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34 20年ぶりのデート

 柏原は携帯の電波が良好なことを確かめた。電池もまだまだ満タンだ。

 戻ってきた生駒の車が指令車の横を通過した。優がちょこっと手を挙げた。

 そして十分後には、アコードが柏原の前を通りすぎていった。

 その後ろにはカップルを装った覆面パトカーが続いている。


 無線が入った。

「Gを通過しました」

「了解」

 迷うことはない、打ち合わせどおりFに入れ、と柏原は祈るような気持ちになった。

「Fに入りました。我々も駐車します」

「了解」

「柏原先生、行きましょう」

「はい。しかし上野のやつ、そろそろ携帯を繋いでくれよ」

 F駐車場に入った覆面パトカーの陰に隠れるように、柏原を乗せた指令車が停まる。

 事前の打ち合わせどおり、生駒は駐車場には入らずに道路脇に停めていた。

 全員が揃った。


 アコードのドアが開き、上野と弓削が車から降りてきた。

 柏原の携帯が鳴った。

 柏原は無言のまま耳にあてる。 すでに声を拾うセンサー部にガムテープを貼って遮音してある。

 携帯電話のイヤホンジャックにプラグを差し込み、用意してきた録音装置に繋ぐ。

 そして、その装置からかすかに聞こえてくる会話に息をころして聞き入った。


「ね! ここが一番見晴らしがいいでしょ。そう言ってるのに、どんどん先へ行くんだから。焦ったわ!」

「ハハ、ごめんごめん。上野さんに誘ってもらって、ちょっと舞い上がってしまったんです。なにをどう話したらいいのか、わからなくなって。ついつい、ゆっくり車を走らせながら、考え込んでしまってたんですよ」

 弓削がおどけている。

「へーん、いったい何を考えていたのかしらね。それにしても残念ね。私、あそこの焼肉屋さんに一度行ってみたかったのよ。阪奈道路を通るとき、いつも目につくでしょ。夜景もきれいに見えそうだしさ。今日に限って休みだなんて、ついてないよね」

「あー、ほんとに、残念ですねえ。せっかく上野さんご指定の店だったのに。まあ、僕の方は久しぶりに会って、こんなところで一緒に夜景を見るんだから最高の気分ですよ」

「またまたあ、弓削くん、調子よすぎない?」

「いえいえ、本心です」

「そうなん?」

「それにしても、何年振りかな。ふたりでデートなんて」

「うん」

「僕がアーバプランに入社したとき、食事に誘ってくれましたよね。たぶん、あれ以来ですよ。ということは、生涯二度目。だいたい、20年ぶりかな。ね、あのときのこと覚えてます?」

「もちろん」


「僕が中途入社だったもんだから、上野さん、僕がてっきり自分より年上だと思ってたんですよね。二つ下だとわかって、なんだあ、と言ったでしょ。あれ、どういう意味だったんです? がっかりしたってこと?」

「がっかりなんてしてなかったわ」

「でも、あれから誘ってくれませんでしたよ」

「うーん、そうねえ。私は待ってたのよ。あなたが誘ってくれるかなって」

「ぐっ、そう言われると、辛いなあ。でも、それ、本当?」


 弓削と上野は、思い出話を楽しんでいる。

「しかし、中年ふたり連れというのも照れくさいものですね。どうかな。腹も減ったし、長居しないで下りましょう」

「どうかなって、相変わらずの口癖ね。ね、さびしんぼう」

「あ、なんだか懐かしいな、そのあだ名」


 ふたりは黙った。

 夜景を見ている。

 大阪の街の明かりが、上空に浮かぶ無数の塵さえも輝かせている。

 ほの明るい夜空の中で、シルエットになっているふたりの後ろ姿。

 柏原は厳しい顔で見つめた。


「きれいよねぇ、夜景」

「ええ」

「でも、ここって、昔からこんなにきれいだったかなぁ。生駒山で大阪の夜景を見るなんて、何十年ぶりだろ。ねえ、ね、あのあたりが住道?」

「えっと、そう……。あのオレンジ色の光の線が阪神高速東大阪線だから、あのあたりです。あっ、JRの住道駅がわかるよ。ほら、プラットホームの照明が明るい」

「どこどこ?」

「ほら、あそこに」

「弓削くん、目がいいのね……。うーん、わからないわ」

「じゃあ、通天閣が見えてるけど、わかります?」

「それならたぶんわかる。……あそこよ」

「そう。ここから夜景を見るときって、必ず通天閣を探してしまいますよね。ものすごく遠くにあるのに、探すとなぜかすぐわかる」

「そうね。やっぱり大阪人なんだ」


 乗用車が一台入ってきて、ふたりの背中にヘッドライトの光を浴びせかけた。

 しかし、弓削と上野の後ろ姿は身じろぎもしない。


「ところでさ、朱里のこと。……悲しいね。あなたもお葬式に行ったんでしょ?」

「はい。とても残念で……。独立するって、あんなに張り切っていたのに」

「彼女なら、うまくやっていったでしょうにね」

「自殺するなんて、信じられないですよ。上野さんは知らないかもしれませんけど、実は朱里さんの自殺のことで、コナラ会のメンバー数人で探偵のようなことやったんです。なにか聞いてます?」

「なにかって?」

「みんなで考えてみようとしたことについて」

「うん、それは生駒くんから聞いたわ。でも私、さっきも言ったように、ヨーロッパに行ってたでしょ。だから詳しいことはなにも。生駒くんから聞いたことは、彼女が大峰山で崖から落ちて死んだこと、警察は自殺という結論を出したけれども、みんなはそれを信じられなくて調査みたいなことをしているってこと、それくらい」

「それだけですか?」

「それから朱里のパソコンに遺書が入っていたということも聞いたわ。ねえ、少し寒くなってきた。車に戻りましょうよ」

 ふたりが戻った車内では、沈黙が続いた。


 柏原は携帯電話のディスプレイを見て、通話中であることを確かめる。

 リアウィンドウ越しには、シートに隠れて上野の姿は見えない。弓削の後ろ姿は動かない。

 柏原は携帯を握っている手が汗ばんでいることに気がついて、膝の上に置いた。

 ようやく上野の声が聞こえてきた。


「朱里のパソコンに入っていたっていうブログ、見た?」

「私は誰でしょう、というやつですね」

「うん。あの中に駅のコンコースで撮った写真があったでしょ。男の人の後ろ姿が映ってたの、覚えてる?」

「ええ」

「あれ、誰だかわかる?」

「さあ。たぶん、関係ない人なんじゃないですか。確かキャプションにもそう書いてありましたよ」

「実はあれ、赤石さん」

「えっ」

「生駒くんたちが気づいたのよ。コナラ会のときに赤石さんが着ていた服装と同じだから。私も確かめてみた。同じシャツだったわ。珍しい柄だから間違いないと思うわ」

「そうなんですか……。気がつかなかった」

「ふーん、そう? ねえ、弓削くん、あなた、住道に住んでいるんでしょ。もっと気がついていること、あるんじゃないの?」

「えっ、なにをですか?」

「あなた、朱里のことを……、実は好きなんじゃなかった?」

「僕がですか? 急に変なこと言わないでくださいよ」

「今もそうなのかどうかは、知らないわ。でも、あなた、蛇草さんと張り合っていたじゃない。昔はさ」

「困ったなあ」

「フフ、困らなくてもいいわよ。いまさら隠すことじゃないでしょ。というか、私は気がついていたわ。あなたがずっと朱里のことを好きだって」

「うわ! まいったなぁ」


「会社にいたとき、沖縄に行ったこと、覚えてるでしょ。海岸で生駒くんと私とあなたで、退職することを打ち明けあったわよね。今思うと、青春のひとこまって感じね。あのとき、あなたは蛇草さんとは一緒にやってられないと言ったわ。実際にどう言ったのかは覚えていないけど、そんな意味のことを」

「いや、それは……」

「それに、あなたはこうも言った。あの銀行マンも鼻持ちならないやつだって。その一連の話には、朱里が絡んでいた。誰でも知っていることだわ。あえてもう言わないけどね」

「弱ったなぁ。確かにあのときはそんな気持ちもありましたけど……。もう昔のことですよ。それに僕が好きだったのは、朱里さんだけではなかったんですけどね」

「気の多い人。そう、あなたは誰とでも仲がよかった。私もあなたが好きだったわ。今もね。フフ、長い付き合いだし、仲間だからね。本当よ。でもね、今度の朱里のことでは、関係ありそうなことはみんな話しておかないと。あのブログに、なぜ住道駅にいる赤石さんの写真が載っていたのかしら。あなたなら、知っているわよね」

「はあ? どういうこと?」

「フウー。なぜなの? なぜ隠すの?」

「僕はなにも隠してませんよ」


 ふたりの会話に小さな間が生じたが、すぐにきっぱりとした上野の声が聞こえてきた。


「じゃあ、私から言わせてもらおうか。朱里は赤石さんと付き合っていた。そう、今も。あの写真が証拠。そしてあなたは、ふたりが付き合っていることを知っていた。でもあなたは、自分がそれを知っていることを他人に知られたくはなかった」

「はあ?」

「もしかすると、その写真が撮られた日、あなたはふたりを目撃したのかもしれない」

「……」

「あなたは嫉妬したのかもしれない」

 畳み掛ける上野の声だけが携帯電話から流れ出していた。


「もう少し詳しくいうと、もし赤石さんがあなたと会った後の写真なら、もちろんあなたはあれが赤石さんだとわかっていたし、あなたは知らなかったとは言えないはずよね。赤石さん自身に弓削くんと会ったよ、なんて言われてしまうと困るから。ということは、あの写真は、朱里と赤石さんが駅で別れた後に撮ったものなんでしょう。こそっとね。あくまで私の推測。違うかしら?」

「違うもなにも、僕はなにも知りませんよ。まあ、今の推測の後半の一部は、当たっているのかもしれませんけどね」

「そう、私の推測。続きもあるわ。そのときたまたま、あなたは近くにいた。そして朱里は、あなたに見られていたことに気がついたのかもしれない」

「はあ? ちょっとややこしいですね」

「それで、朱里はどんな反応をしたのかしら」

「いったい、なにが言いたいんです?」

「勘違いしないでね。私はあなたを陥れようなんて、これっぽっちも思っていないわ。逆よ。誰が怪しいのかってことを、もっとはっきり言って欲しいのよ。弓削くんの口から」

「まいったなあ」

 上野のシルエットが、弓削に正対するのが見えた。

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