前編
ご要望にお応えして。
大学生の菅谷奏介は友人と分かれ、大通りから細い路地に入った。駅までの近道なのだ。
「!」
少し先の公園の前で立ち話をしている男女を見つけた。女性の方には見覚えがある。
どう見ても取り込み中だ。知らん顔で通りすぎるのもありだが、あちらは気にしてしまうだろう。
(別の道に)
引き返そうとした時、話を終えたらしく、男性は奏介の進行方向へ去って行ってしまった。そして女性と目が合う。
「あ」
力なくそう声を漏らしたのは高坂いつみだった。
ブラウスにロングスカート姿。いつもと化粧の仕方が違う気がする。印象がだいぶ違った。
「こんにちは。すみません、邪魔するつもりはなかったんですけど」
いつみは首を横にふる。
「話は終わりましたから」
何やら悲しげに男性が去った方へ視線を向ける。
「どちら様、ですか?」
何故か沈黙が居心地が悪く、つい聞いてしまった。踏み込んで良かったのかと少し後悔する。
「一年ほどお付き合いをしていたんです。たった今、振られてしまいましたが」
「え……」
やはり聞くべきではなかった。次の言葉を選んでいると、
「すみません、奏介さんに関係
ないのにこんな重い話を」
苦笑を浮かべるいつみである。つまり今日はデートだったのだろう。
「良かったら、うちに寄っていきませんか? あいみも小学校が終わって帰っている頃です」
「是非。あいみちゃん、元気ですか?」
「……ええ」
あいみと何かあったのだろうか。あからさまに落ち込んでいるよう。いつみにしては珍しい。
ふと思い当たった。
「もしかして、あいみちゃんが反抗期になったとか?」
「え? ああ、いえ。あいみは変わらず良い子ですよ。もう家事をすべて任せてもこなせるくらいなんです。この前なんか、わたしが風邪を引いてしまって、その時は掃除洗濯食事の準備を手際よく……」
そこで言葉が途切れる。
やはり様子がおかしい。そのまま無言で歩くこと数分、高坂家へと到着した。
いつみはあいみと二人で暮らしているそうだ。エレベーターで三階フロアへ行き、部屋の前へ。鍵を開けて中へ入る。
「ただいま」
「あ、おかえり、ママ」
廊下に出てきたのはエプロン姿のあいみだった。だいぶ背が伸びて、大人っぽくなったような。
あいみは、はっとした様子で奏介を見る。
「そうすけ君!?」
「あいみちゃん、久しぶり」
あいみはきらきらと目を輝かせた。
「そうすけ君、変わってない……!」
よく言われるフレーズだ。
「ふふ」
いつみが控えめに笑った。彼女の印象も以前と少し違う気がする。なんだか柔らかい。やはりあいみと暮らしているからだろうか。
「今、野菜煮込んでるんだけど、カレーかシチューか肉じゃがで迷ってたの」
「なら、カレーにしましょう。わたしが変わりますから、あいみは奏介さんとテレビでも見てて良いですよ」
「うん」
いつみはキッチンへと入って行った。
「そうすけ君、元気だった?」
「ああ、健康だよ」
「よかった」
あいみはにっこりと笑って、
「季節の変わり目だから体調管理には気を付けなさいってママがよく言うから」
「ママ……」
以前は普通におばさんと読んでいたはずだが。
「えっとね、私もうお母さんのところには帰らないんだ。いつみ伯母さんがママになったんだよ」
正式に引き取ったということだろうか。
「そっか。いつみさんしっかりしてるし、それが良いかもね」
正直なところ、高坂かやみの精神状態が回復したところで、一人で娘を育てることはできないだろう。
「今、悩んでることがあるの。そうすけ君……相談に乗ってくれる?」
「え? 俺でいいの?」
小学生の女の子の悩みを解決してやれる自信はないのだが。
「うん。こっち」
手を引かれて連れて行かれたのはあいみの部屋だった。
勉強机にランドセル、全体的に黄色の家具でまとめられている。
部屋の真ん中のローテーブルを挟んで座る。
「ママのこと、なんだ」
「いつみさんのことで悩んでるってこと?」
「うん」
自分の悩みではないらしい。
「最近、彼氏さんと上手くいってないんだって。ずっと落ち込んでて……今日はデートで遅くなるって行ってたのにこんなに早く帰ってくるし」
さすがに別れたらしいとは言えない。
「そ、そっか」
「ママ、わたしにはなんにも話してくれないから……そうすけ君にならちゃんと言ってくれるかな?」
「ああ、そういう」
「お願い、そうすけ君」
真っ直ぐに見られると、断るわけにも行かない。
「わかったよ。ちょっと聞いてみる」
「ママ、お酒に弱いから飲ませれば、口が緩くなるかも」
「……その知識はどこで仕入れたの?」
まさか小学生に弱点を知られているとは。
あいみに頼み込まれる形でいつみがアルコールを入れるまで待つことにした。
夜八時。
お風呂を上がったパジャマ姿のあいみがリビングに顔を出した。
「明日、学校のお当番だから早めに寝るねー」
そう言って自室へ入って行ってしまった。
リビングのテーブルでテレビを見ていた奏介のところへいつみが歩み寄って来た。
「奏介さん、まだ飲めないんでしたっけ?」
「お酒ですか? そうですね、まだ」
するといつみは笑って、ラムネソーダを出してくれた。ちなみに彼女は梅酒のソーダ割りである。
「あいみが寝てから一人で飲むことが多くなりまして。前はあまり飲まなかったんですけどね」
乾杯。そっとグラスを合わせる。
遠回しに聞くのもあれなので、切り込むことにした。
「いつみさん、何か悩んでますよね? あいみちゃん、心配してるみたいですよ」
一口飲んだいつみは目を見開いた。
「あいみが?」
「はい」
「……奏介さんにこんな話をするわけには」
口を固く閉ざしていたいつみだったが。
数十分。
いつみは一気に飲み干したグラスをテーブルに置いた。
「い、いつみさん……」
「つまりですね、わたしは物事に対して固すぎると言うんです。それは確かに、娯楽施設なども苦手ですし、デートの場所も困るのかも知れませんけど」
「……はい」
絡み酒だった。
「でもですね、でも……あいみのことを言うのは違うと思うんです」
「あいみちゃん、ですか?」
顔を真っ赤にしたいつみが頷く。
「確かに、初婚でいきなり小学生のパパになるのはハードル高いかも知れませんけど、それを理由に振るのはおかしいと思います」
「あ……」
彼女の悩みが理解できた。彼氏と上手くいかない理由は、間接的にあいみが関係しているのだ。
「勘違いしないでくださいね。あいみを引き取ったことはまったく後悔してませんっ」
奏介は頷いた。
「そうですね」
「……わたしだって、結婚願望くらいあるんですよ。というか、魅力的だったら子持ちでも……」
いつみは目がとろんとしてきた。
「いつみさん、飲み過ぎですよ」
「奏介さん、わたしってそんなに女性としての魅力がないのでしょうか?」
ぐいっと顔を寄せられ、奏介は苦笑を浮かべる。
「そんなことないですよ」
「適当、言ってませんか?」
「言ってません。いつみさんとあいみちゃんを受け入れてくれる男性は必ず見つかりますよ」
「……ふにゃ」
いつみはそのままテーブルに突っ伏して寝息を立ててしまった。
雰囲気がラブコメっぽくない気がします……。こんなクオリティですみません!!