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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
七章
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弐 【華麗なる登場】

「陛下……どうして、こちらに!?」

「……寄るな」


 駆け寄ろうとした明鈴を、玄瑞は片手で払い除けた。

 泰全の来訪を知ってか、先程の寝間着のような格好とは違い、総髪でいる以外は、貴人らしい装いとなっていた。

 従者を伴っていないのは、泰全が徹底的に人払いをした理由を察知してのことだろう。

 花影がその場に跪くか否か迷っている間に、泰全が形式だけの拱手をした。


「お久しゅうございます、陛下。近頃では、なかなかお目通りが叶わなかったものですから、憂慮しておりました。よくぞ、穴倉のようなお部屋から、外に出られましたな。泰全は、この上ないほど、感服しております」


 後半は、完全に泰全の嫌味だろう。

 だが、虚ろな玄瑞は泰全の話など、まったく聞いていなかった。


「…………兄上の遺詔がある……と?」


 茫洋とした瞳をしたまま、花影のもとに一歩足を進める。

 花影はあえて紫陽が最期に詠んだ『銀花』の詩について、玄瑞にも、泰全にも話していなかった。

 いざというときの切り札として、使うつもりでいたからだ。


「どうして、あのエスティア女などに、兄上は言葉を託したのだ?」


 …………まるで、なぜ自分ではなかったのかと、言わんばかりの一言だった。


(この御方は……)


 ずっと、紫陽に縛られているのだ。


 本当の気持ちは読めないが、花影にもそれだけは理解できた。


 本人もそれが辛いから、周りに当たっている。

 完璧になれないから、無能にならざるを得ない。

 紫陽の死に、負い目があるから、浅氏の傀儡になって、飼いならされていってしまう。


 ………負の連鎖だ。


 やはり、花影が睨んだ通り……。


 ………玄瑞に、光西の王位は重過ぎるのだ。


「陛下……。貴方様はつまり、紫陽様の遺詔のことが御心に止まって、わざわざ、我らの前に御身を晒しになられたのですね」


 泰全は冷たい口調で確認しながら、顎の先まで伸びた美髯を撫でる。

 何やら、思案している様子だった。


「唯 花影……。どうやら、お前には、色々と尋ねなければならないことがあるようだな」

「…………では、大司政。紫陽様の遺詔ゆいしょうは、ここではない場所にあるので、取りに行くことをお願いした場合、それは叶いますか?」

「内容くらい記憶しているだろう。今すぐここで、話せ。…………それとも」


 泰全は、腰の大剣を面倒そうに抜いた。


「遺詔なんてもの……初めから、ないのか?」


 大粒の雨が、地面に落ちて跳ね上がり、花影の衣に、細かな染みを作っていた。

 落雷に気を取られていたら、泰全の剣の切っ先が、花影の鼻先に落ち着いていた。


「脅しにしては、物騒な……」

「こんな大それた真似をしたんだ。覚悟くらいはしていたはずだろう? 大体、陛下も我々も、お前の養母には、散々な目に遭わされているんだ。殺しても殺し足りないくらいだ」

「武人でない、貴方様に剣は使えるのですか?」

「馬鹿にしているのか?」 

「や、やめて下さいっ!」


 必死な形相の小鈴が、身動き一つしない花影と泰全の間に、猛然と割って入って来た。


「……小鈴殿!?」

「花影!! 貴方……。何やっているのよ! 死にたいの!?」

「……小鈴殿こそ、何をしているんですか!?」

「馬鹿者!! お前の方こそ、死にたいのか? 小鈴!?」


 ど真ん中に小鈴が介入してきたことで、さすがの泰全も、さすがに剣を止め、こめかみに血管を浮き立たせながら、怒鳴りつけた。


「そこを退け! 小鈴」

「いっ、嫌です。絶対に退きません!」


 むしろ、小鈴は花影と泰全の間に、壁のように立ちはばかった。


「わ……わたくしは、まだ若いです! 父様にとって少しは利用価値もあるでしよう。少なくとも、姉様よりは……」

「……小鈴、貴方っ!」

「はっ、最低……ね。人殺し……」


 小鈴はいつもの口調になると、玄瑞の隣にいる明鈴に啖呵を切った。


「浅氏の恥は姉様じゃない! あのお優しい紫陽様に何てことをなさったのよ!」

「な、何よ……」


 明鈴は腕を抱えて、震えだした。


「仕方ないでしょう……。あの御方は……エスティアと戦争しながら、エスティア女にうつつを抜かしていたのよ。いつか……こちらを見てくださるって……ずっと……ずっと。でも、わたくしのことなんか、まるで見ては下さらなかった。それに引き換え、玄瑞様は、お優しくしてくださったわ。わたくしをちゃんと見てくださったのよ」


 だが、取りすがろうとした明鈴を、玄瑞は冷たく睨むばかりだった。


「私は……兄上を殺せなど一言も口にしていないが?」

「ですが、わたくしは!」

「私の為だと言われるのが、いつも迷惑だった。お前の顔を見るたび、兄上が頭によぎって、辛かった。それなのに泰全の目を恐れて拒めない自分も……」

「…………見苦しいな」


 二人の冷めきった夫婦関係を小声で一蹴すると、泰全は小鈴を見下ろして溜息を吐いた。


「こちらはこちらで、エスティア女にかぶれおって……」

「わたくしは、わたくしの思った通りに動いております。……唯 花影は、変わった娘ですが、浅氏にとって、脅威になる娘ではありません。父様が手にかける必要などないと思います」

「不遜なことを、べらべら喋った挙句、知る必要もないことを、耳にした。それだけで、この娘は死に値するが?」

「どうせ、陶大将軍とか、大司尉とか、皆ご存知なんでしょう……。花影を殺したところで意味なんかありません。大体、この人に何かあったら、それこそ慧 紫晴様が全力で殺しに来ますからね。それでも、父様は宜しいのですか!?」

「……慧 紫晴だと?」

「もういいですから。小鈴殿」

「うるさいわね! 無事に帰さなかったら、凌星様にも、丁李にも、わたくしが殺されるのよ!!」


 殺されは、しないだろう。

 花影が勝手にやったことなのだから……。


(何をそんなに、ムキになって……?)


 以前の彼女なら、あっさりと花影を泰全に突き出したはずだ。

 どうして、彼女が自分の前に立っているのか、花影にはよく分からない。


(だって、そこまでしてもらう義理がないわ)


 小鈴は花影と無関係だ。

 況して、花影は自分の家族を貶めた敵に等しい。

 そんな者を庇う必要性なんて、彼女には微塵もないのだ。


(…………けれど)


 先日、小鈴は紫陽との絆を語っていた。

 それを義務感のようにして、花影を護っている節もある。


 ――紫陽がなぜ……最期の言葉を、小鈴に託したのか?


 その理由が、今、小さな彼女の背中にあるのなら……。


 ………………慧 紫陽は相当に慈悲深く、罪深い人間だったのではないか?


「泰全……私は」


 何ごとか言わんとしたいことがあったのか……。

 玄瑞がふらつきながら、こちらに寄って来た。

 …………が。


「だっ、旦那様! 大変です!!」


 その時、俄かに、ぱたぱた音を立てて、廊下を駆けてくる人影があった。


「取り込み中だ。見て分からないのか?」

「しかし、緊急事態で!」


 暗がりにも分かる浅葱色の深衣は、侍女の証である。

 浅氏は、使用人に寒色系の衣を着せている。

 長い裳を上手に捌きながら、有無をも言わさない勢いで近づいて来た大柄の娘は、泰全の後ろで慌てて拱手すると、よく響く高い声で喋った。


「お屋敷が大司尉の兵に囲まれています! 主導しているのがなぜか、陶大将軍のようですが……雨の中、沢山、矢を飛ばしてきて……みな混乱しております!」

「陶……大将軍?」

「間違いありません。旦那様とほぼ入れ違いで……。私は逃げ惑って、ようやくここまで……」


 侍女は激しく息を乱して、恐怖に身を震わせている。

 同情を誘うような哀れな姿だったが、しかし……泰全には、まったく通用していなかった。


「その割に、少しも濡れてないな。……お前、一体……誰だ?」


 ――深閑。

 激しい雨音に支配されていた時間を経て、侍女は恭しく顔を上げた。

 長い袖で隠れていた美麗な相貌が、花が咲いたように露わになる。


「あっ」


 思わず、声が漏れた。

 別人のように華やかな化粧をしていても、花影には分かった。


 この人が、何者であるのかを……。


「悪いな……」


 低く、一言するや否や、侍女は泰全の手にした剣を奪い、一発殴ると、足を払って、容易に冷たい地面の上に転がしてしまった。


 ――……一連のすべてが、舞の所作のように、無駄がなく、あっという間だった。


「何?」


 仰向けになった泰全が信じられないとばかりに、侍女の顔を凝視した。


「仕方ねえよな。浅 泰全。お前が丸腰の女に物騒なものを振り上げているから、悪い」

「お……お前は?」


 誰何には、答えない。

 澄んだ瞳だけが、真っ直ぐ花影に伸びていた。


「…………捜したぜ。先生」


 低い……いつものの声に、花影の鼓動が跳ねた。


「……さて、俺の迎えを待ってたくせに、何、こんなところで、勝手に殺されかけているんだって話は、後で時間を掛けてじっくりするとして……」

「えっ?」

「無事でよかったよ。……花影」


 再会した凌星は、泰全の腹を片足で抉りながら、満面の毒々しい笑みを浮かべていた。

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