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27 謎の男

 柏原はパソコンを前にして憔悴していた。

 保存されているデータファイルやアプリケーションソフトを開いて、更新日時をチェックし、内容を読んで、気になる点がないかどうか、目を通そうとしていた。なんらかの作為があることを実証しようとしていたのだ。


 しかし、この面倒な作業はほとんど空しく終わった。

 それでも、ブログの原稿フォルダを見つけ、中に収められたデータが、先日読んだミステリという名の付いたフォルダの中のウェブページと内容が一致していることを確かめていた。


 そして住道駅だという画像。

 ウェブページと対で納められている画像のプロパティ。

 作成日が四日一時五十九分で更新日は二日二十三時十六分。原稿フォルダの方は作成日が四日一時四十九分と十分前で、更新日は二日二十三時十六分と同じ。


 しかし他のデータは少し様子が異なっていた。

 ウェブページの方は、おのおののページごとに異なる日付で、画像もテキストも作成日と更新日は同時刻。それぞれの日に、ウェブ上からダウンロードされたということだろう。しかし、原稿の方はいずれも作成日は八月四日で、数秒と違わない。更新日はバラバラで、おのおのウェブページに記載された日付と同日か数日古い。つまり、これらは八月四日にまとめてコピペされたということになる。


 したがって、住道駅だという画像だけがイレギュラーに更新日の日付が新しいということになる。

 そして、原稿フォルダにその画像とセットであるべきストーカーの話のテキスト原稿がなかった。

 明らかにこの短い話が、なんらかの謎を提示しているように見えた。


 画像の中央に写っている男。

 これは誰か。

 それさえわかれば、一気に真相に近づくかもしれない。

 そんな気がして、緑色と白の大きなストライプ柄のシャツを何度も眺めてはため息をついた。


 大学生になった生駒は、それなりに忙しかった。

 学業の方はそうでもないが、ふたつのクラブを掛け持ちし、バスに乗ってふたつのキャンパスを行ったり来たりしていた。

 家庭教師のアルバイトは週に三日。普通自動車と自動二輪の運転免許を取り、北海道から沖縄まで走り回っていた。学生集会にも顔を出し、ダンスパーティーやスキーツアーにも行った。


 高校の卒業時には、朱里とはもう会うこともないかと思っていたが、大学生になった後も時々は一緒に出かけた。

 朱里の通う大学の文化祭。阪急神戸線の岡本の駅で待ち合わせた。

 暮れなずみ、しんと冷え込んだ奈良公園の飛火野。

 黄色く色づいた御堂筋。

 当たり障りのない会話の数々……。


 生駒は思う。

 あのとき、朱里に恋をしていたのだと。

 高校時代の憧れのクラスメートが、今、少し大人になって、ルージュの匂いをさせて、隣にいる。

 それだけのことで、数年前にはあけすけに言えたことが、もう言えなくなっていた。

 好きだというわずか三文字の言葉さえ。


 ただ、高校時代の思い出はある長さのストーリを持って記憶に留まっているが、大学生になってからの朱里との思い出は、かすかな断片となってしまった。

 心に残る言葉の、あるいはシーンのひとつやふたつ、あってもよさそうなものだったが、脳のどこかに沈殿してしまい、浮かび上がっては来なかった。

 それらの思い出が、どれも苦いものだったからかもしれない。

 デートといえば、なんとなくいらついた気分で、手を繋ぐことさえなく、ただ歩き回るばかり。

 朱里が死ぬ直前、独立すると言いに来た夜、彼女の方から手を握ってくれたことが、朱里の体に触れた最初で最後のことだったのかもしれない。


 いつ、どこで、何を話して別れたのか。

 いや、プッツリとした別れというようなものは、なかったのかもしれない。折鶴が色褪せていくような別れ……。

 はたして、付き合っていたといえるのかどうかさえ怪しく、生駒は自分の幼さを呪うのだった。

 ただ、はっきりと言えることは、あの頃、生駒の心に朱里が住んでいたということだけ。


 生駒はそんなことを思いながら、ユウと腕を組んで天王寺の町を歩いた。


「すごいことを発見したぞ! 住道駅のコンコースの写真!」

 生駒と優が店に入るなり、柏原が得意満面でまくしたてた。

「お、今日は。回る回るよ、時代は回る……」

 弓削がすでにビールを飲みながら、生駒達を待っていた。

「中島みゆきか。どうだ、今日はちょっとセンチに、アグネスの白い靴下はもう似合わないでしょう、なんてのは?」

 生駒のどうでもいい提案を全く無視して、柏原がビールをふたつ、カウンターに置いた。


「男の後ろ姿が写ってただろ。そいつの画像を拡大して、目を皿のようにして調べたんだ。そしたら、驚くなよ。なんとあの画像、合成されてるんだ」

「へえ! どういうことや? 朱里が?」

「いや、そうじゃない。犯人がやったに違いない!」

「合成? さっぱりわからんぞ。絵が出てから、ゆっくり説明しろ」

「その前に」

 ウィンドウズの文字がまだ浮かんでさえ来ないパソコンを睨みつけながら、柏原がブログの原稿を発見したといった。


「やっぱり朱里の」

「先走るな。その話は後だ。まず弓削の報告を聞け。ちょっと妙な話だ」

 朱里のマンションに噴水はなかったし、M金属の寮は女子寮だったという。

「へえ、女のストーカーかいな」

 ため息をついて、弓削は、

「なんだかあのブログもいい加減な感じがしてきましたね」と、がっかりしている。


「あまりリアルじゃ、しんどいということじゃないかなあ。作者もその辺のことがわかっていて、あえていい加減さを装っているとか。いわゆる照れ隠し。だいたい、自分のことを話すのに、猫とかサボテンとかに語らせるってさ、自意識が強い割に、精神的に弱い感じもするやん」

 優が解説めいたことを言う。

 生駒は朱里のことを悪く言われたような気がした。

「ユウ、つまり、朱里のブログじゃないって言いたいんか?」

「ううん。そうやなくて、もし朱里さんやったとしたら、そういう精神状態やったんかもしれないってこと」

「要は、朱里のブログやったということが結論か?」


 佐藤夫妻と赤石、そして上野にもはがきが来ていたが、生駒たちはあのブログが朱里のものであるかどうか、まだ決め手を見出せないでいた。

 疑問がいつまでも疑問のままで、ストンと落ち着かない、なんとも居心地の悪い状態が続いていた。

 ただ、原稿があったのなら、ブログは朱里のものと決まったようなものだが。

 ようやくパソコンが完全に立ち上がり、ハードディスクへのアクセスランプが消えた。


「あのストーカーの話の写真ね」

「そう。さ、お待ちかね。拡大するぞ」

「おい、中島みゆきの次はユーミンのルージュの伝言と違うんか。で、その次は拓郎だろうが。雰囲気的には。なんで、蜂のムサシが死ぬんだ。それに、アグネスは、」

「うるさい」

 拡大した部分は、ジーンズの裾のあたり。

 周囲に背景らしき画像の小さな白い断片が残されており、元の画像の背景であるコンコースのタイル目地の黒いラインと合っていない。

 弓削が食い入るように画像を見つめて、なるほど……、と唸った。


「この男性は貼り付けてあったんですか……。ブログに掲載するために手直ししたんでしょうか?」

「とは限らない」

 柏原がやけにきっぱりといった。

「この画像、作成日は八月四日一時五十九分で更新日は八月二日二十三時十六分。朱里が死ぬ直前に加工され、死んだとほぼ同時期にコピペされたんだ」

 ギクッとするようなことを言う。

 優がカウンターをパンと叩いた。

「ちょっと! 説明してよ。作成日とか更新日って。作成日ってのは撮影した日じゃないん?」

 柏原がにやりとした。

「へへ。実は僕も知らなかった。デジカメで撮影してパソコンに取り込んだ日は作成日。どこかからコピペしたり、ウェブからダウンロードした日も作成日。新規に作成したことになるんだ。でも、加工して上書き保存しても作成日は変わらない」

「じゃ、更新日は?」

「加工したりして上書き保存すると、作成日は変わらず更新日が変わる」

「ウェブから取り込んだときには更新日はどうなるん?」

「取り込んだ日さ。ウェブから取り込むと作成日と更新日は同じだね。わかった?」

「コピペしただけなら作成日は変わって、更新日はそのまま変わらないんやね?」

「そう」

「すると、作成日より更新日の方が古い日付ってこともあるんやね」

「そうそう」

 優は理解したようだ。

 生駒は当然の思いつきを口にした。


「ということは、わざわざそんな加工をしたわけやから、この男に何らかの意味があるはず、と」

「そう。更新日を頼りにすれば、加工されたのは朱里が死ぬ直前の八月二日」

「じゃ、柏原さん。原稿の方の画像はどうなん? 今、見せてくれたのはウェブページの方の画像でしょ?」

「さすがユウ。話についてこれてるな」

「あたりまえやん」

 柏原が原稿の方の駅の画像を開いた。

 こちらの画像にも加工の跡があった。更新日はウェブの方と同じ時刻。


「ということで、やはりこの画像だけが、朱里が死ぬ直前の八月二日に加工されたってことになる」

「おまえ、さっきから何度も朱里が死ぬ死ぬって、やめてくれないかな」

「気にするな。その方が日付が頭に入りやすいだろ」


「あれ?」

 優がパソコンをいじっている。

「テキストの原稿がない」

「ほら、生駒。ユウのようにアクティブに考えないと」

「フン。で、なにがないんやて?」

「原稿フォルダにはストーカーの話がない。画像だけあって、テキストデータがないねん」


「そうか!」

 弓削が突然、大声をあげた。

「目立たせるためじゃないですか? メッセージですよ。この画像に、気を向けさせるための」

 柏原がにやりとした。

「僕もそう考えた。僕らが注目したのは、その思惑通りじゃなく、弓削が住道駅だと言ったからだが、いずれにしろこの画像が気になってしかたがない」

「そして、この男に注目している」

「犯人の挑戦状!」と、優が言い放った。


「朱里さんが加工したとは限らないわけやんか。ということは、これ、ね?」

「推理小説の読みすぎ」

「じゃ、この人、誰なん? こいつが犯人よ、きっと」


 柏原がパソコンを操作する。

「まだ、話の途中だ。他のファイルはどうだったか。ウェブページの方はそれぞれ別の日で、作成日と更新日は同日同時刻。不自然さはない。それぞれの日にウェブからダウンロードされたということだろう。しかし原稿の方はすべて作成日が八月四日の同時刻。更新日はバラバラで、おのおのウェブページのものより数日古い。つまり、原稿はすべて八月四日にまとめてコピペされたということになる」

「匂いますよね。特にその日付は」

「だれかが、この原稿データ一式を朱里のパソコンに入れたとすれば……」

 柏原がそういって優を煽った。

「自分のブログを使って挑戦状を叩きつけてきたのよ!」


「おい、ちょっと待ってくれ」

 生駒は三人の顔を見ながらいった。


「みんな、先走ってないか? まず、あのブログ。だれのものか。これはどうや? 感覚的には朱里のものに見える。そうやったよな」

 三人とも頷いた。

「なのに、今、あたかも犯人のブログであるかのような、そして犯人がなんらかの仕掛けとして利用したかのような口ぶりや。ここで間違ったら、正しい結論に行き着かないぞ。朱里自身が加工したということも考えられるわけで……」


 生駒は悩んでいた。

 ブログの作者は朱里か。脈絡からみれば、その結論になるだろう。

 しかし、誰かが仕組んだものという可能性を考えるとき、その常識的な判断こそが犯人の思う壺ということになる。

 もっと直接的な証拠はないものか。


 生駒は弓削の様子を盗み見た。

 目を伏せて猛烈に考え込んでいる。そう装っているだけかもしれないが。

「万事休すですねえ。この男が誰なのかがわからないんじゃ」

 その弓削が大きく伸びをした。


 実際、生駒もこの議論には疲れていた。

「朱里さんのサイトかどうかも、結論が出ないし」と、優も腕組みをする。

「いずれはっきりするさ」

 柏原が笑い、急にバーテンの顔になって、お代わりは?といった。

 さりげなく、話題を変えたかったのかもしれない。


 今日のオルカは久しぶりにビートルズが掛かったと思うと、次の曲は青い三角定規の「太陽がくれた季節」だった。

まったくそんな気分ではなかったが。

「ところで、なあ柏原。朱里のあのミステリー。あれは今度のことに関係あると思うか?」

「グランプリ作品『水霊の巫女』か? そうやな……。そんなことより、彼女の最初で最後のエンターテイメント作品かもしれない。あれはそのつもりで楽しんでやれよ」

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