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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
五章
35/57

伍 【三公からの尋問】

◆◆◆


 顛河の氾濫対策についての話し合いは、正華門のすぐ傍にある貫祁かんぎ殿で行われている。

 大司天を交えての話し合いは、光和殿近くの建物を使う場合もあるが、先日の陶大将軍の叛乱により、焼け焦げてしまった場所などもあり、最近はもっぱら貫祁かんぎ殿が使われていた。

 左右対称の平屋造りの建物が多い王宮の中で、ここだけは二階建てとなっていた。

 基本的に国政を立案、執行する為の役人の場所なので、国王に連なる上位階級の人間はここに来ることは、まずない。

 特に、武官が訪れる機会など絶対にないはずだった。


 ……それが、どうして、こんな事になってしまったのか?


「凌星様にも、昨夜くらいは早寝して欲しいと思っていたんだけど。……驚きだなあ」


 大将軍、陶 烈山が茶を啜りながら、にやけている。


「早速、共寝ですか……。殿下もお若い。なかなか、やりますな」


 大司天、宋 飛水が無表情ながら、とんでもないことを口走っている。


「……それで、結局、お前は殿下のご寵愛とやらを受けたのか?」


 極めつけは、大司尉偉 伯豹だった。

 格子窓の外を眺めながら、一番決定的で逃げ場のないことを、尋ねてきた。


(当然、報告は、上がっていると思っていたけど……)


 識者との話し合いを終えて、大司天に居残りを言い渡された花影だったが、まさか、大司尉、大将軍も合わせた三人から取り調べを受けるとは思ってもいなかった。


(……面倒なことばかり起きるものだわ)


 こちらを取り囲むようにして座っている三人の迫力に、ずれてしまった黒頭巾を、花影は急いで直した。


 ……勿論、彼らの気持ちは理解している。


 だてに、花影も王宮暮らしが長いわけではないのだ。

 けれど、真昼間から、お偉方三人が小娘一人相手に出張って来るような暇な国なんて、今にも滅びそうではないか?


「何もありませんよ」


 花影は極力平静を保ちながら、真実を告げた。

 昨夜は、あれから二人して眠ってしまっただけだ。

 確かに、際どい場面はあったが、別に、取り立てて、何かがあったわけでもない。


(まあ……起きた時は、少し気まずかったけれど)


 凌星には、当然の如く、護衛が付いている。

 彼らは二人が目覚めるまで、花影の居室の前で待機していたのだ。

 朝、護衛二人の顔を見るなり、申し訳なさと、気恥ずかしさで花影が硬直していたことを、凌星は楽しんでいた。


(……だから、あの人は王様向きなのよ)


 共寝の事実を知られているにも関わらず、恥ずかしいとも思わないなんて、とんでもなく、図太い神経をしている。

 この現状から逃げ出したい衝動にかられている花影にも、分けてもらいたいくらいだった。


「しかし、花影殿。何もなかったとしても、同衾した時点で、いろんなところで憶測が生まれますからねえ……」


 ぼんやりと話しながら、宋 飛水は皿の上にこんもり積みあげられた胡桃饅頭に手を伸ばしていた。

 ちなみに、これで三個目だ。

 庶民派で知られている飛水は、他の官吏と同様、質素な浅葱色の官服を身につけている。

 肩までの黒々とした総髪と、感情の読みにくい黒目がちな双眸は、娘の珠水とよく似ていた。


 …………が、その言動は遥かに娘よりも過激だった。


「もう、いっそのこと、既成事実を作って本当のことにしてしまうのも、有効な手だとは思うけど」

「……なかなか、恐ろしいことを仰りますね」


 暢気に饅頭を頬張りながら、危険極まりないことを口にするのだ。


「若いからねえ」


 こちらの動揺を知ってか、知らずか、烈山が、にこやかに応じた。


「もし釘を刺す前に、そうなってしまったのなら、我々もうかつに反対は出来なくなってしまうかな。だったら、それも有りなのかな?」

「お二人は、あえて、何かあったようにしろ……とでも?」

「……いやいや、君は良くも悪くも、生き方が不器用だって言いたかったんだよ」


 一体、何が言いたいのだろう?

 分からないから、腹立たしい。

 烈山も花影に釘を刺しに来ただけではないのか……。


(ともかく、この悪夢のような場から離脱しないと……)


 早々に幕引きを図りたい花影は、とりあえず頭を下げてみた。


「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。多分、凌星様は本能的に唯 流月と同じような格好をしている私に興味を抱いただけでしょう。どう転んだところで、先の国王陛下と流月のようにはなりませんよ」

「ふーん」


 …………なぜ?

 彼らの意を汲んで謝罪したつもりなのに、伯豹が鋭く睨んでいるのか?

 

「かつて、流月も同じようなことを言っていたよ」

「……母……が……ですか?」

「結果は、お前も知ってのとおりさ」


 それは、想定外だった。

 何より、伯豹が流月と接触があったことにも驚きだった。


「俺はエスティアとは、長いこと戦ってきたからな。本能的にエスティア人が大嫌いなんだよ。エスティア系の太子だけでも、難有りなのに、またエスティア人との色恋沙汰なんかで、王宮を引っ掻き回さないで欲しいものだな」

「色恋……?」


 言葉にされると、生々しくて嫌になった。

 そういうのではないと否定したいのに、昨夜、凌星の激しさを体で受け止め、真っ直ぐな告白を聞いてしまった花影は、積極的に否定することもできない。


「ほら、大司尉殿も、もうその辺りで良いだろう。花影さんは敏い方だ。貴方が言いたいことなんて、分かっているさ」


 間に割って入った烈山を睨みつけた後で、伯豹は小さな溜息を落とした。


「即位した頃の紫陽様と、凌星様はそっくりだ。紫陽様も昔……眩いほど輝いておられた。稀代の名君になるものだと、頭の悪い俺でも、そう思っていた。……けどな」


 ……そこで伯豹は、花影に昏い視線を向けてきた。


「流月という女と出会ってから、紫陽様の人生は一変してしまった。……エスティア系の御子の誕生に大后は怒り狂い、八つ当たりで殺された妃や、官女もいた」


 物騒な言葉に、王宮の負の側面が浮かび上がる。

 光西の歴史を詳しく勉強してきた花影は、学問として、闇の部分の一端を知っている。

 だが、その中心に自分が巻き込まれていたなんて、想像もしていなかった。


(私も死んでいたかもしれないと、言いたいわけね)


 どうも伯豹は、その残酷さを花影に訴えたいようだった。


「慧 紫晴という御方は、未だ金の卵のような存在だ。どう転ぶか分からない不安定な状況で、あの時と同じ不幸を、繰り返させるわけにはいかない。お前も、これ以上、面倒事は嫌だろう。滞在期間を決めて、それが終わったら、さっさと出て行くことだな」

「ええ……もちろん」


 そのつもりだった為、花影は速やかに頷いた。

 国家機密を知っている花影を殺すわけでもなく、出て行けと親切に教えてくれた伯豹は、お人好しではないか……。

 チクリと胸を刺す痛みなんて、どうだって良い。

 それより、花影が気になったのは、伯豹が自ら花影のもとにやって来て、凌星との仲を裂こうとしていることだった。


(……やはり、そういうことか)


 花影はすべて納得していたものの、しかし、どういう訳か宋 飛水の方が熱くなっていた。


「……まったく、大司尉ともあろう御方が、情けない」


 凛とした声が響く。

 三公の一、大司天。名門宋家の当主だけあって、たった一言で場の空気を自分のものに変えてしまう凄みがあった。


「若い娘さん一人に、まるで脅しのようだ。そんな古臭い話をしたいのなら、話し合いの後に、彼女を残さなければ良かった。どう転ぼうが、個人の自由でしょう。新しい時代を標榜しているくせして、視野が狭い」

「あの…………大司天」


 小気味良く言い切る様は、痛快なくらいだが、問題は話の方向性だった。


「私は娘から賢い学司がいると、話に聞いてはいましたが、今回、会ってみて彼女の優秀さには舌を巻きました。血筋を理由に、太子様から遠ざけるのは、如何なものでしょうか? 彼女のような人を、妃に据えるくらい豪胆なことを言えるのなら、宋家もそちらの陣営に、喜んで加わりますけどね」

「……………ん?」


 ………………どうして、そうなるのか?


「へえ……。大司天は花影さんが凌星様の妃になったら、こっちの味方をしてくれるんだ」

「陶大将軍まで、何を仰っているんですか?」

「思いつきで適当なことを言うな。文官の大司天殿は、何も分かっていないようだな……」


 なんで、こうなる?

 伯豹からは、毒々しい殺気が湧き上がっていた。

 せっかく、収束しようとしていた話が、悉く蒸し返されている。

 しかも、花影を大いに巻き込んで……。


(まいったな……)


 どうせ、烈山は適当に言っているだけなのだろうが、飛水と伯豹は本気だ。

 もう嫌だ。

 事態の打開方法から、逃走方法に、花影が頭を切り替えて考えていると……


「失礼します」


 軽く頭を下げてから、雪己が烈山のもとに、小走りでやって来た。


「父上……申し上げたいことがあります」

「ああ」


 烈山よりもはるかに小柄な雪己が身を屈めて、烈山に熱心に耳打ちしていた。

 そうして、二人で何言か交わした後に、烈山は何気ない様子を装って、そそくさと席を立った。


「さてと、私は急な仕事が出来てしまったので、ここで失礼を」

「…………ま、待ってください」


 慌てて、花影も後に続いた。

 長ったらしい黒い裙子につまずかないように、急いで烈山のもとに向かう。


「花影さん、どうしたの?」

「………柳先生と、話すことが出来るのですね?」


 間髪入れずに、小声で尋ねると、烈山の目がみるみる大きくなっていった。


「どうして、それを……?」

「雪己殿の口が、そう動いたような気がしたので……」


 くるりと烈山が雪己を振り返ると、彼は口を押さえて、頭を横に振っていた。

 普通なら、分からなかったかもしれない。

 花影が、もうそろそろではないかと、予想していたからこそだ。


「あー……君は……何と表現して良いのか」

「ずっと、この時を待っていたんです。柳先生に、私も用があります」

「きっと、私達と同じようなことをしようとしているんだろうね」

「……ええ、多分」

「駄目だ」


 そこで、ぴしゃりと言ったのは、伯豹だった。

 烈山と花影とのやりとりを、ずっと確認していたのだろう。素早く横槍を入れてきた。


「唯 花影。お前は、これ以上、余計なことに首を突っ込むな……。柳周庵に会ったところで、ろくなことはないぞ」

「私は……」

「……これ以上、不幸になりたいのか?」


 偉 伯豹に悪意がないことくらい、花影とて分かっている。

 むしろ、花影に気を遣っていることも。


 …………けれど、花影はこの機を逃すつもりはなかった。


「……恐れながら、申し上げます」


 花影は紫壇の椅子に腰かけている伯豹にわざとらしく、拱手した。

 精悍な顔立ちが一瞬だけ強張ったような気がした。


「私は貴方様が発端になった火種を回収しに向かうだけでございます。そこに他意はございません。目的を果たした際には、潔く王宮から出るつもりでおりました」

「火……種だと?」

「現国王、玄瑞様の御耳に、凌星様の存在をお伝えしたのは……大司尉ではないですか」


 しん……と、広い室内が静かになった。

 人払いは徹底されてるから、大丈夫だろう。

 格子窓から垣間見える厚ぼったい雲が、やがて雨を呼ぶことを、花影は計算していた。


「以前から、思っておりました。何者かがその話を、陛下にお伝えしなければ、永遠に私が紫陽様の御子だと、陛下は信じ続けたのだろうと。陛下のお近くで、直言を赦される立場の身分を持ち、極秘事項を知っている存在といったら、限られてきます」

「ほう……」


 伯豹は顎をさすって、何ごとか考えているようだった。

 さすがに、事が事なだけに、花影も口に出すことを憚っていたが、もはや、どうでも、良くなっていた。


 ……偉 伯豹は慧 紫陽のことを、心の底から敬っていた。


 今の話の中で、花影にも充分、それが分かった。

 だから、腰が重い烈山を発奮させるために、玄瑞に『紫陽様の本当の姫君を、陶大将軍が養育している』と打ち明けた。

 そして、柳 周庵と玄瑞、浅氏との信頼関係を壊し、太子暗殺などを持ちかけ、宴を催させて、一気に王宮を制圧したのだ。

 唯一の誤算は、主役である太子・凌星が花影なんかと、王宮から出てしまったことだろう。


「………貴方様こそ、どんな手段を用いても、紫陽様の面差しを宿している凌星様を擁立したかったのですね」

「………だとしたら?」

「ご心配には及びませんよ。私は凌星様を望むようなことは、絶対にしませんから。流月の二の舞には、絶対になりません」


 昨日、凌星は怒ったが、流月にとって、花影は凌星の身代わり人形であったことは間違いない。


(凌星殿と添い遂げるなんて、そんなこと、夢物語にすら値しないわ)


 早く忘れてしまおう。

 繋いだ手の温かい感触も、熱を孕んだ眼差しも……すべて。


 花影の決然とした物言いに、伯豹は口を噤んだ。


 今が好機だと、花影は伯豹、飛水、それぞれに一礼すると、烈山を目で促して、急いで貫祇殿の外に出た。

 花影が睨んだとおり、生暖かい風が吹き抜け、分厚い雲が早春の空一杯に広がりつつあった。

 さすがに、もう邪魔をされることはないだろう。

 だが、それにしても、やりすぎた。


「……つい、カッとしてしまいました」


 猛省している花影が物珍しかったのか、烈山はくすりと笑った。


「へえ……。カッとすると、ああなるんだね。君は……。いいんだよ。聞いてて、すかっとしたし、凌星様とのことを認められなくて、イラッとしたんだろうし」

「それは違います」


 言下に否定したものの、烈山は笑みを引っ込めなかった。


「まあね。どうせ、私も知っていたことだからね」

「ええ。いつも、態度が悪い大司尉殿ですからね。たまには良いと思います。しかし、共寝のことは、反省してほしいですけどね」


 雪己が説教じみた口調でしれっと言う。


(えー……と、それって)


 彼らは知っていて、伯豹の策にのったのか……。

 やはり、最悪の腹黒親子ではないか。


「で? 君は……柳先生に何を聞きたいんだい?」


 広い王宮を移動するため、雪己が用意した馬車に乗りこむと、隣り合った烈山が、さらりと尋ねてきた。


 伯豹は紫陽の死因を察していた。

 だから、柳 周庵に花影が会うことを止めたのかもしれない。

 伯豹が知っていて、烈山が知らないはずがない。


「光陰流星如 銀花明々為」

「…………へえ、何だい。それは?」


 当然の反応に、花影は頭巾の中で微苦笑した。


「この詩の本当の意味を、柳先生はご存知なんですよ」

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