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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
七章
43/57

壱 【銀花の真相】

◆◆◆


「父様が姉様と一緒に、怒ってこちらに向かっているのよ! 父様が怒ってるって……尋常なことじゃないわよ!?」

「多分……昼間、お妃様が私のことに気づいて、浅 泰全様に話したんでしょうね。手勢を連れて、確実に仕留めるために……」

「……嘘でしょう!? 何で、貴方の変装がバレるのよ!?」


 小鈴の呼吸が乱れている。

 浅氏の娘として不自由なく育てられたのだから、彼女自身、全力疾走するなんて、初めてのことかもしれない。

 花影とて、同様だ。

 小鈴によって、半強制的に玄瑞から引き離された花影は、口を挟む隙も与えられず、小鈴に手を引かれていた。

 目を回しながら、答えるしかない。


「……あー……。お妃様とは、子供の頃、何度か図書塔で、会ってましたからね。発覚してもおかしくないです」

「……はあ!? 何で、早くそれを言わないのよ!」

「まさか、私のことをお妃様が覚えているとも思っていなかったので……」


 ………要するに、それほどまでに、明鈴の嫉妬は激しかったということだ。


「わたくしはともかく、貴方は危険よ! 早く、逃げないと……」

「……しかし、私は陛下のお答えを聞いていないのです」

「あんな正攻法で、禅譲なんて……仰るはずがないでしょう!」

「一体、私が、どんなやり方をすると思ったんですか?」

「貴方のことだから、もっと卑怯なやり方をすると思ったのよ」


 ………卑怯?

 小鈴にとって、花影はそういう印象なのか……。 


(……どんな方法であろうと、国王陛下に私が禅譲を迫った時点で、死罪なんだけど)


 小鈴は、玄瑞が追いかけてくる危険性は分かっていないのだろうか……。

 いや、もしかしたら、玄瑞より、父である浅 泰全の怖さの方が身に染みているのかもしれない。

 いずれにしても、花影に逃げ場などないのに……。

 小鈴は、必死なのだ。


「……小鈴殿」

「うるさいわよ」


 土砂降りの雨のせいで、声を張り上げないと、お互いの声が聞こえない。


「ほら、馬車を用意させたから、急いで!」

「…………待ってください!!」


 珍しく、声を荒げた花影は、小鈴の手を一度離すと、上から優しく握り返し、耳元で囁いた。


「小鈴殿、最初に話した通り、私が脅して来たと、お父様には伝えて下さい。陛下に会わせるだけで良いと言ったのに、禅譲なんてとんでもないことをしでかしたって……。たとえ怪しくても、浅氏だって娘の言い分を全否定はしないでしょう……」

「だからっ!」


 ……だから、今から逃がしてやろうとしているのだと、小鈴の目が訴えている。

 ゆっくりと、花影は首を横に振った。


「貴方は、王宮のことが良く分かっているはずです。二人で共倒れするより、その方がはるかに、私が生き残れる確率も高まります」

「……何で、そんなことを言うのよ?」


 昼間のように、ぴかっと頭上が明るく照って、廊下の先を照らした。


 誰も人がいないと思っていたが、屋敷の廊下自体が、完全に人払いをされていたらしい。


「いらっしゃってるんですよ……すでに」


 ……そうして。

 花影もこの男を心の何処かで、待っていたような気もする。


 額に滲んだ汗は、走ったからではなく、冷や汗だった。


 闇を切り裂く光と、轟音。


 まるで、男の心情を表す音楽のように、響いていた。

 浅 泰全の憤怒の形相が、稲光に青白く浮かび上がっていた。


「父……様」


 前を走っていた小鈴が足を止めて、息をのむのが分かった。

 もう少し、冷静な男だと思っていたが、想像以上に怒っているようだ。


(小鈴殿……今です)


 花影が小鈴の袖を引くことで、決行を促す。

 とりあえず、この場は適当な嘘を吐いて、乗り切ってしまうのが上策だ。


 ……そう。

 いざとなれば、小鈴は合理的に動くことの出来る娘だと、花影は思っていた。


 しかし、彼女は良くも悪くも、変わってしまったらしい。


 小鈴は唇を噛み締めたまま、まるで微動だにしなかった。


「どうして?」

「……小鈴っ!」


 突然、泰全と共に並んで歩いていた、明鈴が叫んだ。

 そして、大股で小鈴のもとにやって来ると、間髪入れず小鈴の左頬を叩いたのだった。


「………っ」


 鈍い音と共に、小鈴がよろける。


「な、何をするんですか!?」


 血相を変えて、花影は小鈴を支えた。


「何を? はっ、こちらの台詞だわ! この……浅氏の面汚し。よりにもよって、こんな……エスティア人に手を貸すなんて!」


 明鈴が小鈴の胸倉を掴もうとしたので、花影も黙っていられなくなってしまった。


「いい加減になさって下さい。貴方様が恨んでいるのは、私でしょう? 私が流月の娘として、図書塔にいたから……」

「…………恨んでたって、やっぱり、流月は」


 小鈴が独り言のように、呟いた。

 まん丸い目を、更に見開いて、花影を振り返った。


「……やっぱり、流月と紫陽様は、恋仲だったの? じゃあ、貴方は……一体?」

「私は千李さんの娘です。亡くなった最初の旦那様との子供で……」

「えっ、じゃあ何? 凌星様は……? 凌星様が流月と紫陽様との間の御子ってこと? ……で、さっき、貴方……紫陽様は殺されたって?」


 小鈴は愚かではない。

 学問は苦手であったが、王宮内の権謀術数や男女の感情の機微については、花影より勘働きが鋭い。


「流月と紫陽様の間に御子がいらしたって、父様も、姉様も知っていたってこと?」


 頬を押さえながら、小鈴の黒々とした双眸が、目前に佇む明鈴へと向けられていた。

 明鈴は顔を横に背けて、冷たく告げた。


「姫君だって言う話だから、大后様が温情で見過ごすことを、お決めになったのに……。それが……まさか、太子で、こんなことになるなんてね」

「……つまり、お妃様は、こんなことになるのなら、あの時に殺しておげば良かった……とでも、仰るつもりですか? 陛下の御子を手にかけるなんて、口にするだけでも、死罪ですよ」


 花影は、薄い笑みを口元に浮かべた。

 もう無理だ。


(……小鈴殿を、悲しませたくなかったけど)


 傷つけると……思った。

 だから、玄瑞が絡んでなかったことを確信した今、彼らとは花影一人で対峙したかった。

 けれど、自分の罪を見返さずに、人のせいにするなんて、最低なことを、見逃したくない。

 …………このまま、すべてを許したくはなかった。


「……もっとも、貴方様は、その国王陛下を手にかけられたのですから、死罪どころでは済まないかもしれませんけどね。――明鈴様」


 ――光陰流星如 銀花明々為


 最初から、分かっていたのだ。


 ――紫陽が毒殺だと察知した時点で……。


 あと少し、余力があれば、紫陽ももう捻りしただろうが、死の淵にいて、それを示すだけで精一杯だった。


 ――犯人は、妃の明鈴だと。

 その……最期の言葉と、流月はずっと独りで向き合っていたのだ。


「柳先生が、貴方様のなさったことをすべて、白状して下さいましたよ。雑談のつもりで話したのに、まさか本気で紫陽様に毒を盛るとは、思ってもいなかったと……。本当はすぐにでも、表沙汰にしたかったものの、貴方が持ち出した毒は、柳先生が個人的に持っていた収集物だったので、余計な火の粉を浴びたくなかったと」

「……わ、わたくしは」

「貴方様は、紫陽様が亡くなる少し前から、玄瑞様と親しくされていらしたと、柳先生から聞きました。光和殿に出入りすることが可能な人間は限られています。たとえば、正妃様とか……。それは、つまりどういうことなんでしょうね?」

「黙りなさい!」

「ここまで私に言わせたのは、貴方様の責任です」


 花影が毅然と目を剥くと、明鈴は一歩、後ずさった。


「……所詮、妄想を並べたところで、誰も信じやしないわ」

「妄想ではなく、柳先生の証言があるのですが……と、お伝えしたところで、保身に走るような先生ですから、信憑性を持たないと感じる方も多いとは思います。しかし、相応の証拠があるとしたら……? その証拠だけでは怪しくても、慧 紫晴様がそれを持って、皆に広めたとしたら? どうなるのでしょうね?」

「――ほう」


 ……と、突然、浅 泰全が話の中に割り込んできた。

 泰全の鮮やかな橙の袍が、松明の灯りのように、暗がりの中に映えていた。


「やはり、紫陽様の遺詔ゆいしょうがあるのだな?」


 緊迫した状況をずっと放置していたのに、紫陽の遺言に関しては、やはり気になるようだった。


「唯 花影、それに明鈴。そんな昔の話は、どうだっていいのだよ。大体、大罪を犯しながら、少しも悪びれない娘も……。エスティア系の国王も……。この国には、必要のないものだろう」

「…………お父様」


 明鈴の顔から、一気に血の気が引いた。 

 ……やはり、泰全が紫陽の毒殺を明鈴に命じたわけではなかったのだ。

 彼女の行いを嫌悪しつつ、それを見守っていたのは、明鈴が玄瑞の妃となったからだ。

 玄瑞の寵愛も無くなった今、彼女は泰全にとって、いらないものになり下がったのかもしれない。


 …………しかし、最後の下りは正しておきたかった。


「……大司政。恐れながら、紫晴様がエスティア系だと、誰が証明するのです? あの方の見た目は、どう見たところで光西人ですよ」

「そんなことは知らぬ。私はあの忌々しい宴の席でしか紫晴様とやらに、会ったことはないし、しかも、女装なんて、ふざけた姿しか見たことがないのでな……」

「何にしても、このまま膠着状態を続けることは、貴方様も本意ではないでしょう。せめて、交渉を……」

「………………瓏国だ」

「……えっ?」

「光西は瓏国の一部のようなものだ。こちらでの騒動は、瓏にとっても不安要素のはずだ。必ずや、動きがあるだろう。そろそろ」

「まさか……」

「憐れな娘だな。閉鎖的な環境で育ったせいで、視野が狭い」


 かつて、凌星に言われたことが、花影の脳裏に浮かんだ。

 ……花影は、世界を知らないのだ。


(…………そうか)


 浅 泰全が待っているのは、瓏国の御墨付と、支援だ。

 玄瑞の意思など、どうでも良いのだ。

 大后は、瓏国の姫君だった。

 得体の知れない太子の凌星ではなく、直系である玄瑞に味方をしてほしい……と。

 玄瑞と泰全の力だけでは、大司尉と大将軍には敵わなくても、瓏国の支援が得られたのなら、一気に状況が変わるだろう。


 …………だが、それは丸々、国が乗っ取られるかもれしない、大きな賭けでもある。


「もうじき、すべてが変わるだろう。だから解せぬ。今、この時分にお前が一人でのこのこ、ここに来た理由が……な。陶 烈山は一体、何しに礼県に来たのだ? 場合によっては、お前が陛下を弑逆せんとしたことを、減刑してやっても良いぞ?」

「わ、私は弑逆なんて、そんな物騒なことしていません」


 花影は、むっとして言い返した。

 つまり、泰全は玄瑞弑逆の報を聞いて、殺気を持って、花影を待ち構えていたのだ。

 勘違いも、甚しい。


「私は陛下に、禅譲を願い出ましたが、それ以外に企みなどありません。陶大将軍にはこの近くまで送って頂きましたが、大将軍の真意など私には分かりません。……貴方様には、顛河の河川工事を、手伝って欲しいと頼みに来たくらいなのですよ」

「花影……」


 小鈴が大仰に頭を抱えたが、この期に及んで、花影は嘘を吐くつもりもなかった。

 情報を与えないのと、嘘を言うのとでは、だいぶ意味は違う。

 泰全が信じられないとばかりに、小首を傾げて、視線を宙で止めた。


 焦点が定まらないように感じた視線は、しかし、花影の背後に向かっていたのだった。


「聞いた情報とは違うが、どちらにしても、命知らずな真似をしたものだ。…………それで? 禅譲とは、まことのことでございますか。陛下?」

「へい……か?」


 振り返った花影は、自分の背後で直立している、青白い顔をした男の姿を確認した。

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