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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
五章
36/57

陸 【焦燥】

◆◆◆


 ――その日。

 唯 花影が王宮から忽然と姿を消した。


 陶 烈山、雪己親子と、柳 周庵…………諸共に、いなくなってしまったのだ。


 凌星がそのことに気づいたのは、その日の夜遅くだった。

 昼間、しつこいくらい凌星の様子を監視していた雪己が、ぱたりと来なくなったのだ。

 おかしいとは思っていたが、花影と共寝したことを、雪己から軽率だと説教され続けた身としては、叱り疲れたくらいにしか思っていなかった。

 だが、さすがに夜になって、一大事であることに気づいた。

 雪己や烈山はともかく、花影だ。


(……どうしてなんだ。先生?)


 夜更け過ぎに、いよいよ花影がここに帰ることがないことを悟った凌星は、すぐに王宮を出て花影を捜索しようとしたが、大勢の護衛に取り押さえられて、身動きが出来なくなってしまった。


 ――命令を下されば、我々が動きます。


 仕方なく、衛兵達に花影の行きそうな場所を捜索してもらった。

 でも、何処の場所にも花影はいなかった。

 当然だ。

 そもそも、捜すにしたって、彼女の顔を知っている人間なんて、ほとんどいないのだ。


 しかも、一番の滞在候補であった千李の家は、無人だったらしい。


(……つまり、先生は随分前から計画的に、俺の前から姿を消すことを考えていたということだ)


 そのつもりで、千李や丁李をどこかに隠した。


 ――何でも話して欲しいと、花影に伝えたはずだ。


 それが、烈山や雪己には伝えていて、凌星には一言もないなんて、酷い話ではないか。


 そもそも……だ。


 烈山と雪己が主導して、凌星を太子なんてものにしたのだ。

 やる気のない凌星を残して、その二人がこぞっていなくなるなんて、そんな馬鹿な話があるのか?


(…………ぶっ殺してやりたい)


 今まで、凌星は誰かに対して、殺意なんてものを持ったことはなかった。

 しかし、今……凌星は心の底から憤っていた。

 彼女の真意が知りたくて、手を出しそうになったのは、確かに不味かった。

 凌星にとっては、愛情表現のつもりだったが、花影にとって暴力に過ぎないのだと……。

 好きでもない男に組み敷かれたら、恐いに決まっている。

 ただの暴力男になりたくなくて、本音でぶつかろうと、告白をして……。

 だけど、花影は凌星の気持ちを信じてくれなかった。

 それも仕方ない……と思った。

 『学司』として、ひたすら勉強ばかりしていた彼女が、急に恋愛感情を示されても、理解なんてできないだろう。

 況してや、凌星と花影の間には、深い因縁があるのだから……。


(だったら、時間を掛けて、ゆっくりと、信じさせてやろうって)


 雪己の機嫌が直ったら、適当なことを並べて、花影と一緒にいる時間を多く取ろうと、意気込んでいた。

 顛河の氾濫対策の目処がついたら、きちんと口説いてから、花影の知っている隠し通路を使って、二人で一緒に逃げるつもりでいた。


 ――それなのに。


「…………ざけるな」


 こんなことなら、一線なんて踏み越えてしまえば良かった。

 花影から幻滅されても、二度と会えないのではないかと、不安になるより遥かに良い。

 刻々と時間が過ぎ、雨足が強くなるにつれて、凌星の苛立ちは強くなっていく。


 何度も、外に出ようとしたが、その都度見つかって、連れ戻された。

 花影から、隠し通路の一つでも聞いておくべきだったと深く後悔したが、今更だ。


 翌日から、誰の手にも負えなくなった凌星は、病で臥せっているという話になり、烈山は呂県の境に偵察に出かけたのだと、報告だけが伝わってきた。

 雪己の業務は、留守を頼まれたという大司尉偉 伯豹が務めることとなったらしい。


(冗談じゃない。俺は病気なんかじゃないぞ……)


 凌星はもぬけの殻となった彼女の部屋で、拳を強く握りしめたまま、外を睨んでいた。

 今日も、激しい雨が都に降り続いていた。

 花影が行ってしまった日から、一向に止まない。

 これでは『神雨』の前に、顛河は氾濫してしまうのではないか……。

 疲労困憊で、頭が回らなった。


 ――疲れているのでしょう。貴方は。


 脳裏に、花影の言葉だけが蘇る。


(ああ、本当に疲れているさ)


 とても疲れている。

 自信がないと、彼女に弱音ばかり吐いてきた。

 だから、これ以上、疲れさせないで欲しかった。

 別に、花影に何かして欲しいわけではない。


 ―――ただ、傍にいてくれるだけで良かったのに……。


「あんたは、いつも俺の先に行く……」


 そんなに、凌星のことが嫌いなのか……。

 流月に死ぬまで、凌星の身代わりにされていたことを、恨んでいるのか……。

 凌星が好きだと言ったから、早々に逃げるのか……?


 …………いや、どれも違う。


 花影は何ごとも中途半端なまま、姿を消すような女性ではない。


 ――花影が失踪する前。

 柳 周庵に会う前に、陶大将軍と大司天、大司尉の三人と、会っていたらしい。

 そこで何があったのか……。


(本当は、すぐにでも大司天と、大司尉に会って話したいのに……)


 想像以上に、王宮は巨大な檻だった。

 病気扱いされている紫晴が、自分から会いたいと声を発しても、なかなか二人に届かないのだ。


(こうなったら、当面大人しく太子を演じて、後宮に残ってる侍女から、裙裳一式借りて、大司天に会いに行こう)


 大司天を頼ろうと思ったのは、簡単な理由だ。

 大司尉に会いに行ったら、嬉々として監禁されそうな予感がしたからだ。

 そうして、具体的な計画を脳内で練ろうとしていた凌星だったが……。

 

「ほう……。随分と酷いお顔をされているではないですか……」

「えっ?」


 暗がりにいた凌星の顔を照らすように、手燭が向けられる。


「あんたは……!?」


 驚きの余り、前のめりになってしまった。

 接触は少ないまでも、珠水や雪己から話に聞いていてるので、人となりはよく知っている。


「…………大司天。来てくれたのか!?」


 宋 飛水は、娘の珠水とよく似た表情の読めない無表情をしていた。

 今、唯一分かるのは、眠たそうにしていることくらいだ。


「大将軍が消えたせいで、仕事が大変なことになっていたんですが、ひと段落したので、貴方の様子を見に来たんですよ」


 上着にかかった水滴を払いながら、従者に下がるように言い渡すと、飛水は大股で室内に足を踏み入れた。


「別にそいつらは、どうでも良いけど。先生が消えたことは……困る」


 語尾に連れて、声が掠れた。

 自分でもどうしようもなく、動転していることに凌星は気づいていた。


「まあ……先日、散々大司尉殿に、ねちねちと貴方とのことを反対されていたから、何もかも嫌になったのかもしれませんが……」

「はっ、何だよ、それ!? そんなことを話していたのか? 悪いのは俺だぞ!」

「……分かってますって。ただ端から見ると、二人共危なっかしくて。大司尉もつい意見したくなってしまったんだと思いますよ」

「先生の何処が、危なっかしいんだよ?」

「二人ともまだ十八歳ですから。彼女はあの年で先生と呼ばれて、達観しているように見えますが、私たちには、まだまだ若いお嬢さんにしか見えません」


 飛水は、格子窓の外で延々と降り続く雨に目を凝らし、なぜか嘆息した。


「…………まあ、しかし末恐ろしい子ですけどね。氾濫対策もきちんと意見してから出て行ったし、この雨も……」

「絶対に、俺を足止めするつもりで、雨が降り出しそうな時に出て行ったんだよ」

「…………でしょうね」


 二人で何とも言えない、溜息を落とした。

 どうしても、花影は凌星に追って来て欲しくいないらしい。

 むしろ、嫌いになって欲しいとも言える行動だ。

 しかし、花影も凌星のことを分かっていない。

 凌星はどんなことをしてでも、花影を追いかける。

 嫌いになんて、なってやるものか……。


「宋の……大司天殿、一生に一度の頼みがあるんだけど」


 こうなったら、いても立ってもいられなかった。

 大司天がいる。

 またとない機会ではないか……。

 勢い、頭に置かれた重々しい冠を取ると、派手に床に放り投げた。

 ――が。

 突然、現れた人物が、それを早速拾い上げたのだった。


「……えっ、なぜ?」


 よりにもよって、どうして今この男と対面しなければならないのか?

 絶望的な気持ちで、凌星は面を上げた。

 偉 伯豹は、明かり一つ持っていない。

 武骨な手で、大事そうに、凌星の大きな冠を抱えていた。


「……一応、お見舞いに参りましたが、坊ちゃんは、すこぶる元気そうですね?」

「おや、大司尉殿。おかしいですな。ここは、人払いをしたはずなのに?」

「貴殿もご存知であろう? 光和殿は迷路になっている。一方通行を止めたところで、抜け道などいくらでもありますよ」

「面倒な人だな」


 好戦的に振り返った宋 飛水だったが、伯豹は一瞥もくれずに凌星の前に回った。

 伯豹は常日頃から戦袍を着込んでいるため、歩く度に音がする。


「せめて、挨拶くらいしろよ。俺を祀り上げたいのならさ」

「王位など、どうでも良いと思っているくせに、口だけは良く回りますね。貴方様とて、分かっているはずです。陶大将軍がこの時期に消えたとなれば、王宮に激震が走る。諸侯がどう捉えるか……」

「………はいはい、分かっているよ。先生は、呂県に行ったんだろ。あんたのせいだからな」


 最後の一言は、意趣返しだった。

 分かってはいた。

 花影は、玄瑞のことを調べていた。

 この時分、叛乱の首謀者である陶 列山がいなくなったということは、浅氏と一触即発の可能性が高まったことを、皆に想起させることでもある。

 烈山が思い切った判断をしたことに、花影が絡んでいるのなら、それこそ彼女の意思なのだということは……。


「ともかく! 何としても、行くからな。あんたが俺を止めても、どんな手を使ってでも出て行ってやる!」


 まだ呂県と確定した訳ではないが、いずれにしても、花影が無茶をしそうで怖い。

 まともに戦って、伯豹に勝てるとも思えないが、今何とかしなければ、永久にここに縛りつけられてしまいそうだった。


 ………しかし。


「別に、行くのは構いませんけどね……」

「…………えっ?」


 一瞬、言語が通じなくなったのかと思った。

 伯豹は、怖いほどあっさりとしていた。

 ………が、やはり言葉には続きがあった。


「しかし、唯 花影がなぜ柳 周庵と話をしてから、呂県に行ったのか、その事情も探らずに、やみくもに行くのは賛成できませんな」

「あのな、探るったって柳 周庵はもうここにいないわけだし……」


 どうして、そんなことを言うのか……。


 ――柳 周庵?


 花影も、あの老人のことを気にしていた。

 学司長で、おそらく花影と流月を監視していた人物。

 一度、ちらりと会った程度で、凌星にはあまり印象に残ってないが、花影が柳 周庵について語ったことはあった。

 

「そういえば……柳 周庵は流月の薬学の師匠で、薬学博士の称号を持っている……とか」


 ………薬学博士、聞き慣れない称号だ。

 つまり、薬に詳しい人物……ということだろう。


「………ん? 薬?」


 まるで、雷に打たれたように、凌星は震え上がった。


(……………まさか)


 閃きが頭頂から、爪先まで一気に駆け巡った。


「おいおい、それって……」


 ……花影は最初から、それを疑っていたのか?


 他愛もない会話に出てきた、意味のなさそうな称号。


 しかし、それこそが重要な鍵だったことに、凌星は今更ながら、気がついたのだった。

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