初めての町で――リーン、音の攻撃をする
ファンテがこちらに向けた眼差しにリーンは頭を掻いた。戸惑いの色が濃かったからだ。
「リーン、何と言うか、その……」口ごもる。
「いいよ、大丈夫。うん、私ね、一回死んでるんだ」
ファンテはますます困った顔になった。
「で、最初はね、生まれ変わったのかなって思ったの。でも、後になって鏡を手に入れて確認したらまんま自分だったよ」
笑った。
「これは、私の勝手な想像なんだけどさ……」
彼女は言う。多分、死んだら人間は誰しもこうやって、色々な世界に送られているのではないか、と。
「死んで生き返った人間はいないから分かんないけど、これが所謂、『天国』とか『地獄』って奴なんじゃないかってね」
「て、天国? 地獄?」ファンテにはぴんとこない。
「きっとファンテにも、他の皆にもあるよ、二回目がね。それ以降は私も知らないけど」
彼女の言葉にファンテは慌てて顔を逸らした。滲んだ涙を悟られたくなかったからだ。誰もが死ぬ訳ではなく、どこかの世界に送られ、生き続ける。それが、事実なら。本当に、そうなら。
――馬鹿だな、俺は。
リーンが転移者だからと言って、誰の身にも起きる事とは限らない。すんなり信じるほどファンテは子供ではない。
「大丈夫? ファンテ」ああ、問題ない、彼は答えた。
「ごめんね、話、長いでしょ? 一回、中断しよっか?」
青年は片手で制した。
「続けてくれ。聞いておきたいんだ」
「そう? じゃあ、続けるね」
あ、言っとくけど――ファンテの目を見てリーンは言った。
「今の暮らし、私、けっこう気に入ってるからね」
白い歯を見せた。或いはファンテの涙に気付いて、リーンは気を遣ったのだろうか。
リーンは言葉が通じ、文字も読めることに取り敢えず安堵する。町の人から集めた情報に因ればこの町の名はテンスタ。見た所、かなり寂れている。
石壁に囲まれた中に町を作り人々は暮らしていた。
リーンは、ひょっとしてエルフやらドワーフやら獣人やら、見たことのない人種に会えはしないかと期待した。
分かったのはこの町には人間しかいない。他の町にはいるかも知れない、それだけ。
もう一つ分かったことがある。
――所持金ゼロ。おなか減ったよ……。
道行く人はみな、どことなく疲れた顔。商店もあるにはあるが活気に乏しい。つまり、働き手は必要としていない。疲れた顔の人にお願いしてもご飯を奢ってくれることはなさそうだ。
リーンは町の往来、片隅に座り込む。
道行く人はこちらを見向きもしない。リーンの服装が周囲と全く違和感がなかったからだ。それは良かったのだが、あまりに溶け込んでいるため何も起きる気配がない。
リーンは顎を上げ前を向いた。
無一文の歌うたいがこういう状況下、どうやって金を稼ぐか見せてみろ、神様に言われている――気がした。
立ち上がる。無伴奏だが何とかなるだろう。目を閉じ、軽く息を吸い込んだ。さっきまであんなに歌っていたのに、久し振りな気がした。
メロディに言葉をのせて送り出す。喉の調子は悪くない。但し屋外だからどのくらい声が響くかは不透明だ。道行く人がちらほらと足を止めこちらを怪訝な顔で見た。自信を得てリーンは声のボリュームを上げる。足を止める人が増える。
――よし、いい感じ。
一曲歌って投げ銭をお願いしてみよう――少女の展望は制服を着た男の怒鳴り声で打ち砕かれた。
「おいお前、何だその変な音は!」
――えっ?
歌を止める。変な歌、なら分かる。聞いたことのない歌だろうから。だが、変な音、とは?
「そうだ、怪しい音を聞かせるな!」
そうだ、そうだとリーンは民衆に取り囲まれる。どうしたことか殺気立っている。逃げなければ、リーンは駆け出した。
「待て、おい!」
リーンの歌がよほど彼らを刺激したのだろうか。逃げながら振り返り、彼女は叫んだ。
「何よ! 歌くらい、別にいいでしょ!」
追いかけてくる男達は制服を着ており、一層の殺気をリーンに飛ばした。
「歌だと? そんなものは聞いたことがないっ。貴様、怪しげな声でこの町をどうするつもりだ!」
混乱したのはリーンだ。歌を聞いたことがない、だって?
――いけない、今は逃げなきゃ。
路地を曲がり、ひとまず町を出るべく村の入口へ。だが、男たちは異常な執念を見せていつの間にか二手に分かれており、リーンを挟み撃ちにした。
リーンは立ち止まる。振り返って二人、前に向き直り三人、交互に見比べて動けなくなる。手近な壁を背にする。男たちは両端からじりじり距離を詰めてくる。
「観念してこちらの取り調べを受けろ!」
今さら気付いたが、彼らはどうやら憲兵の類のようだった。
――くそ、どうするか……?
少し考えて、いきなり少女は思いついた。この世界に彼女を連れて来た神様からの天啓だったのかも知れない。
男たち五人の耳、全部にリーンは狙いを付けた。
出来る気がした。
軽く口を開け息を肺に流し込む。
仮に、彼らにだけ聞こえる音波のようなものを飛ばせばきっと。
――気絶させられる。
根拠などない。強烈な確信だけがあった。出来るはずだ。いや、必ず出来るに違いない。
勢いをつけて息を吐き出した。吐き出した呼気の中には尖った音の刃を封入した。刃は聞こえぬまま男達の耳、鼓膜に鋭く突き刺さった。
――どうだ!
果たして、男達は悲鳴も上げずその場に崩れ落ちた。
「ああ、何で? まったく、もう……」
がっくりと膝を折った。地面に手をつき、肩で息をする。
「歌……歌がない? そんな」
馬鹿な。少女の呟きが、聞く者のいない街路に反響した。