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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
六章
41/57

伍 【黄見亭にて】

◆◆◆


 ……実際、小鈴の言う通りなのだ。

 今の花影の見た目では、玄瑞に辿りつく前に、正体が発覚してしまい、無駄死にする可能性が高い。

 少しでも、危険を回避したいのなら、変装するのは得策だった。


「だからね……。とりあえず、身形をちゃんとしてから、わたくしの侍女として、別宅に行くのよ」


 小鈴は遊びにでも行くように、気安く言い、手始めに花影の髪を黒くすることを提案した。

 店の宿泊部屋を借りて、染料を買って来ると、有無をも言わさず、花影の髪を漆黒に染めていった。

 浅氏の侍女が銀髪という訳にもいかない。

 こういうことになると、小鈴はさすがだった。


(実際、染めるのを手伝ってくれたのは、珠水殿だったけど……)


 小鈴は手が汚れるのは、耐えられないらしい。

 ともかく、珠水のおかげで、昔のように一人で染めるより、むらがなく綺麗な仕上がりとなった。

 しかし、結局……髪が乾くまで、時間がかかるとのことで、花影はその店に一泊することになってしまった。


(もうここまで来たら、焦る必要もないか……)


 こちらの標的が逃げることは、なさそうだ。

 だったら、気楽にやろうと、花影はのんびり外の景色を眺めていた。


 黄仙の実の鮮やかな黄蘗きはだ色が、残光に照り返し、池の水面が黄金色に輝く。

 その様は、この世のものとは思えない、仙境の如き世界だった。


 店の名前が『黄見おうみ亭』というらしいが、確かに黄色以外、見えないくらい視界に光が満ちている。


 思い返すと、冷たい雪景色しか浮かばない流月の印象とは、真逆の暖色をしていた。


(……流月あのひとがこの地を踏んだのなら、何を思ったのだろう?)


 ずっと王都にいて、旅すら出来なかった人だ。

 好奇心はあっただろうから、黄仙の木を見かけたら、口の端を上げるくらいはしたかもしれない。


(想像もつかないけど……)


 紫陽が想いを寄せた人だ。

 きっと花影の知らない一面を、持っていたはずなのに……。


 …………あの時。

 亡くなる寸前の流月が伸ばしていた手を、花影は取るべきだったのだろうか?


 最近、そんなことをよく考えている。


(分からないな……)


 今となっては、何が良かったのか花影にも分からない。

 何一つ語ることなく、流月は逝ってしまった。

 もしかしたら、花影は死んだ彼女の声を聞く為に、こんな益体のないことに必死になっているのかもしれない。

 持参した書物を捲りながら、花影は朝が訪れるのを待ったのだった。



 ――翌日。

 正午前に、小鈴が迎えに来た。


 昨日別れた時は朝一番で来ると息巻いていたが、寝坊したらしい。

 遅刻して来た割に、小鈴は悪びれることなく……。


「何ぼさっとしているのよ。始めるわよ!」


 何やら、はりきっていた。

 花影を立派な侍女にするべく、浅家の侍女が身につけているという、派手すぎない水色の深衣を着付け、てきぱきと化粧を施す。良家の子女でここまで自分で化粧が出来るのも珍しいだろう。

 こういったことに関しては、小鈴は無駄がなくとにかく早い。

 そうして、時間をかけることなく主人より目立つわけでもない、しかし小奇麗な『侍女花影』は、完成したのだった。


「まあまあな出来ね。髪はそれで数日は持つと思うけど、濡れると取れてしまうから、気を付けてよね」

「もちろん、気をつけます」


 花影は、姿見の中にいる別人のような自分を見ながら返事をした。


(髪色と格好で、こんなにも印象が変わるのね……)


 小鈴が少し手を貸してくれただけで、年相応の娘になっているから、驚きだ。

 以前も、小鈴に化粧をしてもらったことはあったが、あれは、いかにもエスティア人としての輪郭を引き立てるための派手なものだった。


「黒髪になったのは、久しぶりです」

「知っているわよ。学司になる前に、黒髪で唯 流月の補佐していたでしょ?」

「…………ええ」


 そんな時もあったと、懐かしく振り返ってしまうのは、この年齢にしては老けているのだろうか……。


「凌星……様も、髪色はともかく、そういう格好したら、喜ぶんじゃないの?」

「私は、あの方に好かれようとは思いませんよ」

「どういう意味よ?」

「既に、色々とやって来ていますからね。今頃、相当怒っていると思います。たとえ、凌星様が私のことを気にかけて下さっても、そんな気持ちが冷めるほど、私はあの方の人生を踏みにじってきました」

「よく分からないけど、貴方の愛情表現は独特なのね。貴方と凌星様のこと、結ばれることがないなんて、わたくし言ってしまったから、気にはしていたけど。私が口出すまでもなく、貴方って、小難しく考えて、こじらせそうね?」

「…………そう……なのでしょうか?」


 それこそ、花影にはよく分からない。


 考えすぎ……?


 そんな単純な話ではないのだ。


 玄瑞からの禅譲を望みながらも、一方で戦争になっても仕方ないと思っている。

 あれだけ王位を継ぎたくないと口にしている凌星に戦争をさせて、逃れられない枷を嵌めようとしているのだ。

 そんな残酷な心持ちをしていると知ったら、珠水にも、小鈴にも幻滅されてしまうだろう。


「……それにしても、陶大将軍の息子と珠水は遅くない?」

「えっ、ああ……」


 昨夜、所用があると出かけて以来、二人を見かけていない。


「心配ですか?」

「心配? 遅い方が、良いでしょうに?」

「どうしてです?」

「……貴方……珠水を見てて、分からないの?」

「珠水殿ですか? ああ、そういえば、よく分かりませんが、出会い頭に雪己殿と何かあったようですから、仲直りをしてくれたら良いですよね」


 花影が無邪気に微笑すると、鏡に映っている小鈴が、気の毒そうに眉を顰めていた。


「………凌星様、禿げないと良いわね?」

「いや、大丈夫ですよ。確か、歴代の王族に御髪のない御方は、いらっしゃいませんでしたから」


 なぜ?

 小鈴が横を向いて、肩を震わせている。

 彼女が笑っている理由が分からずに、花影は目を丸くした。

 もっとも、珠水と雪己の帰りが遅いのなら、丁度良い。

 花影は背筋をぴんと伸ばした。


「あの……小鈴殿。申し上げておきたいことがありますが」

「何よ? 改まって」


 小鈴がきょとんとしているうちにと、花影は立ち上がって、深々と頭を下げた。


「私はこの件に関して協力して下さったご恩は、一生かかっても、返すつもりでいます」


 やむなく浅氏と凌星が戦うことになってしまったら、花影の責任は大きいものだ。

 謝って済むことでもないが、事前に頭を下げておくことも重要だと判断した。

 しかし、勢いよく頭を下にしたら、せっかく結った髪が乱れてしまった。

 小鈴は「髪、髪」と言いながら、すぐに花影の頭の直しにかかってくれた。


「ちょっと……わたくしが時間を費やした髪型を大切にしてちょうだい。大体、そんなことで、一生懸けてたら、寿命なんてすぐ尽きるわよ」

「しかし、命懸けになっても仕方ないようなことですから……一応は」


 花影が真面目に言い放つと、小鈴は顔をひきつらせた。

 彼女だって、浅氏の娘だ。

 何も分かってないはずがない。


「私は陛下にお話があります。少しの時間だけで構いません。貴方はその時は席を外して下さい。それか、もしそれが無理で、すべて露見した場合は、脅されていた……と。この際、陶大将軍の名前を出しても構いません。そういうことになさって下さい」

「なんでよ?」

「それが小鈴殿の為でしょう」

「嫌よ」

「はっ?」


 まさか、そんな切り返しがくるとは、想定外だった。

 小鈴は薄紅色の深衣を翻して、部屋の隅にある長椅子に腰をかけた。


「視野を広くしろだの、価値観が異常だの、散々このわたくしに罵声を飛ばしたくせに、貴方のしようとすることは見なかったことにしろと言うの?」

「私は罵声を飛ばした記憶は……」

「ともかく! わたくしは自分の好きなようにするわ。大体、わたくしがいなければ、侍女の分際で陛下とお言葉なんて交わせないんだから」

「そこは、珠水殿に……」

「貴方ねえ……」


 仕方ないではないか……。

 小鈴が聞いたら、落ち込むような話もするかもしれない。

 ここまで協力してもらったのに、あえて彼女を追いつめる必要なんてないのだ。


「わたくし、ちゃんと思い出したのよ。紫陽様から掛けて頂いたお言葉」

「…………はっ?」

「子供のわたくしに『君だから頼みたい』って、紫陽さまが仰ったの」

「…………短冊の御遣いの件ですか?」

「そう……その時に、銀花を見下ろしてた銀髪の女性がいた。あれは……」

「…………母、流月でしょう」 


 言下に、花影は告げた。


 …………察してはいた。


 以前の小鈴は、あまり良く覚えてないようだったが、思い出してくれたのは有難かった。おかげで、二度訊く手間が省けた。


 これで、紫陽があえて小鈴を選び、遺書を託したことは、確かなようだ。


(でも、どうして? 紫陽様には、あの詩を託すに値する信頼できる人が、他にいたはずなのに……)


 それこそ、陶大将軍にでも、上手に託せば良かったのだ。

 ……分からない。

 その意味が、花影にとって『あの詩』最大の謎となっていた。

 神妙な面持ちで考え込む花影に対して、小鈴は能天気そのものだった。


「だから、これも縁なんでしょう? 貴方と流月。凌星と紫陽様ってなんとなく、雰囲気が似ているから……。まだ紫陽さまの頼みごとが続いているような気持ちになるのよ」

「まさか、そんなことあるはず……」

「ちょっと、人が良い話をしてるのに、貴方って、結構失礼よね!」


 …………と、そこに見るからに、疲労困憊の珠水と雪己が、二人揃って戻って来た。


「どうやら、二人の恋路は、失敗だったみたいね」


 小鈴が額に手を当てている。

 彼女は、二人の関係を勘違いしているようだ。

 珠水を勇気づけるために、明るい鼻歌を口遊んでいる小鈴を先頭に『黄見亭』を出て、路地裏に停めてある馬車に向かって行く。

 小鈴と少し距離を置いた花影は、深い溜息と共に珠水と雪己を振り返った。


「お二人は、昨晩から、私には内緒で陶大将軍に連絡を取ったり、浅氏の別宅の場所を調べたり……と、大変でしたね。よっぽど、私も手伝おうと思いましたが……」

「先生、気づいていたんですか?」


 珍しく、珠水が瞳を見開いた。


「一応、着替えられたようですが、二人から少しだけ土の香りがしましたから……。山深いところに行かれていたのだろうと……」

「なるほど……。ちゃんと、湯浴みをしてくれば良かったですかね。珠水殿」

「…………いや、湯浴みって」


 雪己の何気ない言葉に、珠水は一瞬慌てたものの、深呼吸してから、すっと真顔に戻った。


「私、先生の謎の洞察力には感服いたしますが……正直、今回のことは理解できません。顛河のためだけっていうわけでもなさそうですし、正直、こんなことを先生がする意味ってあるのかと、私は思うのです」

「珠水殿は、反対なんですよね……」

「まだ、私がやった方が説得力がありますよ」


 いまだ中立を貫く宋家の娘である珠水は、玄瑞のもとに正々堂々と乗り込むことができる。

 宋家なら、もしかしたら、現状をまとめる力も持っているのかもしれない。

 ……だから。

 そんな彼女がこそこそと、別宅を調べていたのは、花影のためだというのは、申し訳ないくらい理解できていた。

 珠水は花影のことを、心配してくれているのだ。


「珠水殿。貴方は絶対に、おかしな真似をしないで下さいよ」


 そう、きつく釘を刺した上で、花影を軽く睨んだのは、雪己だった。


「……花影さん。まあ、珠水殿の危ない意見も置いておいて……ですね。いくらなんでも私が浅氏の別邸に行くことはできません。外で待機となります」

「ええ。当然です」


 花影が相槌を打つと、雪己はげっそりした表情で見返してきた。


「その意味……分かっています? 私だって武官の端くれです。今朝方、辺りの地形を見て、高台から別邸の庭くらいでしたら、肉眼で観察することが出来ると分かりました。弓も使えます。私の手下も何人かは呂県に入ってきているので、外に飛び出して頂ければ、多少は力にもなれます。……ですが、室内で何かあったら、どうにも出来ません」

「いいのですよ。それで……」

「貴方は死ぬつもりなんですか?」

「どうしてです? 私に自殺願望なんかありませんよ」

「…………先生」


 小鈴の後ろ姿を目に留めたまま答えると、珠水が花影の袖を引っ張った。


「先生は禅譲を主導して、凌星様に王位を継ぐような流れを作っているようですが、それはどうしてですか? 先生だって、ご存知ですよね。あの方が王位などに微塵も興味を持っていないことを……?」

「……珠水殿、あの方がそれに興味があるとか、ないとかそういう問題ではないのですよ」


 まるで、偉 伯豹のような口振りになってしまって、花影自身、困惑してしまった。

 王位に関する考え方は、口うるさい伯豹と花影は似ている。

 示し合わせた訳ではないが、凌星を王位に据えるためなら、いくらでも伯豹は協力するだろう。


「ほら! 何、ぼさっとしているのよ。日が暮れるじゃない。早く来なさいよ」


 小鈴が頬を膨らませて、花影を振り返っている。

 優雅だった場所を一歩出てしまうと、もう騒がしい街中だ。

 珠水の手がようやく離れて、花影は整備された道を前に歩きだした。


「…………あの人が、今もいるんです」


 多分、歩を進めた時に溢れた花影の吐息のような呟きは、彼らには気づかれなかったはずだ。

 雪己だけが、ぴたりと足を止めたので、彼は聞いてしまったかもしれない。

 しかし、聞いたところで、意味など分かりはしないだろう。

 花影だって、明確な理由なんか言えないのだ。


 ――浅氏の別宅に、今の国王、玄瑞がいる。


 呂県の都、審栄しんえいからは、確か半日ほどの距離のはずだった。

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