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16 SATUJN

 翌朝、生駒は中道隆之に訪問する旨を伝え、弓削と住道駅で待ち合わせた。

 告別式の日も同じ道を歩いたが、あのときに比べて、街並みを観察する気持ちの余裕がある。改札口を出ると「ホットマインド」という関西地盤のハンバーガーチェーンの幟。マンションに向かう商店街には、並木としては珍しいナンキンハゼの木がみずみずしい葉を茂らせ、古風な焼鳥屋の店先には、信楽のタヌキが鎮座していた。

 朱里が住んでいた街だという思いが改めて沸いた。


 マンションは、告別式が行われた集会所と目と鼻の先だった。三百戸ほどの比較的大規模な分譲マンションである。

 エレベータを八階で降り、開放廊下を数軒分進むと八〇二号室。黒い柄のダイノックシート貼りの玄関扉の横に、中道と印刷された白いアクリル板がはめ込んであった。


 組み立て前のダンボール箱の束と、すでになにかを梱包した箱が四つ五つできつつあるリビングダイニングに招じ入れられた。南向きの掃き出し窓から生駒山が近くに望める明るい部屋だ。

 生駒は訪問した用件を切り出した。

「端的に申し上げると、私達は朱里さんの自殺が不自然だと……」


 隆之は、まあまあというような素振りをしてキッチンに立った。

 生駒の目の前には、何通かの手紙や本。整理の途中なのだろう、乱雑に積み上げられている。思わず一番上の赤い表紙の本を手に取った。それは、恵比寿高校の卒業アルバムだった。


 開いたページは生駒と朱里が写っていた。3年7組。

 そこに、見なれない制服を着た若者達の集合写真が二枚挟まれていた。男子と女子がほぼ半数ずつ。

 朱里が恵比寿高校に転校して来る前に通っていた学校での写真なのだろう。写真の中央に固まって立っている女子生徒の中に、生駒が毎日見ていた高校生の朱里の顔があった。もう一枚には六人の女子生徒が写っており、全員がクラリネットを持っていた。


 隆之がリビングルームに戻ってきた。

 生駒は、懐かしくて、と弁解してアルバムを元に戻した。隆之は、生駒さんと姉は高校のとき同じクラスだったそうですね、と意に介さず話しだす。


「姉のことは、実は私も、素直には受け入れたくない気持ちがあります。皆さんで本当の理由を調べたいということですが、もっとストレートに話してください。疑問がある、とおっしゃいましたよね」

 生駒は丁寧に、言葉を選んで自分と弓削の体験、そして、なぜ自殺ではないと思うのかを話した。


「姉のことを、そんなに心配していただいて、本当にありがとうございます。本来なら、私達家族がしなければならないことなのでしょうが、なにぶん私も両親も、姉の仕事のことはもちろん、最近の生活の様子さえ知らないありさまですので、手の出しようがありません」

 隆之が、姉が父母の勧める見合いを断り続けたことで、仲たがい状態になってしまっていたと打ち明けた。

「父や母は、今回のことで精神的に参ってしまっています。もし、自殺ではなくて、……例えば誰かに殺されたということにでもなりましたら……。両親も歳ですし……」

「お察しします」と、弓削がもごもごと口を動かした。

「あの、生駒さん、弓削さん、私も姉の死の真相を知りたい。しかし両親のことを思うと、このままの方がいいのかもしれない。そんなあいまいな状態なんです。これ以上、両親に精神的にも肉体的にも負担になるようなことはできないのです。でも、生駒さん達のお気持ちには感謝していますし、おかしな言い方ですが、お役に立ちたいとも思います。私にできることがありましたら、なんなりとおっしゃってください」

 生駒は少々肩の荷が降りたように感じた。


「ではお言葉に甘えて。繰り返しになることもありますが、もう一度、最初から聞かせてください」

 なぜ死亡推定日が四日ないし五日なのかという疑問。

 隆之は、三日の深夜に朱里の部屋の照明がついているのを隣人が見ていること、遺書の作成日が四日の早朝一時半であることによるという。


 次に生駒は、告別式の案内状を出した者の名簿を見せてもらえないかと聞いた。

 ありますよ、と隆之はクリアフォルダから、数枚の紙を抜き出した。

「三好さんに作っていただいたものです。姉が勤めていた会社の方や、仕事上のお付き合いのあった方々なのでしょう」

 リストには名前と住所、電話番号や勤務先などが記入してあった。生駒達の名前もある。

「実は私、三好さんも存じませんでした。警察署で、彼女の方から声をかけていただくまで」

 隆之は告別式以降、三好以外に会ったのは、生駒が初めてだという。

「三好さんから、大迫さんという人を紹介するとおっしゃっていただいているんですが、まだお会いできていません。姉が独立するにあたって、お世話になった方だそうですが」


 生駒はリストにある大迫の名前の前に丸印つけた。

 次は遺留品についての質問。隆之がまたフォルダを開く。

「これがその一覧です。ただ遺留品そのものは、新潟の方に全部送ってしまいまして、お見せできるものはなにもありません。車はまだ駐車場に停めてありますが」


 服装の欄には当日の服装。携行品の欄のリュック内には、財布、食品や飲み物や雨具や化粧品、バンドエイドなど。車内には道路マップといくつかの品物の名が記されてあった。隆之はチーズのこと以外に、気になった点はないという。カメラにはデータは残っていなかったらしい。


「警察も姉の遺書を疑ってはみたようです。ですが、この部屋の鍵は姉が身につけていました。つまり、この部屋には誰も入れなかったはずで、遺書は姉が自分のパソコンで書いたものだという結論になったと聞いています」

 生駒は最後の質問に取りかかった。

「その遺書ですが、中に私の名前も出ていたそうですね。もし、差し支えなければ見せていただけませんでしょうか」


 隆之はフォルダのページをめくるが、プリントアウトしたものがなかったのか、ノートパソコンの蓋を開けて電源を入れた。

 そのとき、チャイムが鳴った。

 インターホンから威勢のいい声が引越し屋だと名乗った。


「生駒さん、すみません。引越し屋に見積もりを頼んでいたんですよ。申し訳ないんですが、ちょっとお待ちいただくか、続きはまた改めてということにしていただけませんか」


 パソコンはようやく立ち上がりかけていて、ウィンドウズが、ようこそなどと生意気なメッセージを表示させているところだ。

 生駒はそれを横目で見ながら、できればパソコンそのものをお借りできれば、と申し出た。それから高校の卒業アルバムも、私のはみあたらなくて、と言い添えた。

「あっ、そうしてください。姉のプライベートなことがあるかもしれませんが、気にされずに見てくださって結構です。仕事は事務所のデスクトップでしていたようなので、問題はないと思います」


 弓削が持ってきたバッグにパソコンを納めている間に、玄関のベルが鳴り、引越し屋の営業マンが入ってきた。

 生駒と弓削はマンションを出た。

「上出来やったな」

「ええ。でも最後に、生駒さんが今日のことは誰にも言うな、もし誰かから連絡があったらこちらに教えて欲しい、と言ったときには、さすがに怪訝そうな顔をしてましたね」

「でも、大事なことやろ。万一朱里が殺されたんなら、今頃犯人は安心しきっているやろうからな。俺たちが嗅ぎまわってる、なんてことを教えてやる必要はない。あ、あれだな」

 ホンダのCRV。駐車場に停めてある朱里の車は、外から見る限り、なにも積まれていなかった。芳香剤やマスコットの類もない。


「ところで、あいつの部屋はどんな感じやった? おまえの目から見て、なにか感じるところはあったか?」

 ふたりは朱里の部屋を仰ぎ見た。

「そうですねえ……、もう片付け始めていたから、部屋の空気みたいなものは薄れてしまってましたね」

 もったいぶった前置きで、弓削が解説を始めた。

「んーと、余計な家具はなくて、あるものはすべてデザインテイストが統一されている。男性が思いこんでいる、いわゆる女性らしさなんてものは微塵もなくて、どちらかというとドライでワイルド。見せかけの豪華さなんて関係なし。だからといって、いかにもデザインしましたと格好つけているようなものでもない。まあ、そんな感じかな。言葉にすると、インテリア雑誌みたいに嘘っぽくなってしまいますけど」

「インテリアのことを聞いているんやないよ。見りゃあわかる。朱里の生活や人間関係、あるいは異性関係については?」

「男が出入りしていたのかどうかってことですか? わかるわけありませんよ!」

「そうか。俺よりおまえの方が、そんな嗅覚はあると思ってたけど」

「まさか。それにもう何日も隆之さんが寝泊りしているんですから、他人に見られてやばそうなものは、一番に片付けてるでしょうよ」


 生駒はずばり、聞いてみた。

「朱里の部屋に入ったことがあるんやないのか?」

「まさか!」

 間髪をいれずに弓削は否定したが、一瞬、瞳が揺らいだ。


「まさか、僕を疑っているんじゃないでしょうね?」

「それなら、今日、誘ったりしないよ。ちょっと聞いてみただけ」

 弓削が見せた一瞬の不安が、真実を言い当てられたことによる不安なのか、疑われているのかもしれないという不安なのか、生駒にはわからなかった。

 いずれにしろ、その不安を吹っ切ろうとするかのように、弓削は色々な事柄に無理やりな理由をつけて朱里の暮らしぶり予想を、なおも披露し始めた。

 しかし、駅に着くころには、さすがにネタは尽きたようで、

「ちょっと時間ありませんか? もしよければ、僕の事務所を覗いてくれませんか」と誘ってきた。

「ごめん。今から打ち合わせなんや。また今度伺うよ」

「そうですか。残念です。これ、うちのパンフレット」

「ありがとう。朱里のパソコンはオルカに持ってきてくれる?」

「ええ、いいですよ」


 弓削と別れ、生駒は改札口を通った。

 今もらったパンフレットを開いてみる。弓削らしくシャープなデザインの冊子で、作品集兼用の会社紹介だ。

 作品を一通り見て、会社概要や主要取引先の欄を見る。建築関係の会社や広告代理店、各種メーカーなどの名前が並んでいる。千日銀行の名前もある。生駒は弓削の裁量が少しうらやましくなった。いつのまにか立派な冊子を作り、そうそうたる企業と取引関係を作っている。もしかすると、夢も金も手に入れようとしているという意味では、弓削も先頭グループに入っているのかもしれない、と思った。


 生駒は朱里のアルバムを取り出して三年七組のページを開いた。

 学校唯一の理科系クラスで、生徒は四十三人。女子は七人だけ。

 正門前の築山を背景に整列した集合写真が一枚、中庭の噴水脇の一枚、学内食堂のおばちゃんを真ん中にして撮った一枚。

 朱里はどの写真にも満面の笑顔で収まっていた。


 そして、校庭の藤棚の下に作られたコンクリートの観覧席で撮影されたカットでは、生駒と朱里は並んで立っていた。

 生駒はまだスリムで、腕を組んで斜めに構えて立っている。自分のナルシストっぽいポーズから目をそらし、級友達の顔をじっくり眺めていった。


 最後に、アルバムに挟まれていた写真を手にとった。

 小さい方の写真は、音楽教室の中で撮った吹奏楽部のメンバーのようだ。それぞれクラリネットを持って、なんとなく締まりなさそうに突っ立っている。

 写真中央の朱里は、はにかむように笑っていた。裏には六つのイニシャル。SA、TU、JN……。生駒はJNという文字を見つめた。朱里がこれを几帳面に書いている情景を思った。

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