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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
終章
55/57

肆 【伯豹の懺悔】

◆◆◆


 薄墨色の戦袍姿の偉 伯豹はくひょうは一人の共も伴わず、花影のすぐ後ろに立っていた。

 非常時はともかく、本来であれば、光和殿近辺は、正装でいなければならないところだ。


(規則が、変わったのかしらね……)


 凌星が頂点でいるのなら、そういう意味のない規則が変わっていてもおかしくはない。

 しかし、問題はどうしてこの男が一人でほっつき歩いているのか……だった。


(もしかして……暇……だとか?)


 そんな益体もないことを想像していたら、まるで花影の心を読んだように、伯豹が口を開いた。


「……戦がない時は、大司尉なんて暇人そのものさ。元々、国内の揉め事が主な仕事だからな。その点、烈山は国外向けの大将軍だから、対エスティアの備えが出来て、羨ましいものだよ」

「……えーっと。そういえば、陶大将軍は、そのままの地位を固辞したとか」


 まるで、世間話のような気安さに、ついうっかり花影も応じてしまう。


「貴方様も、陶大将軍も大司政の職を、そのまま引き受ける事が出来たかもしれませんのに?」

「いいんだ。別に、俺も烈山も、地位欲しさに動いたわけじゃないからな。でも、まあ……あの御方が一人になると、何をしでかすか分からないから、近くに雪己を置くようにはなった。あいつも大変だな。大司政の空位を下っ端でいながら埋めなきゃならんし、いざとなったら、軍人もやらなきゃならないようだ」

「あの方は、苦労性っぽいですからね」

「俺もやる気がない訳ではないんだが、軍の奴らと鍛錬に出ると、人死にが出るだとかで、来るなと止められてしまってな」

「……それは、大変なことですね」


 一体、どんな鍛錬をしているのか?

 穏やかな午後の昼下がりに、茶飲み仲間とでも話すような、和やかな雰囲気に物騒な言葉が入り混じっている。

 だが、以前のような、こちらを威嚇する空気が、伯豹にはまるでなかった。


(まさか、私だって分かってないってことは……有りえないわよね?)


 さすがに黒ずくめの異様な格好をしていたら、花影だと一瞬で気づくはずなのだが……。

 とにかく、恐ろしかった。


(私、色々と偉そうなこと言っちゃったからな)


 半年前、花影は伯豹に対して、凌星と自分は、絶対に流月と紫陽のようにはならないと、固く誓ったのだった。

 問題が解決したら、王宮から速やかに出ると約束していたのに、こんな場面を発見されてしまったら、どうなるのか……?

 約束を破ったと勘繰られて、切りつけられでもしたら、大変だ。

 当たり障りのないうちにと、花影は愛想笑いで、その場を立ち去ろうとした。


「あの……私。……たまたま、御用があって、こちらに。丁度今から、帰るところなのです。誓って、慧 紫晴様とお会いしようなどとは思っていませんし、もう二度と王宮に立ち入るつもりもありませんので、ご心配なく……」


 背中を向けるのが怖くて、不自然な横歩きで、花影は図書塔側に戻ろうとした。

 ――が。


「そちらの隠し通路はすべて、見張りがついているぞ」


 やはり、伯豹は読心術が使えるのではないだろうか……?


(……侮れない)


 気まずさを抱えながら、再び振り返った花影だったが、伯豹は何を咎めるでもなく、陽光の下、照り輝いている銀花の青い葉を見据えたままだった。

 そうして、独り言のように、朴訥と語り始めたのだった。


「……隠し通路と言えば、そうだな。昔、紫陽様と流月も、それを使って、外で会っていたことがあった」

「………………はっ?」

「最初に二人が出会ったのは、この銀花の前だった。それ以降、紫陽様に頼まれて、流月との密会の機会を作っていたのは、俺だったんだ」

「…………貴方様が?」

「昔の話だ。紫陽様は好奇心旺盛な御方で、流月も気丈で、お転婆な娘だった。……流月は周庵の許可を得て、図書搭で勉強できることを喜んでいたよ。俺はエスティア人なんて、大嫌いだったが、あの娘だけは……どうにも放っておけないような、笑顔の愛らしい娘だった」


 伯豹の『銀花』を眺める瞳は、自分の身内を慈しむような優しさに溢れていた。


「……馬鹿だったな。後悔したよ。あの頃は大后が幅を利かせていた時代だった。軍部の勢力は弱く、文官の方がはるかに重用されていた。俺や烈山じゃ……二人を護ることは出来なかった。凌星様を生んで、お前を迎えて、流月は一切笑わなくなった。死ぬまで……な」

「…………あの、大司尉。……私、もう一つ疑問に思っていたことがあるのですが……」

「何だ?」


 伯豹はこちらを向くことはなかったが、花影は今が好機だと、気になっていたことを口にした。


「光陰流星如 銀花明々為……。あの紫陽様の最期のお言葉を、あの日、私が分かるように、流月の机の中に忍ばせたのは、貴方の仕業ではないですか?」

「………………ほう……。なぜ、そう思う?」

「柳先生にとっても浅氏にとっても、流月の存在は頭痛の種でした。亡くなった際、私がいない間に、何か遺していないか、家探ししていてもおかしくはありません。それに、流月が亡くなって、一年後……。わざわざ、あの日に、私がそれを見つけるなんてことは、奇跡的な確率ですよ。貴方様が、事前に流月からあの『詩』を託されていて、図書搭に入り込むことのできる手練れの配下を持っていたとしたら?」

「……お前は、本当に想像力が豊かだな」


 伯豹は、淡々としている。

 しかし、機嫌良さげに、口元を綻ばせていた。


「貴方様は、初めて私の前に現れた時、紫陽様の死因について話して行かれましたね。不自然ですよ。いくら凌星様と一緒にいるからって、出会ってすぐの小娘に、そんな話、普通はしません。…………私に、解かせたかったんじゃないですか?」

「しかし、俺は目覚めた柳 周庵のもとにお前が行くのを止めたぞ」

「ああやって、私を挑発していたのでしょう。どうせ、私が何をしたって行くだろうことは分かっていたはずです。あの時に、これ以上、凌星様には近づかないと、私に徹底して言わせたかった……」

「……それは違うな」


 すっと立ち上がった伯豹は、初めて花影を見遣った。

 畏怖の対象でしかなかったきつい眼差しも、ちゃんと向き合ってみると、意外に温かいものがある。

 無数の切り傷も、この男の情け深さと比例しているような気がしていた。

 肌寒い乾いた風に、伯豹の無造作に括っている長髪が揺れていた。


「もう二度と悲劇を繰り返して欲しくなかった。……それだけだ。半端な気持ちなら、別れた方がお互いのためだ。別に泣かせようと思ったわけでも、不幸にしたいと思ったわけでもない。俺は、昔から言葉が足りなくてな。だから……。凌星様には、俺のように育って欲しくなかったんだ」


 ……つまり、伯豹が凌星を預かることもできたわけだ。

 しかし、この男は自分より烈山の方が相応しいと考えた。


 きっと、伯豹が誰より、紫陽と……流月・・を想っていたのだ。


 凌星が成長するに従って、このままで良いかと、安穏と構えだした烈山と違い、伯豹は決して、二人を忘れなかった。

 凌星が紫陽と瓜二つであることも、彼の決意を固めた要因だろう。

 何としても、二人の遺志を継いで、凌星を即位させたかった。

 そして、その一方で、流月の無念を分かって欲しいと、花影に紫陽の最期の言葉を託した。

 凌星と出会うか否かは、伯豹も計算はしていなかったかもしれない。


 しかし、あの日……。

 ――花影は凌星と出会ってしまった。


「…………行け」

「えっ」

「あの御方が、いらした」

「いや、しかし……私は」

「あれは、お前が一方的に言い出したことだ。約束なんかじゃない。大体、俺が今のあの御方に逆らえるはずないだろう。……本気で殺されるぞ」


 尚も身構える花影を、強引に前に送りだした伯豹は、すでに背中を向けていた。


「いや……あの……ま、待って」

「あんな方でも、光西の主なんでな……」


 ぽつりと言い捨てて、花影をその場に残して、さっさっと去って行ってしまった。


(これは、もしかして……)


 花影は、そこで初めて気が付いた。

 伯豹こそが、花影の足止め要員だったのだ。

 やられた。

 いや、何がどうやられたのか、花影にすら既に分からなくなっていた。


「先生……!」


 光和殿の方から、早足でやって来る人影に、花影は最初目を瞑って、少ししてから目を見開いて、確かめた。


 夢では、ないようだ。

 忘れるはずもない。


 いや、むしろ離れてからの方がずっと恋しかった。

 ………………凌星の姿が、そこにあった。


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