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22 プライバシーのかけら

「ああ、この女性は知ってますよ。ちょくちょく来はるからね」

「ああ、やっぱり。よかった。それで、いつもどんな感じでしたか? えーと、普段、何時ごろに来てましたか」

「そうやねぇ、晩の八時とか九時とか。もっと遅いときも。うちは夕方からしか店を開けてへんから」

「はい。で、なにか彼女が話していたことを覚えておられますか」

「そうやねぇ。少しくらいは話したことはあるけど、常連さんというほどでもないよってなあ。どんな話と言われても……。ところであの人、なんていう人?」

「あっ、すみません。中道っていいます」

「ふーん。中道さんね。話したことというても、あの人の仕事のことくらいやで。私らにはようわからんけど。ちょっと待ってや。思い出すよってに。ん、そやそや、設計関係の仕事をしてはったんやけど、会社を辞めはって。あ、そか。そんなこと、あんたらも知ってはるわな。あんたさっき、コナラ会って言うてたね。それ何の会?」

 弓削はでたらめな説明をした。


「へえ、会社勤めの人もそれはそれでたいへんなんやね」

「はあ。それで彼女は会社を辞めたことで、なにか言っていましたか」

「そうやねえ、今の仕事は楽しんでるって言うてはったけど。今度来はったら、聞いとこか?」

「あっ、いえ、いいんです。今度の記事は内緒の企画なんです。中道さんはいつもひとりで来ていましたか」

「いつもはね。あ、ちょっと待ってよ。そう、ふた月ほど前になるかな、男の人と一緒に来はった。しやけど、あんた、なんでそんなこと聞くのん? どんな記事、書くつもりなん?」

「実は中道さんは、あの…、いえ、その男の人というのは、どんな人ですか。そうだ、この中にいますか?」

 弓削はもう一度コナラ会の集合写真を取り出した。

「うーん、そうやなあ、覚えてへんなあ」


 弓削は赤石の顔を指で示した。

 次に紀伊の顔。そして蛇草や竹見沢の顔。最後に生駒の顔も。

 食堂のおばちゃんは首を捻っていたが、やがてあきらめて写真をぴらぴらさせ始めた。


「あんた、取材っていうより、なんや刑事の聞き込みみたいやな」

 悪気のある言い方ではない。ニヤニヤしている。興味が沸いてきたという様子だ。

「すみません。新米なものですから、取材のしかたがまだ飲み込めなくて。それで、なにかどんなことでもいいですから、覚えておられることはありませんか。その男の人について。例えば眼鏡を掛けていたとか、太っていたとか、どんな話をしていたとか」

「そうやねえ。あの人と同年輩くらいで……。感じの良さそうな人やったような気がするわ。なぜかってわからへんけど、印象だけ」

「はい」

「それから、あ、そだ。きちんとしたグレーのスーツを着てはった」

「はい」

「山登りの話なんかをしてはったなあ。今どきはエリートっぽい人も山登りなんかをするんやね。後は、うーん、だめ。覚えてない。悪いなぁ。あんたに気ぃつこて、言えへんのとちゃうんよ」

「そ、そうですか。じゃあ、中道さんはその男の人をどう呼んでいました? さんづけ?」

「うーん。いや、もうなんにも思い出されへん。悪いけど」

「はい……」

「ところで、あんた、取材してるんやろ。この店のことも、ちょっとは聞いてえな」


 ということでありました、と身振り手振りで熱演の弓削は、ホッと息を吐き出した。

「大活躍やな」

「へへ。まあまあ参考になりそうな話だったでしょう」

「その相手の男が誰なのか、こいつは興味あるな」

 グレーのスーツは誰が持っていても不思議ではない。しかし暑い時期のことだ。

 例えば塾講師の蛇草や医者の鶴添はスーツを着て出かけないかもしれない。


「設計事務所やデザイン事務所の社長はどうだ?」

「まず着ないな。そもそもスーツというものを持ってない」

 そうですね、と弓削も相槌を打つ。

「それからM金属の寮。ありましたよ。朱里さんのマンションの裏に。でも……」

 柏原が大きく頷いた。

「あっ、そうや! 柏原さん! 妹さん、薫さんっていうでしょ……」

 こんなタイミングで優が素っ頓狂な声をあげた。柏原を驚かせようという意図がありありだ。

「フフン、生駒から聞いたぞぉ」

「なんやぁ。びっくりさせたろと思ったのに!」

 と、見事にあては外れてしまう。


「ユウ、生駒はなあ、おまえのことはなんでも僕に話してくれるんだぞぉ」

「おい! ややこしい言い方をするな」

「へぇー、ノブがぁ?」

 優が子供のように、カウンターを叩いておもしろがった。

「ねえ、ね、柏原さんも、私のこと知らなかったやろ。何年か前に会ったことがあるって」

「ああ。妹の友達なんて興味なかったし。ただただ、やかましい連中」

「失礼な! だいたい、披露宴で騒がしいのは、新郎の会社の人っていうのが相場やん!」

「はいはい。本題に戻るぞ。弓削、今なにか言いかけてたな」

 弓削が神妙な顔をしていた。


「はい……、どうもあのブログの主人公、住道に住んでいるように見えるんですが、僕には朱里さんだという気がしないんです」

「朱里だとまだ決まっていないぞ。でも、なぜそう思う?」

「いえ、理由は特にないんですけど……。らしくないというか……」


 確かにそうだった。

「まあなあ……。ま、今はまだペンディング。さてと、次は紀伊の話をしよう」

 優の顔が引き締まった。

 柏原が電話で聞いたことを披露した。

「あいつは朱里が死んだことを知らなかった」


 三重の工事現場が忙しいので、大阪には盆休みの三日間しか帰っていない。犯行日前後は現場から出ていない。証人は大勢いるらしい。

「次は竹見沢さん。こっちの話は少し興味があるぞ」

 朱里は大学に竹見沢さんを訪ねていた。しかも何度か。

 六月下旬ごろまで。竹見沢さんの専門の色彩工学をインテリアデザインに活用できないかと聞きに行ったらしい。が、竹見沢さんいわく、実のところ朱里は、もっと実質的な協力を頼みたかったようだ。会社の顧問として。


 生駒はおもちゃの金槌で頭をぽかんと殴られたような気がした。

 ちょっと寂しい。大学教授の箔など、デザインの仕事に関係ないと思うが、朱里あるいは彼女が起こそうとしている会社にとっては価値あるものだったのかもしれない。

「竹見沢さんは断ったらしい。忙しいからって。きっと振り回されるのは堪忍ってことだと思うけど」


 友として飲みながら相談にのる、というようなシチュエーションなら気は楽だ。

 会社の取締役や顧問として名を連ねるということなら、確かに振り回されるという表現で逃げ腰になるのもわかる。

 しかも彼は、国立大学の教授だ。しかし生駒は、竹見沢が先輩ぶっているわりに水くさいとも思うのだった。

「朱里さんが竹見沢さんに会いに行っていたということですか……」

 弓削の顔にも、心なしか落胆の色が浮かんでいる。


「三日、四日は福岡で開かれた学会に出席したし、五日は学校に出たので、アリバイは問題ないらしい。ま、彼の話もうのみにはできないけど。男と女の関係なんて、長い間にどうなってしまうかわらないからな」

「なんだか意味深な言い方。で、とりあえず要マークと」

 優が手帳に書き込んだ。

「彼は関わりたくないのだろう。珍しく、迷惑そうな口ぶりだった」

「ケッ。告別式の日、喫茶店で話したときはハイだったくせに」

 弓削が文句をいう。

「だいたい、告別式だからってハイになる人がいますか?」

 普段は物静かな弓削が息巻いている。竹見沢も嫌われたものだ。


「でも、あの人を調べるのなら慎重にやらないと。ボタンを掛け違うと、どんどん不愉快になりますからね」

 プライドだけはおもいきり高い男なのだ。高くてもいいのだが、悪いことに彼の場合はそれが表に出ている。


「秘書か誰かに、朱里さんが大学に出向いたときのことを、聞いてみるというのはどうですか?」

 柏原がぽんと手を叩いた。

「そうしよう。ユウの出番だな」

「は?」

「俺たちは竹見沢さんにすぐわかってしまう。ユウ、なんとかごまかして聞く方法を考えてくれ」

「げげっ、それってむつかしそう」

 といいながら、優はやる気満々。

 竹見沢の専門について、生駒たちが知っている範囲の知識を手帳に書き込んでいった。


「じゃ、次、行くか」

 柏原は佐藤が京都市内で資産活用セミナーに参加してプログラム通りブースに座っていたことを主催者に確かめていた。

「ところで優秀な生駒には、ちょっとしんどい役がある」

「昔、サラリーマンのときに上司がそんな言い方をしとった。たいへんやりがいのある仕事のようで、ありがたいことです」

「鶴添さんのこと。おまえは誘っていないんだろ。蛇草さんに誘われてきた。うーむ、なんだかなあ。なぜ?」

「たいした理由はないぞ」

「そうじゃなくて、なぜ蛇草さんは鶴添さんを誘ったんだ? 蛇草さんは先日の会合を単なる飲み会だと思っていたわけじゃない。そうだろ? なのに朱里と親しかったわけでもない鶴添さんを誘ってきた」

「おかしいか?」

「理由がわからない。たいした意味はないかもしれないけど、この前の蛇草さんの態度と矛盾しているように思わないか? それに、誘われたからといって、なぜ鶴添さんは来たのか。あの日は平日だ。あの時間ならまだ午後の診療が終わっていなかったはず。途中で診療所を閉めてまで来たわけだ。ということは、なにか意図することがあったと考えられないか。どう思う?」

「なるほど、難題やな。それを俺が聞くのか?」

「そう」

「しかし、あまりあのふたりと縁がないんやけどなぁ。気が重い……」

「生駒ならやれる」

「あのなぁ。ところで、何で今、白い靴下は似合わないなんや?」

「生駒も好きだっただろ」

「もうちょっと選曲を考えろ」


 生駒の文句に耳を貸さず、柏原は朱里のパソコンをカウンターに上げた。そして、

「悩ましいものを見つけたんや」と、アグネスちゃんのような笑い方をした。

「おまえ、まさか」

「へへ。ちょっと申し訳ないことをしてみた」

「メールを読んだとか」

「あかんのか」

「おい。威張ることか」

 そうは言いながら、生駒は身を乗り出していた。


「受信フォルダは空っぽ。で、メールを受信してみた。うまくいったぞぉ。見てみるか?」

「プライバシー意識のかけらもないやつやな。ま、しかし、で?」

 受信トレイには百通ほどのメールが並んでいた。ネット銀行からの連絡やメルマガ、広告がほとんどだったが。

「あっ、上野さんからのメールが来ている! げ、開いてる!」

「読んでみたいか?」

「うっ」

「たいしたことは書いてなかったさ。ヨーロッパからの暑中見舞いみたいなもの。どうだ、見るか?」

 柏原は今度は平山ミキの様に笑った。

「い、いや、やめておく。顔を合わせられなくなる」

「律儀な生駒先生、か。じゃ、このメールは? ユウ向きのニュースだ」

 と、なんの躊躇もなくひとつのメールを開いた。

「あ、なんてたってミステリー倶楽部」と、優が顔を近づける。

「あれ? 知ってたのか」

「うん、よく見るよ。ここ、老舗のサイトでさ」

「有名サイト?」

「ネットで素人の作品を公開してる。メンバー制で、そこそこレベルは高いみたい」

「ふーん。朱里はここのメンバー。読むだけじゃなく、投稿してたみたいだ」

「へえ! 興味ある! ねえねえ、読んでみよ。原稿あるんでしょ」

 優のテンションが一気に上がっている。

「ある。長いぞ」

「げっ、もう読んだんや!」

 柏原がテヘヘと笑った。

「ずる!」


「話の筋は……」

「しゃべるな!」

「原稿より、サイトのほうが読みやすい」

 柏原が「なんてたってミステリー倶楽部」のサイトを慣れた調子で開いた。


「あ、この作品、今年上半期のグランプリ! すごい! ユーアイっていうのは、朱里さんのJuliyのUとIか。うわー、楽しみ!」

「どういう仕組みや? 掲載日は六月十五日になってるけど」

「うん、アマチュアがこれぞっていう自分の作品を投稿するやんか」

「おう」

「サイトの方は送られてきたテキストを統一形式で一ヵ月半掲載する。その間にたくさんの人が読んで投票するねん。グランプリをとった作品は、別枠で永久掲載してもらえるってこと」

「名誉だけか?」

「こんなのに実利を求めて、どうするん」

 優は自分が最も見やすいようにパソコンの向きを変えて読み始めたが、いくらも読まないうちに、大きな声をあげた。

「これ、読んだことがある!」

「は? ユウ、お前、なんでも読んでるなぁ」

「へへ。あんまり昔のJPOPは知らないけどね」

「ん、これか? 白雪姫といわれた天地真理の水色の」

「そんなこと、聞いてないって。だいたい、推理会議の雰囲気に合ってないって」

「あの人にさよならを言わなかったのぉ」

「はいはい」

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