僕の女神(後)
黒い機体の背部に飲み込まれていく少尉殿の姿を、僕は胸の痛みに耐えながら見送った。
初期化が行われていない機体の起動には時間を要する。しかも複雑な機構を持つ実験機となれば、どれほどの時間がかかるのかも分からない。
数分か、数十分か、数時間か。
接近中の敵は、把握できているだけで三十五機。その内、脚の速い十二機が急速に接近してきている。絶望的な戦力差だが、僕らの士気は決して低くなかった。少尉殿を背後に残し、小隊は一糸も乱れぬ陣形を組んで前進した。
だが、士気だけで現実を埋められるのなら苦労なんて無い。
『軍曹、これは無理だ!!』
05が泣き言を伝えてくる。
「踏ん張れ、少尉殿が来るまでだ!!」
この戦域が遮蔽物の無い広大な平地である事も手伝い、戦闘開始から九十秒過ぎた今では全機が何らかの損傷を受けている有様だ。そんな絶望的な状況で必死に絞り出した叱咤だったのだが、それも06からの報告の前に一瞬で吹き飛んでしまう。
『……第二波との接敵まであと百秒』
残りの二十三機が迫ってきている。隊員たちから伝わってくる不安が一気に高まり、呼吸すら困難になる。少尉殿と繋がっていない事が、こんなにも恐ろしい。僕がどれほどあの人に寄りかかっていたのかを思い知らされる。
ほんの一時でいい、彼女の代わりをさせてくれ。
どこに向けているのかも分からない祈りを捧げるが、そんなものが届く訳もない。一本の熱線に背面の跳躍ユニットを溶かされ、推力の半分を失った僕のA3は滅茶苦茶に回転しながら墜落して行く。
僕が最初の戦死者か。まぁ順当ではある。
落下中に再び激しい衝撃に襲われて、僕は追撃を受けた事を覚悟した。しかし機体の爆発を待つ僕の意識は今も続いていて、何なら忌々しい回転も収まっている。
『ボケっとするな』
「……06か?!なんで前に出て来た!!」
『臨時の小隊長殿があまりにも頼りないからだ』
06は抱えていた僕の機体を着地寸前に放り出すと、自衛用のハンドウエポンを背部のウエポンラックから取り出して撃ち始めた。落下の衝撃に顔をしかめつつも機体を立ち上がらせた僕も、アサルトライフルを構え直して前進する。
「前々から思ってたんだが、僕にだけ当たりが強くないか?!」
『……少尉を独占しているのが気に食わない』
「立場上仕方ないだろ!!」
『軍曹は少尉に甘えすぎだ』
その言葉に激昂しかけた僕のすぐ横で、強烈な閃光が瞬いた。揚陸艦を落とした奴だ。ビームのスペクトルが一致している。交戦中の敵が奴の観測支援を行っているに違いなく、このままでは遠距離から好き勝手に狙い撃ちされるだろう。僕は機体を立て直しながら叫んだ。
「06、回避だ!!機動を開始しろ!!」
『無理だな』
06の機体位置を示すマーカーが点滅している。慌てて振り返った視線の先では、彼女の機体が帯状に溶けた地面の中に横たわっていた。その下半身は熱線を受けて完全に溶け去ってしまっている。
「……おい……冗談だろ06!!」
『置いていけ軍曹。私はもう動けん』
「バカ言え!!」
僕は倒れ伏した06を背にして立った。すぐに修正射が来る。その圧倒的な熱量を前にして、僕の機体が大した盾になるとも思えない。だが、こうする以外の選択肢が浮かばないのだ。
『バカはお前だ、さっさとそこをどけ!!』
背後から06の罵倒を浴びつつ、僕は見えるはずのない遥か遠くの敵を睨む。汗が眉間からゆっくりと流れ落ちていく。無限の長さに引き延ばされる時間の中で、僕は覚悟を決める。
その時だった。
『『『『『よくやった、貴様ら』』』』』
僕らの背後に、友軍機を示す三十三個のマーカーが一気に発生した。
土煙を上げながら、幾つもの黒い影が僕らの左右を銃弾のような速度で横切っていく。慣性を無視した角度で稲妻のごとく進行方向を変えながら、荒野に美しい幾何学模様を描いて。
それらは一斉に敵へと踊りかかると、食い破るように至近距離から大火力を浴びせ始めた。
その破壊の中心に、僕は確かに見た。八本の鋭い脚を叩き込み、泡を弾くように敵を爆散させていく漆黒の機体を。
「……少尉殿」
黒い群れは瞬く間に目の前の十二機を平らげると、貪るように敵の第二波へと襲いかかっていく。僕はその圧倒的な破壊の嵐を呆然と見つめた。
『軍曹、気を抜くな。まだ終わっていない』
06から、遥か遠くでこちらを狙っている敵の位置情報が送られてくる。揚陸艦を落とし、06の下半身を消し飛ばした奴の現在地だ。僕らがまだ熱線を浴びて蒸発していない所を見るに、奴が狙いを少尉殿に変えた可能性は高い。少尉殿が前衛を全て叩き潰せば、奴は観測支援を受けられなくなる。目を失う前に必ず撃ってくるはずだ。
『あれを潰す。肩を貸せ』
こちらに差し伸べられた06の機体の手を取り、上半身を起き上がらせる。彼女は背部のウエポンラックから一本の巨大なライフルを選択すると、折り畳まれていたそれを展開させた。
『動くなよ。銃身を固定する必要がある』
向かい合って膝をついた僕の機体の肩に、彼女は長大な銃身をズシリと乗せた。
『射程距離が全く足りていない。バレルを焼くつもりでオーバーロードする。そちらのジェネレータを接続してくれ』
繋いだ手を通してバイパスされた二つのジェネレータが、ライフルのチャンバーに強大なエネルギーを充填していく。バレルからの熱による肩装甲損傷の警告音を聞きながら、僕は至近距離で06と向かい合った。
「少尉殿が作ってくれたチャンスだ、外すなよ」
『黙っていろ軍曹。今のあなたはライフルを支える二脚だ』
本当に辛辣だな。僕は06の機体を念入りに固定しながら考える。観測支援が無いため、位置情報の精度が恐ろしく粗い。これでは数千発撃っても当たらないだろう。その上、ライフルのバレルは膨大なエネルギーに熱せられて補正不可能なほど歪んでいる筈だ。それでも何故か、僕は06がやり遂げると確信していた。
呼吸を止めて敵のマーカーを見つめる中、引き延ばされた数秒間がいつ果てるとも知れず続く。
唐突に、そして躊躇いもなく、彼女は引き金を引いた。
放たれた弾丸は光の尾を引いて虚空の中に紛れ込んでいく。
やがてそれは、遥か遠方で一つの輝きを瞬かせた。
※
「……ここまで説明したのだから、貴様らのようなボンクラどもにも理解できただろう。私の勇気、決断力、そして果てしない包容力を!!」
思う限りを語り終えた僕は、肩で息をしながら口元をぬぐい、スタジオに居る人間一人一人に射殺すような視線を送った。
全てを言い尽くせてはいない。
あの戦いが終わった後、僕らは祈るような気持ちで実験機のコクピットを解放した。ハッチの向こうには、死んだように冷たくなっている少尉殿の姿があった。その噛み切られた舌からはとめどなく血が流れ続けており、頬には涙の跡が幾条も残っていた。
あの神々しい光景を伝えきる方法が、僕にあるとは思えない。
そもそもの話として、僕らの戦いをこの時代の人間たちに詳細に伝えたところで、信じて貰えぬばかりか危ない奴扱いされて終わりであろう。勢い、僕の称賛は具体性を欠いたものになりがちだった。
それでも。
それでも僕は、全身全霊をかけて言葉を尽くし、僕のできる範囲で少尉殿の素晴らしさを伝え終えたつもりだった。
見れば、出演者はほぼ全員が肩を震わせながら俯き、或いは顔を反らしてこちらを見ようとしない。自分たちがどれほど罪深いことをしたのかにようやく気づき、その重みに耐えかねているのだ。
もう良かろう。
「……いいか貴様ら、理解したなら今後は私を敬うんだ。バカにしたら許さんからな、分かったか!!」
返ってきたのは締まらない返事ばかりだった。
何かが引っ掛かるが、こ奴らは安楽な世界で育ち、その上軍人ですらないのだ。たるみ切った態度で平常運転なのだろう。
そこは気にすまい。目的は達せられたのだから。
僕は鼻を鳴らしてハリセンを教壇の上に置くと、背後で顎沢が呼び止めるのも構わず、さっさとスタジオの出口へと歩き始めたのだった。
大晦日ですね。
どうか良いお年をお過ごし下さい。