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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
七章
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肆 【紫陽の真意】

「こんな女の為に、女装までして、一人で乗り込んでくるとは……嗤ってしまいますよ。それとも、女装は趣味なのですか?」

「うるせえな。女装は今限定の俺の武器だ。なりふり構ってられない時は、何だってやるのが人間じゃねえか。大体、こんな女とは、聞き捨てならないな。人を人として見ていないから、あんたには、人徳がないんだ」


 間髪入れずに、凌星が言い返す。

 邸宅から外に一歩出た瞬間、行く手を妨害するように生温かい風が突き抜けた。

 この時を利用して、凌星から逃れることもできただろうに、泰全は捕らわれたままでいる。

 不思議に花影が首を傾げていると、元々そのあたりにいたのだろう。

 馬の嘶きと共に、聞き慣れた声が轟いた。


「……殿下っ!! 花影さん!!」

「先生!! 凌星様!!」


 横殴りの雨の中、雪己と珠水が、馬を操り、やって来た。

 雪己の方は雨具すら身につけず、戦袍を着込み、肩に大剣と弓、沢山の矢を背負っていた。やる気満々だ。

 珠水は、すっぽり長い外套に身を包み、軽装だった。


「珠水殿、どうして……?」

「人命救助です。先生も小鈴殿も放っては置けませんから。友人のためということなら、父も賛同してくれています」


 いやいや……。大司天も、おかしい。

 珠水がこんなことをしてしまったら、宋家の立場は、ないのではないか……。


 ……しかし。

 浅氏が追いつめられているのは、確かなようだった。


「この辺りにいた従者たちは……?」


 目を丸くしている泰全に、いつもの様子で雪己が愚直に答えた。


「ああ、弓で脅しをかけたら、どっかに逃げて行きましたって……ん?」


 ややしてから、その男の正体に気づいたらしい。

 雪己は速攻で、馬から飛び降りた。


「殿下。これ……浅 泰全じゃないですか。貴方一体、何やらかしているんです!?」


 その言い方に、問題があったのだろう。

 凌星の声は、地を這うようなものとなっていた。


「……何って……雪己。見れば分かるだろ? 大変だったんだよ。……お前、俺が本気で怒っていたこと、忘れていないか?」


 こめかみをぴくぴくさせながら、凌星が薄ら笑いを浮かべていると、さすがに雪己も感じるものがあったらしい。

 ごくりと息を呑んだ。

 ……が、遅れて馬から飛び下りた珠水は、もっと辛辣だった。


「おやおや。一人でひょいと行って、戦利品まで釣ってくるなんて、凌星様の女装は神の域に達したのかもしれませんね。いっそ、女装国王として、内外に名を馳せたら、如何です?」

「いや、珠水殿……」


 花影の方が慌ててしまった。

 明らかに、私怨がこもっている。

 それだけは、分かった。


「……俺の人徳も、こんなもんだったらしいな。まあ、いいけどさ」


 凌星は泰全をその場で躊躇なく解放し、大剣を遠くに放り捨てると、雪己の使っていた馬に飛び乗った。

 花影を前に乗せて、満足げに息を吐く。


「俺らしいよなあ。これが……」

「あの……殿下、大司政こちらは宜しいのですか?」


 雪己が、凌星を振り仰いだ。

 雨の中、尻餅をついたままの泰全をこのままで良いのか、問いかけているのだ。


「仰せのとおり、別邸周辺に大司尉の兵を、変装させて、少しずつ集めておきました。もはや、大司政は袋の鼠です」

「ああ、大司政殿が単身、別邸に急いでくれて、助かったぜ。本邸で争いになったら、審栄も争いに巻き込むことになるけれど、ここは静かだからな。奇襲なら……兵の数も最小限に済む」

「そうだったのですか……」


 花影は、雨を受け止めている、静かな森の中に目を凝らした。

 殺気一つ伝わっては来ないが、この中で、大司尉の育てた軍人たちが息を潜めて、凌星の命令を待っているのだ。


「……凌星殿が大司政に、私が陛下を弑逆しようとしていると伝えたのですね」


 つまり、怒り心頭の泰全を別邸に追い込んだのは、明鈴の密告と凌星の虚偽の話だったのだ。


「俺が言ったわけじゃないけどな。そうなるように仕向けた。本当は、もっと早く俺が先生を救出に向かう予定だったんだけど、まあ色々あってな」

「…………殺せ。私を」


 泰全の掠れた声が、雨音の中に吸い込まれていった。


「どうして?」


 凌星の問いこそ、常識外だったかもしれない。

 泰全は呆然としながらも、語った。


「…………策を弄されて殺されるより、その方がマシだ。どうせ私を殺して、首をかえて、呂県の資源をそのまま手に入れようとしているんだろう? 今、殺さなければ、必ず後悔するぞ」

「…………とか、言ってるけど。どうする、先生?」


 凌星は間近から、花影を覗きこんだ。


「な、なぜ、私に振るんですか?」

「俺は世の中のためとか、会ったこともない親父の復讐だとか、そんなことより、あんたが殺されかかったことの方が、許せない」


 花影は、小さく息を吐いた。

 それが凌星の本音だと悟ったのだ。

 泰全の手下がこちらに駆けつけて来る。

 雪己が珠水と二人で馬に跨ったところを見届けてから、花影は渋々、早口で告げた。


「光陰流星如 銀花明々為」

「…………はっ?」


 泰全が、驚いている。

 少しだけ小鈴に似ている目元を確認して、花影は笑みを零した。


「それが、貴方様や陛下がお知りになりたかった、紫陽様の遺詔です」

「なんだと?」

「意味は、大司政と陛下でお考えください。単純なものですから。その……最期のお言葉を認められた紙切れを、三年前、紫陽様は小鈴殿に、銀花の枝に結びつけるように頼みました。…………図書塔の流月に、見せつけるために」

「小鈴……が?」

「ええ。そうです。大司政。紫陽様は、明鈴様に殺されることを詩に残しながらも、()()小鈴殿にそれを託すことで、流月に復讐することを思い留まらせたかったのです。そして、私は小鈴殿に助けられました。……つまり、そういうことなのですよ」


 一時的な感情に駆られて、復讐なんてしてはならない……と。

 浅氏には、幼い子供がいるのだと、紫陽は流月に見せつけた。

 ……そして、流月はその言いつけを、死ぬまで守った。

 いや、実際は成長した凌星に一縷の希望を寄せて、事を荒立てるより、沈黙することを選んだだけなのかもしれない。

 花影には、その辺りのことは、まるで分からなかった。


 謎を解いたところで、やはり流月の真意まで辿りつかないのだ。


「……先生」


 凌星が後ろから、花影をぐっと抱えこんできた。

 さすがに、そろそろ行かなければ、まずいだろう。


「紫陽……様が……」


 思いのほか、衝撃を受けている泰全の姿に、花影は紫陽の死がこの男にとっても不本意であったことを、察した。


 浅 泰全とて、紫陽には期待していたのではないか?


 最初は、自分の娘を正妃として迎えさせ、意のままに操ることが目的だったのかもしれないが、人の気持ちとは変わるものだ。


「……俺の親父は随分と、お人好しのようだな。でも、あんたの方がその辺りのこと分かっているんじゃないのか? 浅 泰全」


 凌星が手綱を引きながら、屈託なく笑った。


(この人は、いつも前向きなのよね……)


 大雨に晒されても曇らない彼の笑顔が、花影には遥か遠くに感じるのだ。


(……だからこそ、残酷なのではないですか。凌星殿)


 いっそ、復讐することができたのなら、流月は楽だったのではないか?

 世の中には、割り切れないものの方が多い。

 良い方向に捉えることが出来たのなら、幸せなのに、花影は泰全の『後悔する』という言葉が気がかりになって、悪い方ばかりに考えてしまう。


「殿下!!」

「分かってるって!」


 雪己の合図で、凌星は馬の腹を蹴って雨道を駆け出した。

 示し合わせたように、雪己の後に雨具に身を包んだ黒い隊列が合流する。


「陶のおっちゃんの精鋭部隊だ。まあ、死なない程度には守ってくれるだろうけど」

「……あの……私……思ったんですけど、凌星殿」

「……なに?」


 激しく揺れる馬上で、花影は遠くを見据えたまま、舌を噛まないよう注意深く喋った。


「大司政が先に別邸に行ったとして……彼を警護する私兵たちにも、準備ができ次第、別邸に来るように言い渡していたとしたら? いや、それとも、もし夜更け過ぎまでに、何の連絡もなかったら、兵を寄越すようにと、言伝していたとしたら、どうなるでしょう?」


 凌星は雨水が伝って、重たくなった前髪を片手で掻き分けた。


「まあ、普通に考えて、主人が長く帰ってこなかったら、家臣が心配して兵を向けようとするかもしれないよな……」


 彼が認めざるを得なかったのは、前方に広がる無数の松明を認めたからだ。


「泰全の私兵だな」

「…………残念ですが、大司政との小競り合いは、必至かもしれません」

「別邸にいる大司尉配下の軍人たちは、優秀だから、何とかやってくれるだろうさ」

「どうします?」

「掴まってくれよ。先生。強行突破する! …………雪己!!」


 凌星が背後に目配せすると、雪己が弓を構えていた。

 珠水が馬を操っている時点で、不測の事態を想定していたのだろう。

 この悪天候の中、乗馬しているだけでも、凄まじいのに、速度を上げるのか……。

 ざわっと、殺気立った浅氏の私兵たちの中央を、凌星は迷いの一切もなく、まっすぐと突き抜けていった。

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