第23話 婚約破棄からの魔界制圧(前編)
赤黒い空と荒れ果てた大地。
遠くの山から響く遠雷の音。
わたしはいつも通りの魔界に到着した。
遠くの岩山を凝視すると、隙間からはすでに黒い竜の頭の角や翼に生えた爪が見えている。
「魔竜リンド、そんな所に隠れてもお見通しよ!」
わたしは腕組みをして、大声を張り上げた。
「勇者があなたを退治しに、わざわざ魔界まで来てあげました!」
「勇者だと……?!」
黒い翼が羽ばたき、視界を覆う。
低くよく響く声と共に、魔竜の巨体が姿を現した。
「なぜここにいる?
ザンの奴はどうした?
まさか貴様のような奴に殺されたと言うのか?」
「わたしが軽くやっつけました!」
腕組みをしたまま、堂々と答える。
内心はドキドキだったけど。
「にわかには信じられん。
貴様の様な弱そうな奴が勇者などと言う話が、そもそも信じられん」
少しでも威厳を出したいと思い、強気に見せたが、残念ながら恐れをなした様子は確認できなかった。
「あなたもやっつけます!」
「ほう、わしも殺すと言うのか」
「いえ」
ザンも別に殺してないし。
「あなたをわたしの下僕にします!」
一瞬リンドは眉をひそめた。
「ならばわしが勝ったら、貴様を八つ裂きにして構わぬな?」
荒々しく着地する地響きの音が響く。
「取るに足らぬ相手にしか見えぬが、勇者を名乗ってわしの前に現れるなら、捨て置く事はできん」
翼を広げたリンド。
いざ対峙してみると圧がすごい。
さすが竜族の王。
「わたしが勝ったら、下僕になって何でも言う事を聞くのよ!」
恐怖を押し隠して胸を張り、叫ぶ。
「小娘が。
その口、黙らせてやる!」
突進して来るリンド。
わたしは走って横に避ける。
突進する事は読んでいた。
わたしはザンとリンドの対戦を二度も見ているので、リンドの戦い方も分かっている。
リンドは口から炎を吐けるが、初手からそれをやって来る事はない。
炎を吐く動作は時間がかかる。
相手に隙を作った時か、距離を離した時しか、使って来ない。
「逃げるだけか!」
リンドはこちらに向き直りながら言う。
しかし、
「違うわ」
横に避けたわたしは片手を振り上げていた。
そして、上空にはすでにユウちゃんが待機していた。
「行くわよ!」
わたしが手を振り下ろすと、ユウちゃんがリンド目掛けて急降下した。
ユウちゃんかリンドの首に振り下ろされる。
「今、何かしたか?」
攻撃は命中したが、リンドは微動だにしなかった。
「この程度効かぬわ!」
首には傷一つ付いていない。
剣の一撃すらもろともしない、恐るべき頑丈さだ。
「やはり取るに足らん。
しかし、今さら生きて帰れると思うなよ」
睨みつけてくるリンド。
もう容赦はしないようだ。
「あなたとダイザーをやっつけるまで、帰らないつもりだけど」
「減らず口を!」
再び飛びかかるリンドを回避して、またユウちゃんを振り下ろす。
今度はリンドの腕に当たり、リンドはユウちゃんを払い除ける。
「この飛び回る剣がうっとおしいのだ!」
リンドはユウちゃんを捕まえようとするが、ユウちゃんは素早くすり抜ける。
「ええい、逃げるな!」
リンドは空を飛ぼうと翼を広げるが、今度はその翼にユウちゃんが振り下ろされる。
「そんな攻撃がわしの鱗を通せるものか!」
言葉の通り翼にも傷一つ付いていない。
「わたしはこっちよ」
少し離れた位置から、手を振って呼びかける。
ユウちゃんを追いかけようとするリンドとは少し距離の空いた形になった。
「馬鹿め」
リンドは大きく息を吸い込んだ。
「辺り一面火の海にしてくれる」
リンドは十分な距離を取った。
そもそもわたしの攻撃は脅威にならない。
多少の隙ができても、炎を吐く攻撃で決着を付けるのが、最も確実で手っ取り早い。
そう考えた事だろう。
しかし、これがわたしの望んだ瞬間だった。
「ユウちゃん!」
振っていた手は上げたままだった。
その手を振り下ろす。
すると、上空の赤黒い空からユウちゃんが見えてくる。
そして、
「グガッ……?!」
脳天に振り下ろされたユウちゃんの一撃で、リンドは長い首から地面に倒れ込んだ。
地響きと砂煙が起こる。
「何だと? この威力は…………」
うめき声を上げるリンドの口からかすかに炎が漏れている。
今度の一撃は十分なダメージを与えることができたようだ。
「こんな威力は……、なかったはずだ」
確かに最初の攻撃はここまでの威力にはならなかった。
「でもわたしは一撃ごとに手応えを得ていたわ」
わたしは一撃ごとに攻撃の高度を上げていた。
そして、高度を上げる程リンドはダメージを受けている事を確認した。
そして、リンドが炎を吐こうと息を吸い込む瞬間、その時が最も高度を稼ぐチャンスだった。
これまでで最高の一撃を繰り出す事ができた。
「こ、この程度……!」
ふらふらと起き上がろうとするリンド。
しかし、
「ユウちゃん!」
話しをしながらも、わたしは手を振り上げユウちゃんを上昇させていた。
「もう終わりよ!」
二撃目はリンドの背中に命中し、巨体は再び地面に伏した。
「ぬうう……!
こんな曲芸なんぞに!
ウガッ……!」
起きようとするリンドは、首への一撃を受け、またも倒れた。
「何て奴だ……! 人間ごときが!」
すっかり狼狽しているリンドだが、あの攻撃を受けても平気なのはさすがだ。
「わたしの言う事を何でも聞くと言いなさい!」
いつでもユウちゃんを振り下ろせるように片手を掲げた状態で叫ぶ。
ここで何としてもリンドを従わせないと。
表情もめいっぱい凄んで見せる。
「降参しなさい!」
どうしてもリンドを従わせる必要があったが、こういうのはガラじゃない。
早く降参して欲しい。
「ひ、一つ答えろ……。
貴様は竜族を奴隷にするつもりなのか?」
「違うわ」
「では何が目的だ?
貴様の目的によっては、勝ち目がなくともわしは戦う。
わしは竜族の王なのだ」
話が違うと思ったけど、彼にも王としての責任があるようで、なかなか簡単には話は進まないみたい。
「目的は何だ?」
声のトーンがこれまでの尊大な感じと違う。
ドラゴンの表情なんて分からないけど、真剣な感じ。
本当に勝ち目がなくても戦う気なんだろう。
それならわたしも真面目に言うしかない。
「目的は、あなたの背に乗って、空を飛ぶ事よ」
リンドは沈黙した。
長い間、身動き一つしなかった。
表情から気持ちを伺う事はできない。
怒っているのかも。
やっぱりこれはタブーなんだろうか。
汗が冷えて、身体が寒くなるのを感じる。
しかし、
「ガハハハハハハハハハハハッ!」
リンドは大笑いしていた。
大音量の大笑いだった。
「な、何がおかしいの?」
「いきなり魔界に殴り込みをかけて来て、何をを企んでいるかと思えば、わしの背に乗りたいだと。
面白いやつよ。これが笑わずにおれようか!」
空を飛びたいと言うのが、ロマンチックなお願いのように聞こえたのだろうか。
至って切実な話なんだけど。
「参った。わしの負けよ」
「乗せてもらえる?」
「無論だ」
リンドは起き上がると、こうべを垂れた。
大きな目がわたしをまっすぐに見詰める。
「わしは魔竜リンド。
これよりはそなたの下僕よ」
「ローズマリー=マリーゴールドよ」
こうしてわたしは無事、魔竜リンドを下僕にしたのだった。




