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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
六章
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肆 【凌星の旅路】

◆◆◆


 ――結局、一軍を率いて行けとか、護衛をつけるだの、散々言ったものの、偉 伯豹は凌星が呂県に行くことを止めなかった。


 大司天は、そんな大司尉の寛容さが怪訝なようだったが、裏にどんな思惑があろうが、凌星はとにかく、前に進むしかなかったのだ。


 ――早く花影を追いかけなければ……。


 柳 周庵のことを知ってしまったからこそ、凌星は更に焦っていた。


 旅路に必要な路銀だけを借りた凌星は、とりあえず、行けるところまで……と、顛河で船頭をしている慈念に船を出してもらった。

 陸路で行くことも頭にはあったが、川沿いの呂県であれば、顛河を下ってしまった方が圧倒的に早い。


 しかし、謎だったのは慈念の反応だった。


 花影は呂県に行く前に、慈念と接触を持っていたらしい。

 凌星は、彼と会った途端に言われた。


『花影さんから、凌星さんが来たら、黙って船を出してやって欲しいって頼まれたんですよ』


 ――花影は、凌星が呂県に追ってくるのを待っている?


 天候まで読んで足止めしたくせに、今度は素早く移動できるよう、慈念に頼みごとまでしていたのだ。


 一瞬、罠かと警戒したものの……。

 凌星には、慈念以外、頼るあてもなかった。

 この男以外、いくら天候が回復しても、増水した河を下ってほしいなどという、無茶な願いは聞いてくれないだろう。


(行くしかないよなあ……)


 唯 花影という、とんでもなく頑固で、先読みが得意な女性に惹かれてしまった。

 この成り行き自体、まんまと彼女の策にはまっている気もするが、最後に凌星が笑えばそれで良いのだ。


(こうなったら、もう……根競べのようなものだな)


 『まいった』と言った方が負けの、持久戦のようなものなのだ。


 一種の悟りのようなものを開いてから、臨んだ小さな帆掛け船の旅は、思いの外、風の力を受けて順調に進んだ。

 このまま、何事も起こらず、花影のいる呂県に到着するのかと思った矢先だった。


 ――呂県の隣、らい県の川岸で、偉 伯豹の手下が凌星を待ち構えていた。


(ああ……そうか)


 尾行されていることには、気づいていた。

 凌星はそこに至って、花影の真意を確信したのだった。


 ――彼女は、凌星を『慧 紫晴』として、玄瑞と対峙させようとしているのだろう。


 だから、偉 伯豹は引き止めなかったし、花影は決して凌星が追いつけない距離を稼いでから、呂県に来やすいよう、慈念に船を出すように頼んだのだ。

 確かに、王都から一隊を率いて太子が駆け付けるとなれば、大掛かりな行軍になり、浅氏にも準備期間を与えることになるので、不利になる可能性が高い。

 しかし、太子が一人で呂県の駐留軍に合流したとしたら、それは、奇襲みたいなものだ。


(先生は、戦争をさせたいのか……俺に?)


 もしも、花影と出会っていなかったら、凌星は必死で彼らを撒いただろうが、凌星が『紫晴』になることを、花影が望んでいるのならば、乗ってやるしか手はないのだ。


 仕方なく凌星は、慈念を一人の兵士に託すと、その馬を借りて、偉 伯豹の軍勢に合流することにした。


(あー……また面倒なことに、首突っ込んで)


 凌星が殿下と呼ばれている様を、呆然と眺めている慈念を置き去りにしてしまったのは、心苦しかった。

 あとで、慈念と家族には、うんと謝らなければならない。


(戦争にはならないと、約束した人の手で、戦地に送られるという……この皮肉)


 花影から、安易に約束なんてするものではないと、叱られている気分だった。


(……と、いけない、いけない)


 とりあえず、前進していることには違いないのだ。

 凌星も何とか楽天的に、とらえようと努力はしていた。


(もしかしたら、陶のおっさんと一緒に先生も、軍の中にいるかもしれないし……)


 ――まあ、しかし、そんなことはなかった。


 広々とした草原に設営されている白い大きな天幕を、揃いの赤い甲冑を纏った厳つい兵士たちが、取り囲んで警護をしている。

 それ以外の者は一角で、剣の稽古をしていた。

 ここに女性がいたら、かえって大変なことになっていただろう。


(やっぱり、俺は撒けばかったのか?)


 伯豹直属の家来が凌星を神のように扱い、接待をする。

 ……なのに、肝心な陶大将軍は姿を現さないのだ。


(まいったな……)


 軍人たちが次々に物騒なことを、凌星に吹き込む。

 浅氏をどうやって炙り出し殺すかなんて、凌星にとっては、どうだって良いことだった。

 過去の因縁があったところで、それと凌星は関係のないことだ。


(俺はただ……あの人に)


 しかし、凌星をこんな場所に送り込んだのは、確実に花影なのだ。

 いろんな考えが頭の中で渦巻き、凌星は苛々していた。

 更に、凌星の怒りを煽ってくれたのは、柳 周庵の存在だった。

 この老人は頼んでもいないのに、凌星のもとに押しかけてきたのだった。

 柳 周庵が自らしゃしゃり出て来なければ、ここに周庵がいることも、凌星は知らずに済んだはずだった。

 だが、謁見を申し込まれたら、断るわけにもいかない。

 この老人をとっちめてやりたい気持ちも、元々凌星にはあったのだ。


「その凛々しい御姿。貴方様は男装すると、紫陽様そのものになるのですな」


 すでに、夜も更けていた。

 白々しい口上に、凌星が欠伸を押し殺していたら、いつのまにか跪拝から柳 周庵が顔を上げていた。

 凌星のことを、紫陽の息子と認めながらも、みくびっている。

 そんな冷たい目を、していた。


「……久しいな。柳 周庵。あの時は、お互いに、たいした話もできなかった。一度、あんたとは会って話したいとは思っていたんだ。まさか今になるとは思ってもいなかったが」

「ええ……。まさか、貴方様が花影と一緒にいるとは知らず……」

「何だか、少し痩せようだな」

「元気だけが自慢だったのですがな。陶大将軍に振り回されて、こんなところまで連れてこられてしまい、一段と具合が悪くなって……」

「つまり、王宮に帰りたいと?」


 そういうことだ。

 凌星が詳細を知らないだろうと、高を括っている。

 周庵との話し合いは花影と陶大将軍、雪己しか同席していなかったからだ。

 痛い腹を探られないうちに、立ち去ってしまおうと、そういう魂胆なのだろう。


「恐れながら……。体の回復に務めるためにも、早々に都に帰らせて……」

「…………それは、許可できねえな」


 凌星は皆まで聞かずに、一蹴した。

 もとはといえば、この老人が発端でもあるのだ。


「まあ、だけど、そうだな。……いつか、王宮の…………銀花の下で、あんたとは話したかったな。色々と、昔話も含めて……さ」


 馬鹿にするなと、凌星が不敵に笑ってみせると、周庵はごくりと喉を鳴らした。

 広々とした天幕は、凌星専用のものらしい。

 だったら、遠慮する必要もないだろう。

 凌星は人払いをすると、周庵の前に回って、手前で胡坐を掻いた。


「柳先生……俺が、何も知らないとでも?」

「…………貴方様が自力で、知ることのできない内容のはずです」

「頭は良いみたいだが、耄碌しすぎだぜ。陶大将軍も、大司尉も、大司天も大体のことは掴んでいた。知っていて、あんたを黙認したのは、当時、国主慧氏の血を引く人間が、玄瑞しかいなかったからだ。俺はエスティア系だからな。さすがに、見た目が外国人のようでは、国主にはなれない。成長を待っていたそうだよ」

「…………流月だけでなく、皆で私を騙していたと仰りたいのですか?」

「光陰流星如 銀花明々為」


 諳んじてみせると、周庵はぶるぶると震えだした。

 流月に遺した、紫陽最期の伝言。

 花影が王宮に来てまで『銀花』を調べていたのは、その詩がただの恋文でないことに気づいていたからだ。

 そして、出立の前に、凌星も伯豹から銀花の成分については、聞いていた。


「その詩は恋文であって、恋文というだけではない。人生の流れることの速さを詠っているのは、自分の死が間もなくであることを伝えている。そして、自分を殺したものが『銀花』であることを……」

「貴方様に、その詩を花影が教えたというのですか?」

「何の因果かな。紫陽と流月が、俺と先生を結びつけたのか……」


 天幕の真白い天井を仰ぎながら、凌星は今生で結ばれることのなかった二人の姿を想像した。

 慧 紫陽が死の間際、どんな気持ちで、流月にその詩を託したのか……。

 そして、それを知った時の花影の気持ちは、どうだったのだろう……。

 早く彼女に会いたいと、心から思った。


「…………『銀花』には、毒がある。慧 紫陽は……毒殺されたんだろ」

「で、ですが、私は……」

「あんたは証拠になりそうなものは処分したかもしれないが、紫陽の毒味役は生きているよな?」

「なぜ、それを?」

「へえ……。かまをかけてみたんだけど、やはり、そのようだな」

「違います! 私は毒を盛ってなどおりません。花影だってそれは知って……」


 しかし、その時には既に凌星は周庵を眼中に入れてはいなかった。


 そんなことは、百も承知だ。


 ……柳 周庵は犯人ではない。


 おそらく……。


「あー……だからさ、先生は一体、呂県で何をしようとしているんだよ? 今更、犯人なんて暴いてどうしたいんだ。俺に戦争をさせたいのか? なあ……」


 周庵がその場に崩れ落ちるのと同時に、凌星は立ち上がった。

 天幕の外に感じる微かな人の気配。

 その人物に向かって……


「唯 花影は、呂県の何処にいるんだ!?」


 腹の奥から叫ぶ。

 凌星は随分前から、無断で立ち聞きしていた男の存在に、気づいていた。


「教えろよ。陶のおっさん……」

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