれば、その微笑みは気に食わないものなので。
良い感情を持たない者は、あからさまに敵対するような事はしていない。あくまでも表面上は友好的な風を装っている。だが、時として言葉に棘を隠し切れない事もあるが、しかしそれでもリーファは微笑んでいるのだ。
……まぁ、不評だという相手の言い分も多少わからないでもない。
聖女と言われても元は平民だ。
今でこそ神殿で祭り上げられているし王子の婚約者となったとはいえ、それでも元を正せば平民である、という意識が消えない者は一定数いる。
それも不満を抱く原因の一つと言えばそう。
そんな元は平民だった女が、貴族の令嬢のように感情を読まれないよう微笑み続けているというのは、ある者にとっては気に食わないと思ったとしても、同じ貴族であればまったく理解できないわけでもないのである。
そして、婚約者である王子もまたリーファを気に入らない一人であった。
「お前のような者が婚約者とはな……」
「そのような貧相な見た目で私の隣に立てるなど思わない事だ」
「聖女というくらいなのだから、せめてもう少しそれらしく見た目を整えたらどうだ」
「未来の妃となるつもりであるのなら、そのみすぼらしい身体をどうにかしろ」
――と、まぁ。
イスル王子は聖女の見た目を扱き下ろしていったのである。
容姿に関してボロクソにのたまっているが、聖女リーファは決して不細工というわけではない。
目と髪の色は平民に多くありがちな色であるものの、しかし磨き上げれば輝く素材を持っているのだ。
ただ、己の容姿を磨く暇があるなら聖女としての務めや将来の王妃として相応しくなるため学ぶ時間に充てるため、見た目が二の次三の次くらいになってしまっているだけで。
だが、その『だけ』が気に入らないのだろう。
イスル王子は貴族の令息や令嬢たちが通う学園で、新たな恋人を見つけたようだ。
この学園は成人して社交に出る前の、いわば練習版みたいなものである。
まだ学生であるからこそ、多少の失敗をしてもある程度は大目に見られる。勿論勉強もするけれど、同時に人付き合いに関して、人を見る目を養うなど成人してから一発勝負でやらかすわけにもいかない部分を、こうして彼らは学園で学んでいるところでもあった。
高位貴族であるならば、成人前でも茶会や各家で行われるパーティーなどに参加するなどの機会はある。
だが低位貴族たちはそういった機会が少なく、また自分たちより上の身分である貴族たちと関わる機会も少ないため、ロクに学ぶ機会を得られないまま成人すれば大惨事なのは言うまでもない事で。
学ぶ機会がなかったために、パッとしないままという令息や令嬢はそれなりにいる。
だが、そういった彼ら彼女らは学ぶ機会を得る事で思わぬ優秀さを発揮することもあったので。
優秀な人材発掘の場も学園は兼ねているのであった。
ともあれ。
そんな学園で王子が恋人に選んだのは、公爵家の令嬢である。
容姿は言うまでもなく、家柄や血筋といったものにも文句など出ようもなく。
聖女がいなければ、間違いなく彼女こそが王子の婚約者として選ばれていただろうと言われている女性であった。
そのような女性に婚約者がいないのか、と言われれば、困った事にいなかったのだ。
令嬢の父が、婚約者を選り好みしまくった結果でもあったが、そのせいでフリーであった令嬢は王子が自分を選んでくれるのであれば、聖女と穏便に婚約を解消できるのであれば、自分が王妃になれるのだと思ってしまった。
市井に出回っている娯楽小説にありがちな、身分差のある恋ではない。
平民や男爵家の令嬢あたりが王子と恋をして、自分が彼の奥さんに、と想像して、そうなれば王妃様って事でもあるのね、なんて思うような実際に考えたら夢を見るどころの話ではないようなものは、しかし令嬢にとっては現実味を帯びていた。
何せ公爵令嬢だ。身分家柄血筋といった部分は全てクリアしている。
むしろ聖女として選ばれただけの元平民が王子の婚約者であるということの方がおかしく思えてくるほどだった。
平民であったとしても、聖女になれば一応貴族としての身分が与えられる。とはいえ一代限りではあるけれど。
だが、聖女の多くは王族や高位貴族が取り込んでいく事が昔からあったため、一代限りであろうとも嫁にいって相手の家に入ってしまえばいいだけの話だ。
他の国がどうかは知らないが、少なくともこの国ではそうだった。
周囲も、聖女にとって好意的な物の見方をする相手からすれば王子と公爵令嬢のやり方は少しどうかと思う部分もあったけれど、流石に相手が王子と公爵令嬢であるが故に面と向かって言う事もできず。
内心で不満を抱えるようにしながらも、周囲はハラハラと聖女と王子と公爵令嬢の関係を見守るしかなかったのだ。
イスル王子がいずれリーファに対して婚約破棄を突きつけるであろうことは、可能性として大分ありそうだなぁ、と周囲は思っていた。思うだけで口には出さない。
リーファはイスルと公爵令嬢――エヴァンスが仲睦まじい様子を見せていても、やはり微笑んでいるだけだった。
他の令嬢が「いいのですか?」とこっそり聞いても、リーファは「えぇ」と穏やかな態度で頷いて。
一切動揺した様子もないので、聞いた令嬢の方が動揺したくらいだ。
どうしてここまで動じないのだろう。
そう思う者も多くいた。
そして、そんな疑問が解決する日がやって来たのは、案外すぐの事だった。
「まったく、いつもいつもお前は笑っているだけで、何を考えているかわかったものではないな。
確かに淑女であるならば、感情を露わにせず出すべきところで出すように、とは貴族としての常識であるが。
だがお前はいつも微笑んだままだ。どれだけ酷い言葉を投げかけられても。
それが、気に食わない」
どういう話の流れだったかはわからないが、その声が聞こえたために周囲は一瞬で静まり返った。
お昼時。
学園の食堂は、相当な広さであるけれどその広い場所にいた生徒たちのほとんどが一斉に黙ったのである。
勿論皆が同時に口を閉じたわけではないけれど、王子の言葉に下手に何かを口にしてこちらに視線が向いたら、と考えると厄介だと判断した者たちが静かになって、その近くにいた生徒たちも同じように静かになっていくうちに、それが広がって最終的に完全に静かになったのだ。
その時間があまりにもあっという間で、一瞬で静かになったように思ったのは嘘ではない。
「イスル殿下はつまり、私が怒らない事に不満を抱いているという事ですか?」
聖女と言っても元は平民なので、貴族令嬢のような振る舞いを完璧にできてはいないリーファが、こてん、と首を傾げた。
その動作はどこかあどけなさを感じて、周囲の目が思わずリーファへと向けられる。
「あぁそうだ。ここまで言われれば普通なら、苦手意識を持って遠ざかろうとするか、いっそ婚約を無かったことにしてくれと訴えたりするだろうが」
「婚約は王命ですので。いくら聖女といってもそれを無かったことに、とは流石に」
その言葉から、一応リーファがイスルの事を愛していてだとかではなく、王命だから仕方なく婚約しているという事実がほんのりと窺えてしまったが、やはり誰も何も言わなかった。
「それに、どうしていつも笑ってられるのかって言われると……実際に笑うしかないから、でしょうか」
「どういう事だ」
「えぇっと……私が聖女となった時に、神から与えられた力についてはご存じですよね?」
「あぁ、豊穣や癒しの力といったものだろう」
「いえ、それは聖女の標準装備みたいなものなので、聖女になれば誰でも使えるものなのです」
「なんだと?」
イスルは思わず片眉を跳ね上げていた。
聖女になるには神殿が、とかではない。
実際に神に選ばれた者に与えられる力なのだ。
豊穣の加護や癒しの力。
それこそが、選ばれた証なのだと思っていたがどうやらそうではなかったらしい。
「歴代聖女がどういった力を授けられたかは知りませんが、私の場合は……その、終わりを知る力、とでも言いましょうか」
そこまで言うとリーファは一度口を閉じて、周囲を見回した。
「どうした」
「いえ、ここで話すのはどうかなと思っただけです」
「構わん。話せ」
この場で最も身分が高いのはイスルである。
そしてそんな彼が話せと言うのなら、それを聞きたくないと思った生徒がそっとここを出るしかない。
だが、どこか思わせぶりな言い方をしたリーファのせいで、一体どういう事なのか気になった者たちばかりであったがために。
皆がじっと耳を澄ませていた。
「終わり、というのは言葉の通りです。その人の人生が終わる瞬間――大抵はその人の死に方とかですね。
社会的に死ぬとかそういう場合も見えたりはするんですが。
私に神が与えてくれた贈物は、見えるだけでどうにかできるわけでもないです。
むしろどうにかするのはその人の努力次第ですかね」
「何が言いたい」
「つまり、えぇと……今どれだけ私に酷いことを言っていたとしても、でもイスル王子って最終的に便器に顔突っ込んで死ぬんだよなぁ、って思うと一体何でそんな事にっていう疑問とか、いっそ哀れだなとか思う方にいっちゃって、怒るというよりは、何かもう見守る方向性にいっちゃうというか」
「マテ」
「はい?」
「私の死にざまなのか? それが!?」
「えぇ、今のところは。去年までは従者に後ろから刺される、だったんですけど。あの従者さん、家族が体調壊して仕事辞めて実家に帰ったじゃないですか。結果として死に方が変わったんですけど、余計酷すぎて笑っちゃった」
「なん、だと……!?」
イスルは思わずよろけそうになった足にぐっと力を入れて踏ん張った。
一体何がどうしてそんな死に方をするのか。
聞いたところで、私そこしか知らないのでその前に何があってそうなるのかまではわからないです、と返されて神もわけのわからん能力を授けたものだなと思い始める。
「従者さんが今もいたなら、イスル殿下の最後はその従者さんに殺される感じだったんですけど。
彼がいなくなった事で未来が若干変わって、その結果便器に顔突っ込んで死ぬんですよ?
なのでですね、何言われたところで、でもこの人、最期は便器に顔突っ込んだ状態で死ぬんだよなぁ、って思うと怒りもわいてこないっていうか」
逆に酷い事言われ過ぎても、でも最期そんな風に死ぬしなぁ、で受け流せるというか。
リーファの能力はあくまでも最期のどういった死に方をするか、がわかるだけで、途中経過はわからない。
なので、どうしたらその死に方を回避できるかはほぼ分からないと言ってもいい。
これが例えば川で流されて溺死、とかもうちょっとわかりやすいものなら注意もできるかもしれないけれど、イスルに最期はどうしたらそうなるのか逆に聞きたいレベルでわからないので。
数式で例えるならばリーファは答えだけ知っていても途中の計算式がわかっていない状態なのだ。
だから、答えを知っていてもどうしてそういった答えになるのかを導き出せない。
そう説明されて、イスルは思わずよろめいていた。
「それに」
「まだ何かあるのか」
「今不貞をしているといっても過言ではないエヴァンス様も」
「えっ!?」
ガタリ、と思わず音を立てて立ち上がったのはエヴァンスである。
彼女は王子が聖女に話しかけに行った時、少し離れた場所にいた。流石にこの場で婚約破棄など宣言しないだろうと思ってはいたというのもあって、わざわざ見せつけるようにイスル王子に寄り添うような真似はするつもりがなかったとはいえ、不貞相手と言われるなど思ってもいなかった。
実際にその通りなのだが、いかんせんイスルがリーファに不満を募らせていたのと、そんなイスルがエヴァンスの事を優遇し始めたのもあって、今はリーファと婚約をしていても、そのうち解消されて自分がその立場になると思っていたので。
今現在不貞相手という事実はそうであっても、だがそうじゃなくなると信じていた部分もあってここでそんな風に言われるなど、本当にエヴァンスは思ってもいなかったのだ。
公爵家の娘であるくせに考えが浅い。甘やかされて育った弊害なのかもしれない。
「時々私に殿下は相応しくない、と遠回しに言ってきておりましたが、そもそも婚約を結んだのは私ではなく王命です。私の意思はそこにない。
なのにどうしてわざわざこちらに言うのかな、王命に背けと? 遠回しに死ねって言ってる? と常々思っておりましたが」
ざわ、と周囲が一瞬だけ騒がしくなる。
エヴァンスにはそんなつもりはなかった。ただ、さっさと身を引いてくれればと思ったのは確かだ。
だが言われてみれば確かに聖女とはいえ元平民。王命に逆らえとはつまりそういう事になってしまう。
自分はなんて考え無しだったのだろう、と甘やかされていたとしても一応貴族令嬢としての教育をそれなりに受けていたエヴァンスはここに至ってようやく自分がどんな無茶を言っていたのかを理解した。
聖女相手に遠回しとはいえ死ねと言うなど、流石に問題がある。
聖女が死ねば、豊穣の加護も消える。
それはつまり、聖女が死んでこの国の民たちも困窮しろと言い放ったも同然、とまではいかずともまぁ大体それに近い事を言っているのと同義である。
「エヴァンス様も最終的に火炙りになって死ぬようなので、今はこんな風にえらそーに言ってるけどでもきっとそこら辺から敵を増やして最終的に火炙りなんだろうなぁ、って思うと、何かどうでもよくなるっていうか」
「えっ」
聞き間違いでなければ火炙りと言わなかったか。
いや、間違いではない。何か二度も言ってるしこれで聞き間違える程お気楽な頭も耳もエヴァンスは持っていない。
見守るだけだった他の生徒たちの目が、自然とエヴァンスへ向く。
確かに公爵令嬢という事もあって、彼女の振る舞いはそれらしくあるけれど。
実際密かに敵を作っていたのも事実なのだ。
リーファの言葉から想像するのならば。
まずイスル王子がリーファとの婚約を無かった事にしてエヴァンスと結ばれたとする。
だがしかし、エヴァンスはきっと王妃になった場合その権力を良くも悪くも用いていくのだろう。結果として失脚させようと目論んだ敵対派閥にやられるかして、火炙りなどという凄惨な死に方をする事になる。
その前か後かはわからないが、恐らくイスルも同じく敵を増やしたかしたのか、もしくは油断しまくっていたかで、トイレの便器に顔を突っ込んで死ぬ、と。
仮に二人が結ばれたとして、将来の国王夫妻がそんな死に方するとなればあまりにもイヤすぎるし、国の未来も何か真っ暗に見えてしまう。
というかその場合間違いなく反乱とか起きてる可能性が高いので国の未来滅亡まっしぐらと言っても過言ではない。
エヴァンスが火炙りになって死ぬ、という言葉に周囲は息をのんだりざわついたりしたけれど、エヴァンス本人からすればそんな事は知ったこっちゃなかった。
公爵家の人間として育てられてきたというのに、最期がそんな終わり方を迎えるなど、その場合間違いなく家も続いているか怪しい。
公爵家諸共であるならまだしも、もし公爵家そのものが続いている状態でエヴァンスだけがそういった死に方をするとなれば、それは――
(家族に見捨てられる、という事……そんな、お父様やお母様が、わたくしを……!?)
イスルの最期は変化していた。
であれば、エヴァンスも行動次第で未来は変わると理解はしている。
しているけれど、では、もし火炙りで死ぬ未来の前はどうだったのだろう、とふと気になって。
「……その、聖女リーファ、わたくしの一つ前の死因などは、見ていたのかしら?」
席を立ったままだったエヴァンスはリーファの近くまで移動して、震えそうになる声で問いかけた。
仮に、イスルと仲睦まじくなる以前と死に方が違っていたのなら、リーファという婚約者を蔑ろにしたイスルと距離を縮めた今、火炙りという死因は恐らくそれがきっかけである、と言えるだろう。
勿論他の要因も含まれているかもしれないが、大きなきっかけはきっとそれだ。
エヴァンスが立ち上がった事は知っていたが、まさかわざわざ接近して話しかけてくるとは思っていなかったリーファはきょと、と瞳を何度か瞬かせて僅かに首を傾げた。
火炙りの前の死因、なんだったっけな……なんてぼんやりと思い返す。
大体この人間の終わりを見る力は、余程意識すれば見ないようにもできるけど、特に気にしない場合その人間の死因が見えてしまうわけで。
一人二人ならあまり気にしないけれど、学園中の人間の死因が見えているのだ。
中には馬糞を踏んだことで滑って後頭部を強打して死亡、なんていう中々面白く、またそれでいて死に切れなさそうなやつとか、人違いで殺されるとかのあまりにも不運すぎるものだとか、異国から伝わった餅を食べ喉に詰まらせ窒息死、だとかのよく噛んでお食べ……! と言いたくなるようなものまで。
実に、実に幅広く様々な死因があるのだ。
だから、余程インパクトのある死に方とか、印象に残っていなければ記憶すらしていない。
それでも思い返してみれば……
「あ、思い出した。確かその前は愛する夫に看取られて、だったわ。それが火炙りに変わってたから、凄い変わりようだなぁって思ったんだっけ」
そうだったそうだった、とばかりにリーファはぽんと手を打つ。
その言葉に、エヴァンスは思わずよろめいていた。倒れなかったのだけは褒めてもいいだろう。
「そん……な……」
声を出そうにも、それも難しいくらいエヴァンスは衝撃を受けていた。
恐らく、その死因に変化したのはイスルと距離を縮めてからだろう。
リーファがすぐに思い出せなかったのは、衝撃的な死に方ではなかったから、というのもエヴァンスは理解した。確かにその死因なら、あまり記憶に残らなかったとしても……と思うので。
だがそれでもエヴァンスが受けた衝撃は計り知れない。
イスルと深く良好な関係になろうとしなければ、恐らくは誰か、父が選んだ婚約者と共に人生を歩んだだろう事はエヴァンスにもわかっているのだ。
ただ、未来のことなど誰もわかるはずもない。人によって期待が大きいか不安が大きいかは異なれど、結局のところどうなるかなんて、それこそリーファのような聖女が神に与えられた贈物の能力――などがなければ、知りようがない。
けれどもしイスルではない相手と結婚したとして。
最期はそんな夫を愛するようになっているらしいし、しかもその相手に看取られて逝くとなると。
それは、もしかしなくても貴族としてはとても良い終わり方ではないだろうか。
貴族同士の――特に高位貴族は政略結婚が多い。だからこそ、お互いに歩み寄って仲を深めていく努力は必須だ。だが、それでも上手くいかない場合はある。どちらかが歩み寄る事をやめてしまった時や、お互いが根本的に合わない場合だとか。
だからこそ、年をとってもお互いを愛し合う夫婦というのは貴族にとっては必ずしもそうなるというわけではないのだ。
死ぬまで冷え切った夫婦のまま、なんていう家もある。
エヴァンスはしかし火炙りの前の死因から察するに、本当に愛する夫を得られたのだろう。
最初から相思相愛であれば若くして死ぬ可能性も出るけれど、生憎イスル以外にエヴァンスにそういった想いを抱いた者がいたか、となるといない。なら、イスルと結ばれず親が選んだ婚約者と結婚していれば、最初はわだかまりができたとしてもいつかは想いあえる相手に出会えたのだ――と考えると。
エヴァンスは気持ちイスルからちょっとだけ距離を取った。あまり離れすぎるとリーファとの距離も開くので話をするのに困るから、本当に少しだけ。
虫がいい、とエヴァンスも思っている。
思っているけれど、流石に火炙りは嫌だ。
公爵家の令嬢として生まれ育って、その名に恥じないように生きてきたつもりだ。
万人から好かれるなど無理だとはわかっている。政敵だとか、派閥の問題で仲良くできない相手だっているし、どうしたって性格が合わない者もいる。だから、自分を嫌っている人間がいる、というのをエヴァンスはそこまで気にしていない。嫌っている人間もいるけれど、自分の事を好きでいてくれる人がいるのだって確かなのだから。
誰彼構わず媚び諂って生きるような事を、公爵家の人間がするはずはない。
だが、それでもエヴァンスはエヴァンスなりに家の評判を落とすような真似をしないようにと気を付けていたし、そうやって生きていたつもりだった。
だがその結果行きつく先が火炙りは、貴族としても大問題である。
……確かに、イスルがリーファを気に入らず、次の相手にと自分を選んだであろう部分は嬉しい。
ちょっと前まで自分だってリーファなんかより自分の方が王子の相手として相応しいと思っていた。
リーファとの婚約がなくなれば自分が次の婚約者。そう信じて疑う事すらしていなかった。
だから、ちょっと予定を早めて今からイスルと仲を深めたとしても、何も問題はない、なんて思ってもいた。
しかしその結果、未来はどうやら変わったらしく、最期がとんでもない事になってしまった。
「……わたくし、急用を思い出しましたのでお先に失礼させていただきますわね」
食事は既に済ませていたので、エヴァンスはなるべく自然に見える動作で二人から離れた。午後の授業は休むと伝えて、それから急いで家に戻る。
聖女が見た未来、自分の最期をこのままにしておくわけにはいかない。
最終的な結果が王妃になれば今イスルと仲を深める事など些細な事、と思っていたけれど、そういうわけにもいかなくなってきた。
エヴァンスは大急ぎで家に戻り、両親に聖女が見た自分の最期について伝え、このまま王子と縁付くのはよろしくないと訴えたのである。だってこのままだとイスル王子も一体何がどうなってか知らないが、便器に顔を突っ込んだ状態で死ぬのだ。
火炙りも大概だが流石にそんな死因も嫌すぎる。
――そんな風に、目が覚めた、とはまた違う気もするがエヴァンスが王子と距離を取ろうと考えたのと同じように、これから先の事をどうにかしないといけない、と思った者は他にもいた。
エヴァンスが一足先に食堂を出て行った後、聖女リーファは他にも自分に対して心無い言葉を投げかけてきた相手の死因を伝えていたのだ。
何か嫌味ったらしくあれこれ言われても、でもこの人の最期はこういう終わり方なんだなぁ、って思うとどうでもよくなるっていうか……というイスルやエヴァンスに向けての言葉とほぼ同じような態度で言われてしまうと、ロクな死に方をしないと言われた者たちも流石にそんな死に方は嫌だとなってしまって。
本来ならば賑わい、生徒たちの笑顔が溢れる食堂は一転して葬式のような空気になってしまったのだ。
元平民の聖女なんかより、公爵令嬢エヴァンス様の方が王子に相応しいと思ってリーファにあれこれ言っていた者たちはこれ以上何を言ったところでリーファから、
「でも最期は○○だしなぁ」
の全てで受け流されるとなれば、嫌味や皮肉の一つ言ったとして無駄に終わると理解してしまったのだ。何を言ってもリーファの心が傷つくよりも、でもこの人最期はあぁだしなぁ、で受け流されるどころか下手すると同情される始末。
平然として動じないのもそれはそれでイラッとしていたけれど、内心で憐れまれるとか更に屈辱である。
未来は変わるのであれば、せめてもうちょっとマシな死に方になるようにしないと……とエヴァンスのように考えた令息や令嬢たちは、そっと己の心を戒める事を決めたのである。
――さて、そんな中イスル王子はというと。
「今日はどうだ」
「便器に顔突っ込んで死にますね」
「今日は!?」
「ネズミ口に入れて窒息死って出てます」
「一体どんな状況だ!?」
「さぁ? お腹空いたんじゃないですか?」
「あり得ない!!」
「今日は!?」
「……あら? 前よりはマシですね。暴漢から襲われて逃げようとした直後足を滑らせて凍ったバナナに頭を打って死亡と出てます」
「どこがマシなんだ!?」
「便器やネズミよりマシでは?」
「結局死ぬんだよなぁ!!」
「何を言うのです殿下。人間いつかは死ぬものですよ」
正直何をどう改めれば最悪としか言いようがない死に方を回避できるのか、とイスルは日々の行動を改めるべく色々と試行錯誤し、毎日のようにリーファに自分の死因を尋ねるようになった。
最初のうちは周囲も何事かと思って見ていたが、それがずっと続けばあぁなんだまたか、となる。
そう、あの日からすっかりイスルとリーファのやりとりはお約束のものとなってしまったのだ。
リーファの能力はあくまでもその人間が死ぬ時の原因を見るだけで、どうしたらそれが回避できるかまでは知りようがない。
だが、それでもモノによってはそれがいつどこで死ぬのか、推測できそうなものもあった。
凍ったバナナと言われてイスルはそれが冬の出来事かと思ったが、しかしこの国の冬はそこまで厳しいものでもない。
もしかしたらいつか、それくらい寒い日がやってくる事があるのかもしれないが、それよりもこの国ではバナナを栽培していないので、基本的には他国からの輸入である。
バナナは一年中流通しているか、と言われるとこの国ではそうではないので、入荷する時期が限られている。
暴漢が襲ってきたとして、そこらに凍ったバナナが転がっている状況というのはそう無い。
バナナを凍らせて保管してある場所がないわけでもないが、それはとても限られるので。
つまり、そこで死ぬ可能性が高いというわけだ。
道端に普通に凍ったバナナを捨てていく奴がいるはずがないので。少なくともこの国ではバナナは嗜好品で、そんな道端に簡単に捨てて放置されるようなものではない。
であるならば、冷凍したバナナを加工する所へ視察に出向き、そこで襲われたと考えるのがイスルとしては妥当であった。
もしその考えが当たっているならば、なんとなくそうなりそうな場所に心当たりがある。
なので、イスルはそっと頼りになる者たちに心当たりのある場所を調べさせた。
未来がどうなるかなど誰にもわからないけれど、しかしイスルが怪しいと睨んだ場所では。
密かに反乱を起こそうと企む者たちがいた。
いずれ、時が来たなら行動に移ろうと今はまだ水面下に潜みコツコツと来たるべき日に備えてあれこれ蓄えているところだったが、その企みを暴かれ一つの貴族の家が消えた。
その一つ前のネズミが口に、というやつだって。
あまりにも大量にネズミが溢れたか、はたまた王家の人間であるにも拘らず食うに困ってたまたま目についたネズミを咄嗟に口に入れようとしたか……
どちらにしてもロクな死に方でないのは確かで。
それ以前にネズミとかいくらお腹が空いていても、食べるものではない。
異国では食料にできるネズミもいるというが、この国のネズミは食料にするには問題しかなかった。
食べれば何らかの病気を発症する可能性がとても高い。故に害獣として見つけ次第処分するように、というのがこの国でのネズミという存在だ。
流石にそんな死に方も嫌だったから、イスルはとにかく国からネズミを根絶しようと思い立って、国内の清掃活動に力を入れるべく人を雇い、そういった事業を立ち上げたのだ。
結果として国内は徐々に清潔さを保つようになり、以前は町の路地裏あたりでよく見かけていたネズミも徐々に姿を消していった。
とはいえ、ネズミは増える時はあっという間なので、根絶するのは難しいだろう。
だが爆発的に増えて病原菌をまき散らされなければ、多少いるネズミは例えば死んだ虫や他の動物の死骸を処理することもあるので。
増えすぎないように注意しつつ、上手く利用していくつもりであった。
まぁ、そうやって国中をクリーンにしていった結果次の死因が凍ったバナナなのだが。
だが死地となりえた場所の貴族の悪事は暴かれた。
だからこそ――
「今日はどうだ!?」
原因になりそうなものを一つ一つ潰しては、イスルは今日もリーファに確認するのだ。
自分の最期を。
せめて、少しでもマシな最期を迎えられるように。
イスルはまだ気付いていない。
そうやって毎日のようにリーファと関わるようになっていくうちに、以前は手入れも何もしていないと文句ばかりだった外見が気にならなくなっていっている事に。
むしろ、下手に言葉を飾らずズバッと言ってくれるリーファに段々気を許している事実に。
今までは我儘で傍若無人なところもあったイスル王子だが、リーファの言葉で周囲の人間にも目を向けて気遣うようになってきてから、徐々に死因が悲惨なものではなくなってきた、というのを知っているのはリーファだけだ。
とはいえ、その死因はまだまだ王家の人間が迎える最期としてはどうかと思うものではあるのだが。
きっかけは惨めな最期を迎えたくない、というものではあるけれど。
それでも彼はその最期を回避するため、その原因になりそうなものを考えて、そうして少しずつ改善してきた。
まだまだ先は長いだろうけれど。
このままいけばいつかきっと彼は。
きっと立派な王様になる事だろう。
そう考えると、リーファは自然と笑っていた。
何を考えているかわからない、と不評だった笑みとはまた違う、未来に希望を抱いた笑みを。
聖女の方がよっぽど王族に向いてるメンタルしてる気がしなくもないけどきっと気のせい。
次回短編予告
悪役令嬢に転生した人が原作通りにするけど全部そうするとは言ってない系の話。