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28 気のない返事

「おう、生駒か。……なに! 画像は貼り付けられていない?」

 受話器から柏原の興奮した声が響いてきた。

「ああ、同じように拡大してみた」

 生駒は優が事務所のパソコンに保存していた『幸田さん』のブログを開いていた。

「男は写っている。同じ人物のようだ。でも、貼り付けた形跡はない」

「やっぱり八月二日に加工したということやな」

「しかし、理由は? 人物そのものは、どう見ても同じやつに見えるぞ。人物のサイズは加工した方が微妙に大きいけど」

 生駒は柏原から送ってもらった同じ写真を見比べていた。

「それにもうひとつ。朱里のパソコンには書道の先生の話がなかった」

「なんだそれ」

「もともと公開されたブログでは、最後からふたつ目は、書道の先生が語るというものやった。ユウが俺のパソコンに残してくれていた。メールでそっちに送っておく」

「ユウのお手柄か」

「なんでも残しておく性分らしい」


『  書

 ええ、ええ。あの人は熱心な生徒さんです。

 うちに来はってから、かれこれ五年にはなりますか。

 まあ、お習字の上達には、終わりというものはございませんからねえ。

 今度引越しされて、以前よりずいぶん遠くなられたそうですが、今まで通り、ちゃんと阿倍野の教室まで通って来はります。


 もう私も年ですし、新しい生徒さんはお断りしてますねんけど、あの方にはずっと続けて欲しいと思いますねえ。

 いずれもっと上手になりはって、ご自分の教室を開かれるようになっても、上手にやっていきはると思います。


 それから、なんでも、絵画もお好きやそうです。

 ご自分でお描きになるのですよ。

 ご謙遜されて、一度も見せていただいたことはございませんが、絵がお上手なことがお仕事にも活かされて、それが楽しいとおっしゃってはりますよ。

 ご旅行や山登りをされたときなど、簡単にスケッチされて、帰られてからじっくりと描かれるそうです。

 人に付いて習われたことはないそうで、見よう見真似で始められたそうです。


 いろいろおできになられる方でしてね。

 外国語や音楽や写真などもお上手だとか。

 うらやましいですね。

 私らみたいな古い女には、とても真似は出来ません。

 興味のあることにはぽんと飛び込んでいかれるようでして。


 見かけは少々おとなしいお人なんですが、芯には強いものをお持ちなんでしょうね。

 常になにかに追いかけられているような気がしている、とおっしゃったことがありますが、そうして、ご自分を奮い立たせておられるのだと思います。

 七月七日  』

 書の作品の写真が掲載されていたが、生駒にはなんと書かれてあるのか読めなかった。

「趣味の悪い自慢話みたいなもんやな。これを朱里が書いたとは思えない、という気になってきた」

「そうだな」

 柏原との電話を切って、生駒はため息をついて「水霊の巫女」を開いた。


 優が部屋に入ってきた。

「あ、また読んでる」

「おはよ」

「あのさあ、ノブが何度も読み返したい気持ちはわかるけどさ」

「いや。俺は考えてるんや。グランプリをとったミステリー作品の『水霊の巫女』と『幸田さん』のブログの出来栄えに、こうも差があるのはなぜなのか」


 生駒にとって、このミステリーの存在が、推理する気力を維持させていく原動力だった。

 捜査はさほど進んでいない。新しい情報は少なかったし、真相に近づいているという確信は全くなかった。

 朱里は、この作品がグランプリを取ったことを知らずに死んだのだ。

 そう思うと、生駒はなんとしてでも真相を解明するのだという決意を新たにするのだった。


「だからねぇ、何度も読み返すのもいいけど、もっと推理しようって」

「推理か……」

「そう。怒らないでよ。漫然と思い巡らすより推理よ。論理的思考」

 生駒はようやくパソコンから目を離し、テーブルの端っこに腰かけた優の顔をまっすぐに見た。

「なにか考えがあるようやな」


「ううん、ないよ。でも、これだけは言える。このミステリーには朱里さんの事件にぴったり符合するようなことはないと思う。でも、なにかの示唆かもしれないとは思うけど」

「ロープか……」

「そうかもしれない。あるいは、事件とは関係ないけど、ある記述が誰かを特定できるのかもしれない、とかさ」

「それと感じるところは、なかったような……」

「そのつもりで読んだ? 私はわからなかった。コナラ会メンバーにしかわからないことなのかもしれない」

「なにかあやふやな話やな」

「うん、そう。朱里さんがなぜ殺されたのかわかっていないけど、金銭が絡んでのことじゃないみたい、よね。なにか別の目的のために排除したかったって感じ。あるいは、なんらかの憎しみ」

 生駒は少し驚いて優の言葉の続きを待った。


「どんな憎しみかなぁ。復讐? 嫉妬? 怒り? ノブの昔話は聞いたけど、私にはその深いところにあるものはわからない。犯人にとって、どの憎しみを理由にすれば、自然な発想として朱里さんを崖から突き落とそうという意思が出てくるのか」

「人を殺しておいて、なにが自然な発想なもんか」

「思い詰めた人にとっては、ということ。そろそろ、例の亡霊達を召還する時期かもよ。あ、うそうそ。絶対に必要ないと思う」

 生駒はため息をついて、またパソコンに目を落とした。


「サイトの方で読んでるん?」

「いや。原稿」

「サイトの方が読みやすいよ。作品に対する意見交換の掲示板もあるし」

「いや。生の原稿の方が、なんとなく」

「ふうん。ノブはそうかもね」


 プリンターが軽やかな音をたててテキストを排出し始めた。

 優がプリントアウトした「水霊の巫女」を持って、ソファに寝転がった。

 生駒は、足をぶらつかせて読み始めた優の後ろ姿に微笑んだ。


 空は、いつのまにか秋の訪れを告げていた。

 太陽もそろそろ現役を降りるというような態度で、覇気がない。

 生駒は久しぶりに紅茶を沸かし、ゆっくりとした朝を過ごしていた。


「柏原か? あのブログやけど、朱里のじゃない。住道駅の画像を駅員とハンバーガーショップの店長に見せたら、撮影日が特定できたんや。今年の六月二日金曜日。百円ケーキの出店は金曜日だけで……」

「それで、なぜ朱里じゃないとわかるんだ?」

「あいつはその日、東京出張やった。三好さんに確かめた。まさか百円ケーキや店の幟が貼り付けられているのかと思って画像を調べてみたけど、その形跡はない」

「ふーん」

「あん? なんやおまえ、反応がないなあ。あいつのブログじゃなかったことがはっきりしたんやぞ」

「ああ、わかった。で、誰のだ?」

「それはわからない。ん? おい、なんか、気のない声やな。どこか具合でも悪いんか?」

「いや、そういうことじゃない」


 柏原の精気のない声に、生駒はいらだった。

「なら、なんや?」

「僕はいつもどおりだ」

「しかし、一昨日の推理会議でも、おまえからはなにも……」


 それ以上言うのをやめた。

 生駒自身、自分達の推理に限界を感じていたからだった。

「ふう!やなあ」

 大きなため息が出た。

 あきらめ、あるいは倦怠感を吐き出したのかもしれない。


「ところで、みんなの返事はどうやった? はがきの件」

「あれを受け取ったのは、ほんの数人だけだったようだ。それに、まともに受け取ったやつは誰ひとりいない。生駒以外は誰も『幸田さん』のサイトにアクセスさえしていない」

「やっぱりな。あんな怪しいもの」

「でも、おまえは見た」

「俺やない。ユウが好きなんや。ああいうの」


「そういえば、弓削はどうしてる? そもそもの依頼者は」

「ああ、電話はよく架かってくる。こまごました情報や思いつきを言ってきたり、俺たちの考えを聞いてくる」

「相変わらず熱心なことだな」

「……柏原。おまえ、やる気なくしてないか?」

「そういうことじゃなくて、弓削の熱心さが不思議なだけだ」

「そりゃそうやろ。あいつは……」

「あいつは、なんや?」

「いや、軽々しく口にするとまずい」

「まずいか……」


 とにかく柏原の声は沈んでいた。

 電話を切るタイミングを互いに言い出しにくいかのように、あまり意味のない話題がだらだらと続いた。

 ここしばらくは、朱里の調査の合間に仕事をするというような毎日だった。しかし調査の進展は、実質的にはほとんどなかったといっていい。

 住道駅の男の後ろ姿を、食堂の夫婦や三好、そして上野に見せても収穫はなかった。


 生駒には、肝心なことがなにひとつわかっていないように思えた。

 わかっていないどころか、朱里は殺されたのだという仮説の上に、ばらばらの無関係な事実や想像を単に積み重ねて、それを推理と呼んでいるだけだ。そんな自己嫌悪があった。

 だからといって、事態を進展させるアイデアがあるわけでもない。

 これ以上、朱里の死をもて遊んではいけないのではないか、という思いが時として頭をかすめるのだった。


 柏原の態度も変わった。

 生駒の報告や相談に生返事をしてくることが多くなっていた。

 考えることに疲れた、お前達でやってくれ、自分は降りる、と言っているようにさえ聞こえた。

 一時は探偵役として推理をリードし、生駒や弓削や優にあれこれと指示を出していたのに、最近ではすぐにバーのマスターの顔に戻ってしまう。


 生駒にとって唯一の救い、あるいは推理を継続させる熱意を喚起してくれるのは弓削の存在だった。

 三日をあけず電話を架けてきて、生駒を鼓舞するようなことを言ってくるのだった。


 柏原との電話を切ると、その弓削から電話が架かってきた。

 忙しすぎてなにも手伝えなくてすみません、というのが最近の弓削が切り出す定型の挨拶だ。しかし、生駒から弓削に伝えるニュースはめっきり少なくなっている。

「ところで生駒さん、さっき思い出したんですけど、確か赤石さんのホームページに、行者還岳の登頂記録が載っていたように思うんです。だいぶ前のことです。参考になるかもしれないので見られたらどうですか。僕は今出張中なんですが、帰ったら見てみようと思います」

 サイト名は近畿秀峰探訪とかなんとか、そんな名前だったという。弓削がこらえたような笑い声をたてた。


「了解。見てみるよ。ありがとう」

「あ、礼なんて。手伝えなくて申し訳ないと、いつも思っているんです」

 朱里さんの件はここが踏ん張りどころですよ、などと弓削が言うのを聞いて、電話を切った。

 グーグルで検索すると、近畿秀峰探訪というサイトが出てきた。

 しかし、開こうとすると、ページが見つかりませんと表示された。

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