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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
五章
31/57

壱 【圧倒的な光】

◆◆◆


 その噂は、光西の内外において、まことしやかに語られていたが、真実であることは、今まで不明であった。


 ――先代国王慧 紫陽は、暗殺された。

 ――先代国王慧 紫陽には、隠し子がいる。


 暗殺の件に関しては、明らかにならなかったものの、隠し子については事実だと先日、陶 烈山が弾劾文で公言した。


 現国王、慧 玄瑞に対する宣戦布告である。


 今まで市井で暮らしていたとされる国王の落とし胤は、慧 紫晴と名乗っているらしいが、あざなは分からない。


 叛乱を主導した陶 烈山は、この若い太子のために、浅氏派の不用意な粛清を避け、政治機能をそのままにしておいたらしい。


 慧 玄瑞の無気力政治に飽き飽きしていた官吏たちは、当初、新たな王の擁立に色めきたった。

 ――が、しかし、時間が経つにつれて、皆冷静さを取り戻していった。


 よくよく考えてみれば、怪しさ以外の何ものでもなかった。


 ――なぜ、今更?


 紫陽には、御子がいなかった。

 太子が誕生していれば、盛大に祝いの場が設けられたはずだ。

 叛乱の首謀者、陶 烈山と大司尉・偉 伯豹も軍人である。

 自分たちが玉座に就くことに、自信が持てなかった両者が、十八歳の青年を先代国王の御子として、何処からか拾って来たのではないのか……。

 事実、紫晴はなかなか姿を現すことはなく、次第に官吏たちの中には、太子など本当は存在していないのではないかという、憶測が公然と語られるようになっていた。

 諸侯の中には現国王を伴い、自らの領地に引っ込んだ浅 泰全たいぜんのもとに走る者もいた。

 もっとも、浅氏派であっても、処分されている訳でもないのに、人徳のない現国王と浅氏のいる県まで行くのは面倒なことだと、日和見を決め込む有力者たちの方が圧倒的に多かった。


 王宮に留まったほとんどの者が、ただ漫然と嵐が過ぎ去るのを待ちながら、日常を続けていた。


 ……そんなある日。

 突然、太子が定議ていぎに臨席すると触れが回った。

 定議とは文官、武官、共に選ばれた者、大凡、百人程度で開かれるものだ。

 年に数回、国家運営の指針など、重要事項を確認する際に開催されている。

 もちろん、玄瑞が王宮から姿を消してから、一度も開かれてはいなかった。


 ざわつくのは、無理もないことだった。


 誰もが興味を抱いてはいたが、期待はしていなかった。


 この百年の間に即位した国王は、夭折するか、傀儡かいらいになるかの何れかだ。


 玄瑞は浅氏の傀儡だ。

 紫晴は、陶氏の傀儡になるだけのことだろう。


 更にあり得ないことに、定議の進行役は武官の陶 雪己であった。

 文官顔負けの知識量を誇ると、一部では期待されていたが、無冠の武官が進行を務める定議など、前代未聞のことだった。


 太子は御簾みすの中だ。

 これは、通例のままである。

 国王は安易に姿を現さず、不用意な発言をしないのが基本で、閉会の時に簡単に私見を述べるのが常であった。


「今更、何がしたいんだろうな……」


 雪己の長い口上の最中、ぽつりと本音をもらす官吏たちがいた。

 あくまで囁き程度なので、太子や雪己の耳には届いているはずがない。

 定議は淀みなく、進んでいる。

 大方の予想通り、太子のお披露目が主な目的で、中身は余りなかった。

 どうせ分かりやしないという、謎の連帯感が、雑言をさざ波のように広めていった。


「……太子様がいらした時、おかしな黒頭巾の女も一緒だったと聞いたぜ」

「ああ、その女……。光和殿で見た。全身黒ずくめで、薄気味悪かった」

「妖術を使いそうだな? ある意味、一度、見てみたいものだ」

「…………静粛に!」


 雪己が鋭く叱責するものの、若造が吠えているに過ぎないと、誰も相手にはしなかった。


 ………だが。

 必然的に、その場の全員が黙りこむ事態が訪れる。

 手ずから、太子が御簾を払いのけ、颯爽と雪己の前に出てきたのだ。


「殿下!?」


 顔色を失くした雪己には一瞥もくれずに、慧 紫晴がこちらを睥睨していた。


 上位階級にいる者だからこそ、その姿には驚愕せずにはいられなかった。


 ……まるで、生き写しだ。


 白地に金の刺繍の朝服。大きな黒の冠。

 漆黒の髪と、整った顔立ちに、凛然とした眼差し。

 まさしく、その姿は先代国王、慧 紫陽そのものだった。

 唖然とする一同に、口角をあげた太子はよく透る声で言い放った。


「先程、陶 雪己から話があったように、私は慧 紫陽が一子。紫陽の貴妃であった陶 烈山の妹の侍女の子である。当時を知る者であれば、話くらいは聞いたことがあるだろう。私はつい最近まで光西の主になるつもりは毛頭なかったが、現国王に命を狙われそうになったので、やむなく今回の事を起こすに至り、偉大司尉、陶大将軍に助力を願った」


 張りつめた空気の中で、太子は長台詞を読むが如く、朗々と続ける。


「私が長らく、王宮に姿を見せることが出来なかったのは、玄瑞を追っていたからだ。呂県のすぐそばまで、追いかけたが、これ以上、王宮を留守にするのは宜しくないと、陶大将軍の進言を受けて、先般、王宮に帰参するに至った。――ちなみに、私が連れている女性は、七之芳霞宮ななのほうかきゅうと八之宮の学司で、私の師でもある。彼女に対する言葉は、私に対しての言葉と同じだ。そのことを皆には肝に銘じておいて欲しい。――特に」


 切れ長の瞳が殺気を持って、細められた。


太僕たいぼくの飛 法季殿、延尉ていいの隗 志礼殿。貴殿らの声は、よく響く……」


 真っ赤になった両者の顔に、痛い視線が集まった。

 静けさは、動揺の裏返しだ。


 平気な顔で、女の悪口を話していた者達は、太子の本気に震え上がった。


 ――慧 紫晴は、大勢の中の声を、誰のものか聞き分けることが出来、拝謁もしていない者の名前まで、記憶しているらしい。


 なにより、彼が放つ圧倒的な存在感に、皆平伏するしかなかった。


 その一種独特な感覚は、かつて慧 紫陽が即位した時と似ていた。


 ――あの時、諸官はこの国の未来に、光を見た。


 結局、その光はすぐに燃え尽きてしまったが……。


 今度は分からない。

 良いも、悪いも、まだ未知数であるが。


 ……しかし、間違いなく慧 紫晴は新たな時代の幕開けを告げる鮮烈な光のように、煌めいていた。

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