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25 ヤドカリ

 生駒がアーバプランを辞めることになる年。

 社員旅行は沖縄への一泊二日の旅だった。日頃の不愉快面を引っ込めて、さっぱりと楽しもうとしていた。

 後二ヵ月程で担当しているプロジェクトが峠を越す。そのときに退職届を出す決心ができていた。


 那覇空港からタバコ臭い観光バスに乗せられ、団体客専用の大食堂に連れて行かれた。

 水っぽい刺身ランチをビールで流し込む。昼間から中途半端に酔って、連れまわされるおサルよろしくぞろぞろとバスにまた乗り込み、誰もが連れていかれる観光名所に向かう。

「なんだか浮かない顔ね。しかたないわよ。しっかり値切った団体旅行なんだから」

 そう言いながら隣に座った上野は、ポーチからガムを一枚抜き取って生駒に寄こした。

「新人のころなら宴会もおもしろかったけど、さすがにね。いい大人が連れまわされてお決まりの宴会。もうあきあき」

 上野はガムの包み紙をきれいに折り畳んで、前の背もたれについている汚らしい吸殻入れに放りこんだ。


「ね、今日の夕方はどうするの? 主だった連中は釣りをするみたいだけど」

 日頃の疲れが溜まっているだろうということで、観光は早々に切り上げてホテルに入り、七時からの宴会までは自由行動ということになっていた。

「せっかく来たんです。沖縄らしい村を訪ねたいもんですけど、時間が中途半端やし、ま、そのあたりの散策かな」

「そのあたりって?」

「ホテルの周りにはなにもない。観光客が見に行くようなところは。でも上野さん、案外こういうところがおもしろいかもしれませんよ。小さな町でしょう。たぶん、ひなびた漁港で、小さな商店街がある。市場もあるかもしれませんね。そんなところをぶらぶらして、なにかおもしろいものがないかって。ま、期待はしてませんけどね。でも、いくらなんでも着いてすぐに風呂は早いでしょう」

「タウンウォッチングか。一緒に行っていい?」

「もちろん。でも、退屈しても知りませんよ」


 バスの後方の席では、竹見沢と蛇草が釣り談義をしていた。南の海でトローリングをしたことがあるとかないとか。

 ホテルには露天風呂と太平洋の雄大な眺め以外に、たいしたアトラクションはない。せめてもの客寄せのために、釣道具の貸し出しとポイントまでの送迎サービスがあるという。お遊び程度のものだが、会社の慰安旅行などでは人気のメニューらしい。

 ふたり以外にも釣竿の貸し出しを予約している者は多かった。

「熱帯魚みたいなもの、釣れても食べられないだろうな」

「そうですね。でも添乗員に聞いたら、普通のチヌも釣れるそうですよ。もしかするとチヌのような魚ということかもしれないけど」

「どこで釣れるんだ?」

「ホテルの前の波止で釣れるらしいです」

 釣り組はそれなりに盛り上がっていた。


 それに比べて生駒の方は散々だった。

 商店街も市場も、あるにはあった。看板のついた街灯が設置されているなら商店街、数件の生鮮食品の店が集まっているなら市場、と呼ぶならば。

 しかも時間が遅いせいか活気がない。目を引く特産物を売っているわけでもない。

 たちまち通り抜けてしまうと、もう何の変哲もない街並みに変わり、その先は、小学校の校庭の向こうに、赤土が剥き出しになった荒れた農地と海岸線が見えるばかり。

 生駒と上野は言葉少なくそのまま歩いて海岸に出た。

 スニーカーに赤い土埃がついていた。


 生駒は、自分には女性に対して構えたところがあるということがわかっていた。

 だから今日のように、上野の方から一緒に歩こうと言い出されたことに、わずかな驚きを感じていた。

 一緒に仕事をすることが多かったし、仕事に対する上野の態度に感化されてもいたのだが、友情や愛情に近い親しみを持っていたわけでもなかったからだ。


 波打ち際に並んで座った。

 市場で買った小粒のサーターアンダーギーを紙袋からふたつ摘み出し、後は袋ごと上野に渡した。

 目の前には、海と空しかなかった。

 沈みゆきつつある秋の日差しを背中から受け、ふたりの影が砂浜に長く伸びていた。

 聞こえるのは穏やかな波の音だけ。


 生駒は上野の影の頭を見ていた。

「生駒くん、会社を辞めようと思っているんじゃない?」

「えっ」

 半分噛んだサーターアンダーギーのかけらがパラパラと砂の上に落ちた。

「わかるわよ。態度で」

「そうですか……」


 生駒は、もうみんな感づいているのか、となんとなく気が楽になったように感じた。

「あなたが辞めたら、雪崩をうったように皆も続くと思うわ。私もね」

 上野もサーターアンダーギーに噛みついた。


「でも揉めるでしょうね」

「揉めないですよ。僕が辞めるくらいのことで」

 生駒は上司の顔を思い浮かべたが、上野が思いがけないことをいった。

「あなたはお目付け役だから。朱里の」

「は? なんですか、それ」

「言葉どおり。みんながそう思ってるってことね」

「へえ。でも違いますよ」

 そう言ったものの、どう違うのかを説明する気にはならなかった。

 今のように、人から言われたり、あるいは感じることもあったが、生駒はいつもあえて強く否定はしなかった。どう説明すればいいのかわからなかったし、そう言われて不愉快ではないからなのだろう。


「ふふ。生駒くんのその困った顔も見れなくなるのか。ま、せっかくの旅行なんだし、そんな話は帰ってからね」

 上野が食べかけのサーターアンダーギーを、ぱくっと口に放り込んだ。

「ちょっと待って。朱里の話と僕が会社を辞める話と、何の関係があるんです?」

 上野が目の端で笑った。

「実は私もそうなのよ」

「はぁ? お目付け役ってこと?」

 さあね、と上野はふたつ目のサーターアンダーギーに挑戦している。

「彼女は釣り組かな」


 今頃、朱里は大勢の仲間達と、おおらかにはしゃいでいることだろう。

 上野は自分で言い出しておきながら、もう話題にする気はないようだ。

 砂の上にぽんと寝転んでしまった。

 生駒は自分の退職のことを話題にしたいわけはなかったが、他に話すことをすぐには思いつかなかった。少なくとも、美しく匂い立つ女性がすぐ横で寝転んでいるというシチュエーションで黙っているのは気まずかった。

「上野さん、僕が辞めたらみんなも辞めるって、どういうことなんです?」

 と、水平線を見ながら言った。

「そんな気がするだけ。しない? ま、いいか」


 上野はいつものように、浮かんだ思いを心の中に収めてしまう。

 波打ち際に小さな鳥が降り立った。

 ちょっと駆けては止まり、餌を探している。

 波音と共に静かな時が流れていた。


「あっ、弓削くん!」

 上野が起き上がって手を振った。砂浜を歩いて来る弓削が見えた。

「あいつ、またひとりでスケッチしてたんやな」

 生駒は小さな声でいった。

「さっきの話、まだ誰にもしないでくださいよ」

「いいよ」

「やあ! お似合いのカップルですね!」

 陽気な声が砂浜を渡ってきた。手に持ったスケッチブックを振っている。


「いいのが描けたー?」

 それには応えず、弓削は小走りに近づいてくると、

「だめですよ。海ばっかり」

 と、上野に並んで腰を下ろした。

「砂浜を歩き回っただけで疲れましたよ」

 スケッチブックには大きなヤドカリが描かれていた。

「うわ、すごいね! 精密に描かれてる」

「こいつ、動きますからね。ほとんど想像ですよ」

「でも、すごい」

「へへ。ところで、おふたりさん、こんなところで何を語らってたんです?」

「タウンウォッチングのあてが外れてね」

「そうですかぁ? ね、上野さん」

 弓削がわざとらしく探るような目を流した。上野はにっこりとしたまま、ヤドカリの絵を見ている。


「ね、あの話でしょ。生駒さんどう言ってました?」

 上野が目を上げずに言った。

「生駒くん、少しずつみんなに話した方がいいと思うわよ」

 弓削がすかさず声をあげた。

「やっぱり! 生駒さん、辞められるんですね!」

 生駒は、そんなさっぱりしたものの言い方につられた。

「ああ、近々」

「そうでしょう、そうでしょう」

「そろそろ挑戦しないと時間切れになりそうな気がして」

「ええ、ええ、わかってますよ。ここでくすぶっていても先が知れてますからね」

「まあな」

「僕もそう思います。先輩達を見ているとあせりを感じて。あ、おふたりのことじゃないですよ」


 生駒は胸の中に温かいものが流れてきたことを感じた。

 しかしこの同僚に向かって、辞めた方がいいよとは言わなかった。独立や転職は自分で決めることだから。


「あまりに情けないですよね」

「情けない?」

「そう。仕事の取り組み方とか。いろいろとね」

 弓削は怒りをこらえているような顔つきになった。

 上野が後を引き継いでいく。こちらの声はいつものように朗らかだ。

「そうよね。生きていけるだけの報酬をもらうだけ。一生働いてもそれ以上のことはない。お金という面では魅力はないわよね。それに、私達のような職種の人にとっては、なんていうか、夢がないわ。もがきながらでもいい仕事ができたとして、それは会社の実績であって、私個人の仕事としては誰も見てくれない。身内や関係者の間では評価されたとしても、社会的に見たら私という人間は存在しないのと同じ。本人はその気で一生懸命やっていたとしてもね」

 弓削が頷いた。上野からサーターアンダーギーの袋を受け取って早速手を突っ込んだ。


「だからといって自分の名前を売ることがなにより大切だとは思わないわ。でも、正当に評価されたいと思うのは自然なことよね」

 生駒も同調したくなった。

「ずっとサラリーマンで通すというのもひとつの道。でも、自分の可能性みたいなものに夢を持っているなら、挑戦することもひとつの選択肢。裸になってしまうけど」

「そうですね。上野さんもいつもそうおっしゃってます」

 生駒は上野と弓削がこんなことを話し合っていたのかと、意外な感じがした。


「でも、誰かに我慢できないということも、退職の理由になると思いますよ。きっかけといった方がいいかもしれませんけどね」

「誰かって?」

 生駒の問いに弓削は驚いた顔をしてみせた。

 そして、わかっているくせに、というように首をすくめた。


 それから三人は黙って海を見た。

 このとき生駒は、辞めた暁にアーバプランの退職者の同窓会をしようと思いついた。

 夢を持って入った会社に別れを告げ、それきり個人的な縁も切れてしまうのは、なんとも寂しかった。たとえ個人の間には不協和音があったとしても。


 夜、宴会には竹見沢らが釣った数枚のチヌの姿造りが出された。

 竹見沢と蛇草は得意満面。このふたりにだけ釣果があったらしい。

 自らホテルの調理室に出向き、特別に作ってもらっていた。

 生駒は海岸での告白が尾を引いて楽しめなかった。上野や弓削もどことなく浮かない顔をしていた。

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