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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
終章
52/57

壱 【和睦】

◆◆◆


 浅氏が呂県を治めるようになって、どのくらい経つのか……。

 そこに暮らしている者ですら、分からなくなるほど、浅氏の当主は遠い存在であった。

 大体、浅氏の当主は、ほとんど王都にいて重職に就いているので、滅多に呂県に顔を出さない。

 実際は、一族の誰かが実質呂県を支配している状態であった。

 その……当主・浅 泰全が、久々に呂県の都、審栄に長く滞在しているらしい。

 しかも、光西の王も一緒だという話だった。

 王宮で叛乱が起こり、遁走して呂県に逃げ込んできたということだが、しかし、そこに暮らす人間にとっては、傍迷惑な話で、早く過ぎ去って欲しい嵐のような出来事だった。


 まず、浅氏の別邸付近で、衝突が起きたことをきっかけに、自由に行来している商人たちの身体調査が厳しくなってしまった。


 大司尉の軍人が商人に変装して、浅氏の別邸を襲撃したというのが理由らしいが、おかげで商売が大いにやりにくくなり、更に刀剣など美術品としても価値が高い品物が役人に没収される事態が多発し、商いをする人間にとっての被害は大きくなっていった。


 ただでさえ、浅 泰全が私兵を大量に雇い始めたせいで、治安が悪くなっているというのに、商売まで不自由になってしまったら、呂県が呂県である意味などない。


 政治に無関心だった呂県の人間も、生活がかかってきたこともあって、熱心に成り行きを注視するようになっていた。


 …………すると、そこに今回の叛乱劇の主役、慧 紫晴が単身、呂県に乗り込んでいるという情報が、大々的に伝わった。


 紫晴は先代国王の御落胤と自称しているだけあって、紫陽に生き写しなのだそうだ。


 更に、その紫陽は、現在の国王、玄瑞によって毒殺されたのだという噂が、まことしやかに流れたのだった。


 紫晴の生い立ちは不明で、怪しいことこの上ないが、たった一人で敵の本拠地にやって来た勇気ある行動と、父親を毒殺された憐れな太子という印象が相俟って、呂県の中で、紫晴の評判は急上昇した。


 その人気は、予め企図されていたかのごとく、瞬く間に光西全体に伝播していった。

 日和見を決め込んでいた諸侯たちも、次々と紫晴を支持するようになっていき……

 ――形勢は確実に、慧 紫晴側に有利に動いていた。


 極めつけは大司天・宋 飛水が慧 紫晴側についたことだった。


 これを受けて、今まで不気味な沈黙を続けていた国王慧 玄瑞と浅 泰全は、慧 紫晴と交渉することを決めたのだった。


 それは……別邸での小競り合いが始まってから、七日後のことであった。


 交渉の場所は、審栄の『黄見亭』。

 時間は黄昏時だった。

 浅氏がよく利用している旗亭にて慧 紫晴は大将軍陶 烈山だけを伴い、訪れる予定となっていた。



 その日は好天で、丁度、熟れた黄仙が残光に照り返し、周囲は黄金色に染まっていた。


 貸切り状態の店の一層静かな中庭に設けられた席に、颯爽とやって来た慧 紫晴の姿を目の当たりにして、背筋に冷や汗を掻いたのは、玄瑞も泰全も同じだった。


 黒々とした総髪の上に、冠を被り、発色の良い赤を基調とした朝服を纏っている。

 涼やかな眼差しと、凛とした物腰を、二人は誰よりもよく知っていた。


 ――先代国王・慧 紫陽の青年期そのものであった。


 以前、二人が二回対峙した時の紫晴は、女装をしていた。

 似ていることは認識していたが、さすがにここまでとは、思ってもいなかった。


「あ、あ、兄……上」


 真っ青になっている玄瑞を一瞥して、挑発したのは紫晴であった。


「毒は盛らないでくれよ。叔父君」


 血の気が引くどころではなく、袖口で顔を隠して、震えだした玄瑞の前に立って、軽く拱手する。


「よろしいか……?」


 尋ねてはいたが、答えが返る前に紫晴は着席し、それに続いて常服姿の烈山も隣に腰をかけた。

 国王は通常、公の場で臣下に直言はしない。

 こういう場には、必ず進行役がいるはずだが、紫晴はそんなものはいらないと突っぱねてしまったので、本当に四人しかそこにはいなかった。

 渋々、口火を切ったのは、浅 泰全であった。


「王位などに興味はないと、仰っていたにも関わらず、急に欲が出ましたか? 紫晴様」

「確かに……」


 自分は先日そう言っていたのだから、気になるのは当然だろうと、紫晴は口の端を緩めた。


「事情が変わったんだ。病の重い叔父君には、禅譲して頂く」

「てっきり、あのエスティアの娘と逃げてしまうのかとも思ったのですがね……。一時、気持ちが変わったくらいで、気まぐれに王座を寄越せとは……」

「親父とおふくろが夢枕に立って、俺に光西の主になれって、お告げしたんだって……言ったら、どうする?」

「兄上がそんなこと?」

「嘘だよ」


 咳払いをしたのは、烈山だったが、嫌味を口にしたのは、泰全だった。


「……嘘だとしたら、不敬極まりないですな」

「まあ、完全な嘘というわけでもないけど……。何にしても、殺すよりはマシだろう」

「紫晴……様」


 烈山は呆れた表情をしていたが、上辺だけだ。

 心奥では、紫晴の言動を認めている。

 気まずい沈黙を破ったのは、今回も泰全だった。


「いずれにしても、例の紫陽様の遺詔があったところで、明鈴が関与した証拠にはならないでしょう?」

「証拠にはならずとも、俺が遺詔を持っているということが重要なんだよ」

「その詩の解釈でしたら、何とでも……」

「当時の紫陽様の毒見係の女は生存していて、こちらで確保している。証言は取れている……といったら?」

「な……に?」


 刹那に、泰全が目の色を変えた。

 その『毒見役の女』の件自体、知らなかったとばかりに、玄瑞が横目で泰全を睨むが、今更である。


「あのな……。あんたは殺したつもりでも、そういうところ、柳 周庵は意外にお人好しで、慎重なんだ。殺すのは可哀想だと憐みながら、自分があんた達に見限られた時のことを計算して、女を生かしていたんだよ。毒見係は生きている。周庵の指示でこちらの証言者にもなってくれるだろう。娘の明鈴が毒殺の犯人だとしたら、自然、あんたが指示したように取られて、身の破滅だろうな。だが……」


 紫晴は、烈山に合図をすると、ひょいと渡された竹簡を、卓上に開いて置いた。

 公式文書を作成する場合、後世に遺すのを目的にして、紙ではなく木に書くのが常識だ。

 交渉と口にしてはいたが、紫晴の方が優位に『和睦』を結ぼうとしているのは、明白であった。


「禅譲と顛河の河川工事に対する協力……この二点を誓ってくれたら、表沙汰にしないと約束しよう」

「脅しですか?」

「大司政殿は、おかしなことを言う。悪くない条件だろう? あんたの大司政の身分は一時的に剥奪するけど、俺たちは呂県を取る気はないんだぜ。これ以上、不毛な争いが続いて、犠牲者が増えたり、商売人の仕事がやりづらくなるよりマシだと思って、わざわざ交渉の場を設けたんだ。救う気で来ているのに、脅しとは勘違いも甚だしいな」

「救う……とは。交渉の場という話で、こちらを呼んだ割には、言葉が過ぎるようですが? 大将軍殿」


 あからさまな渋面を浮かべて、泰全が烈山を見遣るものの、効果はなかった。

 烈山は涼しい顔をして、すりおろした光仙が入っている甘酸っぱい茶を啜っていた。


「大司政殿も、だらだらと形式張った話し合いをするより、最初から核心を突いた話し合いをする方が楽でしょう? 効率的でもあります」

「よく言いますな。条件によっては、和解などする必要もないのですよ。……陛下」

「……わ、私は……」


 もはや、主従関係のようになってしまっている二人のやりとりに、紫晴は溜息を落とした。


「情けないもんだな。二人して大局が見えてないのか? こちらに大義名分が出来た時点で、あんた達は負けたんだ。もっとも……このまま争いを続けて、徹底的にあんた達を蹴散らして、それで玉座に就くのも、見せしめとしては、悪くはない選択だけどな」

「貴方に、それが出来るとでも?」

「いいや。残念だが、俺の出る幕はなさそうだ。大司尉や大将軍と諸侯の兵士たちだけで、事は足りるだろう。……こちらの味方は、増え続けているんだよ。あんた達は、とっくに孤立しているんだ」

「それは、光西内では……ということでしょう?」

「…………浅 泰全。あんたの目論見は失敗している。瓏国は叔父君を正統な君主として認めない。俺たちと争ったところで、あんた達の後ろ盾にはならないんだよ」


 抑揚なく紫晴が突きつけた一言を、しかし泰全は信じていなかった。


「何を仰っているのやら」

「あんたは、緊急時のために瓏国に、巨額の賄賂を送っていた。瓏から色よい返事も貰っていたから、余裕を見せているのだろうけど、瓏国は内部のごたごたで、光西のような辺境の領地のことを考えている暇なんてないんだ」

「そんなはず……」

「分かるさ。瓏には個人的な伝手がある。あんたも、自信があったから、こちらを動揺させるつもりで、唯 花影に瓏の話をしたんだろうが、愚かだったな……」


 紫晴は言い切ると、何も書いていない竹簡の隣に、もう一つ、懐から紫色の紐で括られている竹簡を取り出して、広げて見せた。

 瓏と光西の言語は、共通である。

 玄瑞も泰全も、それを目にした瞬間に意味を飲みこんだ。


「…………何だ。これは?」


 泰全が細い目を瞬かせた。


「光西の正式な領主として、慧 紫晴を認める? 宋禮領主……?」


 玄瑞が竹に黒々とした墨で書かれた達筆と、紫晴の顔を見比べた。


「宋禮……が、なぜ……?」


 二人に分かるはずがない。

 宋禮とは隣り合っているが、密な国交はない。

 国主同士、ほとんど行き来のない宋禮の領主が、直々に紫晴を、領主と認めているのだ。


「元々、お隣りの宋禮は、瓏の王太子が、エスティアの監視用にと、国王から封ぜられた領地だ。ここ数百年ばかり、瓏とは疎遠になりつつあったけど、最近、宋禮は瓏の王家と緊密になりつつある。宋禮が取り成してくれたら……瓏は、俺を領主に認める方を取るだろうな」

「いや、だから……どうして、宋禮が紫晴殿に?」


 出来過ぎていると、さすがに玄瑞も訝しんでいるが、紫晴は動じない。

 二人を威嚇するように、苦笑した。


「宋禮領主の側近に、知り合いがいるんだよ。以前は俺も分からなかったけど、紫陽様と顔がそっくりなせいだろうな。他領に旅で出かけて普通に歩いていると、なぜかお偉方が寄って来ることがあってな。いろんな領地に知り合いがいる。もっとも、ただで何かしてもらうという訳にはいかないから、相応の見返りは求めているんだろうけど。……でも、金で釣るよりは、はるかに光西にとって危険は少ないと思うぜ。……浅 泰全殿」

「……そんな」


 本当は……泰全とて、分かっていた。

 唯 花影が別邸に押しかけた雨の日から……。

 紫晴の顔を見た瞬間、早々に諸侯たちがこの青年に味方するだろうことは……。

 だから、殺せと嘯いてみた。

 しかし、紫晴は泰全を殺すことなく、今度は禅譲だと言い出してきた。


 後悔するだろう……などと、負け惜しみだ。

 ただ、気持ちが追いつかなかった。


 泰全は、慧 紫陽を君主としても、娘の婿としても期待していた。

 ……だが、紫陽は泰全には懐かなかった。

 たった一人、身分も持たない、エスティア系の女などにうつつをぬかし、文官よりも、武官を好んだ。

 すべて、流月のせいだと恨んだこともあった。

 流月を葬ってしまおうかと、企てたこともあったが、いつも武官が未然に防ぎ、紫陽との溝は深まるばかりだった。


「…………エスティア女の生んだ御子が……光西の主になるなど」

「ああ、そうだな。面白いだろ? これから、生まれなんて、どうでも良い世の中にしてやる」


 言下に、紫晴が言い放つ。

 見た目はそっくりだが、言葉遣いも、態度も、紫陽あにとはまるで違う。


 ――が、その瞳の煌めきは……紫陽よりも遥かに底が深いものだと、()には分かってしまった。


「……紫晴殿が玉座を欲した事情とは、あの娘のことか?」

「…………だとしたら、何だって言うんだ?」


 紫晴は素直すぎるほど、潔く認めた。

 それは危うさだと、玄瑞は見ていた。

 真っ直ぐだからこそ……紫陽は死んでしまったのだから。


「兄上も、女のために、人生を踏み外した。泰全から兄上の遺詔の内容も聞いたが……私は、ただ虚しく思った。玉座とは……そんなに簡単なものではないはずだが?」

「よく言うぜ。叔父君……自分のことを棚に上げてな」


 橙色の残照が、きらきらと紫晴の下に降り注いでいる。

 日陰に座している玄瑞と明暗を分けるように……。

 それは、この甥にはとても敵わないと、見せつけるような、自然の差配のように思えてならなかった。

 純粋だからこそ、恐ろしさを秘めた瞳が一途に、玄瑞を捉えていた。


「なあ? 貴方はどうして妃を怖がったんだ? 聞いたところでは、明鈴は今、精神不安で呂県から離れたらしいな。それを知っても、貴方は何も揺らがなかったのかよ?」

「あの女は……兄君を葬り、私を自分の所有物のようにしているんだぞ?」

「そうだな。大罪だ。もし表沙汰になったのなら、明鈴は処刑だろう。……でもな。それでも貴方はその女を、正妃として傍に置いたんだ。それを……要は……俺が現れた途端、浅氏が俺に乗り換えて、手土産に自分が殺されることを、畏れたってだけだろうが?」

「そうだ。何が悪い? 最初は私だって、明鈴に同情をした。だが、愛憎が膨れ上がって、兄上を殺したような女だ。紫晴殿は、兄上によく似ていると耳にした。今回は私のことだって、どうするか分からぬではないか?」


 当然とばかりに、玄瑞が反駁すると、紫晴は口元に淡い笑みを浮かべた。

 それは、玄瑞がどうしても越えられない高い壁のような、憐憫を含んだ微笑だった。


「……そこだよ。つまり、俺が貴方より、まともな君主になれると思う理由。……俺の支柱は、あの人だ。それを否定するつもりもない。簡単で単純な男だよ。……今も、あの人なら、きっと合理的に和睦を勧めるだろうと思って、俺は動いている。……だから、もし、あの人が俺に毒を盛ったら、俺……分かっていても、飲むよ。…………もちろん、事情は訊くけれど、どんなことがあっても、信じようとする。甘い戯言みたいでも、俺にとって絶対に今も十年後も、死ぬまで……そこのところは変わりはしない。人の中にあって、その頂きに立つんだ。誰も人がいなきゃ、君主なんて存在しない。最低限、自分にとって大切な人のことを信じるよ。もし、裏切られたら、それは自分の目が曇ってたってことだ。諦めるさ」


 つまり、自身の脆さも甘っちょろい感情だということも含めて、自覚をしているらしい。

 紫晴の視線は、玄瑞を通り過ぎて、光仙の森に向いていた。

 澄んだ池にひらりと橙色に染められた葉が落ちて、そこだけ幽玄の世界を築いている。

 紫晴は何かを懐かしむように、穏やかに目を細めていた。


「貴方がしていたことは、すべて保身だ。自分を護りたいから、浅 泰全の言うがままになり、一方で、気持ちを傾けていた妃すら畏れて遠ざけた。…………君主の座って、自分の為にあるものじゃないはずだ。……そうだろ?」


 その言葉は、玄瑞と泰全に向けたものではない。

 ……遠い、光仙の森の先にいる誰かに、投げかけているような響きを持っていた。


 

 ――三日後。

 紫晴が突きつけた和睦の条件を慧 玄瑞は受諾し、慧 紫晴が新たな光西の王となることが、光西中に宣下された。


 花影との別れから、わずか十日後の出来事だった。

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