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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
七章
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玖 【光仙と涙】

◆◆◆


 昨夜の暴雨が嘘のように、顛河の流れは、穏やかだった。

 船着き場に到着した瞬間に、花影を待っていたのは、丁李と千李、そして慈念だった。

 烈山がわざわざ、ここに迎えに来るよう、誘導したらしい。


(何と言う……腹黒なんだろう)


 せめて、花影が寂しくならないようにとの配慮のつもりなのだろうか……?

 彼女たちとは、もう少し都寄りの街で合流するつもりでいたのだ。


(そこまで、私、子供に見えるのかしら?)


 確かに、一人で向かうのは、時間を持て余す。

 川の流れが早いので、上流に向かう船は、陸から人力で引っ張る仕組みとなっていた。

 それを見越して、慈念の船は呂県と礼県の境に置いたままなのだそうだ。


(まあ、いいか。流れに身を任せるということで)


 凌星が追いかけて来ることは、二度とない。

 彼と一緒にいた目まぐるしい時間が嘘のように、密やかな時が戻ってきたようだった。

 対岸の山々の新緑の色が、そのまま水面を染めていた。濃緑の水の上に、ひらりと舞い落ちた一枚の若葉を目で追う。

 火照った頬は、水場の近くに置いておくと癒されるようだった。

 乗合船であったが、水辺に近い後ろの席を花影は陣取っていた。


「先生……。本当に良かったんですか? 一泊くらいなら、呂県で出来たんですよ。わざわざ水嵩の多い日に、船旅なんかしなくったって」

「本当に……無理ばかりなさるから、また熱が出るんですよ」


 二人して、同じような顔をして怒っているが、それも心配の証だ。

 まんまと烈山の思惑にはまってるようだが、賑やかなのが、今の花影には有難かった。


「…………あの、千李さん、丁李」

「はい、何でしょう? 先生」


 丁李が姿勢を正し、その隣の千李が身を乗り出していた。


「私の都合で迷惑ばかりかけていて、申し訳ないのですが……都に戻りがてら、ゆっくりと旅に出ませんか?」

「…………えっ?」


 突然の申し出に、丁李が目を見開いた。

 船が左右に傾きながら、進む。

 音がうるさいが、舞い上がる水しぶきが気持ち良かった。


「ずっと王宮にひきこもってばかりでしたから、私は世間のことを知らないのです。この機に色々と知りたいと思って。旅に出てみようかと……。慈念さんと途中で別れたら、エスティアの近くにも行ってみたいと思います」

「すごいっ! 楽しそうじゃないですか。ぜひ!!」

「あら、花影さんは最初から、そのつもりだったんじゃないですか……」

「……すいません」


 千李には、見抜かれていたらしい。

 どうせ、すぐに都に戻ることは出来ないのだ。凌星の邪魔になってしまう訳にはいかない。


「行きましょうよ。三人で」


 千李の呼びかけに、花影は口の端を上げた。


(――親子三人で……か)


 目尻に皺を寄せた千李が、愛おしそうに花影の髪を撫でた。

 千李こそが花影の実母であり、丁李が実妹であることは、当分、丁李には知らせるつもりはなかった。

 いつか時が来たら、話す時が訪れるだろう。

 その時までには、千李との距離感も近くなっているはずだ。


 ――終わった……と、花影は波が引いては返す水際を眺めた。


 こちらの春が伝染するように、王都は温かくなっているはずだ。


 単純な話とはならないだろうが、きっと、顛河の河川工事は、秋を目途に大司天が主導して進めてくれるだろう。

  

「……あれ? 花影さん。……それで、凌星殿とは一体何処で待ち合わせているんだよ?」

「はっ?」


 物珍しいからと、船着場付近のあちこちを偵察して戻って来た慈念が、空気を読まずに、尋ねてきた。

 丁李と千李があえて触れないことを、わざわざ踏み込んで来るのだから、さすがだ。


「慈念さん、残念ながら、あの方は多忙な方なので、もう会うことはないんですよ」


 苦笑しながら答えると、慈念は…………


「えっ、嘘だろ。いくら偉い人だからって、あんなに必死だったんだぜ。あんたのことを想って一途に……」


 考えなしに、凌星の想いを代弁する。

 そんな言葉一つに、花影の心はじんわりとした痛みを覚えてしまうのだ。


「……そのことは……よく……知っています」


 声を詰まらせながら、かろうじて回答した。

 彼をけしかけたのは、花影の方だ。

 そして、今頃彼は陶親子に詰め寄られて、光西の主の座に就かざるを得ない状況を迎えているはずだ。

 それが彼の本意でないことを知っているくせに、花影は自己満足のために、無責任に放り投げて来てしまった。


「大丈夫かい? 花影さん、顔が真っ青だぞ」

「へ、平気ですよ。このくらい……」 


 慌てて頭を横に振ると「ああ、そうだ」と慈念が肩掛けの鞄の中から、黄色い丸い実を花影の前に出した。


「待っている間にさ、都で余り見かけない果物だと思って買ってみたんだよ。これをあげよう。熱に効くんじゃないかな?」

「…………あっ」


 花影は思わず、息を止めた。


「…………光……仙」

「えっ?」

「これ、光仙の実です」

「へえ……そんな名前なんだ」


 無精ひげを撫でながら、きょとんとしている慈念に軽く礼を述べた花影は、光仙を貰い受けて一口だけ齧った。


 しかし、あれほど切望していた光仙の味は、まるでよく分からない。


(何で……?)


 もう一口齧っても、同じだった。

 むしろ、塩気を感じるくらい……。


「……先生?」


 ……と、丁李が花影の手を強く掴んだ。


「大丈夫ですか?」


 一体、何を言っているのだろうと思ったら、ぽたぽたと、自分の頬を伝って手の上に零れ落ちている涙の存在を知った。


(ああ、そうか……)


 泣いているから、味がよく分からなかったのだ。


「そうよね……こんなんじゃ、分かりっこないわ……」


 銀花のことをすべて知った時も、命の危険があった時も、凌星と別れた時だって、涙一つ零れなかったのに、こんなことで自分は泣くらしい。


 熱のせいだと、言い訳を重ねながら、花影は止まらなくなった涙を、顛河の緑の水面に、落とし続けたのだった。

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