焚き火の前で――リーン、過去を語る
『歌声』シリーズの六話目です。
道すがらだった。
前の街、オーモットを出たリーンとファンテはミストレア領を超えて尚も南下中。途中ちょこちょこ小さな町に寄りながらゆったりとした道行きだ。ファンテによれば「この辺りを何と言う国が治めているか分からない」。これまでに通過してきたザルナック、ミストレアと言った大国の威光はもう届かない。幾つもの小国がひしめき合っており、正確な勢力図はこの辺りに住む人間さえきちんと把握出来てはいないのだろう。その証拠に立ち寄る町によっては貨幣経済が無く物々交換だったりする。思えば最初の街はもう、随分と遠くなった。
時間は夜。
二人は見渡す限り何もない荒野にいて、天幕の前で火を囲んでいた。どちらもフード付きのくすんだ色をした服を身に纏っており、上から黒のマントを羽織っていた。火の側とは言え春の初めだ。夜は冷える。
ぱちぱちと焚き火の爆ぜる音。
――あ、今のはラ。次はシ、ド……シャープか。
すっかり伸びた黒髪を後ろでアップにした彼女は石の上に腰を掛け、持ち前の絶対音感で暇を潰している。目について拾い上げた木の枝を指揮棒のように振った。
「なあ、リーン」ファンテが炎に赤く照らされた顔をリーンに向けた。揺らめく火の不確かさが、ただでさえハリウッド俳優ばりに整っている青年の顔をより魅惑的に見せていた。二人で旅を始めて一年半になり、顔はとっくに見慣れている筈なのにリーンは不覚にも見とれてしまう。
「何でしょうかファンテさん」口調も思わずかしこまる。
「……悪いものでも食べたのか」彼は心配そうな顔をした。
「いやいや。同じでしょ食事は。それより、何?」
ばきん――薪がド、ミ、ソの和音で弾ける。
「いや……実はな」
幾ら何でも口調が徐すぎる。一体何を言うつもりなんだファンテは。南下を始めて半年、もしこの旅をやめたいのだと言われたら困る。リーンは彼より先にと慌てて口を開いた。
「あ、あのね。この前のこと、なんだけどさ」
「この前?」遮られたファンテは面食らっている。
「ほら、言ってたじゃない。私の事についていつか話す、って奴よ」
彼は思い出す。港町での事を。あの時、リーンは「自分のことは話すのが難しいからまた今度」と言ったのだ。
――それが今、なのか?
期せずやって来た瞬間にファンテは思わず背筋を伸ばす。ええとね、リーンも幾らか居住まいを正し、言葉を探し求めるようにじんわり口を開けた。
「これはあたしがテンスタって言う町に降り立つ前の話なんだけどね」
話の開幕からファンテは置いて行かれる。降り立つ、とは?
「あ、質問は後でお願いします」右手を立ててリーンが先回りする。そうだ、とにかく、聞かねば何も分からぬ。
ファンテは押し黙り、リーンの話に耳を傾けていく。
『あのね、マネージャーが、使えないの』
スマホにうち込んだところで松崎リーンは我に返った。
――いかんいかん、なんだこのあほみたいな文面は。
事務所宛てに作成中だったメールを消去する。スマホをドレッサーボードに投げ出す。楽屋には誰もいない。深夜帯のトークバラエティ番組。収録は三時間後。おまけにメイクさんも渋滞で遅れている。はっきり言って退屈だった。
頬杖をつく。鏡の中、自身のつまらなそうな顔。
歌番組かライブをやらせろ、とはマネージャーに懇願しているものの、入って来る仕事は何故かバラエティ番組ばかり。確かにデビューは最近だし初シングルの売上もダウンロード数も奮わなかった。自分の歯に衣着せぬ物言いが一部で受けているのも知っている。とは言え。
――このままでは歌も歌えるタレントとして認知されてしまう。
リーンには危機感があった。
アイドルとしてデビューする時、リーンは母親と約束したのだ。一年やって芽が出なければ引退すること、と。このままでは本当にそうなってしまう。
アイドルを目指したのはリーンの純粋な我儘からだ。そのままであれば彼女は声楽家、或いは演奏家の道を進んだことだろう。父に著名なピアニストを持ち、ドイツ人の母親も声楽家であるリーンは、言ってみれば混じり気のない優駿だ。
リーンはどこかそれを鼻にかける少女だった。無意識にせよ、他人を見下すような視線。無理もない、周りの取り巻きからは無条件でちやほやされる。
――だって私の歌は最高だもんね。
リーンは回顧する。あの時の自分は嫌な奴だった。子供にはありがちな、少しの勘違い。
リーンが小学生五年の時、両親が離婚した。原因は父親の不貞だった。芸術家としては尊敬できる父親だったものの、他はいただけなかった。
少女は母親に引き取られた。父親はイメージダウンで仕事が減り、経済的に苦しくなって慰藉料を滞らせた。母親の稼ぎだけでは生活は身の丈に合ったものにせざるを得なくなる。そうなるとリーンの周りからは波が引くように人がいなくなった。仲の良かった同級生も、へらへらしていた大人も。所詮、私ではなく、父親の威光、或いは金の匂い。
小さなリーンは閃く。
――そっか、お金があればいいんだ。
金さえあれば誰も自分から離れていかないはずだ。
そう結論付けた。では自分で稼ぐのはどうすればいいか。
彼女の場合、それがアイドル稼業だった。
真っ当に自立して欲しいと願う母親の反対を押し切って参加した歌のオーディション番組を勝ち抜き、リーンはその若さ、経歴も相俟って華々しくデビューした。が、デビュー曲の出来が悪く、必死に宣伝したが世間の反応は薄かった。
気がつけばそれから一年と少しが経過し、現在、リーンは十五歳になっていた。