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9 新御堂筋

 十数年前。

 生駒は大阪府庁での打ち合わせの後に、下請けの土木コンサルタント会社へ寄り、先に行って大量の設計図面を検品しているはずの上野を迎えに行くことになっていた。生駒のひとつ上の先輩である。

「ほんとにあそこの担当者、いい加減なんだから。全くの無駄足。なんだと思っているのよ。一言、連絡するという当たり前の配慮さえできない情けない連中!」

「まあ、そんなにカリカリしないで。たまにはあることでしょう。下請け事務所といっても、あっちの方がでかい会社なんやから」

「あら、生駒くん。そんな情けないこと言わないでよね。あくまでこっちが発注者なんだから。あいつ、こっちの担当が女だからって、なめた目で見ているのよ」


 北大阪地域の南北の大動脈、新御堂筋は渋滞していた。夕方の時間帯の北行き車線はいつものことだ。

 ビルでいえば四階くらいにあたる高架道路になっているため、沿道に建ち並ぶオフィスビルやマンションの隙間から、きれいな夕焼けが見えていた。

 助手席に座った上野の横顔がシルエットになって、いつもは気が強く見られる端整すぎる顔立ちも、輪郭がぼやけてポートレイトのようだった。


「そんなことはないでしょ。たまたま忘れただけとちがいます?」

「たまたまねえ。さっき電話で竹見沢さんに報告したら、彼もそう言っていたわ。でも私、ああいう人達って信用できない」

 上野の前髪がオレンジ色の強い光に溶け込んで、女性らしさを際立たせていた。

「だって、無責任じゃない? どんな仕事でも、信頼の上に成り立っているのよ。例え自分達より小さな会社の下請けに入ることになっても、受けた限りはきちんと誠意を持って遂行するというのは当たり前のことじゃない」

「そうですね。でもちゃんとやってると思いますけど」

「見かけはね。でも、少し手抜きというのかな、気持ちが入っていないというのかな、どこか適当なところがあるのよ」

 瞳には今日最後の太陽光が透過していた。

「人はね、感じる動物なのよ」


「先日の委員会のプレゼン図書を用意してもらうときもそうだったわ。向うの上司が出てきてね。私が一生懸命に用意して欲しい資料の趣旨を説明しても、なんとなく上の空なのよ。いくらちゃんと作業はしていても、ここぞっていうときがあるじゃない。私ならああいう見せ場のときに恥をかきたくはないわ。パシッと決めたいのよ。あの人達の仕事のやり方にはメリハリがないのね」

「まあ、それは下請けですから」

「そうね。だから私は彼らにその気になってもらおうと、必要以上に詳しく説明したり、食事に誘ったりしていたのに」

「上野さんの思いが空回りだったということですね。でも、この仕事も無事に終わりました。ま、よかったじゃないですか」


 車が少し動いたので、生駒はブレーキに乗せた足を浮かせ、またすぐに乗せ直した。

 ふたりはそれからしばらく黙っていた。

 生駒がラジオを付けようと手を伸ばしたとき、上野がまた口を開いた。

「生駒くん。話は違うけど、中道さん、あなたのことをどう思っているのかしら。あ、ごめん、変な言い方ね。えーと……」

「なんとも思っていないと思いますよ」

「そう……」


 生駒は、なぜそんなこと聞くのかと言いかけたものの、間抜けな質問に聞こえそうな気がしてやめた。

 なんにもなしか、とつぶやいた上野の声が、少し落胆気味に聞こえたからだった。

 車は少し動いてはまたすぐに止まってしまう。


 上野は窓の外を向いて夕焼けを見ていた。

 伊丹空港に向かう旅客機が、ゆっくりと高度を落としていく。

 新御堂筋はわずかに西へ向きを変え、正面から夕日があたるようになった。

 生駒は目を細めた。光が暖かく感じられた。


「じゃあ、蛇草さんや赤石さんのことは?」

 上野が夕陽に目を細めて言った。

 ショートにしたつややかな髪が、エアコンの風に揺れていた。

 今度の声はおもしろがっているように聞こえた。


 生駒は前日の夜のことを思い出した。

 事務所で自前の小さな立食パーティがあったのだ。銀行の設計の仕事が終了した打ち上げで、開放感のある楽しい会だった。銀行側の担当者の赤石も参加していた。

 酒が進んで会話が散漫になり、そろそろお開きかというころ、生駒は蛇草が朱里を見つめていることに気がついた。

 紙コップさえ持たずに、悄然と立ち尽くしているという印象。

 朱里は蛇草に背を向けて、赤石と上野を相手に話し込んでいた。上野が、蛇草の視線が朱里の背中にあたっていることに気がついて、蛇草と生駒を見比べ、おどけた笑顔を送ってきた。蛇草がそれに気がついて憮然とした表情になり、朱里が振り返ったときには、すでに部屋を出ていこうとしていた。


「朱里が蛇草さんや赤石さんをどう思っているのかということ?」

 上野は黙って窓の外に顔を向けたままだ。


「そうですねえ……」

 生駒は言い淀んだことを悟られたかもしれないと、あわてて言葉を繋いだ。

「なにもないと思いますよ」

 それでも上野はなにも言わない。

「朱里のことはよくは知らないけど」とも、生駒は言い添えた。

「ふーん。中道さんて、高校時代はどんなだった?」

「そうやなあ、今と同じ……」

 生駒は言葉を選んだ。

「目立つ子、やったかな」

「どんなふうに?」

「うーん、成績優秀やったし、クラリネットはピカイチやし」

 そう、と言って上野はラジオのスイッチを入れて目をつぶった。


 柏原が最後に自分の水割りを作りながら言う。

「さてと、確認しよう。朱里は殺されたという仮定そのものに反対の人は?」

 赤石はなかば顔をそむけ、美しいカットガラスの扉がついた造り付けのボトルケースを見ている。

 誰もが努めて感情を表に出さないようにしているかのようだ。口を開く者はいない。


「なにか言ってくれないと話しにくいな。弓削はさっきの話の他に、みんなが聞いておいた方がいいことはあるかな?」

 弓削が、どうかな、と首を捻る。

「じゃ、佐藤さんは?」

「いや、特に。全然付き合いがなかったから。春のコナラ会以来会ってないし。ただ……」

「ただ?」

「うん、朱里が車を買うときに、付き合いのあるホンダのディーラーに紹介してやったんだ。ちょっとでも安く買いたいからって電話があって」

「へえ」

「値引き交渉を代わりにしてやった。それはそれでよかったんだけど、契約のときになって、名義を変えて欲しいと電話してきた。名前は確か大迫とか」

「ほう、だれ、それ? そのわけは?」

「聞かなかった。パトロンがいるのかなと思っただけで」


「パトロン?」と、思わず生駒の口から出た言葉が、妙な印象を含んでいたのだろう。

「えらい古臭い言葉やな」と、柏原がすぐに引き取った。

「朱里の新しい仕事の出資者かもしれないな。それは調べることにした方がいいな。で、次、草加はどうだ? 最近、会ったりとか、電話したりとか」

 柏原は佐藤恵をいつまでも旧姓で呼ぶ。


「そうねえ。コナラ会の数日後に朱里さんから電話があったわ。写真をどうしようかって。デジカメで撮ったやつ」

「うん」

「いいと思う写真をいくつか選んで、データのままいっせいにメールで送ったらいいんじゃないかって。あの写真、朱里さんからみんなに来たでしょ。それきり、話はしていないわ」

「そうか。じゃ、蛇草さんは?」

 蛇草はなにも言わずに首を振る。

「鶴添さんは?」

「別にありません」

「赤石はどう?」

「思いつくことはないな」

「うーん。進展しないな。おい、生駒、おまえ、もう少し話をしろ。朱里が死んだときの様子とか、警察に聞いていないのか」


 生駒は柏原がリード役を始めたので、気が楽になっていた。議論の進行によっては黙っておこうと考えていたこと、つまり最も酒のつまみになりがちな話を披露しようという気になった。

「ああ、弟さんから少しは聞いている。興味本位で聞いたんやないから、また責めるなよ」

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